第13話 「三年前の傷」
一
書状は、二枚あった。
一枚目は、命令書。
二枚目は、その但し書き。
大賢者は、その二枚目を、しばらく、見つめていた。
そして、王都からの使者に、聞いた。
「これは、王の意志か」
使者は、少し、言い淀んだ。
「……宰相閣下の、ご判断でございます」
「宰相」
大賢者は、その言葉を、繰り返した。
「王は、承認したのか」
「……はい」
「そうか」
大賢者は、書状を、折り畳んだ。
そして、懐に、しまった。
「返答は、いつまでだ」
「本日中に」
「わかった」
大賢者は、答えた。
「準備をする。半刻、待て」
そして、塾の中へ、入っていった。
十六人は、その背中を、見送った。
誰も、何も言えなかった。
しかし、全員が、気づいていた。
大賢者の歩き方が、いつもと、違っていた。
二
「……ノアさん」
ミアが、小さく聞いた。
「……何か、見えましたか」
ノアは、俯いたまま、頷いた。
「……はい」
「……何が」
ノアは、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「……先生、怒っています」
「……怒ってる?」
レオンが、驚いた。
「先生が?」
「……はい」
ノアは、続けた。
「……書状を読んだとき。……右手の指が、一度だけ、強く握られました」
「……」
「……それから、呼吸が、一拍、止まりました」
ノアは、顔を上げた。
「……あの人が感情を表に出すのを、初めて見ました」
十六人は、互いを、見合わせた。
大賢者。
常に、穏やかで。
常に、揺らがない人。
その人が、怒った。
「……何が、書いてあったんだろう」
トムが、呟いた。
「聞きに行こう」
レオンが、言った。
「え?」
「聞きに行く」
レオンは、繰り返した。
「先生に、直接」
三
塾の、大賢者の部屋。
十六人が、扉の前に、立っていた。
レオンが、ノックした。
「先生」
「……入りなさい」
十六人が、部屋に入った。
大賢者は、荷物を、まとめていた。
小さな背嚢。
その中に、数冊の本と、着替えを、詰めている。
それだけだった。
武器は、持っていない。
「先生」
レオンが、言った。
「聞きたいことがあります」
「なんだ」
「……その書状、なんて書いてあったんですか」
大賢者は、手を止めた。
そして、振り返った。
「読みたいか」
「……はい」
大賢者は、懐から、二枚目の書状を、取り出した。
そして、レオンに、渡した。
レオンは、それを、読んだ。
そして、顔色を、変えた。
「……なんだ、これ」
「……レオン?」
ミアが、覗き込んだ。
そして、彼女も、絶句した。
書状には、こう書かれていた。
『追記。今回の防衛戦において、貴殿の弟子の同行は、これを認めない。彼らは、いかなる形であれ、北の戦線に関与してはならない。これは王命である』
「……弟子の、同行は、認めない」
ガルドが、読み上げた。
「なんで!?」
リナが、叫んだ。
「私たち、盗賊団も倒したのに!」
「……」
大賢者は、答えなかった。
「先生」
レオンが、言った。
「なぜですか」
「……」
「なぜ、僕たちを、連れて行かないんですか」
大賢者は、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「王命だからだ」
「そんなの、答えになってません」
レオンは、食い下がった。
「先生なら、王命だって、断れるでしょう」
「……」
「先生は、大賢者だ。国で一番の。王だって、先生には、逆らえない」
大賢者は、レオンを、見つめた。
そして、静かに、言った。
「レオン」
「はい」
「今回だけは、聞かないでくれ」
その言葉に、レオンは、動けなくなった。
大賢者が、何かを拒んだのは、初めてだった。
これまで、どんな質問にも、答えてきた。
どんなに難しい問いにも、逃げなかった。
その人が、初めて。
