第112話 コウスケ②
「むむむ……」
自室の机に置かれた名刺に向かって、1人で唸り声をあげる。時折、頭を掻きむしったり振ってみたりしたが、頭の中のモヤモヤが飛んでいくことはなかった。
『株式会社錦織商事 グローバル営業部 近代資材課長 近藤康介』
にらめっこを続けている名刺にはそう書かれている。
咲良と別れる時、彼女は間違いなくコウスケという名を口にした。そして、柳也さんから教えてもらった惣一郎と共に新会社を立ち上げようとしている男の名前は近藤兼信だったはず。
これは偶然か、それとも神様の悪戯か。ついさっきまで、捨てたと思っていたこの名刺に悩まされることになるとは夢にも思わなかった。
名刺の表側には課の代表電話番号だけが書いてある。インターネットで検索してみるとなかなか大規模な会社のようだ。俺みたいな一介の学生が連絡したところで繋いでもらえるような役職の人ではない。
だからこそ、裏側におじさんが書き殴った携帯電話の番号は貴重な情報といえる。まだ同じ名前だというだけの可能性の話でしかないが、それは揺らぎのない事実、細い糸で繋がった何か。
咲良のお見合いまで残り3日。俺ができることがあるのであれば、もうこれしかない。人違いであればそれで良い。就職活動という両親への言い訳も実態が伴うものになるだろう。
もし、俺の予想が当たっているのならば、今度はこちら側に説得を試みるだけだ。
「なぁ、びっきー。これで良いかな?」
前線基地から連れてきた机の上のびっきーズは優しく俺に微笑みかける。
両親に相談できる内容ではない。誰に相談したって、「彼女のことを想うなら諦めろ。それが彼女の幸せだ」と言われてしまうことは分かっている。しかし、それが本当に咲良にとって幸せなことなのだろうか。その幸せの中心に咲良はいるのだろうか。
約束された地位に就くこと、約束された生活をすること、約束された相手と誓うこと。俺がやろうとしていることは、約束された咲良の将来を壊すことだ。
咲良の幸せの中に自分の場所があって欲しい。始めはそう思っていた。俺と柳也さんの作戦が成功したとしても、惣一郎の思う幸せから、俺達が思う幸せに咲良を移動させるだけで、彼女にとっての本当の幸せではないかもしれない。
それでも、俺は彼女を櫻田家から解き放ちたいのだ。最後に隣にいるのが俺じゃなくても良い。咲良が咲良自身で幸せの場所を見つけられるなら、それで良い。咲良が無理に笑ったりしなくていいところに連れ出してあげたい。この答えが、櫻田邸侵入作戦の成果だ。
時刻は21時を回ったばかり。常識外れな時間だが、会えるのであれば明日にでも会いたい。残された時間は少ない。
「お願いします!平筒菜美希様!どうか俺に力をっ!!」
びっきーズに手を合わせて勇気を授けてもらう。そして、決心が鈍らないうちに衝動に任せて名刺の裏側に書かれた番号のとおりキーパッドをタップした。
『はい、近藤です』
2度目のコール音が鳴りやむ前に電話が繋がった。あまりにも早すぎる。これが社会人の性だということを俺はまだ知らない。
『もしもーし』
電話をかけたことの緊張から、電話に出た時の緊張に対応する心構えに変える前だった俺は、言葉を発することが出来ていなかった。いかん、このままではイタズラ電話だと思われて切られてしまう。
「も、もしもし。あの、僕、北上です。新幹線で隣だった。こんな時間にすみません」
僕なんて使ったのは久しぶりの気がした。勢いで電話をしたのは良いが、出だしの原稿だけでも用意すればよかったと今更ながら後悔する。
『ああ!君か!あの時は助かったよ。おかげで大事な会議にも遅れることはなかったし。はっはっは。こんな時間にどうしたんだい?あっ!もしかして、この間の話のこと考えてくれたのかな?』
「実は、そうなんです。詳しい話を聞かせていただきたくて。可能であれば会えませんか?……明日とか」
『えぇ!?明日かい!?……ちょっとこのまま待っててくれるかい?今スケジュール確認するから』
「すみません。お願いします」
お願いする立場として、失礼なのは百も承知だ。三度びっきーズに祈りを込める。目をつぶりスマホを当てている左耳に集中する。手帳だろうか、紙をめくる音とおじさんが唸る声が聞こえる。
『明日だとお昼頃なら時間を取れるよ。遠いと思うけど仙台まで来られるかな?』
「は、はい!それでお願いします!無理言ってすみません」
『ははは、良いって。君には恩があるしね。それに最初に誘ったのは私の方になるんだろうしさ。じゃあ、明日のお昼。仙台駅のステンドグラス前でいいかな?場所分かる?』
仙台駅のステンドグラスは、中央改札口を出て正面にある。駅の構内にあり、雨風を凌げるため年間を通して集合場所として使われている。俺が仙台に遊びに行くときは、家族と車で行くか、最初から友人たちと電車か高速バスに乗っていくから、滅多に使うことはないが場所は分かる。
「大丈夫です。分かります。12時頃にそこに行けばいいんですね?」
『うん。それで頼むよ。それじゃ、おじさんはもう少し仕事を頑張らないといけないから、また明日。おやすみー』
「ありがとうございました。おやすみなさい」
スマホを耳から離す。持った手が小さく震え、汗がにじんでいた。
あのおじさん、お酒を飲んでいなければ良い人なんだな。一か八かの不躾なお願いだったにも関わらず引き受けてくれるなんて、新幹線での態度が嘘のようだ。あれは何上戸と言うのだろうか。それはさておき、無事に約束は取り付けた。後は会って確かめるだけだ。
次回更新は、2月26日(日)の予定です。




