第9話 起奇怪回
前世には数多くの神様がいた。
これは信じられたということではない。
実際にいたのだ。
太陽や月のように見上げた神様。
運命や勇気のように念じた神様。
空や海、大地のように在った神様。
神様たちは、直接姿を見せることはなくても、その存在を示すことは常にあった。
それが神官様である。
リアリーの魂が黄金色に輝いてたように、魔族であっても人族であっても、魂の器が神に近しい者というのは存在する。
神々はその自分に近しい、自分に等しい存在に声をかけ、自覚を与え、神の力を奇跡として人々の前に示した。
リアリーも、何かきっかけがあれば神様から声がかかり、神官として目覚めたのではないか、と言われていた。
神官様は尊ぶ神様によって行いが変わるが、概ね神の力を宿すに値する人格者であることが多い。
咽かえるような息苦しい山中であっても、慰安のためにやってくることがあった。
だから俺は、神の奇跡を目の当たりにする機会が多かった。
一瞬で痛みもなく傷口が塞がる。
頭の中にできた手の施しようのない病がたちどころに消える。
肺をやられていた皆が咳をしなくなる。
病んだ心を立ち直らせる、神々しい振る舞い。
神はいる。
神官様を通じて、神様は手を差し伸べてくださっているのだと、心底理解できた。
そんな俺ですら、愛の告げた推察を突拍子のないもののように感じたのだから、葵はより一層おかしく感じたに違いない。
しかし葵は――笑おうとしていた。
その口は――何を言ってるの? 愛ちゃん、と言おうと、開いて固まっていた。
それはまるで、莫迦にできない事実を思い出したような、一笑にできない勘が働いたかのような硬直だった。
笑おうとした頬の歪みを矯正して、一笑しようとした口を閉じる。
そんな葵の様子を愛が見逃すはずはない。
「葵。何か知ってそうね? ……葵が知ってて私が知らないことなら、すこし見当がつくのよ。分かってるわね」
愛の言葉に葵も、何を言われているのかわかったようでこくこくと頷いている。
「ハジメ。私たちは大抵同じ家族の行事を過ごしてるわよね。でもそれは大抵。完全に同じじゃない。私と葵が経験したことでも、ハジメはしてないし、ハジメがしたことでも、私たちがしてないことはある。当たり前だけどね? ……でも当たり前だから忘れそうになるのよ。当たり前すぎて」
「そりゃ……当然だものな。でもそうか。確かに。なんでも一緒だったから、何でも共有できてると思ってた」
「私もそうよ。でも、ハジメの元服とか、私たちお祝いしかしてないわよ。高町の家でちゃんと式したんでしょ?」
「ああ。そうだ。……そうだったな。式なんて立派なものじゃなかったから、そんな意識抜けてた。元服式が終わってから、愛と葵に祝ってもらったんだったな」
「そうよ。だから私と葵は 『高町の家の元服式』 に関しては何も知らないのよ。こういう何も知らないことを挙げ並べれば、届くわ。なんで、お父さんたちがそうしなきゃいけなかったか、その背景に」
「……神様や土地が関わる話だから、ってことだな?」
「そう。家の歴史や土地の歴史が関わる話じゃなきゃ、私たちを愛してくれてるお父さんたちが、私たちの意思に反することを無理やり行うなんてありえないもの。それをね、今私たちに話してないってことは、話したら私たちが関わるから敢えて話してないのよ」
三神の家と高町の家。
それぞれ古い家だとは思っていた。
言われてみれば元服式なんて、する家を他にきいたことがない。
俺は自分ではこの違和感に気が付けないと理解した。
前世での経験があるせいで、だいたいのことに納得してしまっているからだ。
愛が言った神様への贄や神饌と言うものだって、理解できてしまう。