「答えない」と言った。
「……わかりました」
レオンは、答えた。
「じゃあ、一つだけ、教えてください」
「なんだ」
「先生は、無事に、帰ってきますか」
大賢者は、微かに、笑った。
「わからん」
その答えに、十六人は、凍りついた。
四
「……先生」
エマが、震える声で、言った。
「……冗談ですよね」
「冗談ではない」
大賢者は、答えた。
「ホルム砦は、王国北部の要だ。それが、三日で落ちた」
「……三日」
「そうだ」
大賢者は、続けた。
「駐屯兵は、八百。訓練された、正規軍だ。それが、三日で、全滅した」
十六人は、息を呑んだ。
八百人。
三日。
「相手の兵力は」
トムが、聞いた。
「不明だ」
「不明?」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「生き残りが、いない」
部屋が、静まり返った。
「……一人も、ですか」
ミアが、聞いた。
「一人もだ」
大賢者は、答えた。
「だから、何が起きたか、誰も知らない」
「……」
「私は、それを、確かめに行く」
大賢者は、背嚢を、背負った。
「そして、可能なら、止める」
「……可能なら?」
レオンが、聞き返した。
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「私は、万能ではない」
その言葉に、十六人は、衝撃を受けた。
大賢者は、続けた。
「私は、剣も、魔法も、極めた。しかし、それでも、人間だ」
「……」
「八百人を三日で殲滅した何かが、そこにいる」
大賢者は、言った。
「私は、それに、勝てるかもしれん。負けるかもしれん」
彼は、十六人を、見渡した。
「だから、君たちを、連れて行けない」
五
「……嘘だ」
レオンが、呟いた。
「……え?」
「嘘です、先生」
レオンは、顔を上げた。
「先生は、僕たちを守るために、置いていくんじゃない」
「……」
「もし、そうなら、王命なんて、関係ないはずだ」
レオンは、続けた。
「先生が『危ないから連れて行かない』って言えば、それで済む話だ。わざわざ、王が『同行を認めない』なんて、書く必要がない」
大賢者は、答えなかった。
「あの書状は」
レオンは、言った。
「先生に向けたものじゃない。僕たちに向けたものだ」
「……」
「王は、僕たちを、戦場に近づけたくないんだ」
レオンは、大賢者を、見つめた。
「なぜですか」
大賢者は、長い間、黙っていた。
そして、言った。
「レオン。君は、賢くなった」
「……」
「以前の君なら、そこまで、読まなかった」
大賢者は、微かに、笑った。
「私の教育も、悪くなかったらしい」
「先生」
「答えは、言えない」
大賢者は、言った。
「しかし、一つだけ、伝えておく」
彼は、十六人を、見渡した。
「私が戻らなかった場合。君たちは、この村を、離れなさい」
「……え?」
「南に、行きなさい」
大賢者は、続けた。
「海沿いの、リーヴェンという街がある。そこに、私の古い知人がいる。名は、ヴァレン。彼を訪ねなさい」
「先生、待ってください」
ミアが、言った。
「……それって、まるで」
「遺言のようか」
大賢者は、笑った。
「そうかもしれん」
「そんな……」
「ミア」
大賢者は、言った。
「私は、いつか、君たちの前からいなくなる」
「……」
「それは、今日かもしれないし、二十年後かもしれない」
大賢者は、続けた。
「しかし、必ず、その日は来る」
彼は、十六人を、見た。
「そのとき、君たちが困らないようにする。それが、私の仕事だ」
六
大賢者は、部屋を出た。
十六人は、その後を、追った。
塾の玄関。
そこには、村人たちが、集まっていた。
そして、三十四人の元盗賊たちも。
「先生! 行くのか!」
ジャンが、叫んだ。
「ああ」
大賢者は、答えた。
「北に、行く」
「相手は、ゲルニアか」
「そうだ」
ジャンの顔が、歪んだ。
