第12話 「断る理由」
一
三月二十日。
十六人が、塾に帰還した、三日後の朝。
その日は、快晴だった。
雪は、ほとんど溶けていた。
畑の土が、黒く、露出していた。
春の匂いが、していた。
「うわあああああ!」
朝食の途中で、ポチが叫んだ。
「ど、どうしたんだ」
ガルドが、聞いた。
「犬が! 犬が、騒いでる!」
ポチは、窓に走った。
「南から! 大人数が来る!」
十六人が、一斉に立ち上がった。
「敵か!?」
レオンが、剣を掴んだ。
「わからない! でも、多い! 三十人以上!」
「三十人……」
ミアが、青ざめた。
「まさか……」
十六人は、外に飛び出した。
そして、南の道を、見た。
そこには――
人影の列が、あった。
ぼろぼろの服。
汚れた顔。
そして、その全員が、武器を持っていなかった。
「……あれ」
シルフィが、目を細めた。
「……盗賊団の人たちです」
「なんで!?」
リナが、叫んだ。
「復讐か!」
ガルドが、身構えた。
しかし。
「……違います」
ノアが、小さく言った。
「……あの人たち」
「どうした、ノア」
「……歩き方が」
ノアは、続けた。
「……戦いに来る歩き方じゃ、ありません」
「じゃあ、なんだ」
「……」
ノアは、しばらく、その列を見つめた。
そして、答えた。
「……頼みに、来る歩き方です」
二
三十四人の元盗賊たちは、塾の前で、止まった。
そして、先頭の一人が、前に出た。
三十代の男。
痩せていて、頬がこけている。
「……あんたらか」
彼は、言った。
「峠で、俺たちを、追い払ったのは」
十六人は、答えなかった。
ただ、身構えていた。
男は、その様子を見て、慌てた。
「あ、いや、戦いに来たんじゃねえ!」
彼は、両手を上げた。
「見てくれ、武器は持ってねえ!」
確かに、三十四人全員が、丸腰だった。
「じゃあ、何しに来た」
ガルドが、聞いた。
男は、しばらく、黙っていた。
そして、突然、地面に、膝をついた。
「……頼む」
彼は、言った。
「弟子にしてくれ」
十六人は、絶句した。
「……は?」
レオンが、呟いた。
そして、男の後ろにいた、三十三人も、一斉に、膝をついた。
「頼む!」
「弟子にしてくれ!」
「俺たちも、あんたらみたいになりたいんだ!」
三十四人が、地面に、頭を下げた。
塾の前が、静まり返った。
三
「……つまり」
ガルドが、聞いた。
「お前ら、俺たちに、負けたから。弟子になりたいって?」
「そうだ」
先頭の男が、答えた。
「俺は、ジャン。元、王国軍の歩兵だ」
「元、軍人?」
「ああ」
ジャンは、続けた。
「ここにいる大半が、元軍人だ。傭兵くずれもいる。みんな、戦い方を知ってる」
「じゃあ、なんで盗賊なんかに」
ミアが、聞いた。
ジャンは、俯いた。
「……三年前の、戦争だ」
「……戦争」
「ゲルニア公国との、国境紛争。知ってるか」
十六人の何人かが、頷いた。
三年前。
小規模な国境紛争があった。
半年で終わった、短い戦争。
「俺たちは、その最前線にいた」
ジャンは、続けた。
「で、生き残った」
「……」
「でも、戻ったら、居場所がなかった」
ジャンは、笑った。
自嘲的に。
「戦争が終わったから、軍は縮小された。俺たちは、真っ先に、切られた」
「……」
「田舎に帰っても、畑はもうない。手に職もない。あるのは、人を殺す技術だけだ」
ジャンは、両手を、見つめた。
「だから、その技術で、飯を食うことにした」
「……」
「盗賊に、なった」
十六人は、何も言えなかった。
「言い訳するつもりはねえ」
ジャンは、続けた。
「俺たちは、人を襲った。金を奪った。悪いことをした」
「……」
「でもな」
ジャンは、顔を上げた。
「峠で、あんたらに負けたとき、俺、初めて思ったんだ」
「……何を」
「『こういう戦い方が、あったのか』って」
ジャンは、言った。
「俺たちは、殺す戦い方しか、知らなかった。だから、殺す仕事しか、できなかった」
「……」
「でも、あんたらは、誰も殺さずに、俺たちを完全に潰した」
ジャンの声が、震えていた。
「あんな戦い方があるなら。……俺たちも、変われるかもしれねえ」
彼は、再び、頭を下げた。
