第104話 社長④
「ごめん。待たせたね」
「いえ、別に……お仕事大変ですね」
戻ってきた柳也さんの手には、新しい缶コーヒーが握られていた。やはり、今度は微糖のものだ。
ハロファクの情報をチェックしていたから、そこまで待ったという実感はないのだけれど、込み入った話だったのか、柳也さんの表情が硬い気がする。仕事でトラブルでもあったのだろうか。
「君は、咲良から何か聞いているかい?」
柳也さんが手に持った缶コーヒーを見つめたままそう言った。何かと言われても、連絡も取れない状態なのだ。最後に話した時のことは忘れられるはずもない。
「残念ですけど、お別れ的なことだけ……。その前後から、連絡がなかなか取れなくて……避けられてるんすかね?ははは……」
こうでもしないとあまりに辛くておどけてみせるが、柳也さんの表情は暗いままだ。缶コーヒーは封を切られることなく手に握られたまま。そのまま握り潰されてもおかしくはない凄みを感じさせる雰囲気を纏っていた。
「……事態は僕達が考えていたよりも早く悪い方向へ進んでいるのかもしれない」
呟くように柳也さんがそう言って、革張りのシートに体を預けて天井を見つめながら深く息を吐いた。
「悪いって……どういうことですか?まさか咲良の意思ではどうにもならないような状況にあるってことですか?」
そうだとしたら、俺がここにきた意味がなくなる。こうして、ゆっくり話をしている場合じゃないぞ。咲良がどうしたと言うんだ。体に力が入り、柳也さんの方を向いた勢いで車が揺れる。
「落ち着いてくれ。悪い方向と言っても、世間的にはそっちの方が幸せなのかもしれない」
「ま、待ってください。俺にも分かるように話してください」
何を話そうとしているのか見えてこない。柳也さん自身も信じたくないような、話すことで現実であると認めてしまうことを恐れているような、そんな表情をしているが俺とは目を合わせてくれず、すぐに握られたままの缶コーヒーに視線を戻した。
「咲良は、あの家の跡取りにするために呼び戻されたんだ。それは分かってるよね?」
「え、えぇ。それは理解してました。取り返しがつかなくなる前に咲良さんの意思を確認したくて」
大学生の女の子が家の事情で振り回されるなんて間違っている。そんな不幸に彼女が巻き込まれるなんて許せるはずがない。
これは、全部建前だ。俺はただ咲良と一緒に笑い合える生活を取り戻したいだけ。自分勝手。それは分かっているが、納得のできる恋にしたかった。そのためにも彼女と話したい。話せば何とかなると信じて、ここまで来た。
「ああ、そのとおりだ。跡取りと言っても、ただの大学生がすぐにどうのこうのできるはずもないと思っていた。失敗しても数年の猶予はあると高を括って。だが、どうやら話はその先まで進んでいるみたいなんだ」
「その先と言うと……もう社長就任とかですか?」
「あぁ、そのとおり。まだ正式決定ではないみたいだけどね」
「そんな情報どこから……」
現役女子大生社長なんて、ネットニュースになってもおかしくない。そんな話題性のある話に加えて、地元で姫ちゃんと可愛がられた彼女が帰郷して跡を継ぐとなれば、噂はすぐに広まりそうだ。
「こっちに協力者がいてね。咲良に関する情報を定期的に貰っているんだ。残念だけど立場的に直接動けるような人ではないんだけどね」
協力者と聞いて、咲良との接触が思ったよりも楽にできると思ったが、そう簡単にはいかないらしい。目的地がすぐそばにあるのに関わらず、こうして離れた場所で話をしていることを鑑みると、地元の目は相手に有利なのだろう。
「君には事の始まりから伝えておく。僕の祖父、櫻田惣一郎は大地主でもあるけど、それを元手にした実業家でもあってね。それはもう、多岐に渡って事業の展開をしているんだが、歳も歳でね。今のうちから若い後継者を育てようと画策しているんだ」
「その白羽の矢が咲良さんに当たったと」
紅麗奈さんから貰った情報のとおりだ。おそらく地元では有名な話。この辺りでは周知の事実として広まっているのかもしれない。
