第10話 血のように溢れ断たれるモノ 前
「いきなり電話をいただき驚きですが。そういう理由でしたか『だんるけ』先生」
「先生はよしてくださいよ。忍さん。高校生ですよ? 僕」
「あはは。先生は先生ですから。売上いいですよ? 二巻も」
恋人たちとのデートを終え帰宅した俺は、家の様子をみて、即座に助けを求める電話をかけていた。
「協力は惜しみません。先生の危惧が正しいなら――あー、この場合は先生の婚約者の推察が正しいなら、ですね。それが正しいなら、最悪の場合、私は未来の売れっ子作家を失うかもしれませんからね」
「ありがとうございます。……ことが因習に関わるとなると、家の周辺の友人知人には警戒が必要になってしまいます」
「それで即座に私にご連絡していただけるのは、本当にありがたいですね。普通担当編集にこんな連絡、しませんよ?」
「忍さん、このインターネットでなんでも調べられる時代でも現地に足を運ぶ方ですし、興味持ってくれると思ったんです。現にそうでしょう?」
「あはは。確かに。そもそもが先生との出会いも現地調査でそちらに出向いた時がファーストでしたからね」
スマホのむこうで俺の担当編集である神村忍が楽し気に笑っている。
流石はこの現代においてもオカルトや呪いを真剣に信じている優れた感性を持った人だ。
知りうる限りの前提条件と愛の推察を箇条書きのように伝えるだけで、どうして俺が両親から隠れて電話しているのか、どうして自分に電話してきたのかを完全に納得してくれたようだ。
「先に伝えておきますが、こうして外に連絡を取った、ということが人外に漏れているとお考え下さい。先生」
「……人外ですか」
「ええ。先生のご両親の目は誤魔化せても、危惧が正しいなら、大元を解決しない限り先生の行動は筒抜けと思ってもらえれば。というかそうであるべきです。相手は人外ですよ? 今も先生の真正面に堂々と立っていると思うべきです」
俺は固まった。現在俺がいるのは高町の家の古い風呂場だった。
元々の古い屋敷にリフォームによって洋館を継ぎ足した高町の家には普段使っていない古い部屋がいくつかあった。
この風呂場は俺もかくれんぼで隠れる以外使ったことがないものだ。
忍さんに言われてしまえば急に怖くなる。
目の前には見えないゴーストの類が既にいるのではないか――。
「いや、目の前にはいませんね」
だが、魔力感知しても一切の反応はない。
無論魔力を全く持たないゴーストの類もいるだろうが、その程度であれば人に害を与える力はないはずだ。
「さーっすが先生。ひひ。いいなー。私もお傍にいたい。今の先生、きっと何かなさってるでしょう?」
忍さんの声が探していたアンティークをついに見つけた時のように喜色で跳ね上がっている。
あの聡明でお淑やかな美人の顔が、狂信者のような歪み、あるいはマッドサイエンティストのような昂りで狂っていると思うと、残念な気持ちになる。
何が残念って、頭の良さは何も変わっていないところだ。
「ハー……内緒です。いいません」
「ひひっ。それ、言ってるようなものですよ?」
「あーもうっ……俺が無事に愛たちと結婚して、過ごせるめどがたったら、教えますんで。それでお願いします」
「ひゃっほーい! ええ、ええ、もちろんですよ。せんせーい! ありがとうございます」
がりがりと頭を掻いてしまう。
どうやら電話越しでもこの人には頭が上がりそうにない。
忍さんとは『リアリーの英雄』が書籍化する前からの付き合いであり、この街にやってきた忍さんの案内人のバイトに雇われたのが俺だった。
恐ろしいことにこの忍さんは、僅か三日の付き合いだったというのに俺が前世、あるいはそれに類する記憶を持っていること、そして、異能を扱えるということを看破していた。
流石にその前世が異世界で、異能の正体が感覚魔術の類だということまでは完全把握されていないが、本当にたいした人である。
「追加の約束も取り付けられましたし、手早く対処を始めましょう。先生。先生の目に見えずとも、要ると判断すべきというのは理解くださいますね? そっちのほうがケア範囲が広いですし、そっちでどうにかなる余裕があると思った方が健全です」
「……言いたいことはわかりました」
この場に、愛も呼ぶべきだったかもしれない。
愛と忍さんが話をつきあわせれば解決まですぐだったかもしれない。
俺は忍さんの言ってる意味が分かるが、完全には理解できていない自覚もあった。
「あと、スマホが使えなくなったら猶予がないと判断してください。どこかで必ず使えなくなります」
「な、なんでそんなことがわかるんですか?」
「え? やだなー先生、尋常ならざる怪異が相手なら、晒した文明の利器はすべて使えなくなるはずですよ。定番じゃないですか」
俺は反論しようとして、自信がなくて黙った。
魔術も霊術も、このスマートフォンを無効化出来るものではないのではないか?