「頼む。弟子にしてくれ」
四
十六人は、互いに、顔を見合わせた。
誰も、答えられなかった。
そのとき。
「断る」
塾の入口から、声がした。
大賢者だった。
彼は、ゆっくりと、階段を降りてきた。
そして、三十四人の前に、立った。
「……あんたが」
ジャンが、顔を上げた。
「大賢者、か」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「そして、私の答えは、断る、だ」
三十四人が、どよめいた。
「な、なんでだ!」
一人が、叫んだ。
「俺たち、本気だぞ!」
「知っている」
大賢者は、答えた。
「君たちが本気であることは、見ればわかる」
「じゃあ、なんで!」
「本気だから、断るのだ」
大賢者は、言った。
その言葉の意味が、誰にもわからなかった。
三十四人にも。
十六人にも。
五
「聞きなさい」
大賢者は、言った。
「君たちは、私に、何を期待している」
「……何をって」
ジャンは、答えた。
「強くしてくれることだ」
「そうか」
大賢者は、頷いた。
「では、聞くが。君たちは、弱いのか」
「……え?」
「君たちは、弱いのか、と聞いている」
ジャンは、答えられなかった。
「君たちは、元軍人だ」
大賢者は、続けた。
「三年前の戦争を、生き延びた。訓練を受け、実戦を経験し、そして、生き残った」
「……」
「その君たちが、弱いはずがない」
大賢者は、言った。
「君たちは、この村の誰よりも、強い」
三十四人は、その言葉に、戸惑った。
「じゃあ、なんで、俺たちは負けたんだ」
「弱いからではない」
大賢者は、答えた。
「使い方を、間違えているからだ」
六
大賢者は、十六人を、指差した。
「この十六人を、見なさい」
三十四人が、十六人を見た。
「彼らは、弱い」
大賢者は、あっさりと言った。
「え!?」
リナが、叫んだ。
「先生、ひどい!」
「事実だ」
大賢者は、続けた。
「レオンは、剣を振れば転ぶ。ミアは、魔法を一発撃てば魔力が尽きる。ガルドは、一発殴れば疲れ果てる」
大賢者は、一人ずつ、指差した。
「エマは、血を見れば気絶する。ノアは、人の目を見られない。シオンは、話せない」
「……」
「彼らは、君たちより、遥かに弱い」
大賢者は、言った。
「一人ずつ戦えば、君たちが勝つ。間違いなく」
ジャンは、その言葉を、聞いていた。
「では、なぜ、君たちは負けた」
大賢者は、聞いた。
「……」
ジャンは、答えられなかった。
「答えは、簡単だ」
大賢者は、言った。
「彼らは、『自分が弱い』ことを、知っているからだ」
七
「……どういうことだ」
ジャンは、聞いた。
「君たちは、強い」
大賢者は、答えた。
「だから、君たちは、『強さで解決しよう』とする」
「……」
「襲われたら、斬る。奪いたければ、脅す。全て、強さで解決する」
大賢者は、続けた。
「それは、君たちが、実際に強いからだ。強い者は、強さ以外の方法を、探さない」
「……」
「しかし、彼らは、弱い」
大賢者は、十六人を見た。
「だから、彼らは、強さ以外の方法を、探し続けてきた」
大賢者は、バルドを、指した。
「バルド。君は、なぜ、あの作戦を立てた」
バルドは、驚いた。
「……え、えっと」
「なぜ、敵を殺さない作戦を、立てた」
バルドは、少し考えて、答えた。
「……殺すのが、怖かったからです」
「他には」
「……あと、僕たちの方が、弱いから」
バルドは、続けた。
「……正面から戦ったら、絶対、勝てません。……だから、戦わない方法を、考えました」
大賢者は、頷いた。
そして、ジャンを見た。
「聞いたか」
「……ああ」
「彼は、弱いから、勝った」
大賢者は、言った。
「もし彼が強ければ、正面から突っ込んで、そして、負けていた」
ジャンは、その言葉に、衝撃を受けた。
八
「君たちが、私に弟子入りしても」
大賢者は、続けた。
「私は、君たちを、今より強くすることはできる」
「……」
「しかし、君たちは、変わらない」
大賢者は、言った。
「なぜなら、君たちは、『強くなること』を求めているからだ」
「……」
「強くなれば、また、強さで解決しようとする。今度は、もっと大きな悪事ができるようになるだけだ」
