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第101話 社長①

 朝が来た。スマホで時間を見ると午前7時30分前。普段であれば、まだ夢の中にいる時間だ。しかし、今日のところは、気持ちが高ぶって二度寝をすることなどできそうにない。

 それに今日は隣町まで自転車で移動しなければならない。すんなりと咲良に会えるとも限らないことを考慮すると早い時間から行動を開始する必要があった。


 下に降りると既に2人共出勤したようで、誰もいなかった。母さんは、いつも7時頃には出勤していたから、いないことは想定内。しかし、父さんはギリギリまで新聞を読んでから出勤するタイプだったから、この時間にいないのは違和感が残る。忙しいと言っていたし、仕事の関係だろうか。

 そんなことを考えながら、食卓の上に用意されていた朝食を取って電子レンジに入れた。ピッという電子音と共に動き出したレンジの中を小窓から覗いて温まるのを待つ。実のところ、昨日食べた物の消化が追い付いていない。寿司だけでなく、昨夜の凍り付いた空気を脱するために、かんぱねらからいただいた和菓子を開けてしまったのだ。今思えば紹介に留めておけば良かったと思う。


 この家は3人家族。しかし、テーブルの上に載ったお菓子の数は、それだけでお店が開けそうなくらいだった。おばちゃんにお礼の長電話をする母さんを横目に、ほんの少しの雑談をしながら食べ続ける父さんと俺は、なかなかな光景だった。どれもこれも美味しいから仕方がない。つい食べ過ぎてしまうのだ。


 再び電子音が鳴って温めが終了したことを教えてくれる。何はともあれ、今日は自転車で長距離移動だ。今はお腹が空いていなくても、体を動かすための燃料は補充しておくに越したことはないはずだ。湯気が出ているご飯とおかずを持って食卓に置く。

 そのまま席には着かずにテレビの電源を点けるためにリビングへ移動する。いつもであれば、両親に注意されてしまうが、今は俺1人だけ。無音の食事というのも寂しいし、何より向こうの生活で染みついた習慣というものを簡単にやめることもできない。


「えーっと、リモコンリモコン」


 リビングを見渡してもそれらしきものが見当たらない。こうして直ぐに見つからないとなると、おそらく最後にテレビを見たのは母さんだ。まぁ、いつものことだ。母さんにとっての「片付けた」は、他人にとって「隠した」と同義なのだから。


 肩を落としてテレビの方に足を進める。探している内に朝食が冷めてしまうよりは、面倒だがこうして本体の電源を点けた方が早い。経験から来る判断だ。 

 その途中、リビングに置かれた膝くらいの高さしかない机の上に書置きが置かれていることに気が付いた。車の鍵が重しのように置かれている。これは父さんの字だ。


 『大事に使ってね』丸みを帯びた可愛らしい字で、そう書いていた。

 やはり父さんには敵わない。きっと俺が就職活動のために帰って来たという嘘は承知の上なのだろう。


 ありがとう。ペーパードライバーの俺に車を貸してくれて。

 


 昨日の夜の話では、俺を送迎することもなくなり、母さんと2人では前の車を持て余したというのが車を変えた理由らしい。遠出する時は母さんの普通車を使うから、自分は街乗り用の軽自動車で十分だとか。


 父さんのその判断は大正解だ。小回りが利かない前のような大きな車だったら、今頃どこかの田んぼに突っ込んでいただろう。1つ誤ったとすれば、カーナビが付いていないことだろうか。

 出発すべく準備を終えた俺が車に向かうと、すでに初心者マークが貼られた状態だったのもありがたかった。そうでなければ、今頃後続車に煽り倒されていた。安全第一。無事に返すのも借りた者の務めなり。


 車は既に隣町に入っている。当然ながら、自転車以上の速さで景色が流れていく。しかし、いくら進めども実家の辺りの景色とそうは変わらない。大半が田畑。たまにあるのは個人の商店と集落といった具合だ。

