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第123話 瑠実夏①

 料亭を出た俺達は、それぞれ車に乗り込み櫻田邸に向かって走り出した。


 あの後、何事もなかったように外に出ると、既に惣一郎と麗子さんは姿を消していた。わざわざ自宅に来るように言うくらいだ。ろくでもないことの準備に決まっている。いつもであれば、これから起こり得ることを想像して、陰気モードに突入するところだが、今回ばかりは違う。


 柳也さんの後部座席に乗り込んだ俺の隣には、咲良がいる。彼女がいるだけで、俺の非日常が日常になる。秋晴れも相まって春の陽だまりに包まれているような気持ちだった。


 おじさんが、咲良を愛車に乗せようと頑張った気持ちを1番理解しているのは、きっと俺だろう。だって、こんなに可愛いんだもん!自分の隣に座って欲しいと考えるのは当たり前だ。


 咲良は一時的とはいえ惣一郎から解放されたおかげか、すっかり力が抜けたようにみえる。座っているのがベンチであれば足をぶらぶらしそうなくらいだ。

 既に何度か顔を見合わせては視線を外すことを繰り返している。話したいことは山ほどある。2人でそうしているだけでも心地良くて、言葉が入り込む隙間なんてどこにもなかった。


 この時間が続けば良いのにと、まだ問題が解決していないというのにそう思ってしまった。もうこのまま逃げてしまっても良いんじゃないか?そんな気にさえなってしまう。

 

 柳也さんだって駆け落ちの選択肢について言及していたじゃないか。実際、俺もあの場に行くまでは失敗しても誘拐同然で咲良を連れ出せば全て解決すると思っていた。花嫁がいなければ結婚はできない。そんな単純なロジカルだった。


「……2人ともそろそろ良いかい?」


 初めは優しく見守っていた柳也さんも痺れを切らしていた。口調は優しいけど、今はまだそんな事をしている時ではないという意味合いが存分に含まれている。


 俺たちはシートの上で飛び跳ねるくらい驚いて、顔を見合わせては、また笑顔になった。

 この時間をこれからも過ごすために今は作戦会議に戻らなければならない。名残惜しいが、少しばかりの辛抱だ。今一度、己を奮い立たせて、惣一郎に立ち向かわねばならない。


 咲良に抱きつかれた時、俺のDNAのどこかにも刻み込まれていたらしい闘争本能というものが、ゆっくりとじっくりと湧き上がったのだ。


「これからあの家に戻って何が始まるんでしょうか?侵入した時の後始末……とかじゃないですよね?」


 俺の頭に庭に置かれていた重機が頭をよぎる。あれを使わないといけないような作業を人力でやらされることになるんじゃなかろうか。やってやろうじゃないか。今の俺には力がみなぎっている。たとえ尽きたとしても、すぐに気力の補給は可能なのだ。


「なくはないけど、それだと近藤家も呼んだ理由が付かないよ。フォークリフトくらいは運転できると思うけどさ」


 フォークリフトとユンボの運転に必要な免許は違うんだ、と柳也さんは付け加えた。

 食品関係の工場経営が柱の近藤家にとっては、大量のパレットを扱うのは朝飯前だ。現場を離れて久しい兼信も若い頃は現場で汗を流して働いていたらしい。なるほど、鹿に荒らされた庭じゃ役には立たなそうだ。


「それじゃなんで?来てほしくないなぁ」


 砕けた口調で咲良が聞いた。俺もそう思うよ。


「あいつが部屋から出る時に言ったんだ。今度は勝てると良いなって。清隆君には聞こえていただろう?」

「……すみません」

「謝ることはないさ。君は知っていた方が良いかもな。あの男と僕の間に何があったのか。あの口振りだとまたろくでもないことを考えているに違いない。少しでも助けになればいいが……」


 ルームミラー越しに見える柳也さんの顔が悔しさに歪んでいる。自分の祖父のことをあの男と名前で呼ぶことも避けているくらいの出来事があったことを物語っている。

 その出来事の後に柳也さんは惣一郎と仲違いになり、咲良を櫻田家から遠ざけようとした。唯一連絡を取っていた麗子さんに裏切られていたことが分かっても、俺たちのことを案じて前に進もうとしている。強いな。いや、柳也さんのことだ。どこかの時点でその可能性に思い至っていたのかもしれない。


「……それって、もしかして瑠実夏(るみか)さんのこと?」

「そうか、咲良には話したことがあったね」

「うん、お兄ちゃんが嬉しそうに話していたからよく覚えてる」


 自分の問いかけが合っていたことに安堵していた咲良の隣で、俺の頭の中にはクエスチョンマークが浮かんでいた。


 瑠実夏さん?初めて聞く名前だ。響きからすると女性のようだ。柳也さんとその女性の関係が、今の俺たちの助けになると言うのならば、その人は柳也さんの恋人か、それに近い関係の人なのだろう。しかし、今の今までその名を聞いたことがなかった。惣一郎の発言を踏まえるときっと……。


立田(りつた)瑠実夏。……今は蒲生(がもう)か。昔、俺が付き合っていた女性だ」


 付き合っていた。つまり過去形。苗字が変わっていると言うことはそう言うことなのだろう。そして、ここに惣一郎が関わっている。背筋に冷たいものが走る。


「あの男と直接会ってどういう男かは分かっただろ?どうだった?」

「わがまま気ままで王様みたいでした。誰も逆らえないし」

「ははっ、王様か。でも、あの格好じゃ殿様の方がしっくり来るかもな」


 確かに。和装にお城のような豪邸。殿様の方がしっくり来るな。でも、今はそこは重要なことではない。柳也さんも俺の次の言葉を待っているようだった。


「今の時代に政略結婚を考えるくらいだから、もっと会社のために!お金のために!って人だと思ってましたけど、そうじゃなくて、なんて言ったらいいのかな」

「子どもっぽい?」

「そう、それだ。自分が面白いと思ったら全部ひっくり返して飛びついちゃうみたいな。ただ遊んでいるみたいな感じを受けて……」


 咲良に助けられて納得する表現となった。あの場での惣一郎は、自分が損をしないという大前提はあるものの、人の人生がどうなろうと自分が楽しければそれで良いといった振る舞いだった。そして、そこに微塵も罪悪感を感じる様子はなかった。まるで無邪気に遊ぶ子どものように見えた。


「その遊びに付き合わされて、僕は瑠実夏と別れることになったんだよ。そして、それから会うこともできない」


 柳也さんが深いため息をついた。その続きは聞きたくない。これから起こることが、どんな結果をもたらすことになるか否が応でも意識せざるを得なくなってしまう。燃え上がっていた俺の心に現実という名の冷や水が浴びせられた。

 次回更新は、3月31日(金)の予定です。

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