ジャンは、俯いた。
「……そうかも、しれねえ」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「だから、断る」
沈黙。
三十四人は、絶望的な顔をしていた。
「……じゃあ」
ジャンは、聞いた。
「俺たちは、どうすればいい」
「……」
「このまま、盗賊に戻れってか」
「いや」
大賢者は、首を振った。
「私は、断ると言った。しかし、『帰れ』とは言っていない」
九
大賢者は、村の方を、指差した。
「この村を、見なさい」
三十四人が、村を見た。
小さな村だ。
家は、四十軒ほど。
畑は、荒れている。
道は、ぬかるんでいる。
橋は、半分、壊れている。
「この村は、貧しい」
大賢者は、言った。
「若い者は、皆、街に出た。残っているのは、老人と、子供だけだ」
「……」
「畑を耕す者がいない。橋を直す者がいない。魔獣が出ても、追い払う者がいない」
大賢者は、続けた。
「君たちは、強い。そして、人手が足りない村がある」
ジャンは、その言葉の意味を、理解し始めた。
「……働けって、ことか」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「一年間」
大賢者は、言った。
「一年間、この村で働きなさい。無報酬で。食事と寝床は、提供する」
「……一年」
「そして、一年後」
大賢者は、続けた。
「君たちが、まだ弟子入りを望むなら、もう一度、私のところに来なさい」
「……そのときは、弟子にしてくれるのか」
「わからん」
大賢者は、あっさりと答えた。
「そのときの君たちを見て、決める」
ジャンは、しばらく、黙っていた。
そして、後ろを振り返った。
三十三人の、仲間たちを。
彼らの顔には、迷いがあった。
一年。
無報酬。
そして、その先の保証もない。
普通なら、断る条件だ。
しかし。
「……ジャン」
一人が、言った。
「俺、やるよ」
「え?」
「だって、俺たち、盗賊に戻っても、どうせ、死ぬだけだ」
彼は、続けた。
「それなら、畑耕して死ぬ方が、まだ、マシだ」
別の一人も、言った。
「俺も、やる」
「俺も」
「俺もだ」
次々と、声が上がった。
ジャンは、その声を聞いて、頷いた。
そして、大賢者を、見た。
「……わかった」
彼は、言った。
「一年、働く」
十
「よろしい」
大賢者は、頷いた。
そして、十六人を見た。
「では、この者たちの監督は、君たちがしなさい」
「え!?」
十六人が、一斉に叫んだ。
「僕たちが!?」
レオンが、聞いた。
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「三十四人を、八つの班に分ける。各班に、君たちのペアが、一組ずつつく」
「で、でも」
ミアが、言った。
「……私たち、人に教えたこと、ありません」
「だから、やるのだ」
大賢者は、言った。
「教えることは、学ぶことだ」
大賢者は、続けた。
「君たちは、自分の技術を、感覚で使っている。しかし、人に教えようとすれば、それを言葉にしなければならない」
「……」
「言葉にできて、初めて、その技術は、君たちのものになる」
十六人は、その言葉を、噛みしめた。
「では、班分けを、決めなさい」
大賢者は、言った。
「これも、君たちの仕事だ」
そして、塾の中へ、戻っていった。
残されたのは。
十六人と、三十四人。
合計、五十人。
そして、荒れ果てた村だった。
十一
その日の午後。
班分けが、決まった。
決めたのは、ノアだった。
彼女は、三十四人を、一人ずつ、観察した。
三時間かけて。
一言も、話さずに。
そして、紙に、班分けを書いた。
「……これで、お願いします」
彼女は、その紙を、レオンに渡した。
レオンは、それを読んだ。
そして、驚いた。
第一班(レオン+シルフィ) ・元前衛兵、四名 ・理由:体を動かすのが好きな者たち
第二班(ミア+リナ) ・元工兵、四名 ・理由:手先が器用で、理屈を好む者たち
第三班(ガルド+エマ) ・体が大きい者、四名 ・理由:力仕事に向く。ただし、二名は古傷あり
