第21話 「一年目の答え」
一
四月。
約束の月が、来た。
村は、静かだった。
いや。
静かに、していた。
七百二十一人が、家の中に、いた。
外に出ないように、言われていたのだ。
「……来ますかね」
ミアが、言った。
「……来る」
バルドが、答えた。
「……あの人は、約束を、破りません」
十六人は、村の外れに、立っていた。
そこは、一年前、彼らが訓練していた場所だった。
今は、広い、平らな地面になっている。
ドグとレンが、整地したのだ。
「戦うなら、ここで」
そう決めていた。
村から、離れた場所で。
誰にも、被害が出ないように。
二
「……先生」
レオンが、聞いた。
「……なんだ」
「……本当に、手を出さないんですか」
「……ああ」
大賢者は、答えた。
「……約束だからな」
「……」
「……ただし」
彼は、続けた。
「……誰かが死にそうになったら、止める」
「……はい」
「……しかし」
大賢者は、言った。
「……その時点で、お前たちの負けだ」
十六人は、頷いた。
「……わかっています」
バルドが、答えた。
そして、彼は、空を、見上げた。
四月の空。
雲が、少ない。
「……いい天気ですね」
彼は、言った。
「……ああ」
大賢者は、頷いた。
「……いい天気だ」
三
昼過ぎ。
北の道から、人影が、現れた。
一つ。
白い鎧。
背中に、白い翼の紋章。
「……来た」
シルフィが、言った。
十六人が、身構えた。
エリスは、ゆっくりと、歩いてきた。
そして、五十メートル手前で、止まった。
「……お久しぶりです」
彼女は、言った。
「……お久しぶりです」
バルドが、答えた。
エリスは、兜を、外した。
そして、十六人は、その顔を、見た。
「……!」
エマが、息を呑んだ。
一年前。
顔の左半分に、あった傷。
それが。
広がっていた。
首。
肩。
そして、右の頬にも。
「……エリスさん」
エマが、言った。
「……その傷」
「……ああ」
エリスは、微かに、笑った。
「……気づきましたか」
「……はい」
「……さすが、医者ですね」
彼女は、続けた。
「……一年で、こうなりました」
四
「……先生」
エリスは、大賢者を、見た。
「……久しぶりだな」
「……はい」
彼女は、頷いた。
「……お元気でしたか」
「……ああ」
「……腕の傷は」
「……治った」
大賢者は、答えた。
「……半年、かかったが」
「……そうですか」
エリスは、笑った。
「……すみません」
「……いや」
大賢者は、首を振った。
そして、聞いた。
「……エリス」
「……はい」
「……あと、どのくらいだ」
エリスは、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「……半年、くらいでしょうか」
十六人が、その言葉に、動揺した。
「……半年」
エマが、呟いた。
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……だから」
彼女は、続けた。
「……早く、してください」
五
「……ルールを、確認します」
バルドが、言った。
「……はい」
「……僕たちが、あなたに、一撃でも、まともに入れられたら」
「……認めます」
エリスは、答えた。
「……先生の弟子として」
「……入れられなかったら」
「……殺します」
彼女は、言った。
「……全員」
十六人は、その言葉に、緊張した。
「……一つ、質問が、あります」
トムが、言った。
「……なんでしょう」
「……『まともに』って、どういう意味ですか」
エリスは、少し、考えた。
そして、答えた。
「……私が、痛いと感じたら」
「……それだけですか」
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……ただし」
彼女は、続けた。
「……私は、避けます。全力で」
「……はい」
「……そして、あなたたちを、殺さない程度に、潰します」
エリスは、剣を、抜いた。
「……準備は」
「……できています」
バルドが、答えた。
「……では」
エリスは、言った。
「……始めましょう」
六
開始の合図は、なかった。
エリスが、動いた。
一瞬で。
そして、十六人の中心に、現れた。
「……!」
十六人が、散った。
しかし、遅い。
エリスの剣が、振られた。
