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泣き虫ソフィアとわがまま王子  作者: 浅井一希
第1章

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ソフィアとオーネリー6

 ソフィアが温室に入ると、中で作業していたグレネルが帽子を取って胸に当てる。


「先程は助かりました。ありがとうございます、ソフィアお嬢様」


「いいえ。草花相手のお仕事は大変ね。言葉も通じないし」


「そうですね。その分、分かりやすいこともあります。こいつらは嘘をつきません」


 グレネルがにやりと笑う。ソフィアも微笑んだ。


 言葉があると厄介なこともある。グレネルの言う通りだ。


「それよりソフィアお嬢様、お仕度をされなくてもよろしいんで? 王子様が来られるのでは」


「そうね。でも離れからは出てはいけないし。離れに殿下をお連れするのは失礼だから」


 自分で言って、自分の言葉に傷付いた。泣きそうだ。


 涙を見られまいと、温室の外を眺める。

 白い花が風に揺れている。


「グレネル、あれはマーガレット?」


「はい」


「お願いがあるのだけど」


 何なりと、と言ってくれたグレネルに甘え、ソフィアはわがままを一つ言って温室を出た。

 部屋に戻り、窓を開けて庭を見下ろす。

 グレネルが作業しているのが見えた。


 侯爵家の庭には噴水はない。ただ、僅かな勾配を利用した人工の小川が流れている。離れの裏にある川から水車を使って汲み上げた水が、菜園を通り、温室を通り、屋敷の脇を通ってから、庭の花壇の後ろを通る。

 馬車の通る道からは小川は見えないが、馬車から降りるとその存在に気付く。ワイズリー家の庭師の人数が少ないのは、この小川が水やりの手間を省いているからだ。


 やがて屋敷の向こうの大通りが騒がしくなった。恐らく、ウォーレンが到着したのだろう、とソフィアはため息をついて窓を閉めた。カーテンを引いて読みかけの本を開く。

 だか、1行も読み進まないうちに涙で文字が読めなくなってしまった。


 本を閉じて机の隅に追いやってしまうと、机の上にポタポタと涙が落ちる。


 ウォーレンは何と思うだろう。ソフィアを嫌いになるだろうか。呆れるだろうか。


 日が落ちてからしばらくして、控えめなノックの音に顔を上げた。


「はい」


「お嬢様、オーネリーお嬢様がいらっしゃいました」


 ベティの声だ。

 ソフィアは立ち上がる。

 オーネリーがこの離れにやって来るのは初めてだ。一体、何があったのだろうか。いや、ソフィアが何かをしてしまったのだろうか。


「どうぞ。お入りになって」


 ベティに続いて部屋に入って来たオーネリーは、茶会帰りで直行してきたらしい。外出着のままだった。


「オーネリー、何かお飲みになる? お茶会だったし、お茶ではなくて、果実水にしておく?」


 オーネリーは無言で頷いたので、ソフィアはベティに向かって頷いてみせる。ベティも心得たように頭を下げて部屋を出て行った。


「お姉様、今日、ミランダ様にお会いしました」


 オーネリーは硬い口調と表情で話し出した。


「ミランダ様は、お姉様と殿下の婚約式をとても楽しみにしている、と」


 ミランダには、ウォーレンが直接話している可能性が高い。


「ミランダ様は、私とクレア様に、もう、あ、諦めて、私には、ちゃんとお姉様を祝福するように、と」


 そこまで言うと、オーネリーは堪えきれなくなってのか、声を上げて泣き出した。


「分かってる! 分かってるけど、嫌なの! 私だって殿下のことが好き! 好きなのに、ダンスだって褒めてくださったのに! なのに、どうして、お姉様なの!」


 オーネリーは泣きながらソフィアの体をポカポカと叩いてきた。まるで力の入っていない拳に痛みは感じないが、オーネリーの泣く声を聞いていると、ソフィアの目にまで涙が溢れてくる。


「お姉様なんか嫌い! お姉様なんか! お姉様なんか!」


 オーネリーはソフィアにすがり付いて、更に泣き声を上げる。


「お姉様なんかぁバカぁ」


 ここにはいつもの取り澄ました淑女のオーネリーはいない。

 ソフィアの小さな妹がいるだけだった。


 ソフィアはオーネリーの背中をそっと撫でる。何度も何度も撫でてやりながら、椅子に座らせたオーネリーの頭を抱き締めた。もちろん、整えた形が崩れないように。


「お姉様はズルい! いつもいつも私よりも先生に誉められて、皆から好かれて! 私のことは、皆お姉様の妹としか見てくれないの! 唯一誉められたダンスだって、殿下はお姉様のことしかお聞きになられないし! 私のことも見てくださらなくて!」


 涙で落ちた化粧がソフィアの服と肌を汚しているので、モリーはさぞや怒るだろうが、ソフィアは何も言わずにオーネリーの背中を撫でてやる。


「こんなに辛いなんて! もう死んでしまいそう!」


 わーわー泣きながら、オーネリーはソフィアの肩を叩く。

 かなり長い時間、オーネリーはそうしていたが、やがて鼻をグズグズ言わせながら顔を上げた。


「どうして、いい気味だと笑わないの?」


「人の悲しみを笑うような、心のない人間にはなりたくないわ。

オーネリー、私は貴女の悲しみを受け止められないけれど、こうして側にいることは出来るわ。

貴女は私よりずっとしっかりしているし、強さもある。だから、もし貴女が悲しみから立ち直った時に誰かが悲しんでいたら、側にいて、受け止めてあげてね。誰かが道を外そうとしていたら、止めてあげてね。

ミランダ様が、貴女とクレア様にしてくださったように」


 オーネリーの目から涙が幾筋か流れて落ちた。


「お姉様なんか大嫌い」


 オーネリーはおずおずとソフィアの背中に手を回して、力をこめて抱き締めてきた。ソフィアより大柄なオーネリーの体はソフィアをすっぽりと納めてしまった。


「大嫌いよ、お姉様」


「ええ、知ってる」


 ぽんぽんと背中を叩いてやりながら、ソフィアは今初めて、オーネリーと話をしたような気がした。

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