第116話 何処①
咲良を説得する最後の日の朝は静かに訪れた。いつもの部屋、いつもの朝ごはん、いつもの情報番組。違うのは俺の心内だけ。あの太陽のように激しく燃え上がっているのだ。このまま戦場に赴くことだってできそうだ。
「き、清隆?」
「なに?」
仁王立ちでリビングの窓の外に浮かぶ太陽に自らを重ねていると、母さんが邪魔をしてきた。今の俺は正に太陽の化身だ。如何なる理由で呼び止めたのだ。
「寝癖ついてるよ。すんごいやつ。琴美ちゃんに送りたいから写真撮らせて。はい、そのまま、そのままー」
頭に手を伸ばすと、いつもよりも背が高い。なるほど、俺の髪の毛は地球の重力感を脱して宇宙を目指しているらしい。本体に断りもなく勝手なことをしてくれたものだ。
「……直してくる」
スマホを構えていた母さんの脇をすり抜けるように洗面所に向かった。かんぱねらのおばちゃんに写真を送られてみろ。あっちに戻った時になんて言われるか分かったもんじゃない。話のネタにされて、知らぬ間に7188のマスターにまで情報が流れていきそうだ。
「清隆ー!お迎えきたよー!」
「はーい!今行く!」
洗面所の鏡を見ながら、言うことを聞かない髪の毛をどうにかして押さえ込むうちに、それなりの時間が経ってしまったらしい。時間を確認すると、柳也さんが迎えにきてくれる時間になっていた。洗面所を出て家の中を走った。
「すみません。お待たせしました」
「今来たところだから大丈夫。それより、寝癖は直ったみたいだね」
玄関にいた柳也さんに挨拶したところ、なぜか笑いを堪えている。すぐさま振り返って、俺の後ろにいる母さんを見るが、視線を逸らされてしまった。犯人はこいつか。
「それじゃ、お母さん。清隆君をお借りしますね」
「いいんですよ、そんなにかしこまらなくて。煮るなり焼くなり好きにしてください」
母さんは俺のことをなんだと思っているんだろう。小一時間問い詰めてやりたいが、寝癖のせいで時間がない。余裕を持った待ち合わせとはいえ、いつまでも呑気にしていられないのだ。
土間に並んだ靴の中から自分の靴を見つけると、急いで自分の足を突っ込んだ。
「いってらっしゃい。遅くなりそうな時は連絡するのよ」
「分かってるって、子どもじゃないんだから」
俺は玄関の扉に手をかけつつ、つま先をトントンと叩きつけてそう答えた。成人になったら子ども扱いが治るのかと思えば、どうやら違うらしい。たぶんこの先も変わらないのだと思う。
こうして母さんに見送られ、乗りなれてきた柳也さんの車に乗り込み出陣した。
目指す場所はお見合い会場だ。昨夜、柳也さんと作戦会議をした時に教えてもらったが、地元では有名なホテルらしい。協力者である麗子さんからの情報ということだから間違い無いだろう。
柳也さんの運転にも力が入っているのか、あっという間に実家が見えなくなった。隣町に入る一歩手前の交差点で、車は右に曲がり、また俺の知っているようで知らない風景が広がった。
「今向かっているホテルはね、あの男の弟が経営しているんだ。昔は結婚式でにぎわったんだけど、今時はみんな仙台のおしゃれな式場を使うから、おじさん達の慰労会とか送別会とか、そう言う形が多くてね。まぁ、これも付き合いなんだろ。繋がりは人と金を呼ぶってよく言ってたよ」
「なるほど……ホテルは敵側ってことですか」
今回のお見合いの件は、一部にしか知らせていない極秘事項のようだし、信頼のおける場所で開催することは理にかなっている。つまり、これから乗り込む先は敵の息がかかった人しかいないということだ。
「でも、都会じゃなくて、こっちでやってくれることは悪いことじゃ無いぞ」
「……?」
「田舎だと店の近くに車を停められるだろ?もしも駆け落ちってことになっても、すぐに逃げられる」
「か、駆け落ちぃ!?」
素っ頓狂な声をあげてしまった。そんな方法は俺の頭にはなかった。だってまだ学生で、生活の基盤なんてない。それに強行策で櫻田家のしがらみが解決できるとは思えなかったからだ。
「可能性のひとつとして考えておいてくれよ。正確に言うと駆け落ち風ってことになるのかな?埒が開かない場合は、咲良を連れ出して、僕の家にしばらくの間匿おうと思う。その間に僕が何とかしてみせる」
柳也さんの言葉に頼もしさを感じる。咲良の大学進学を後押ししたのも彼だというし、可愛い妹を家のしがらみから解放したいと願う気持ちの強さが伝わってくる。
柳也さんは、「最終手段だけどね」と念を押した上で話を続ける。
「会場に乗り込んだ後、あの男の相手は僕が引き受けるから咲良の説得は任せるよ」
「どうして俺のことをそんなに信頼してくれるんですか?」
咲良のために尽力を続ける柳也さんが、こんなにも信頼してくれるのはなぜなのだろう。あの手この手で助け出そうとしておきながら、最後だけ他人に任せようとする理由は何だ。
「そうだな……簡単に言えば、僕が咲良の兄だからかな。家族として咲良を助けることはできても、その先を一緒に歩くことはできないから」
柳也さんの声色は明るいが、どこか寂しげでもあった。咲良の幸せを願うからこそ、自らの引き際を弁えているとでも言いたいのだろうか。柳也さんが出した結論に俺は口を挟まなかった。
「それに覚えていないかもしれないが、君は既に1度あの家に縛られそうになった咲良を救ってるんだ。それも数年前にね」
「そんなことした覚えはないんですけど……。咲良に出会って半年も経ってないんですよ?」
「咲良がそう言ってたんだ。間違い無いよ。君は自分で思っている以上に咲良の支えになっている自覚を持った方が良いな」
そこで会話は途切れてしまった。ラジオのパーソナリティが最近のコンビニスイーツ事情について力説する声が車内に響いている。その後、交通情報が流れた。事故により、上り車線が通行止めになったらしい。今日の俺達には関係ないことだ。
俺が咲良の支えになっていたとしたら、これ以上嬉しいことはない。しかし、気になるのは数年前にも救ったという話だ。俺には覚えがないが、咲良は間違いないと言う。彼女の信頼が人違いによるものだとしたら、俺はとんだピエロだ。いったいどこで何があったのだろう。
カーナビによると車は順調に目的地に近づいている。動き続ける画面をぼんやりと眺めながら、自問自答を繰り返したが、答えは出なかった。
次回更新は、3月10日(金)の予定です。