そんな気持ちがあるが、俺は魔術師でもなければ霊術師でもない。
前世でそう名乗れるほどの腕を持った存在なら、スマホを無効化する術がいくらでもあるのかもしれない。
――理屈の付け方だもの。
愛のかつての声を思い出した。
あの時、愛は断片的な情報から事実を全て言い当てて見せた。
アレは忍さんのいう定番を積み重ねた結果というわけではなかろうか。
「私が怪異なら、やると成ればスマホを封じて外部への連絡を絶ち、一気にですね。先生若いから、スマホないと結構不自由するでしょう? 公衆電話とか使ったことあります?」
「ないですね。……最近じゃこのあたりでもほとんどみないですよ。そもそも」
「そうですよねぇ。むしろ都会の方がある気がします。で、です。そんな追い込まれた時の話を先にします。なぜならいつだって相手に襲われるかもしれないからですね。んー、襲う側にイニシアティブがありすぎます。例えるなら、将棋で連続で行動される気分です。つまりどういうことかわかります?」
「それは流石にわかります。一枚でも駒取られたら負けということ――」
「ええ。なので詰んでます。まともに将棋をやったら負けです」
忍さんの詰んでいる、の意味が分かる。
「両親の事、ですよね」
「ええ。はい。既にとられた駒と思ってください。もしかしたら相手の持ち駒はその街の住人のほとんどかも」
「あの様子を見れば、俺もそう思います」
「結婚の意思を固めたと伝えた翌日には祝言の支度ですものね。その性急さ、両家のご両親の意思ではないでしょう」
誰も見ていないというのに深く頷いてしまう。
デートから帰った俺たちを待っていたのは、祝言をあげるといって家の中を整えて待っていた、高町と三神の父母四人の姿だった。
明らかに異様な気配を感じて、愛と葵が困惑した中、俺は魔力感知で眺めた。
父母たちは太くて黒い魔力と繋がっていた。
魔力共有という前世において人族を代表する魔術がある。
それは対象者の魔力を繋げてしまい、一人の存在が管理する魔術だ。
そうすることで一人魔術師がいれば、全員にその恩恵が平等に与えられる。
戦場においては軍師と呼ばれ、腕利きの魔術師は国の軍師、都市の軍師を目指すものである。
現世における魔力共有に見えるものが何を指しているのかはわからないが、その意図は俺にもわかった。
あの共有された魔力の血管の如き経路の先にある存在が、父母たちを操っているのだ。
「状況は不利、なのでまずは損切りの話です」
「損切、ですか」
「ええ。愛さんの推察は私も正しいと思います。なぜかはわかりませんが、先生が結婚の相手に選ばなかった方を贄に、犠牲にという言い方にしましょうか、犠牲にする必要が――あー、強制力があるのでしょう。なので、簡単なことを言えばです。このまま何もしなければ、片方は救えるというわけです。片方には、先生が選んだ側には、何も害がないはずだからです。これを損切にしますか?」
――なにをばかばかしいことを。
「はい。しませんよね? 今回の損切はズバリ。先生が死んで、婚約者のお二人が助かる。ですよね?」
「――まだ、何も返事してなかったはずでけど、そうです」
「ひひ、先生。先生のお気持ちくらい担当編集であるこの神村忍は、お・み・と・お・し、ですよ」
本当にすごい人だ。
おそらく一生頭が上がらない相手に違いない。
「ですが、先生。この損切、すこーしかえてください。具体的には、先生と婚約者のお二人、合わせて三人。この三人以外はどうなってもかまわない。絶対にお三方は助けるということを死守ラインとしたんですよ。どうです?」
