第103話 社長③
久しぶりの革張りのシートに体を沈める。車高が低いせいか、自分で車を運転していた時よりも速さを感じる。メーターを見る限り、安全運転なのにも関わらずだ。
「無理言ってすまん。あそこでも良かったんだが、ほら、田舎だとさ、分かるだろ?」
「まぁ、なんとなくは。この辺りだと噂が広まるのは早いですから」
俺も近所では、どこの大学に行っているか程度の情報であれば筒抜け状態だ。もちろん、自ら吹聴しているわけではない。こうした情報というものは、どこからか伝わっていくものなのだ。知らない所で自分の話をされているのは、気持ち良いだけではないのだが、疎遠になってしまった同級生達の情報が入ってくるのは嬉しかったりする。
俺が乗ってきた車は、柳也さん指示で公園から少し離れた役場の敷地に移動させた。役場に用事がある人だけでなく、高速バスを利用する人も多く停めているとのことで、少しの間であれば咎められることもないそうだ。
その後、俺は柳也さんの車に乗り込み、実家とは反対方向の別な町へ向かって走る車の中にいた。俺が柳也さんに渡されたメモの場所に突撃して失敗したことは既に伝えた。彼がどんな顔をして、そのことを聞いていたかは分からない。失望されそうで、自分の足を見つめて話したからだ。
気持ちが落ち着いた頃、外を見ると辺りは鬱蒼としていて、急傾斜の道を長いこと登っている。話しぶりから察するに、あの町に長居はしたくないようだが、山を越えるほど念を入れる必要があるのだろうか。
「……あの、柳也さんはどうしてここに?電話もずっと留守番電話だったし、てっきりまた出張だと思ってました」
「出張だったよ。つい先週までアメリカにいたんだ。帰ってきて使用のスマホに入っていたメッセージを聞いて驚いたよ。すぐに折り返そうとも思ったんだけど、凄く思い詰めているような声だったから、僕が何を言っても良い方には転がらない気がしてね。それに僕に頼らなくても君なら大丈夫だと思っていたしさ」
「……それは買い被りすぎですよ」
「そんなことないさ。現にこうして君はここにいるじゃないか。ありがとう。咲良もきっと喜ぶよ」
「会えませんでしたけどね」
「そうむくれるなって。でも、まぁ君が決心してくれたから、僕も何とか仕事を調整して、こうしてここに来たんだ。あの家に行くには、あの公園を通るしかないし、あそこで待っていれば会えると思ってね。まさか、突撃した帰りだとは思わなかったけど」
「……すみません」
「責めている訳じゃないんだ。僕よりも勇気があるって言っているのさ」
柳也さんに褒められているのだろうけど、なぜか手は蒼く冷たかった。彼に褒められるためになけなしの勇気もとい無茶苦茶をしたのではない。結果が伴わなければ、ただの蛮勇としか評価されない。
峠を越えて、下り坂。曲がりくねった道はまだまだ続いている。どこに繋がる道なのか見当もつかない。
途中で右に曲がり、山の中に入っていくように車は進む。シーズンであれば観光客が使うであろう駐車場がいくつかあった。どうやら、近くにキャンプ場があるらしい。シーズンであれば親子連れで賑わうであろう水遊びができそうな川も流れていた。
柳也さんは1番奥の舗装もされていない砂利敷の駐車場に車を停めると、近くの自動販売機で温かいコーヒーを買ってきてくれた。
「こんなところまで連れ出して悪いね」
「いえ、別に構いませんけど、こんなところにどうしたんです?」
まさか、キャンプをしに来たということではなかろう。肌寒い外気温に負けずにデイキャンプに勤しむ人も何人かいるようだが、俺にはとてもじゃないが真似できないぞ。
「いくつか確認……いや、情報共有になるのかな。良いかな?」
「はい、もちろん。こっちからお願いしたいくらいですよ」
柳也さんが缶の蓋を開けたので、俺もそれに倣った。プシュっと音がして、車内にコーヒーの香りが広がる。
「今日、見ただろ?あの豪華絢爛な家。黒光りした高級車はあったか?」
「家は正直ビビりましたね。お城かって思ったくらいですよ。車は見なかったです。車庫に入っていたかもしれませんが」
「そうか……日中は家にいないのかもしれないな。いや、まさか……」
拳を顎に当てて考え込んでしまった。整った顔も相まって彫刻みたいだなと呑気なことを考えていると、柳也さんの鋭い眼光が俺に向けられて、少したじろいでしまう。
「あの家に行って、誰かと話したか?」
「インターホン越しだったので、分かりませんけど、おばさんって感じの声の女性とだけ話しましたけど……」
「咲良のことで何か言ってなかったか?」
「不在ですって。でも、あんなの嘘に決まってますよ。東京から来たってことを伝えたら、明らかに動揺してましたから。もしかすると、咲良から俺のことを聞いていたかもしれませんね。俺が、そう思いたいだけなんですど……ははは」
左手で後頭部を掻いておどけてみせる。それくらいしか、この場を和ませる術を知らない人生経験のなさを恨む。
「そうか……コーヒーお代わりいるか?」
「え?まだまだあるので大丈夫ですけど……」
「もう1本買ってくるから、ちょっと待っててもらってもいいかな?」
「え、えぇ……いいですけど」
柳也さんがドアを開けて外に出て行った。何となく気になって、ルームミラー越しに自動販売機のところまで歩いている柳也さんを目で追った。今、持って行った缶コーヒーもまだ残っていたような気がしたからだ。好みの味ではなかったのだろうか。もしかして、砂糖が入っていないと飲めないタイプ?
あんなに格好良い人であっても、可愛らしい弱点があるのかと様子を窺っていると、スマホを耳に当てながら自動販売機の物陰に隠れてしまった。
休みだというのに仕事の電話だろうか。出来ることなら、休日は休日として休みたい。ミラーから目を離して、両手で包み込むように持った缶コーヒーに目を移した。
ふと、脳裏に新幹線で出会ったおじさんが浮かび、ああはなるまいと固く心に誓うのだった。
次回更新は、1月30日(月)の予定です。