「……そうか」
彼は、俯いた。
そして、しばらくして、言った。
「……先生」
「なんだ」
「俺たちも、行かせてくれ」
大賢者は、首を振った。
「ならん」
「なんでだ!」
ジャンは、叫んだ。
「俺たち、三年前、あいつらと戦ったんだ! 地形も知ってる! 戦い方も知ってる!」
「知っているから、行かせられない」
大賢者は、答えた。
「……え?」
「ジャン」
大賢者は、言った。
「君は、三年前、何を見た」
ジャンの顔から、血の気が、引いた。
「……」
「答えなくていい」
大賢者は、続けた。
「しかし、君の体は、覚えている。だから、行かせられない」
ジャンは、拳を、握りしめた。
そして、地面を、殴った。
「……くそ」
彼は、呟いた。
「……くそったれが」
大賢者は、その肩に、手を置いた。
「ジャン」
「……なんだ」
「村を、頼む」
その一言に。
ジャンは、顔を上げた。
「……俺に?」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「君は、三十四人をまとめた。それだけの器がある」
「……」
「私がいない間、この村を、守ってくれ」
ジャンは、しばらく、大賢者を、見つめていた。
そして、頷いた。
「……わかった」
彼は、答えた。
「命に、代えても」
七
大賢者は、歩き出した。
村の、北の道へ。
十六人は、その背中を、見送った。
誰も、追いかけなかった。
追いかけても、意味がないと、わかっていた。
そして、大賢者の姿が、見えなくなったとき。
シルフィが、呟いた。
「……行っちゃいました」
「……ああ」
レオンが、答えた。
「……レオンさん」
「なんだ」
「……先生、噓をついていました」
「え?」
レオンは、驚いた。
「……声です」
シルフィは、続けた。
「……『わからん』って言ったとき。……声が、少し、高くなりました」
「……それが、どうした」
「……人は、噓をつくとき、声が高くなります」
シルフィは、言った。
「……先生は、勝てるとわかっています」
「……じゃあ、なんで」
「……わかりません」
シルフィは、首を振った。
「……でも、噓でした」
レオンは、その言葉を、考えた。
大賢者は、勝てるとわかっている。
しかし、「わからん」と言った。
なぜか。
「……脅したんだ」
トムが、呟いた。
「え?」
「僕たちを、脅したんだよ」
トムは、続けた。
「『帰ってこないかもしれない』って言えば、僕たちは、怖くなる。そして、追いかけない」
「……」
「先生は、僕たちを、確実に、ここに留めたかったんだ」
十六人は、その推測に、沈黙した。
そして、バルドが、言った。
「……そこまでして、僕たちを、遠ざけたい理由」
「……」
「……それが、たぶん、書状の秘密です」
八
その夜。
村の、集会所。
十六人と、三十四人が、集まっていた。
そして、その中央に、ジャンが、座っていた。
「……話す」
彼は、言った。
「三年前のことを」
十六人は、身を乗り出した。
「……ただし」
ジャンは、続けた。
「気分のいい話じゃねえ。聞きたくないやつは、出て行っていい」
誰も、動かなかった。
「……そうか」
ジャンは、頷いた。
そして、話し始めた。
九
「三年前の、春だ」
ジャンは、言った。
「ゲルニア公国が、国境を越えてきた」
「……」
「理由は、国境線の解釈の違い、ってことになってる。でも、本当は、鉱山だ」
「鉱山?」
ミアが、聞いた。
「国境沿いに、鉄鉱山がある」
ジャンは、答えた。
「かなり大きい。どっちの国も、欲しがってた」
「……」
「で、ゲルニアが、先に手を出した」
ジャンは、続けた。
「王国は、軍を出した。俺たちは、その、第三大隊だった」
「何人ですか」
トムが、聞いた。
「千二百人」
ジャンは、答えた。
「そのうち、生き残ったのが、四十七人だ」
十六人は、息を呑んだ。
千二百人のうち、四十七人。