第四班(ノア+シオン) ・口数の少ない者、四名 ・理由:他班で孤立する可能性が高い
第五班(ニナ+トム) ・落ち着きのない者、五名 ・理由:じっとしていられない。移動作業向き
第六班(ドグ+レン) ・元職人、四名 ・理由:鍛冶、大工の経験あり
第七班(ポチ+モモ) ・動物や植物に興味を示した者、四名 ・理由:犬を見て、表情が緩んだ者たち
第八班(ココ+バルド) ・年長者、五名 ・理由:体力が落ちている。炊事、事務向き
「……ノア」
レオンは、聞いた。
「これ、三時間で、全部わかったのか」
「……はい」
「古傷があるとか、犬を見て表情が緩んだとか」
「……見れば、わかります」
ノアは、答えた。
「……古傷は、庇う動きで。……犬は、目の動きで」
レオンは、感嘆した。
「……すげえな、お前」
ノアは、俯いた。
しかし、その顔は、少しだけ、嬉しそうだった。
十二
翌日から、作業が始まった。
第一班は、道の整備。
第二班は、水路の修復。
第三班は、開墾。
第四班は、家屋の修理。
第五班は、山道の整備と、物資の運搬。
第六班は、鍛冶場と、農具の修繕。
第七班は、畑の準備と、家畜の世話。
第八班は、炊事と、記録。
しかし、最初の一週間は、うまくいかなかった。
いや。
正確には、うまくいかない班と、うまくいく班に、はっきりと分かれた。
十三
第三班。
ガルドとエマの班。
ガルドは、元々、体力に自信のない男だ。
しかし、彼が担当したのは、体の大きな四人だった。
「よし、じゃあ、この岩、どかすぞ!」
ガルドが、言った。
四人は、頷いた。
そして、岩を持ち上げようとした。
「……ぐ」
一人が、呻いた。
そして、その場に、座り込んだ。
「おい、大丈夫か!」
ガルドが、駆け寄った。
「……すまん」
男は、答えた。
「……腰が」
「腰?」
「……三年前の戦争で、やられてな」
男は、笑おうとした。
しかし、顔が、歪んでいた。
「……普段は、大丈夫なんだが。……重いもん持つと、たまに」
「……」
ガルドは、その様子を、見ていた。
そして、エマを、呼んだ。
「エマ! 診てくれ!」
「はい!」
エマが、走ってきた。
そして、男の前に、しゃがんだ。
「……失礼します」
彼女は、男の体を、観察した。
触らない。
ただ、見るだけ。
呼吸。
姿勢。
顔色。
そして、痛みで動く筋肉。
「……腰椎の、三番と四番です」
彼女は、言った。
「……古い骨折が、治りきっていません」
「え!?」
男は、驚いた。
「骨折!? 俺、折ってねえぞ!」
「……いえ」
エマは、答えた。
「……折れています。……たぶん、当時は、打撲だと思われたんでしょう」
「……」
「……戦場では、そういうことが、多いです」
エマは、続けた。
「……ちゃんと診てもらえずに、そのまま、くっついてしまう」
男は、呆然としていた。
三年間。
彼は、「なんとなく腰が痛い」と思って、生きてきた。
原因が、わかった。
「……治るのか」
彼は、聞いた。
「……完全には、無理です」
エマは、正直に答えた。
「……でも、痛みは、減らせます」
「……どうやって」
「……使い方を、変えます」
エマは、立ち上がった。
そして、ガルドを、見た。
「ガルドさん」
「おう」
「……この人に、教えてあげてください」
「何を」
「……力の、集め方を」
ガルドは、その言葉に、はっとした。
自分が、大賢者から学んだこと。
不要な力を、排除する。
そして、一点に、集約させる。
「……そうか」
彼は、呟いた。
「腰、使わなくても、力は出せる」
十四
その日から、第三班の作業は、変わった。
ガルドは、四人に、「力の集め方」を教えた。
「いいか。全身に力を入れるな」
彼は、言った。
「肩の力を抜け。背中の力を抜け。腰の力を、絶対に、使うな」
「そんなんで、力が出るのか」
「出る」
ガルドは、答えた。
「見てろ」
彼は、大きな岩の前に、立った。
そして、脱力した。
肩。
背中。
腰。
脚。
すべてを、緩めた。
そして、呼吸を、整えた。
深く。
ゆっくり。
そして、息を、止めた。
その瞬間。
彼の拳が、岩を、打った。
岩が、割れた。
真っ二つに。
「……!」
