蛇姫様の温室3
部屋へやって来たウォーレンは、まずソフィアの手を取るとソファに座らせ、じっと見つめた。
「ウォーレン様?」
「昨日は嫌な思いをさせた。すまない」
頭を下げるウォーレンを見て、ソフィアは慌てる。
部屋にはジーナもいるのに、王子がただの侯爵令嬢に頭を下げるなど、あってはならないはずだ。
「いえ、こちらこそ、申し訳ありません。あの、勝手に部屋の外へ出てしまって」
「外へ?」
「あの、廊下に」
「王宮の外へ出られるのは困るが、王宮内なら、俺に断る必要もないぞ?」
「え?」
意外な言葉に驚いた。
「ただ、一人では駄目だ。供をつけるから部屋を出る時はジーナに言ってくれ」
「あの、では、お庭に出てみてもよろしいので?」
「ああ。それなら、今日、スカーレットの温室に行く時に庭を突っ切ってみるか。一度行けば、迷うこともないだろう。ジーナ、ソフィアの靴は?」
「そのまま外へ出ていただいて構いません」
「ソフィア、歩けるか?」
「はい」
「では、行こう」
ウォーレンが腕を差し出してきたので、肘のあたりに手を添えた。
廊下へ出ると、ジーナが後ろからついて来る。だが、クリスの姿は見えない。
「あの、今日はクリスさんは?」
「しばらく王宮の外でする仕事を頼んでいる。クリスがどうかしたか?」
「いえ、姿が見えないので、どうしたのかと。あの、ウォーレン様」
こちらを見返すウォーレンの目が穏やかなことを確認して、ソフィアはおずおずと切り出した。
「あのあと、クリスさんと仲直りしましたよね?」
ウォーレンが足を止め、ソフィアを見下ろす。頭一つ分以上ある身長差でも、ウォーレンから威圧感は感じない。
きっとウォーレンが気を使って、努めて和やかな顔をしてくれているからだろう。だからソフィアは、ウォーレンが誰にでも気を使い、親切に振る舞う人間だと思っていた。
「あの、まだ、なのですか?」
「すまない、まだなんだ。俺もまだ怒りが収まらなくてな。しばらく、顔を合わせないでいたかったから、クリスを王宮から出したんだ。来週には帰るだろうから、その時には必ず謝る。それで許してくれないか?」
ソフィアの顔を覗き込んで、ウォーレンが言った。
一体、ウォーレンは何をそんなに怒っているのだろう。仕事のことだろうか。ソフィアが何かしたのだろうか。
確かに昨日はウォーレンと一緒にいたくてお茶の時間をだいぶ長く取ってしまったけど。
でも、それならクリスではなく、ソフィアが悪い。
「ウォーレン様」
「なんだ?」
「もしも私が何か間違ったことをしてしまったら、ちゃんと叱ってくださいね? 私は、その、泣き虫、ですけど、ちゃんと改めますから、」
ウォーレンはソフィアを見て、破顔した。
「そうだな。何か間違った時には言うことにしよう。だから、俺が間違ったら、その時はソフィアが叱ってくれ」
ウォーレンが間違うことなどあるのだろうか。
「ソフィア、俺は体格のせいか性格のせいかは分からないが、あまり諌めてくれる奴がいない。だから、頼む」
ウォーレンに乞われれば何でもしてしまいそうだ、とソフィアは思うが、「私でよろしければ」と答えた。
ウォーレンが頷く。
ソフィアが考えるよりもずっと、ウォーレンは孤独なようだ。
高位の王族であり、戦場では指揮官であるウォーレンは、その立場上、心を預ける相手も厳選しなくてはならないのだろう。友人といえど全てを許せるわけではない。
ソフィアなら、侯爵家の人間ではあるが、発言力も権力もなく、心を打ち明けるにはちょうど良いのかもしれない。
「ソフィア様、日傘を」
庭へ差し掛かると、ジーナが日傘を差し出して来た。一体、いつの間に用意したのだろうか。ジーナはもしかして魔法使いなのだろうか。
「ありがとう」
ウォーレンの腕から手を外し、日傘を受け取るとソフィアは庭へ出た。
ソフィアが使っている部屋の窓の反対側だ。裏庭にあたるのかもしれない。裏にしてもワイズリー家の庭より美しい。部屋の窓から見える庭は豪奢で整えられた、訪れた人を楽しませるためのものとするならば、こちらの庭は素朴で、植物が伸びやかに成長していく過程を見守る人が楽しむためのもの。
どちらの庭もよく手入れされていて、それぞれの良さがあって良い。裏庭には小さな蜂が花の間を飛び回っている。
庭の中の小道を歩きながら、ソフィアは刺繍したハンカチを渡していないことに気付いた。
「ウォーレン様、あの、これを」
ポケットに忍ばせていたハンカチをウォーレンに差し出した。
立ち止まったウォーレンはソフィアと向き合う。
「あの、ウォーレン様には、色々と良くしていただいて、だから、その、お礼を何かと思ったのですけど、何が良いか分からなくて、そうしたら、ジーナが、刺繍をしてはどうかと言ってくれたので、その、出来はあまりよくないのですけど、その、」
何が何だか分からなくなってきた。
受け取ったウォーレンがハンカチを広げて、しげしげと見ている。
「あの、あまり、その、出来は良くなくて、でも、私にしては良く出来たので、ですから、あまり、見ないでください」
居たたまれない。
「昨日いただいたマーガレットが本当に綺麗で、だから、」
刺繍したのはマーガレットだった。押し花が完成するのはかなり先だから刺繍に残した。押し花が完成したら本の栞にしてウォーレンに使ってもらいたい。
ウォーレンはハンカチを元のように丁寧に畳むと上着の内ポケットに入れた。
ソフィアから日傘を取り上げると、ソフィアの顎を持ち上げキスをする。
ジーナの見ている前で、と思うと恥ずかしさで倒れそうだ。
「ありがとう、ソフィア」
長いキスの後に囁いたウォーレンが、ソフィアの体を抱き締める。小柄なソフィアは完全に腕の中に収まってしまう。
「このまま、部屋に連れ込みたいぐらいだ」
ウォーレンの囁きを拾う耳が熱くなる。
「ソフィア、ありがとう」
「い、え、あの、」
ソフィアの心臓がうるさいぐらい音をたて、立っているのがやっとのソフィアは何も言えずにウォーレンの腕の中で小さくなっていた。
「あー…… こほん」
女性の、わざとらしい咳払いで、ソフィアはウォーレンを見上げる。
「スカーレット」
ウォーレンの呟きにソフィアは慌ててそちらを見た。
「そこで何をしておる。待ちくたびれたわ」
顔をベールで覆った子供が温室の前で仁王立ちしていた。