横薙ぎ。
十六人のうち、五人が、その範囲にいた。
「……レオンさん!」
ノアが、叫んだ。
「……!」
レオンが、動いた。
彼は、剣で、受けなかった。
転んだ。
そして、転がりながら、隣にいたミアの足を、払った。
「……きゃっ!」
ミアが、倒れた。
エリスの剣が、二人の頭上を、通り過ぎた。
そして、その先にいた、三人。
ドグ、レン、モモ。
「……伏せろ!」
ドグが、叫んだ。
三人が、伏せた。
剣が、通り過ぎた。
「……いい反応です」
エリスが、言った。
「……一年前より、遥かに」
七
「……第一段階!」
バルドが、叫んだ。
その瞬間。
十六人が、散開した。
しかし、それは、逃げる動きでは、なかった。
配置に、つく動きだった。
ポチの犬が、走った。
しかし、エリスに、向かわなかった。
彼女の、周囲を、走った。
円を描くように。
「……犬ですか」
エリスは、言った。
「……一年前と、同じですね」
彼女は、剣を、振ろうとした。
しかし。
「……違います」
ポチが、言った。
「……よく、見てください」
エリスは、犬たちを、見た。
そして、気づいた。
犬たちは、走りながら。
地面に、何かを、落としていた。
小さな、袋。
「……!」
エリスが、跳んだ。
その瞬間。
爆発。
十個の袋が、同時に、爆発した。
リナの、爆薬だった。
「……なるほど」
エリスは、空中で、言った。
「……犬に、運ばせましたか」
しかし。
彼女が、空中にいる、その一瞬。
シルフィの矢が、飛んだ。
三本。
「……甘い」
エリスは、剣を、振った。
三本の矢が、砕けた。
しかし。
砕けた矢から。
粉が、舞った。
「……!」
エリスの目に、それが、入った。
モモの、粉だった。
目を、刺激する植物の。
八
「……こざかしい」
エリスが、着地した。
そして、目を、擦った。
その、一瞬。
「……今です!」
バルドが、叫んだ。
ガルドが、駆けた。
そして、拳を、放った。
エリスの、右肩へ。
一年前、彼が傷つけた場所。
しかし。
「……見えています」
エリスの声が、した。
そして、彼女の左手が、ガルドの拳を、掴んだ。
「……!」
「……目が見えなくても」
エリスは、言った。
「……音で、わかります」
彼女は、ガルドを、投げた。
十メートル。
「……ガルド!」
エマが、叫んだ。
しかし、ガルドは、受け身を、取った。
そして、立ち上がった。
「……いてえ」
彼は、呻いた。
「……でも、まだ、いける」
九
「……音で、わかる」
シオンが、呟いた。
「……シオンさん?」
バルドが、聞いた。
「……なら」
シオンは、言った。
「……音を、消す」
「……え?」
「……ドグ」
シオンは、言った。
「……おう!」
ドグが、動いた。
そして、ハンマーで、地面を、叩いた。
思い切り。
轟音が、鳴った。
そして、レンが、木材を、叩いた。
ポチの犬が、一斉に、吠えた。
ココが、鍋を、叩いた。
リナが、小さな爆竹を、鳴らした。
音が、溢れた。
訓練場が、音で、満たされた。
「……!」
エリスが、動きを、止めた。
「……何を」
彼女は、言った。
「……音が」
聞こえすぎる。
どれが、敵の動きか、わからない。
そして、目は、まだ、見えない。
「……今です!」
バルドが、叫んだ。
十
十六人が、動いた。
しかし、それは、一斉ではなかった。
順番でもなかった。
流れだった。
まず、ニナが、走った。
彼女は、エリスの、背後に、回った。
そして、地面を、蹴った。
音を、立てて。
エリスが、そちらを、向いた。
その瞬間。
反対側から、レオンが、来た。
転がりながら。
そして、剣を、突き出した。
エリスは、それを、避けた。
しかし、避けた先に。
モモの蔓が、あった。
「……!」
足が、絡んだ。
一瞬。
わずか、一瞬。
そこへ。
ミアの魔法陣が、展開された。
エリスの、真下に。
「……リナさん!」
「はい!」
爆発。
しかし、それは、エリスを狙っていなかった。
彼女の、足元の、地面を、狙っていた。
地面が、崩れた。
エリスの体が、沈んだ。
膝まで。
「……!」
そして。
「……今!」
バルドが、叫んだ。
十一
ガルドが、駆けた。
そして、拳を、放った。
エリスは、それを、掴もうとした。
しかし。
「……そっちじゃない」
ガルドが、言った。