四人が、絶句した。
「今、腰、使ってねえ」
ガルドは、言った。
「使ったのは、呼吸と、タイミングだけだ」
「……」
「お前らも、できる」
ガルドは、続けた。
「いや、お前らの方が、俺より、上手くなるかもしれん」
「なんで」
「俺、体力ねえから」
ガルドは、笑った。
「一発撃つと、疲れて動けなくなる。でも、お前らは、体力がある。何発も、撃てる」
四人は、その言葉に、目を輝かせた。
自分たちが、この少年を、超えられるかもしれない。
そう思った瞬間。
彼らの中に、初めて、「学ぶ意欲」が、生まれた。
十五
一方、うまくいかない班も、あった。
第一班。
レオンとシルフィの班。
レオンは、教えるのが、下手だった。
「えーっと、こう、こんな感じで」
彼は、実演した。
しかし、言葉での説明が、できない。
「……こんな感じって、どんな感じだよ」
元前衛兵の一人が、苛立った。
「だから、こう、体をこう、ぐっと」
「わかんねえよ」
「うーん……」
レオンは、困った。
自分は、感覚でやっている。
言葉にしたことが、ない。
一週間、その状態が続いた。
そして、七日目の夜。
レオンは、塾の裏で、一人で、頭を抱えていた。
「……だめだ」
彼は、呟いた。
「俺、教えるの、無理だ」
「……レオンさん」
シルフィが、近づいてきた。
「……悩んでますね」
「わかるか」
「……はい」
シルフィは、答えた。
「……足音で」
レオンは、笑った。
「お前、ほんと、なんでもわかるな」
「……いえ」
シルフィは、隣に、座った。
「……レオンさん」
「ん?」
「……教えるの、やめませんか」
「……え?」
レオンは、驚いた。
「やめるって、それじゃ、先生に怒られる」
「……いえ」
シルフィは、首を振った。
「……教えるんじゃなくて。……一緒に、やりませんか」
「……一緒に?」
「……はい」
シルフィは、続けた。
「……レオンさんは、説明が、下手です」
「はっきり言うな」
「……でも、動きは、上手です」
シルフィは、言った。
「……だから、説明しないで。……ただ、一緒に、走ればいいと思います」
レオンは、その言葉を、考えた。
一緒に、走る。
説明せずに。
「……それで、伝わるか?」
「……はい」
シルフィは、答えた。
「……私、そうやって、覚えました」
「え?」
「……子供の頃。……父から、弓を習いました」
シルフィは、続けた。
「……父は、何も、説明しませんでした。……ただ、隣で、弓を引いていました」
「……」
「……私は、それを、真似しました」
シルフィは、言った。
「……三年経って、気づいたら、引けるようになっていました」
レオンは、その話を、聞いていた。
「……なるほどな」
彼は、呟いた。
「体で、覚えさせるのか」
「……はい」
「よし」
レオンは、立ち上がった。
「明日から、やってみる」
十六
翌日。
レオンは、四人に、こう言った。
「今日から、説明しない」
「……は?」
「俺の後ろを、走れ」
彼は、言った。
「それだけだ」
四人は、困惑した。
しかし、レオンは、走り出した。
森の中を。
道なき道を。
四人は、慌てて、後を追った。
レオンは、走った。
木を避け。
石を跳び越え。
そして、時々、転んだ。
しかし、その転倒は、流れの中に、組み込まれていた。
転んで、転がって、そのまま起き上がって、また走る。
一切、止まらない。
四人は、必死に、追いかけた。
しかし、追いつけなかった。
一時間。
四人は、へとへとになった。
「……はあ……はあ……」
「くそ……速すぎる……」
レオンは、戻ってきた。
そして、笑った。
「疲れたか」
「……当たり前だ」
「じゃあ、明日も、やるぞ」
「……マジかよ」
四人は、呻いた。
しかし、その顔には、微かに、笑みがあった。
久しぶりに。
本気で、体を動かした。
その充実感が、あった。
十七
一週間後。
四人のうち、一人が、レオンに、追いつけるようになった。
二週間後。
三人が、追いつけるようになった。
三週間後。
四人全員が、レオンの後ろを、ぴったりとついて走れるようになった。
そして、そのとき。
一人が、レオンに、聞いた。
「なあ、レオン」