この時代に生きる人々にとって、そんなものは本当に隔絶した人里離れた因習残る村にあるかもしれないような、古臭い話でしかない。
だが、俺には分かる。
神様はときに贄を求めるものだ。
神様が贄を求めないなら、どうして不平等で無慈悲なことが世にあるのか。
「葵が、ピンときたのは――髪結いの時でしょ。あの時だけ、私と葵は別々に祝い事してたもの」
「髪結い?」
「――生理が初めて来た時に、私たちも元服みたいな、ことしたの」
葵が、足の位置を変えながら、おずおずと切りだした。
そうか俺は男だから年齢をみて元服を行ったが、葵たちは身体の変化でそれを祝ったのだ。
「その時、私の方には特に変なことはなかったわ。一番変なことは、葵と一緒じゃなかったことね。今思えば」
「うん。今思えばだけど――なんで愛ちゃんと一緒じゃないのか、ちょっと不安だったもん」
「で? 葵。どこで、何をしてたの? 神様ってきいて、思い当たる節が、あるんでしょ?」
「うん。あるんだけど……その、分からないの」
「わからない? どういうこと?」
「私、あの日、愛ちゃんが家を使うから私は別のところでするんだって、おばあちゃんに連れられて――」
「ちょ、ちょっと、待ちなさい」
なんで止めたのか俺にもすぐにわかった。
「おばあちゃん? 葵、おばあちゃんに会ったことがあるの?」
「え? え? あるでしょ? おばあちゃんだよ?」
「……いや、え? 私、ない、けど……?」
双子の恋人が、決定的に食い違った。
それもそのはずだ。
俺も知っている。
三神の家も高町の家も、親族は他に誰もいないのだから。
愛が驚いたのも無理はない。
縁を切ったか、死んだのだと教えられていたのだから
俺もおばあちゃんという存在を意識したことは一度もないのだ。
そんな俺と愛の反応に葵は本当に驚いた顔で、問いただしてきた。
「え、そんなことないよ。愛ちゃんがいるときにもおばあちゃんいたことある」
「うそ。や、嘘じゃないのね? え、でも、見たことないのよ」
「ハジメちゃんもあったことあるよ? おばあちゃんに。あるでしょ?」
「なに? 俺が? いつだ?」
「ええ? 十歳の誕生日の時とか……? うん。お祝いに来てくれてたよ? ほら、三人でふーしたとき」
三人でふーした時というのは、誕生日の祝いを三人同時にした際に消したケーキの蝋燭の事だ。
誕生日が数日しか違わないので、祝いを三人でしているのだが――。
「――いなかったわよっ。あの時どこにいたって言うのよ」
愛が膝に抱いた猫を胸元まで持ち上げて抱え込んだ。
ぎゅっと抱き潰された猫がするりと逃げ出して、葵の傍に寄った。
葵はそれを抱き上げて、怯えるように、そして確かに見たのだと信じてほしい目をした。
「二人の後ろにいたよ? おめでとうって」
俺と愛が咄嗟に振り返らなかったのは、俺たちが猫カフェの壁に、背中を預けていたからだ。
そこには壁しかないと分かっているから振り返らなかった。
葵が嘘をつく理由がないのだから、葵は確かにそれをみたし、それと一緒に髪結いの行事をこなしたのだ。
「――なかなかホラーになってきたじゃない」
愛は俺をみて小さく笑った。
その目は確かに恐怖の色を覗かせていたが、それでも一歩近づいたという確信がその頬に笑みを浮かべさせていた。
「さっき見た映画よりよっぽどいいわ。葵、メモしておきなさい。作家になるとき役に立つかもしれないわよ」
「え、え、うん。……信じてくれる?」
「勿論よ。ねぇ、ハジメ」
「勿論だ。……おばあちゃんか」
魂は可視化できる。
例えリアリーのような特別なものでなくてもだ。
霊視という霊術があることを俺は知ってはいる。
それは魔力感知とは別のものであり、霊力をその瞳に集めることで可能になる。
