第131話 護符⑤
「清隆くんは、私が絶対に送り届けます。ここに来る間に家が見えたんです。そう遠くはないはずですから、明るいうちに戻りましょう」
咲良は立ち上がって、服についた枯葉を払う。このまま帰ってしまっては、惣一郎の思う壺だ。俺達がチャンスを掴めなかったという大義名分を与えてしまうことになる。
それを咲良は良しとしたのだ。無論、俺のために。
「いいや、だめだ。まだ時間はある。俺は大丈夫だから、先に進もう」
まだ日は落ちていない。気を失っていた時間は、ごく短時間のようだ。そうであれば、まだまだチャンスはある。
俺も立ち上がり、体の調子を確認する。動けないほどの怪我ではないし、頭もはっきりしている。ただ、少し血の味がした。口の中が切れているのかもしれないが、そんな些細なことを気にしている場合ではない。
「ちゃんと自分のことを見ましたか!?ボロボロじゃないですか……。私のためにここまでしてくれただけで、もう十分ですから、早く帰りましょう?ね?」
「いいや、駄目だね」
「そんなこと言わないでください。早く手当てをしましょう?病院にもいかないと」
近づいてきた咲良が俺の手を引っ張り、自分が降りてきたのであろう斜面に向かって歩き出そうとする。
しかし、俺は根を張ったように動かない。この場から離れるわけにはいかない。
「どうして、私を困らせようとするんですか」
咲良は、俺の腕を掴んだまま俯いてそう言った。なぜだって?そんなこと決まっているじゃないか。こんなにも行動で示しているというのに、全く伝わっていないなんて思ってもみなかった。そっちがその気なら、こっちにも考えがある。
「好きだから。咲良のことが好きだからだよ」
万物の霊長たる人間が用いる言の葉。態度で伝わらないなら、口にしてやる!と、ほとんど勢い任せの行動だった。
咲良は何も言わない。動きはない。せめて、ひと言。いや、頷いてくれるだけで良い。そうじゃないと、俺の顔面が火を吹いてしまう。こんなこと顔を見合わせてしたら、それこそ死んでしまうぞ。
「また、そうやって困らせて……」
俺の手を離した咲良は、数歩足を進めて、胸の前で自分の手を重ねた。俺に背を向けたままだから、その表情は分からない。笑っているのか、悲しんでいるのか。
咲良に歩み寄ろうと、俺は1歩踏み出す。足下に溜まった分解されるのを待つだけの枯葉が、しゃくりと音をたてた。
その途端、咲良は両手を顔に当てながら、走り去ってしまった。1人取り残される俺。これってそういうこと?
泣きたくなる気持ちを堪えて、咲良の後を追って俺も走り出す。足場は悪いし、体は痛い。しかし、咲良があの調子で走ったままだと、今度は咲良が危ない。それにまだ目的を果たしていない。ここで挫ける訳にはいかないのだ!
自分にそう言い聞かせて、咲良が走り去った方へ足を進める。緩やかな上り坂で、ここも荒れてはいるが俺が通ってきた道よりも拓けている。もしかすると、こちらの方が正解のルートだったのかもしれない。桜田邸の巨大な塀の先端が見えているから、迷ったとしてもどうにかなりそうだ。
ほどなく咲良は見つかった。他と比べて一段と大きな木がある広場らしき場所だ。やはり、ここも荒れているが、切り開かれていて雑草が繁茂している。
その中心部に咲良はいた。息が切れているようで、肩が上下している。長い半軟禁生活で体力が落ちていることもあるし、今日も緊張の連続だ。彼女が思っている以上に心身の疲労は大きい。
「咲良……」
俺は咲良に声をかける。しだいに彼女の呼吸も落ち着いてきて、体の動きも落ち着いてきているが、呼びかけに反応してくれない。
「清隆くんは、いつも急です」
咲良は静かに話し出した。
「私の前に現れる時はいつもそうです。突然現れて、私を助けてくれて。今回だってそうです。何度も諦めようとしても、清隆くんは来てくれました。それだけじゃなくて、さっきみたいなことを言われてしまったら、私は、私は……」
咲良がこちらを向いた。目尻がほんのり赤い。
彼女は、櫻田家に生まれた運命を受け入れてここに来た。それが家族を救うことになると信じて。自分が犠牲になれば、ことは丸く
収まる。そう決意していた。夢から覚めようとしていた。しかし、それを邪魔する奴がいた。俺だ。
彼女の決意を何度も何度も不意にして、さぞかし迷惑だったろう。それでも俺はやらなければならなかったし、後悔はない。惣一郎の言質もとった。あと少しで咲良との日々を取り戻せる。
咲良がゆっくりと近づいてきて、またしても俺の胸に収まった。今度はその両手が俺の腰に回されている。経験したことがない密着具合に戸惑った俺の両手は宙を掴む。しかし、やがて収まるべきところへ。
俺達はほんの少しだけそのままでいた。そして、示し合わせるかのように体を離す。名残惜しいが、お互いすべきことは分かっている。
「今はこれが精一杯です」
「うん、分かってる。……けど、ひとつお願いしても良いかな?」
「なんでしょう?」
咲良は不思議そうな顔をしている。
「俺にも柳也さんと話す時みたいにしてくれないかな?」
だって、羨ましい。兄妹だからとはいえ、特別感がある。俺もその輪の中に入りたい。
「……考えておきます」
咲良はそう言うと振り返って歩き出した。
考えておくだって!これはチャンスがあるんじゃないか?そうと決まれば、この護符とやらをさっさとどうにかすればよいのだろう?
体の痛みがどこかに飛んでいきそうだ。軽快な足取りで歩き出した瞬間、俺は再び天を仰いだ。つまるところ、草に足を取られて転んだのだ。
「だ、大丈夫ですか?やっぱり、体の調子が……」
「大丈夫、大丈夫。なんともないから」
物音に気づいた咲良が戻ってきてくれた。は、恥ずかしい。大事な場面でいつも締まらない。
俺は、大丈夫だよとジェスチャーを取る。そして、立ちあがろうと雑草の背丈くらいに頭を戻したところで、光が目に入ってきた。
「あの?清貴くん?」
咲良の声が耳に入らないくらい、俺は視線の先の光景に目を奪われた。
鹿の気持ちになれか、望はこのことも見越していたのか?いや、違うな。あいつはたまたまでミラクルを起こす時があるんだ。
少し落ちた日の光が差し込むまで気が付かなかった。一際大きな木の幹に不自然に穴が空いている。子どもでも這っていかなければ入れないような大きさだが、自然にできたものとは考えられない不自然さがあった。これは、もしかするともしかするかもしれないぞ。
次回更新は、4月24日(月)の予定です。