彼の拳は、フェイントだった。
本命は。
「……レオン!」
レオンが、来ていた。
ガルドの、影から。
そして、剣を、振った。
エリスの、左側面へ。
エリスは、剣で、受けた。
しかし。
「……上!」
シルフィの矢が、降ってきた。
真上から。
エリスは、それを、避けようとした。
しかし、足が、地面に、埋まっている。
避けられない。
彼女は、剣で、矢を、弾いた。
その瞬間。
彼女の、剣が。
上を、向いた。
つまり。
胴体が、空いた。
「……!」
そして、そこに。
一人が、いた。
トムだった。
十二
トム・ノーマル。
何をやっても、普通の少年。
剣も、魔法も、体術も、すべて平均。
彼が、そこにいた。
エリスの、真正面に。
「……あなた」
エリスが、言った。
「……いつから」
「……最初から」
トムは、答えた。
「……ずっと、待ってました」
彼は、剣を、握っていた。
そして、その剣を。
突き出した。
普通の、突きだった。
速くもない。
強くもない。
美しくもない。
ただの、普通の突き。
しかし。
エリスは、それを、避けられなかった。
なぜなら。
彼女の視界は、粉で、塞がれ。
彼女の聴覚は、音で、埋められ。
彼女の足は、地面に、埋まり。
彼女の剣は、上を、向いていたからだ。
その剣先が。
エリスの、腹部に。
当たった。
十三
「……っ」
エリスが、呻いた。
音が、止んだ。
全員が、動きを、止めた。
そして、静寂が、訪れた。
トムの剣は、エリスの腹に、当たっていた。
刃ではなく。
腹で。
殺さないように。
しかし、確かに、当たっていた。
「……」
エリスは、しばらく、動かなかった。
そして、言った。
「……痛い」
十六人が、息を、呑んだ。
「……痛いです」
エリスは、繰り返した。
そして、笑った。
「……本当に、痛い」
彼女は、剣を、下ろした。
そして、地面から、足を、抜いた。
「……時間は」
彼女は、聞いた。
「……四十七秒です」
トムが、答えた。
「……そうですか」
エリスは、頷いた。
「……四十七秒」
彼女は、続けた。
「……一年前は、三秒で、終わりました」
十四
エリスは、十六人を、見渡した。
「……認めます」
彼女は、言った。
「……あなたたちを」
十六人は、その言葉を、聞いた。
そして。
崩れ落ちた。
全員が。
「……」
誰も、声を、上げなかった。
ただ、地面に、座り込んだ。
そして。
震えていた。
「……こわ、かった」
リナが、呟いた。
「……本当に、こわかった」
「……はい」
ミアが、頷いた。
彼女も、震えていた。
「……勝てた」
レオンが、言った。
「……いや」
トムが、首を振った。
「……勝ってない」
「……え?」
「……一撃、入れただけだ」
トムは、続けた。
「……本気で戦ったら、僕たち、全滅してた」
彼は、エリスを、見た。
「……そうですよね」
エリスは、頷いた。
「……はい」
彼女は、答えた。
「……三十秒で、全員、殺せました」
十五
「……でも」
エリスは、続けた。
「……それでも、痛かった」
彼女は、腹に、手を当てた。
「……この一撃は、本物です」
「……」
「……あなたたち、十六人が、揃わなければ、届きませんでした」
エリスは、言った。
そして、トムを、見た。
「……あなた」
「……はい」
「……名前は」
「……トム・ノーマルです」
「……トム」
エリスは、頷いた。
「……あなた、何が、得意ですか」
トムは、少し、考えた。
そして、答えた。
「……何も、得意じゃありません」
「……そうですか」
「……はい」
トムは、続けた。
「……剣も、魔法も、体術も、全部、普通です」
「……」
「……だから、僕は」
彼は、言った。
「……みんなが作った、隙を、突くことしか、できません」
エリスは、その言葉を、聞いた。
そして、笑った。
「……それは」
彼女は、言った。
「……最強ですよ」
十六
「……最強?」
トムが、聞き返した。
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……戦場で、最も恐ろしいのは」
彼女は、続けた。
「……最後に、隙を突く者です」
「……」
「……どんなに強い者でも、必ず、隙はできます」
エリスは、言った。
「……そして、その隙は、一瞬です」
「……」