「……お父さんと、お母さんは諦めろと?」
「いいえ。最悪斬りなさいと言ってます。それはですね。私や婚約者のお二人への報酬と思ってください」
「忍さんや、愛と葵の報酬……」
「はい。私は先生がいなくなれば売れっ子候補がいなくなり、異能に触れる機会を失いますから。私個人としては先生だけ助かってくれれば一番です。婚約者のお二人のお気持ちなんて私が言わなくてもいいでしょう? 先生に生きててほしいのが一番の願いのはずですからね」
「それは、確かに……そう、ですが」
「見捨てろ、というわけではありません。ですが、いざとなった時に、身一つになっても三人いればいという覚悟を決めておいてください。……と、言えば、もうお持ちなのでは?」
「……どうしてそう思ったんです?」
「先生は無責任じゃないからです。この日本で複数の妻を持つなんて堂々と胸張るヤバイ男ですが、それに見合った責任感を持ってます。婚約者のお二人のためなら何でもできるはずです。そうじゃないなら婚約しないはずです」
「……ほんと、愛もそうですけど、忍さんも、自分で小説書けばいいんじゃないですか? 俺なんかよりずっと売れっ子になれますよ?」
「やー、私は未解決のミステリしか書ける気がしない女ですからね。ダメです。やはり最後はすっぱり解決してみせないと」
「なんですかそれ。……わかりました。その覚悟ならもう出来てます。……その死守ラインでいきますので、もし三人だけになったら増版してくださいよ。リアリー」
「ああー、それは売れ行き次第の厳しい世界なので! あはは」
オカルトマニアの神村忍から、がけっぷち編集者へと一瞬で立場を変えて笑う忍さんに、つられて笑ってしまう。
やはり、この人に電話して間違いはなかった。
猫カフェをでた帰り道。
三人で山を作りながら歩く中で話した二人との――愛との相談では、葵がおばあちゃんの声に導かれて三段登り座ったという場所を、探索しようということになっていた。
「そこには問題の源泉があると思うの。もし呪いだとか霊的な話で、それがお父さんたちに強制力を持っているなら、覚悟を決めましょ。家を出る覚悟を」
三人の中で誰よりも現実的に未来をどう生きるかを考えていた愛がそう言った。
もし自分たちでは取り除けないものが原因で、意思を捻じ曲げられる可能性があるなら。
その時は家を出るのだと愛は俺たちを促し、俺と葵はそれに頷いた。
俺が不安を感じたように、葵も案だったはずだ。
だが、頷くのに躊躇いはなかった。二人とも同じタイミングですぐに愛に頷いた。
愛の勇気に奮い立ったのだ。
「でも、そこに問題があるなら、私たちがすたこら行ったって、それこそ神隠しなんてことになりかねない。……これ、私も自信はないんだけど、葵に声をかけてくれたおばあちゃんが、こっちの味方だとしたら、助けてくれてたんじゃないかなって思うのよ」
「おばあちゃんが……?」
「そう。……強制力が何かはわからないけど、ソレは私たちの片方がいればいいのよ。葵、あんた……神隠しにあいかけたのかもしれないわ。花嫁衣装も、山の神様への贄、なんて意味があったりするのかもしれない」
愛の推察は、推理ではない。
だが、推理では解けない不確かなものにいきつける。
それを俺も葵もよく知っている。だから震えが奔って、歩みを止めた。
まだ家は見えない。
まだ家の前の山へ続く道は見えない。
あの時山から下りてきた葵は――本当は戻ってこれなかったってことなのか?