「ん?」
「あんた、なんで、転ぶんだ」
レオンは、走りながら、答えた。
「わからん」
「わからんのかよ」
「うん」
レオンは、笑った。
「でも、転んだ方が、速いんだ」
「……速い?」
「うん」
レオンは、続けた。
「立ってるより、転がった方が、速く前に進める。だから、俺、転ぶ」
男は、その言葉を、聞いて、考えた。
そして、次の日。
彼は、走りながら、転んでみた。
そして、転がった。
そのまま、起き上がった。
「……あ」
彼は、呟いた。
「……速い」
その瞬間。
彼は、レオンの技術の、本質に、触れた。
説明では、絶対に、伝わらなかったもの。
体で、触れた。
十八
一か月が、過ぎた。
四月。
村は、変わり始めていた。
道が、整備された。
水路が、直った。
畑が、耕された。
橋が、直った。
そして、何より。
村人たちの、顔が、変わった。
「ありがとうねえ」
老婆が、ジャンに、言った。
「うちの屋根、直してくれて」
「……いや」
ジャンは、俯いた。
「……当然のことだ」
「お茶でも、飲んでいきな」
「……いや、いい」
「まあまあ、そう言わずに」
老婆は、笑った。
ジャンは、その笑顔を、見た。
そして、心の中で、思った。
俺は、この村を、襲うつもりだった。
三か月前。
盗賊だった頃。
この村は、標的の候補だった。
小さくて、守りが薄くて、襲いやすい村。
そう思っていた。
「……」
ジャンの手が、震えた。
「どうしたね」
老婆が、聞いた。
「……いや」
ジャンは、答えた。
「……なんでもない」
彼は、老婆の家に、上がった。
そして、茶を、飲んだ。
温かい茶だった。
味は、薄かった。
貧しい村の、安い茶だ。
しかし、ジャンは、その茶を飲みながら、泣いていた。
なぜ泣いているのか、自分でも、わからなかった。
十九
四月の終わり。
大賢者は、十六人を、集めた。
「一か月が、経った」
彼は、言った。
「君たちは、教える立場を、経験した」
「はい」
「では、聞こう」
大賢者は、言った。
「君たちは、何を、学んだ」
十六人は、考えた。
そして、レオンが、最初に、答えた。
「……俺、自分の技術のこと、何も知りませんでした」
「ほう」
「説明しようとして、初めて、わかりました」
レオンは、続けた。
「俺、転んでるんじゃなくて、転がってたんです」
「……」
「立ってるより、転がった方が、速い。だから、俺の体は、勝手に転がってた」
レオンは、言った。
「それ、今まで、気づいてませんでした」
大賢者は、頷いた。
「よろしい」
次に、ガルドが、答えた。
「俺は、逆でした」
「逆?」
「俺、自分より、あいつらの方が、上手くなると思った」
ガルドは、続けた。
「あいつら、体力があるから。俺の技術を使えば、俺より強くなれる」
「悔しいか」
「……いや」
ガルドは、首を振った。
「嬉しいです」
彼は、笑った。
「俺の技術が、俺より先に、行くんですよ。それ、すごくないですか」
大賢者は、微かに、笑った。
「それが、教える者の喜びだ」
そして、エマが、答えた。
「……私は」
彼女は、小さく言った。
「……人を、治しました」
「……」
「……三年間、痛みを抱えていた人の、原因を、見つけました」
エマの目に、涙が浮かんでいた。
「……私、血が怖くて。……医者になれないと思ってました」
「……」
「……でも、血を見なくても、治せました」
大賢者は、深く、頷いた。
「エマ」
「……はい」
「君は、もう、医者だ」
エマは、その言葉を聞いて、泣いた。
二十
そして、最後に。
バルドが、手を上げた。
「あの、先生」
「なんだ」
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
バルドは、少し、迷ってから、聞いた。
「……先生は、最初から、こうなること、わかってましたか」
「こう、とは」
「……あの人たちが、来ることです」
バルドは、続けた。
「……僕たちが、殺さずに勝ったから、あの人たちは、来ました」
「……」
「……もし、殺していたら。……あの人たちは、復讐に来たと思います」
「……」
「先生は、それを、わかってて」