「……その一瞬に、そこにいられる者」
彼女は、続けた。
「……それが、最強です」
トムは、その言葉に、震えた。
「……僕が」
彼は、呟いた。
「……最強?」
「……あなた一人では、違います」
エリスは、言った。
「……十五人が、隙を作った」
「……」
「……そして、あなたが、突いた」
彼女は、続けた。
「……十六人で、最強です」
十七
大賢者が、歩いてきた。
そして、エリスの前に、立った。
「……エリス」
「……先生」
「……約束は」
「……守ります」
エリスは、答えた。
「……もう、殺しません」
「……そうか」
大賢者は、頷いた。
「……ただし」
エリスは、続けた。
「……私は、八百人を、殺しました」
「……ああ」
「……その罪は、消えません」
彼女は、言った。
「……だから、償います」
「……どうやって」
エリスは、答えた。
「……王都に、行きます」
十六人が、驚いた。
「……自首、するんですか」
エマが、聞いた。
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……そんな!」
「……当然です」
エリスは、言った。
「……八百人ですよ」
彼女は、続けた。
「……許されるはずが、ありません」
十八
「……待ってください」
エマが、言った。
「……なんでしょう」
「……あなた、あと半年しか」
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……だから、今のうちに」
「……そんなの」
エマは、泣きそうな顔をした。
「……そんなの、ひどいです」
「……エマさん」
エリスは、言った。
「……あなた、優しいですね」
「……」
「……でも、私は、その優しさを、受け取れません」
彼女は、続けた。
「……八百人の家族が、私を、待っています」
「……」
「……彼らに、会わなければ、なりません」
エリスは、言った。
「……そして、殺されるなら、それでいい」
十九
「……エリス」
大賢者が、言った。
「……はい」
「……一つ、提案がある」
「……なんでしょう」
大賢者は、言った。
「……その傷、治せるかもしれん」
エリスの動きが、止まった。
「……え?」
「……治せるかもしれん」
大賢者は、繰り返した。
「……本当ですか」
「……わからん」
大賢者は、答えた。
「……しかし、可能性は、ある」
「……」
「……ただし」
彼は、続けた。
「……そのためには、私が、話さなければならない」
「……何を」
大賢者は、答えた。
「……十年前、なぜ、お前を置いていったかを」
二十
エリスは、その言葉に、震えた。
「……話して、くれるんですか」
「……ああ」
大賢者は、頷いた。
「……しかし、条件がある」
「……なんですか」
大賢者は、言った。
「……生きて、聞け」
「……」
「……今、王都に行けば、お前は、処刑される」
彼は、続けた。
「……そうすれば、私は、二度と、話せない」
「……」
「……だから、待て」
大賢者は、言った。
「……準備が、整うまで」
「……どのくらい」
「……わからん」
彼は、答えた。
「……しかし、半年以内には、なんとかする」
エリスは、しばらく、黙っていた。
そして、聞いた。
「……先生」
「……なんだ」
「……なぜ、今になって」
大賢者は、答えた。
「……お前が、変わったからだ」
二十一
「……変わった?」
「……ああ」
大賢者は、頷いた。
「……一年前のお前は、私に、会いたいだけだった」
「……」
「……しかし、今のお前は、償おうとしている」
彼は、続けた。
「……それは、大きな違いだ」
「……」
「……そして、もう一つ」
大賢者は、十六人を、見た。
「……この子たちが、いる」
「……」
「……お前一人では、耐えられなかった真実も」
彼は、言った。
「……十七人なら、耐えられるかもしれん」
エリスは、その言葉を、聞いた。
そして、十六人を、見た。
一年前。
彼女が、殺そうとした、少年少女たち。
その全員が。
今、彼女を、見ていた。
敵意はなかった。
憐れみも、なかった。
ただ。
心配していた。
「……」
エリスの目から、涙が、こぼれた。
「……ずるい」
彼女は、呟いた。
「……本当に、ずるいです」
二十二
その夜。
村の広場。
七百二十一人が、集まっていた。