つまり感覚魔術で魔力感知を扱ってる俺にはどうやってもそれは出来ないのだが、もしかすれば葵はそれができるのかもしれない。
この現世は、魔力は薄いが霊力はある。
感覚魔術ならぬ、感覚霊術を、自然と扱える人間がいてもおかしくはない。
葵が見たのは、そんなおばあちゃんにみえる魂の可視化だったのでは――。
「幽霊とかじゃないな。葵は、そのおばあちゃんと一緒に髪結いの行事をしたんだったな」
「うん。確かにおばあちゃんと一緒だったんだけど……うん。先にそっちの説明をするね? 私がどこで何をしてたのか説明できないのを」
――ちょっと怖くなってきたから二人の間にいれて。
と葵が猫を抱えて俺と愛の間に入ってくる。
懐かしい気持ちになった。
こうして葵を間に入れるのは小学生以来である。
中学生になった頃には一人だけ下の子のように扱われるのが不服になった葵は、俺を愛と挟むのが基本だった。
「愛ちゃんが家でするから私は別でって言われた時、私、家を出たらすぐ目隠ししてたの」
「目隠し?」
「うん。移動中ずっと、でね? それを取っていいのは、終わってからだって言われてたの。だから何も見てないから、説明できなくて……」
「それでもおばあちゃんと一緒だった、ってことは声がした?」
「うん。おばあちゃんの声がして、指示をくれたの。そこに座って動いちゃいけませんって」
「それは座ったの? どこかに」
「うん。木の床だった。フローリングとかじゃなかったと思う。……そうだ。履物を脱がずに入ったの覚えてる。で、三段ある階段……を上がってそこで座ってただ待ってたの。見えてないから怖くてよく覚えてる」
「……帰りはどうしたの?」
「帰りも同じ、見えないけどゆっくり来た道を戻って、歩いて帰って……気が付いた時に目隠しが取れてたの。あ、そうだ。そこでハジメちゃんにあったよ」
「俺に?」
「うん。ハジメちゃんの家の真正面にでたんじゃなかったけ? そこでハジメちゃんが私を見つけて、すんごく褒めてくれたあの日だよ。そうだ。あの日だ。褒められたことだけ覚えてて、あの日だってこと忘れてた」
思い出した。
その記憶は俺にもあった。
小学校を卒業し、中学の入学式を前にした頃だったはずだ。
山に続くだけの道から葵が一人で歩いてきたのだ。
その時はただただ葵が美しくてそれを褒めていた。
「あの時、葵がすんごく綺麗で……葵の手を引いて家に連れて、一緒に写真撮ったんだよな」
「そうそう。あの写真って――」
「ある。あるはずだ。ちょっと待ってろ」
「あるの?」
「ああ。……隠すことじゃないから言うが、俺のスマホには愛と葵の可愛らしい写真がいっぱいでなぁ」
「それは隠しておきなさい。恥ずかしくなるから」
スマホを小学四年生から扱うようになって以来、俺は愛と葵を激写し続けている。
もちろんデータはパソコンにも映してあるし写真という現物に変えてもいる。
だが、本当にお気に入りのものはいつでも眺められるようにスマホに常に入れてある。あの時見惚れた葵の写真も必ずあるのだ。
そして、その写真は、あった。
「……これ、は」
「な、なに? その反応?」
「ええ……なにか、怖いの映ってたりする?」
先にその写真を見つけた俺の手が止まったのをみて、愛と葵が不安な声をあげる。
俺はそれに首を横に振る。
怖いものは何も映ってはいない。
映っていたものは、美しい人の、美しい姿だけ。
「怖くはない。見てくれ」
「あれ、これって――」
「え、この時ってこんな格好してたの?」
葵の手にスマホを握らせて三人で見ろした画面には、スマホを構えた俺に向かって微笑んでいたかつての葵の様子がしっかりと切り取られている。
微笑んで照れた笑みを浮かべている――白無垢姿の葵がいた。
それは紛れもなく、誰がどう見ても、花嫁衣裳だった。