バルドは、聞いた。
「……僕に、決めさせたんですか」
大賢者は、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「半分は、そうだ」
「……半分?」
「私は、殺さない方が良いと、思っていた」
大賢者は、言った。
「しかし、君が『殺す』と決めても、私は、止めなかった」
「……なぜ」
「それが、君の答えだからだ」
大賢者は、続けた。
「指揮官の決断は、指揮官のものだ。私が奪ってはならない」
「……」
「そして」
大賢者は、言った。
「もし君が殺すと決めていたら、私は、その後の君を、支えるつもりだった」
バルドは、その言葉に、震えた。
「……支える?」
「そうだ」
大賢者は、答えた。
「人を殺した者は、必ず、壊れる。だから、支える者が、必要だ」
大賢者は、バルドを、見つめた。
「私は、君が何を選んでも、君の味方だった」
バルドの目から、涙が、こぼれた。
そして、彼は、初めて、理解した。
大賢者は、自分たちに、正解を求めていない。
ただ、自分たちが選んだものを、支えようとしている。
それだけなのだと。
二十一
その夜。
塾の屋上。
大賢者は、一人で、立っていた。
眼下には、村が広がっていた。
灯りが、いくつも、点いている。
一か月前より、多い。
修理された家に、人が住み始めたからだ。
「……先生」
背後から、声がした。
トムだった。
「また、君か」
大賢者は、笑った。
「君は、よく、ここに来るな」
「すみません」
トムは、隣に立った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「先生は、あの三十四人を、弟子にする気、ありますか」
大賢者は、しばらく、黙っていた。
そして、答えた。
「ない」
「……え?」
トムは、驚いた。
「じゃあ、一年後も」
「断る」
大賢者は、答えた。
「なぜですか」
「彼らには、私は必要ないからだ」
大賢者は、続けた。
「彼らに必要なのは、私ではない」
「……じゃあ、誰が」
大賢者は、村を、指差した。
そこには。
畑で、まだ働いている、元盗賊たちの姿があった。
そして、その隣で、一緒に働く、村人たちの姿があった。
「彼らに必要なのは、居場所だ」
大賢者は、言った。
「そして、それは、もう、手に入りつつある」
トムは、その光景を、見つめた。
元盗賊と、村人。
一か月前なら、敵だった者たち。
それが、今、隣で、一緒に、鍬を振るっている。
「……先生」
「なんだ」
「先生は、最初から、これを狙ってたんですか」
大賢者は、微かに、笑った。
「まさか」
彼は、答えた。
「私は、ただ、断っただけだ」
「……」
「その後、何が起きるかは、彼らが決めることだ」
大賢者は、続けた。
「私は、種を蒔かない。ただ、土を耕すだけだ」
トムは、その言葉を、深く、噛みしめた。
そして、思った。
この人は、本当に、教育者なのだ、と。
二十二
五月。
村に、一人の男が、訪ねてきた。
立派な馬に乗り、上等な服を着ている。
明らかに、この村の人間ではない。
「大賢者殿は、おられるか」
男は、言った。
「王都から、参った」
十六人は、緊張した。
王都から。
前回の依頼も、王都からだった。
大賢者が、出てきた。
「何用か」
「王命でございます」
男は、馬から降り、跪いた。
そして、一通の書状を、差し出した。
大賢者は、それを、受け取った。
そして、読んだ。
その顔から、表情が、消えた。
「……先生?」
レオンが、聞いた。
「どうしたんですか」
大賢者は、答えなかった。
ただ、書状を、握りしめていた。
そして、しばらくして、言った。
「……北の、辺境だ」
「……北?」
「ホルム砦」
大賢者は、言った。
「三日前、陥落した」
十六人は、息を呑んだ。
「陥落って……」
ミアが、呟いた。
「……誰に、ですか」
大賢者は、書状を、下ろした。
そして、答えた。
「ゲルニア公国」
その名前に、村の方から、動きが、あった。
畑で働いていた、元盗賊たちが。
一斉に、顔を上げた。
三年前。
彼らが、戦った相手。
その名前だった。
第12話終了。