そして、その中央に。
エリスが、座っていた。
「……あの」
村人の一人が、言った。
「……あんた、白い翼、なんだろ」
「……はい」
エリスは、答えた。
「……八百人、殺したって」
「……はい」
彼女は、頷いた。
村人たちが、ざわめいた。
「……そんな奴を」
「……村に、入れるのか」
不安の声が、広がった。
そのとき。
バルドが、前に、出た。
「……皆さん」
彼は、言った。
「……この人は、罪を、犯しました」
「……」
「……八百人を、殺しました」
バルドは、続けた。
「……許されることでは、ありません」
「……」
「……そして、この人自身も、そう思っています」
彼は、言った。
「……だから、自首すると、言いました」
村人たちが、驚いた。
「……自首?」
「……はい」
バルドは、頷いた。
「……でも、僕たちは、止めました」
二十三
「……なぜだ」
村人が、聞いた。
「……罪を、償わせるべきだろう」
「……はい」
バルドは、答えた。
「……償うべきです」
「……じゃあ」
「……でも」
バルドは、続けた。
「……死ぬのは、償いでは、ありません」
村人たちが、静まった。
「……この人は、あと半年で、死にます」
バルドは、言った。
「……病気です」
「……」
「……だから、王都に行っても、行かなくても、死にます」
彼は、続けた。
「……それは、償いでしょうか」
「……」
「……僕は、違うと思います」
バルドは、言った。
「……償いとは、生きて、返すことだと、思います」
二十四
沈黙。
そして、ジャンが、立ち上がった。
「……俺も、そう思う」
彼は、言った。
「……俺たちも、罪人だ」
「……」
「……この村を、襲おうとした」
ジャンは、続けた。
「……他の村も、襲った」
「……」
「……人も、殺した」
彼は、言った。
村人たちが、ざわめいた。
「……でも、俺たちは、生きてる」
ジャンは、続けた。
「……そして、この村で、働いてる」
「……」
「……それが、俺たちの、償いだ」
彼は、言った。
「……足りねえかもしれん」
「……」
「……でも、死ぬより、マシだと思う」
二十五
老婆が、立ち上がった。
「……あたしも、いいと思うよ」
彼女は、言った。
「……ばあちゃん」
ココが、驚いた。
「……あたしね」
老婆は、続けた。
「……ホルム砦から、逃げてきたんだ」
エリスの体が、こわばった。
「……あそこには、息子が、いた」
老婆は、言った。
エリスの顔から、血の気が、引いた。
「……」
「……名前は、マルク」
老婆は、続けた。
「……マルク・エイデン」
エリスは、その名を、聞いた瞬間。
その場に、崩れ落ちた。
「……マルク・エイデン」
彼女は、繰り返した。
「……五十一歳」
「……」
「……あと三年で、退役予定でした」
エリスは、言った。
「……そして」
彼女は、続けた。
「……最後まで、逃げませんでした」
二十六
老婆は、その言葉を、聞いた。
そして、しばらく、黙っていた。
そして、言った。
「……そうかい」
彼女は、エリスの前に、しゃがんだ。
「……あんたが、殺したのかい」
「……はい」
エリスは、答えた。
「……私が、殺しました」
老婆は、その顔を、見つめた。
そして。
平手打ちを、した。
強く。
音が、広場に、響いた。
エリスは、避けなかった。
「……」
「……もう一回」
老婆は、言った。
そして、もう一度、叩いた。
三回。
四回。
五回。
十回。
そして、老婆の手が、止まった。
彼女は、泣いていた。
「……返せ」
彼女は、言った。
「……息子を、返せ」
「……」
「……返せよ」
老婆は、エリスの胸を、叩いた。
何度も。
そして、力が、抜けた。
エリスは、その体を、支えた。
「……ごめんなさい」
彼女は、言った。
「……ごめんなさい」
二十七
長い時間が、流れた。
老婆は、泣き続けた。
エリスは、それを、支え続けた。
そして。
老婆が、言った。
「……名前を」
「……はい」
「……全員の名前を、覚えてるって、言ったね」
「……はい」
エリスは、答えた。
「……じゃあ」
老婆は、言った。
「……教えとくれ」
「……え?」
「……八百人の、名前を」
彼女は、続けた。
「……あたしたちに、教えとくれ」
エリスは、その言葉に、驚いた。
「……なぜ」