「現にね、葵はそれ以降、おばあちゃんを見ても聞いてもいないんでしょ? そして今でもソレは強制力を持ってる。髪結い以降、おばあちゃんはずっと葵を守ってきて、もういないんじゃないかしら。それにお父さんたちも気づいてる。多分だけど、十五歳の時にも、私たちが気付いてないだけで神隠しや贄みたいなものがあったんだと思うの」
「あの頃は受験勉強ばかりで何もなかったはず――」
「あったでしょ。葵だけ一人で勉強する時間」
葵が『リアリーの英雄』に夢中になって創作活動に熱中していた中学三年生のあの頃、確かに、あの葵だけ切り離された勉強時間は、俺と愛が関われなかった時間だった。
「え、でも、アレは私が勉強してただけでなにもなかったよ?」
「結果的にはそう私たちには見えただけだと思う。だって、私たちの中で葵だけが対象になる出来事、他にあった?」
「……俺の元服とかはどうだ?」
「話が違うわよ。ハジメ。ハジメは必須。ハジメに危害はない。私か葵のどっちかなのよ。……猫カフェで話したときに私が真っ先に髪結いを思い出した通りでね、あれ以外私が葵と全く関わらない話はなかったのよ。そうよね。葵」
「……うん。だと、思う」
何をするにも一緒だった双子の恋人は互いにそれしか思い当たる節がない様子で。
その二人がお互いに関わらなかった際に何か異変があったとすれば、確かに十五歳の時になるのだろう。
「待てよ。じゃあ、お父さんたちが高校生になってからやけに俺たちをくっつけようとしてたのは……」
「葵を守ってくれてたおばあちゃんが、十五歳の時に消えたから」
愛が俺の腕から手を外して、大事な妹の前に回って抱きしめた。
それは言葉にしないだけで宣言だった。
妹は姉が守るのだと。
「守ってくれる存在がいなくなってもう抑えが利かなくなったから、焦ったお父さんたちは私たちに結ばれてほしいとアピールしたのよ」
「でも、じゃあ、なんで、お父さんたちは何も言わないの……?」
「言わないんじゃなくて言えない。……強制力て表現してるけど、契約ともいえるのかも。それが今回の問題の大きなところなんでしょ。家が繋げてきた歴史の問題よ」
不安を隠せない葵を愛は幼稚園の頃のように撫でて、微笑んでいる。
自分だって一杯一杯なのに、精一杯の強がりで妹を安心させるための笑みだ。
懐かしいと、そう思った。
この愛を俺が守らねばと、愛の不安を俺が取り除いてやるのだと、そう幼い日に決意したのだ。
それが――俺の恋の始まりだった。
「お父さんたちは、それを私たちに言ってしまうと私たちを巻き込む、私たちも強制力に従ってしまうと思ってる。だから、話せない。少なくても私たちを守るために話してないのは間違いないわ。そこは安心なさい」
「うん……」
「よし。お姉ちゃんがいるわよ。葵」
頭を撫で、笑みを浮かべる愛のなんと可憐なことか。
その笑みの裏で今だって震えているのが、わかる。
怖いのがわかる。
愛が葵より怖がってるのがわかる。
自分が守ると一度でも誓った相手が、失われるかもしれない恐怖を、俺は骨身に染みているから、わかってしまう。
(リアリー……俺は、今度は、今度こそは、絶対に離さない。絶対にだ)
俺は自信を持って言える。
葵よりも、愛よりも――俺が一番恐れている。
二人を失うのが怖い。
それはもう二度と耐えられない痛みで俺の心を裂くと分かっている。
あの痛みは、あの恐怖は、二度うけて耐えられるものではないのだ。
「俺がいるぞ。――二人とも、俺が絶対に守る。俺に守らせてくれ。愛。葵」
二人の愛しい人を抱きしめて、伝わってくれと願う。
今こそ、勇者様の教えに従う時だと、魂が訴えた。
――勇気は誰でもいつでも、持てる。
前世で見つめることができなかった勇気を見つめていることが、どうか伝わってほしいと。
勇者様が示してくださった勇気が、愛しい人に安心を与えてくれることを願った。




