第102話 社長②
車を停めた公園から約10分程歩いて、ようやく目的地にたどり着いた。近くまで来てみると、その大きさが良く分かる。
「ほえー」
思わず間延びした声が漏れてしまったが、知らずに訪れた全員が同じ反応をするという自信がある。それだけ緩やかな坂の上に構えられた長屋門が立派だったのだ。太陽光を反射する瓦に真っ白な漆喰。最近建て替えたのかと思ってしまうほど、綺麗だった。この距離で全てを視界に収められるのは、ゲームに出てくるような巨人でないと難しいだろう。
車を通すためだろうか、門が開きっぱなしになっていたため、おずおずと潜らせてもらった。こうして内側から見ると、木材の1つ1つに年季が入っていることが分かる。昔からのお金持ちということは間違いなさそうだ。
さて、まいったな。ここまでくれば、後は直接突撃するだけだと思った俺の考えが甘かった。まさか、門をくぐった先にまた門があるとは夢にも思わないだろうよ。右手側には、車を停めることが出来そうなスペースと更に奥に作業場を兼ねた車庫のようなものもある。ここはあくまでもお客様用と業務用の空間ということだろうか。
門の中に門。少なくとも、この平和な現代において合戦の心配してのことではなさそうだ。そうだとするとあまりにも貧弱と言わざるを得ない。門の部分だけ屋根付きの木造ではあるものの、その他の部分は一般家庭にもあるような金属の柵が設けられたものだったからだ。
敷地内に敷かれた石畳に導かれるようにその門に向かう。近づくと表札があることに気付いた。そこには『櫻田』と書かれていた。母さんが見たら「まぁ達筆ですこと」とでも言いそうだ。
老婆の言ったとおり、ここで間違いないようだ。その隣には、御用のある方はこちらまでと言いたげなカメラ付きのインターホンがある。
一呼吸ついてから、人差し指でチャイムを鳴らす。返事がない。耳を澄ませても周囲の山から鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。もしかして、留守なのか?
『お待たせいたしました。櫻田でございます』
諦めて引き返そうとしたとき、インターホンのスピーカーから女性の声がした。まるでコンピューターで作った自動音声のような印象の話し方だが、声質からして若くはなさそうだ。
「あ、あの!突然すみません!私、咲良さんの友達の清隆と言います!彼女に合わせていただけないでしょうか!」
引き返そうと体を翻していた俺は、インターホンに噛り付かんばかりの勢いのまま、ひと息でそう言った。昨夜、考えた言葉であって、車の中で練習してきたものだ。
『……お引き取りくださいませ』
「さ、咲良さんはここにいるんですよね!?東京から来たんです!」
『……っ!お嬢様は、不在でございます。お引き取り願います!』
そこで音声が途切れてしまった。機械的な声に動揺が現れている。やっぱり咲良はここにいるんだ!
「お願いです!話を聞いてください!お願いします!!」
無駄だと思っているが、目一杯インターホンに近づいて懇願をする。細い線をたどってようやく咲良に会えるところまで来たのに、こうしてお願いをすることしかできない自分が情けなくて視界がにじむ。
そんな俺の事情など向こうは知る由もないし、突然現れた礼儀も知らない不審者でしかない。客観的に見れば当然の対応だ。ここに来ればどうにかなると信じていた自分が無謀だったのだ。そんなことに今気づくなんて、なんてまぬけなんだろう。
ここで自棄になって柵を越えることは、そう難しいことではない。そうすれば、咲良に会える可能性は現時点よりは高そうだ。しかし、そんな度胸もなければ、もう1度インターホンを鳴らす勇気は持ち合わせていなかった。
ついさっき潜った門を出て坂を下る。この坂を上る時には上がっていた顎が、すっかり引けてしまった。
しかし、ここまで来て諦められるほど物分かりは良くない。どうにかして次の手を考えなければならない……そう思うのは簡単だ。せめて、咲良に連絡を取り合うことができれば、この難攻不落の城の内側から開城してもらうこともできようが、いくらインターネット社会と言っても相手が応じなければ繋がることはできないし、そもそもその手段を今の彼女が持っているのかすら分からない。なぜ俺を拒絶するのか。その答えは、検索しても見つけることはできない。
これは戦略的撤退だと自分に言い聞かせながら公園に向かう道を歩いていると、遠くからエンジンを吹かす音が聞こえてきた。さっきまで鳥の鳴き声が響く牧歌的な環境だったのに、平日の真昼間からやんちゃな人もいたものだ。精々俺の代わりに暴れてくれ。
重低音を奏でるマフラーの音は次第に大きくなる。沼の周囲を散歩している人達も何事かと、その出所を探しているようだ。このお腹に響く音はどこかで……。
公園に停めた車が見えた頃、その正体が丘の向こうから現れた。こんな田舎には似つかわしくない俺が幼いころに憧れたスポーツカー。低空飛行をするツバメのように滑らかな動きだった。見間違うはずがない。あれは柳也さんの車だ。
俺と言う止まり木に向かって真っすぐ走っている。そんな錯覚に陥る。そうあって欲しいと思ったのだ。
そんな身勝手な願いが神に届いたのか、スポーツカーは俺の近くて停車した。フロントガラス越しに見える運転手の顔は、やはり柳也さんだった。
どうしてここに?どうして電話に出てくれなかったんですか?どうしてここが分かったんですか?助けに来てくれたんですか?
駆け寄った俺に応じるように柳也さんは車の窓を開けてくれた。彼に聞きたいことは山ほどあるが、言葉が胸に詰まって出てこない。さっき引っ込んだ涙が戻ってきそうだ。
「ちょっと話さないか」
うろたえる俺に対して、柳也さんは優しくそう言った。
次回更新は、1月27日(金)の予定です。