「……知りたいからさ」
老婆は、答えた。
「……誰が、死んだのか」
「……」
「……あたしの息子と、一緒に、死んだのは、誰なのか」
彼女は、言った。
「……それを、知りたい」
二十八
その夜から。
エリスは、名前を、語り始めた。
一人ずつ。
名前。
年齢。
そして、最期の様子。
七百二十一人が、それを、聞いた。
ノアが、それを、書き留めた。
一人ずつ。
丁寧に。
三日、かかった。
八百人。
そして、三日目の夜。
すべての名前が、記録された。
「……これを」
ノアは、その帳面を、エリスに、渡した。
「……あなたが、持っていてください」
「……いえ」
エリスは、首を振った。
「……私は、覚えています」
彼女は、続けた。
「……忘れません」
「……はい」
ノアは、頷いた。
「……でも」
彼女は、言った。
「……あなたが、死んだら」
「……」
「……誰も、覚えていません」
エリスは、その言葉に、動きを、止めた。
「……だから」
ノアは、続けた。
「……記録します」
彼女は、言った。
「……あなたが、いなくなっても」
「……」
「……八百人が、いたことを、残すために」
二十九
四月の、終わり。
村の外れに、石碑が、建った。
ドグとレンが、作ったものだ。
高さ、二メートル。
そこには、八百人の名前が、刻まれていた。
そして、その下に、一行。
『ここに、八百人がいた』
「……いい石碑だ」
ジャンが、言った。
「……ああ」
ドグが、頷いた。
「……レンが、傾けた」
「……傾けた?」
「……はい」
レンが、答えた。
「……少しだけ」
彼は、続けた。
「……北を、向いています」
「……北?」
「……ホルム砦の、方角です」
十六人は、その石碑を、見つめた。
そして、エリスも。
「……ありがとう、ございます」
彼女は、言った。
そして、その石碑の前で、膝をついた。
長い間。
動かなかった。
三十
五月。
村は、また、動き始めていた。
畑。
家。
水路。
そして、七百二十二人。
エリスが、一人、増えた。
彼女は、村で、働き始めた。
最初は、誰も、話しかけなかった。
しかし。
十日目。
一人の子供が、彼女に、話しかけた。
「……ねえ」
七歳の、女の子。
かつて、パンを盗んだ子だ。
「……なんでしょう」
エリスは、答えた。
「……お姉ちゃん、強いの?」
「……はい」
エリスは、頷いた。
「……強いです」
「……じゃあ」
女の子は、言った。
「……あたしにも、教えて」
エリスは、その言葉に、驚いた。
「……なぜ、強くなりたいんですか」
女の子は、答えた。
「……お母さんを、守りたいから」
エリスは、その言葉を、聞いた。
そして、涙を、こぼした。
「……はい」
彼女は、答えた。
「……教えます」
三十一
その夜。
塾の屋上。
大賢者と、十六人が、いた。
「……先生」
バルドが、言った。
「……なんだ」
「……一年、経ちました」
「……そうだな」
大賢者は、頷いた。
「……僕たち、変わりましたか」
大賢者は、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「……変わった」
「……どのくらい」
「……別人だ」
大賢者は、言った。
十六人は、その言葉に、笑った。
「……一年前」
彼は、続けた。
「……お前たちは、こう言っていた」
大賢者は、一人ずつ、見た。
「……『今の、失敗ですよね?』」
「……『魔力が足りません』」
「……『あと、一回』」
「……『今回は爆発しません!』」
「……『帰っていいですか』」
「……『味見しました! たぶん!』」
「……『患者さん、血、出てます』」
「……『ちょっと弱く叩きました!』」
「……『見てません。絶対見てません』」
「……『また犬です』」
「……『僕、普通ですよ?』」
「……『こっちだと思います!』」
「……『……はい』」
「……『えーっと、全員、なんとなく!』」
「……『倒れてません。まだ』」
「……『水をあげました!』」
十六人は、その言葉を、聞いた。
一年前の、自分たちの言葉。
「……懐かしいですね」
ミアが、言った。
「……そうだな」
大賢者は、頷いた。
三十二
「……そして、今は」
彼は、続けた。
「……お前たちは、こう言う」
大賢者は、言った。
「……レオン。転倒は、回避だ」