生存率、四パーセント。
「……そんなに」
エマが、呟いた。
「ああ」
ジャンは、答えた。
「でもな、それは、まだ、いい方だ」
「……いい方?」
「第一大隊は、全滅した」
ジャンは、言った。
「千五百人。一人も、帰ってこなかった」
十
「相手は、何だったんですか」
バルドが、聞いた。
「軍隊、ですよね」
「ああ」
ジャンは、頷いた。
「軍隊だ。でも――」
彼は、そこで、言葉を止めた。
そして、しばらく、黙っていた。
手が、震えていた。
「……ジャンさん」
エマが、心配そうに、言った。
「……無理しないで」
「いや」
ジャンは、首を振った。
「話す」
彼は、深く、息を吸った。
そして、言った。
「あいつらの中に、化け物が、いた」
十一
「……化け物?」
レオンが、聞き返した。
「そうだ」
ジャンは、答えた。
「人の形は、してた。鎧を着て、剣を持ってた」
「……」
「でも、動きが、人間じゃなかった」
ジャンは、両手で、顔を覆った。
「……速すぎるんだ。目で、追えねえ」
「……」
「そいつが、一人で、俺たちの前衛を、崩した」
ジャンは、続けた。
「三百人だ。三百人の前衛が、そいつ一人に、崩された」
十六人は、絶句した。
「……嘘、ですよね」
リナが、呟いた。
「……一人で、三百人?」
「嘘じゃねえ」
ジャンは、答えた。
「俺は、見た。この目で」
彼は、続けた。
「そいつは、剣を、一回、振った。それだけで、二十人が、倒れた」
「……」
「そして、また、振った。また、二十人」
「……」
「そいつが、剣を、十五回振ったとき。俺たちの前衛は、消えた」
沈黙。
集会所が、静まり返った。
「……」
そして、レオンが、聞いた。
「そいつの、名前は」
「わからん」
ジャンは、答えた。
「顔も、見てねえ。兜を、被ってた」
「……」
「でも、一つだけ、覚えてる」
ジャンは、続けた。
「そいつの鎧に、紋章が、入ってた」
「紋章?」
「ああ」
ジャンは、言った。
「白い、翼だ」
十二
「白い、翼」
トムが、繰り返した。
「聞いたこと、ありますか」
彼は、十五人に、聞いた。
誰も、首を振った。
しかし。
「……あります」
ノアが、小さく言った。
「え?」
「……実家に、商売の記録があって」
ノアは、続けた。
「……その中に、ありました」
「なんて?」
「……『白翼の傭兵団』」
ノアは、答えた。
「……大陸中で、活動している、傭兵団です」
「傭兵団……」
トムが、呟いた。
「じゃあ、ゲルニアの正規軍じゃないのか」
「……はい」
ノアは、頷いた。
「……金で、雇われる人たちです」
「規模は」
「……わかりません」
ノアは、答えた。
「……でも、噂では、百人以下だと」
「百人以下!?」
リナが、叫んだ。
「そんな小さいのに、有名なの!?」
「……はい」
ノアは、続けた。
「……全員が、規格外だと」
「……規格外」
レオンが、呟いた。
そして、彼は、理解した。
ホルム砦。
八百人の駐屯兵が、三日で全滅した。
生き残りは、ゼロ。
「……それか」
彼は、呟いた。
「白翼の傭兵団が、砦を落としたんだ」
十三
その夜。
塾の屋上。
十六人が、集まっていた。
誰も、眠れなかったのだ。
「……どうする」
ガルドが、聞いた。
「どうするって」
レオンが、答えた。
「先生は、行くなって言った」
「わかってる」
ガルドは、続けた。
「でも、先生は、一人だぞ」
「……」
「相手は、三百人を一人で崩す化け物だ」
ガルドは、言った。
「それが、何人いるかも、わからねえ」
沈黙。
「……先生なら」
ミアが、言った。
「……勝てるんじゃ、ないですか」
「勝てる」
トムが、答えた。
「たぶん、勝てる」
「じゃあ」
「でも」
トムは、続けた。
「勝った後、どうなる」
「……え?」
「先生は、勝つ」
トムは、言った。
「でも、無傷では、済まない」
十六人は、その言葉に、沈黙した。