 隣町とはいえ、部活の遠征くらいでしか足を踏み入れたことがない。標識を頼りにここまで来たが、この方向で合っているのだろうか。さっきから同じところを走っているような気がするぞ。


 しかしながら、いくら田舎であっても、ドライバーをターゲットに見据えた全国展開をしているコンビニエンスストアくらいはある。これだけは言っておきたいが、1社だけではない。複数だ。見つける度にだだっ広い駐車場の端に止めさせてもらって、スマホの地図アプリで現在地を確認した。駐車の練習にもなるし、気力の回復にもなって一石二鳥だ。


 3件目のコンビニでコーヒーを買い、車内で飲みながら地図アプリを立ち上げる。おそらく、これで最後になるはずだ。

 「よしっ!」と自らを奮い立たせ、車のエンジンを始動させる。ここからであれば、あと10分もかからないはずだ。

 

 順調に目的地の近くにたどり着いたが、いったん公園の駐車場を拝借させてもらうことにした。目的地に乗り付ける勇気はないし、知らない車が入ってきたら警戒されてしまうからだ。俺ですら車の音を聞き分けて居留守を使うことがあるくらいだ。それに確認したいこともある。


 車を停めた公園は、沼を囲むように桜が植えられている。時期が時期であれば、さぞや綺麗なことだろう。舗装もされていて、散歩を楽しむ老夫婦が釣りをしている友人に「調子はどうですか?」と声をかけているようだ。沼の中央には向こう岸に向かう橋が架けられていて、小さい子どもを連れた女性が歩いていた。


「すみませーん」

「はい?」


 車から降りた俺は、近くを歩いていた農作業の帰りと思われる老婆を呼び止める。


「このあたりに櫻田さんってお宅ありますか?」

「お兄さんどこの誰っしゃ?」


 警戒されている。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。地図アプリでここまできたものの枝番までの特定ができていないのだ。紅麗奈さんの話では、このあたりの名家のようだし、地元の人に聞けば問題ないと高を括っていたのだが。


「あ、あのですね。咲良さんの大学の友人でして……。決して怪しい者ではないんですよ。本当ですよ?」


 老婆が訝しみながら、土に汚れたアームカバーの位置を直す。我ながら、まるっきり不審者である。


「……あぁ、姫ちゃんの友達か。最近、急に戻ってきたみたいだねぇ。それなら、あそこに見える家だよ」

「……やっぱりかぁ」


 老人が指をさした方向には、和風建築の木立に阻まれて全容は把握できないが、かなりの豪邸があった。瓦屋根の2階建て。中2階もありそうだ。小高い丘の上にあって周囲をこれまた立派な塀で囲んでいた。まさにお城と呼ぶに相応しい。

 正直に言って、ここに着いた時から視界にはチラチラと映っていて、何となくそうであろうという予想はついていた。だが、その予想が外れることを心のどこかで期待していたのだ。

これから、あそこに突撃するのかと思うと、新兵のように恐怖を覚えずにはいられない。手に汗がにじんだ。


「あんた、姫ちゃんを追いかけて来たんかい?」

「えぇ、まぁ……」

「そーかぁ。姫ちゃんにもこんなお友達が出来たんだねぇ。子どもの成長は早い早い」


 くしゃくしゃの顔でそう笑う。これ以上、怪しまれても困るので、俺は愛想笑いをすることしかできなかった。


「いつからなんだい?」

「友達になったのですか?半年くらい前ですけど……」

「そうかいそうかい。初々しくて良いじゃないか」

「はぁ……そうですか?」

「早く結婚して、子どもこさえなさいよ」


 ここで、老婆が言う『お友達』が恋人のことを指していたことにやっと気付いた。この後も2、3質問された気がするが、すっかり赤面してしまった俺の耳には入ってこなかった。

 次回更新は、1月24日(火)の予定です。

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