「そのとおり。まぁ、僕も両親も見限られているからね。咲良しかいなかったんだろう。なんなやつでも自分の血が繋がっている人間に譲りたいという情はあるみたいだな」
「そのどこが悪い事態ってやつなんですか?それだけ聞けば、孫に財産を譲りたいおじいさんってだけじゃないですか?」
「とんでもない。協力者の話では、祖父が新しく起こす会社の社長に咲良を就かせて、自分の会社を継がせるために経営の勉強をさせるらしい。ここが問題なんだ」
柳也さんは、ひと呼吸おいて、口に出すのも躊躇っているようだった。
「この街には、食品関係の工場をいくつも抱えているKFSという会社があるんだが、どうやら新しい会社とやらは、そことの共同出資らしいんだ。やつとしては、繋がりを作って自分の手中に収めるきっかけにしたいんだろう」
「そんな大事そうな会社のトップに経営経験のない孫を据えたら、周りから大バッシング受けませんか?普通そうなりますよね?」
「普通ならな。このKFSの社長、近藤兼信という男には、今年42になる1人息子がいる。今は他の会社で働いて経験を積んでいるらしいが、こいつを引き上げて副社長にする予定らしい。公私共に咲良を支えさせるんだと。咲良の意思は無視してな」
公私共に。つまり、それは結婚するということか。一回り以上上のおっさんと家の都合で。本当に現代の話なのか。
「それは、悪い冗談ですか?」
素直に出た言葉だった。それ以外の言葉が出なかった。
「いや、今進んでいる本当の話さ。今度の土曜日に形だけのお見合いをして、日を置かずに結納を済ませるらしい」
「そんな馬鹿な話があるか!周りが止めないなんて、どうかしてる!」
「僕が聞いた限りじゃ、地元では噂にすらなっていないよ。企業情報に関することだ。正式に発表するまで伏せているんだろうよ」
憤る俺に、柳也さんは録音したデータを再生するように淡々と答えた。
結婚が企業情報?大人の世界では、祝い事すら道具に成り下がるというのか。そんな残酷なことが存在して良いはずがない。
「いずれ公になるなら、その時に大バッシングを受けるじゃないですか」
「いや、あり得ないね。あの男は、いわゆる町の有力者ってやつでね。この町の町議をやっていたこともあるんだ。公人として活動していたんだから、それはそれは清廉潔白な人間だと思うだろ?それが世間の評価だ」
「そんな……。議員をやるくらい信念がある人なら、こんな酷いことどうして……」
「信念なんてないさ。金だよ。周りに頼まれて、付き合いの延長で議員をやっていたが、金にならないって理由で辞めたんだ。自分の支持団体は後任にそのまま引き継いでいるから、現役の議員ですら頭が上がらない存在になっていてね。それに親戚があの男の関連会社で働いているなんて、ここではよく聞く話だ。そんな男に目をつけられたいと思う人がどこにいる?」
「それは……」
「咲良の近くに味方はいないんだよ。あの子は俺たち家族のために身を捧げようとしているんだ。でも、兄としてそれを許すわけにはいかない」
この地で暮らす人にとって、取り入る利益はあっても、わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はない。それどころか、目をつけられないように遠ざかろうと考えるのが普通だろう。俺だって咲良が関わっていなければ、そんなことはしない。触らぬ神に祟りなしってやつだ。
「家族の問題に君を巻き込むような形になるが、協力して欲しい。こんなくだらない理由で大学を辞めさせられるなんて間違っている。あの子の人生を他人のために消費させたくないんだ」
ここでようやく柳也さんと目が合った。涙がにじんでいる。
「もちろんです。咲良に会えるなら、なんだってします!そのために俺はここに来たんです」
はっきり言って分が悪い。それは百も承知。しかし、柳也さんとならやり遂げられる。そう思わされるほど、彼も咲良に対して真剣だった。
それに柳也さんの話では、残された時間は少ない。俺にできることならなんだってやってやる。
「今夜、あの屋敷に忍び込む。咲良を連れ戻すぞ」
柳也さんの提案に俺は強く頷いた。
次回更新は、2月2日(木)の予定です。