「僕たちは、先生の強さを、知らない」
トムは、続けた。
「先生は、いつも、僕たちに、教えるだけだ。本気で戦うところを、見たことがない」
「……」
「でも、たぶん、先生は、僕たちが思ってるより、ずっと強い」
トムは、言った。
「そして、たぶん、僕たちが思ってるより、ずっと、無理をする人だ」
十四
「……行きたい」
レオンが、言った。
「え?」
「俺、行きたい」
彼は、繰り返した。
「レオン、王命だぞ」
ガルドが、言った。
「知ってる」
「破ったら、犯罪者だ」
「知ってる」
レオンは、頷いた。
「でも、俺、先生に、恩がある」
彼は、続けた。
「俺、先生に会わなかったら、たぶん、今頃、死んでた」
「……」
「親父に勘当されて、行くとこもなくて。……たぶん、どっかで、野垂れ死んでた」
レオンは、両手を、見つめた。
「先生が、俺を、拾ってくれた」
「……」
「だから、俺は、行きたい」
沈黙。
そして、シルフィが、言った。
「……私も、行きます」
「シルフィ」
「……私も、先生に、拾われました」
彼女は、続けた。
「……あの日から、九年間。……誰も、私を、見てくれませんでした」
「……」
「……先生だけが、私を、見てくれました」
シルフィは、目を開いていた。
灰色の目で、レオンを、見つめていた。
「……だから、行きます」
「僕も」
ミアが、言った。
「……私、魔力がなくて。……ずっと、駄目な人間だと、思ってました」
「……」
「……先生が、そうじゃないって、教えてくれました」
「俺も行く」
ガルドが、言った。
「あたしも!」
リナが、叫んだ。
「……私も」
エマが、言った。
「……私、まだ、先生に、恩返しできてません」
「……」
ノアが、頷いた。
「……」
シオンも、頷いた。
「行くよ」
ココが、言った。
「先生、たぶん、ろくなもん食べてない」
「俺も、行く」
ドグが、言った。
「先生に、剣、打ってやりたい」
「行く!」
ポチが、叫んだ。
「犬も、連れてく!」
「行きます」
トムが、言った。
「僕は、何もできないけど。……でも、行きます」
「行く!」
ニナが、言った。
「道は、任せて!」
「……行きます」
レンが、言った。
「……砦、直せるかもしれません」
「行きます」
モモが、言った。
「……薬草、たくさん持っていきます」
そして、最後に。
全員が、バルドを、見た。
「……え?」
バルドは、驚いた。
「な、なんですか」
「指揮官だろ」
レオンが、言った。
「……え」
「お前が、決めろ」
バルドは、青ざめた。
「……ぼ、僕が?」
「そうだ」
ガルドが、言った。
「お前が『行く』って言ったら、行く。『行かない』って言ったら、行かない」
「……そんな」
バルドは、震えた。
十五人の視線が、彼に、集中していた。
そして、彼は、気づいた。
これは、前回と、同じだ。
峠のとき。
「殺すか、殺さないか」を、決めさせられた。
そして、今度は。
「王命を、破るか、破らないか」
十五
バルドは、目を、閉じた。
そして、考えた。
行けば、王命違反だ。
犯罪者になる。
十六人全員が。
しかし、行かなければ。
大賢者が、危険に晒される。
「……」
彼の頭が、真っ白になりかけた。
そのとき。
「バルド」
トムの声がした。
「みんなじゃなくて、下を見て」
バルドは、その言葉に従った。
十五人の顔から、視線を外し。
下を、見た。
塾の屋上から、村が見える。
灯りが、点いている。
村人たちの家。
そして、元盗賊たちが、修理した家。
「……」
バルドは、その光景を、見つめた。
そして、気づいた。
第三の道。
前回、シオンが、教えてくれたもの。
二択ではない。
三つ目が、ある。
「……あの」
バルドは、口を開いた。
「……一つ、質問していいですか」
「なんだ」
レオンが、答えた。
「……先生は、なんて言いましたか」
「え?」
「……出発する前」