「……ミア。魔力は、効率だ」
「……ガルド。体力は、一撃だ」
「……リナ。爆発は、制御だ」
「……ノア。目を逸らすのは、観察だ」
「……ココ。独創は、創造だ」
「……エマ。血が怖いのは、洞察だ」
「……ドグ。力は、精密さだ」
「……シルフィ。閉じた目は、感覚だ」
「……ポチ。犬は、群れだ」
「……トム。普通は、万能だ」
「……ニナ。迷子は、発見だ」
「……シオン。沈黙は、力だ」
「……バルド。混乱は、戦術だ」
「……レン。傾きは、強さだ」
「……モモ。枯らすのは、理解だ」
大賢者は、十六人を、見渡した。
「……お前たちは、何一つ、変わっていない」
彼は、言った。
「……変わったのは、意味だけだ」
三十三
十六人は、その言葉を、聞いた。
そして。
レオンが、言った。
「……先生」
「……なんだ」
「……ありがとうございます」
大賢者は、微かに、笑った。
「……礼は、要らん」
彼は、答えた。
「……私は、何もしていない」
「……そんなこと」
「……本当だ」
大賢者は、続けた。
「……お前たちの才能は、最初から、そこにあった」
「……」
「……私は、それに、名前をつけただけだ」
彼は、言った。
「……あとは、全部、お前たちが、やった」
十六人は、その言葉に、涙した。
そして、大賢者は、空を、見上げた。
五月の空。
星が、出ていた。
「……さて」
彼は、言った。
「……一年目が、終わった」
「……はい」
「……二年目が、始まる」
大賢者は、続けた。
「……そして、二年目は」
彼は、言った。
「……もっと、厳しくなる」
三十四
「……先生」
トムが、聞いた。
「……なんだ」
「……何が、あるんですか」
大賢者は、答えなかった。
代わりに、彼は、南を、見た。
王都の、方角を。
「……トム」
「……はい」
「……宰相から、招待状が、来ている」
十六人が、驚いた。
「……招待状?」
「……ああ」
大賢者は、頷いた。
「……お前たち十六人を、王都に招きたい、とな」
「……なぜ、ですか」
「……わからん」
大賢者は、答えた。
「……しかし、罠だろう」
「……」
「……行くか」
彼は、聞いた。
十六人は、顔を、見合わせた。
そして、バルドが、答えた。
「……行きます」
「……危険だぞ」
「……はい」
バルドは、頷いた。
「……でも」
彼は、続けた。
「……逃げていたら、何も、変わりません」
大賢者は、その答えに、頷いた。
「……そうだな」
彼は、言った。
「……では、行こう」
「……先生も、来るんですか」
「……当然だ」
大賢者は、答えた。
「……師匠だからな」
三十五
翌朝。
村の入口。
十七人が、立っていた。
十六人と、大賢者。
そして、その横に。
エリスが、いた。
「……行ってらっしゃい」
彼女は、言った。
「……エリスさんは」
エマが、聞いた。
「……来ないんですか」
「……行けません」
エリスは、笑った。
「……王都に行ったら、捕まります」
「……あ」
「……ここで、待っています」
彼女は、続けた。
「……村を、守ります」
「……はい」
「……それと」
エリスは、言った。
「……あの子に、剣を、教えます」
彼女は、七歳の女の子を、見た。
女の子は、木の枝を、握っていた。
「……お母さんを、守るために」
エリスは、言った。
「……はい」
十六人は、頷いた。
そして、歩き出した。
南へ。
王都へ。
三十六
村を、出て。
しばらく歩いたところで。
バルドが、振り返った。
村が、見えた。
家、百三十軒。
畑。
水路。
そして、石碑。
七百二十二人が、住む村。
一年前は、二百人の、小さな村だった。
「……変わりましたね」
彼は、呟いた。
「……ああ」
大賢者が、頷いた。
「……先生」
「……なんだ」
バルドは、聞いた。
「……僕たち、これから、どうなりますか」
大賢者は、しばらく、考えた。
そして、答えた。
「……わからん」
「……」
「……しかし、一つだけ、わかる」
彼は、続けた。
「……お前たちは、もう、落ちこぼれでは、ない」
十六人は、その言葉を、聞いた。
「……では、僕たちは、何ですか」
トムが、聞いた。
大賢者は、答えた。
「……賢者塾、第一期生だ」
十六人は、その言葉に、笑った。
そして、歩き出した。
南へ。
新しい戦いへ。
そして、まだ、誰も知らない、真実へ。