バルドは、続けた。
「……先生は、僕たちに、なんて言いましたか」
十六人は、思い出そうとした。
「……『北の戦線に関与するな』って、書状に」
ミアが、言った。
「……それは、王の言葉です」
バルドは、答えた。
「……先生の言葉じゃありません」
「……あ」
トムが、声を上げた。
「そうか」
「……先生は」
バルドは、言った。
「……『私が戻らなかったら、南に行け』と、言いました」
「……」
「……それだけです」
バルドは、続けた。
「……『北に来るな』とは、一度も、言っていません」
十六人は、その事実に、気づいた。
確かに。
大賢者は、一度も、そう言わなかった。
「先生は」
バルドは、言った。
「……僕たちに、選ばせたんだと、思います」
十六
「……つまり」
レオンが、聞いた。
「行っていい、ってことか」
「……いえ」
バルドは、首を振った。
「……そうじゃありません」
「じゃあ、なんだ」
「……先生は、たぶん」
バルドは、続けた。
「……僕たちが、来ることを、想定しています」
「……え?」
「……でも、来てほしくないとも、思っています」
バルドは、言った。
「……その両方です」
十六人は、混乱した。
「どういうことだよ」
ガルドが、聞いた。
「……先生は、僕たちに、判断させたいんです」
バルドは、答えた。
「……盗賊のときと、同じです」
「……」
「……先生は、答えを、与えません。……ただ、状況を、作ります」
バルドは、続けた。
「……そして、僕たちが、どう選ぶかを、見ています」
彼は、顔を上げた。
「……だから、僕は、こう決めます」
十五人が、彼を、見つめた。
「……行きます」
バルドは、言った。
「……ただし、戦いには、参加しません」
十七
「……戦わない?」
レオンが、聞き返した。
「……はい」
バルドは、答えた。
「……僕たちは、白翼の傭兵団には、勝てません」
「……」
「……三百人を一人で崩す相手に、十六人で挑んだら。……全滅します」
「……じゃあ、何しに行くんだ」
ガルドが、聞いた。
バルドは、答えた。
「……先生を、連れて帰るためです」
「……連れて帰る?」
「……はい」
バルドは、続けた。
「……先生は、勝ちます。……たぶん、勝ちます」
「……」
「……でも、無傷では済みません」
バルドは、言った。
「……そのとき、誰かが、先生を、運ばなきゃいけません」
十六人は、その言葉に、はっとした。
「……エマさん」
バルドは、言った。
「……先生が、大怪我をしたら。……治せますか」
エマは、少し考えて、答えた。
「……見てみないと、わかりません」
「……でも、可能性は」
「……あります」
エマは、頷いた。
「……私、この一か月で、たくさん、診ました」
「……モモさん」
「……はい!」
「……薬草は、足りますか」
「……たぶん!」
モモは、答えた。
「……あと、現地でも、採れると思います」
「……ニナさん」
「うん!」
「……北への道、わかりますか」
「わかる!」
ニナは、笑った。
「……ただし、迷子になりながらだけど!」
「……それで、いいです」
バルドは、答えた。
「……むしろ、その方が、いいです」
「え?」
「……王国軍に、見つかりたくないので」
バルドは、続けた。
「……普通の道を通ったら、止められます」
「……あ」
ニナは、目を輝かせた。
「じゃあ、あたし、めちゃくちゃ役に立つ!」
「……はい」
バルドは、頷いた。
「……ニナさんが、いなかったら、この作戦は、成立しません」
ニナは、その言葉に、飛び上がって喜んだ。
生まれて初めて。
「迷子になる」ことを、必要とされた。
十八
作戦が、決まった。
目的:大賢者の回収
方針:戦闘回避
経路:ニナの案内による、非公式ルート
役割分担:
・ニナ、トム——先導、偵察 ・ポチ、モモ——犬による索敵、薬草採取 ・エマ、ガルド——治療、運搬 ・レオン、シルフィ——護衛、緊急時の退路確保 ・ミア、リナ——退路の遮断(追手が来た場合) ・ドグ、レン——野営設営、簡易防壁 ・ノア、シオン——現地での情報収集、交渉 ・ココ、バルド——兵站、指揮
「……以上です」
バルドは、言った。
「……何か、質問は」
「一つ、いいか」
ガルドが、手を上げた。
「なんですか」
「もし、戦うことになったら、どうする」
バルドは、答えた。
「……逃げます」
「逃げる?」
「……はい」
バルドは、頷いた。
「……全力で、逃げます」
「……そうか」
ガルドは、笑った。
「潔いな」
「……はい」
バルドは、続けた。
「……僕たちの目的は、勝つことじゃありません。……先生を、連れて帰ることです」
「……」
「……そのためなら、どれだけでも、逃げます」
十六人は、その言葉に、頷いた。
十九
出発は、翌朝と、決まった。
その夜。
バルドは、ジャンのところに、行った。
「……ジャンさん」
「おう」
ジャンは、村の広場で、焚き火の番をしていた。
「……お願いが、あります」
「なんだ」
「……村を、頼みます」
ジャンは、しばらく、バルドを、見つめた。
そして、聞いた。
「……行くのか」
「……はい」
「王命、破るのか」
「……はい」
ジャンは、笑った。
「馬鹿だな」
「……はい」
バルドは、頷いた。
「……たぶん、馬鹿です」
「……」
ジャンは、焚き火を、見つめた。
そして、言った。
「……なあ、バルド」
「……はい」
「一つだけ、言っておく」
ジャンは、続けた。
「戦場ってのは、頭で考えたようには、絶対に、いかねえ」
「……」
「お前の作戦は、立派だ。峠のときも、見事だった」
ジャンは、言った。
「でもな。戦場じゃ、必ず、想定外が起きる」
「……」
「そのとき、どうするかが、指揮官の全部だ」
バルドは、その言葉を、重く受け止めた。
「……そのとき、僕は」
「わからん」
ジャンは、答えた。
「そんなもん、その場になってみねえと、誰にもわからん」
「……」
「でもな」
ジャンは、続けた。
「一つだけ、覚えとけ」
彼は、バルドを、見つめた。
「指揮官が、諦めたら、そこで終わりだ」
「……」
「どんなに無様でも、どんなに間違ってても、指揮官が『まだいける』って言ってる限り、部隊は、動く」
ジャンは、言った。
「だから、お前は、絶対に、諦めるな」
バルドは、頷いた。
「……はい」
「よし」
ジャンは、立ち上がった。
そして、バルドの肩を、叩いた。
「行ってこい」
「……はい」
「村は、俺が守る」
ジャンは、言った。
「命に、代えても」
二十
翌朝。
三月二十六日。
十六人は、村を、出発した。
見送りに来たのは、村人全員と、元盗賊三十四人。
「気をつけてなあ!」
「無事に帰ってこいよ!」
「先生を、連れて帰ってくれ!」
声援が、飛んだ。
十六人は、手を振った。
そして、歩き出した。
北へ。
ニナが、先頭を歩いた。
「こっち!」
彼女は、指差した。
「え、そっち、東ですけど」
トムが、言った。
「うん!」
ニナは、答えた。
「でも、こっちの方が、早いの!」
「……本当?」
「たぶん!」
十六人は、笑った。
そして、その笑いの中で、歩いていった。
北へ。
戦場へ。
そして、大賢者のもとへ。
二十一
同じ頃。
北の街道。
大賢者は、一人で、歩いていた。
風が、冷たかった。
北は、まだ、冬だった。
「……」
彼は、立ち止まった。
そして、振り返った。
南の方角を。
はるか彼方に、山が見えた。
その向こうに、フェアウッド村がある。
「……来るなよ」
彼は、呟いた。
「……いや」
彼は、首を振った。
そして、微かに、笑った。
「……来るだろうな」
彼は、再び、歩き出した。
「あの子たちは、私が育てたのだから」
その言葉は、風に、かき消された。
しかし、その顔には。
誇りが、あった。
第13話終了。




