第8話 起を結ぶ瞳
『リアリーの英雄』の中には嘘もなければ想像もない。
だが、その時々で実際にあった予想はあった。
それはリアリーの魂はきっと神様や精霊が継がれてきたのだろう、という実際にあった周囲の話題のことだ。
きっと、そうであったに違いない。
きっと、そうに違いない。
きっと、こうだろう。
きっと、
きっと、
きっと、
きっと――。
それは著者である『だんるけ』こと高町一の願いだ。
――きっと、そうであってほしい。
そして、それは一人称視点で物語を描く名無しの主人公、鉱夫が望む真実だ。
――きっと、そうでなければならない。
鉱夫はリアリーが英雄に見初められ、幸福を得たと確信していたが、それが事実とは限らない。
他人の幸福をどうして他人が理解できよう。
想いを通じ合った相手がいる女が、その気持ちに蓋をして幸せに浸れたと、どうして思えよう。
鉱夫はそれに気が付かないほど、世の中や人付き合いに不慣れではなかった。
むしろ他人の顔色、感情の変化には敏感な男だった。
当然だ。鉱夫は魔族の奴隷として、その顔色を窺って命を取られなかった幼少期を過ごしたのだから。
本来、感情の機微に鈍い男ではないのである。
蓋をした想いに、笑顔という仮面で隠した本当の顔に、気が付ける男だった。
ソレに気が付かなかったのは、ソレを見なかったからである。
無意識に瞼を閉じて、見つめなかった。
見る資格がないと分かっていたのだ。
見てしまえば自分がどうしようもなく光を求めてしまうと分かっていた。
それを魂で理解していたからこそ、鉱夫は己の手を見つめた。
首。
白い首。
首。
美しい首。
首。
柔らかい首。
首。
愛しい首。
肉体から魂を絞り出すようにその手は毎日愛しい女の首を絞めた。
掠れでる言葉にならない空気の名残を追い出し、意識を奪って、愛しい女を死の手前まで追いやる。
そんな己の手を眺めて、ナガメテ、ナガメテ。
鉱夫は他を見つめることができなくなった。
何をしても、何を得ても、己の手を眺めた。
リアリーが英雄に囲われ、山をはなれた後も、その手は誰かの首を求めた。
それは女の白い首がよかった。
商売女を買っては首を絞めたので、問題客として相手にされなくなった。
それでも首を締めたかった。
だから、どうにでもなる相手の首を絞めた。
自分には無関係の、自分から何かされる謂れのない女を選んだ。
理不尽であれば理不尽であるほど、よかった。
一方的に自分が悪くなければならなかった。
見つめ続ける己の手が、罪深いものになればなるほど――納得できた。
こんな手を持つ俺が。
こんな手を見つめる俺が。
光を愛することなど、あってはならないのだと。
◇◆◇
観光地になれなかったのは温泉がなかったからだ。
同じような条件で、しかし栄える熱海との違いは温泉だと、この街に住む住人は口を揃える。
熱海には行ったことはないが、伝え聞く限り、山と海に挟まれ海鮮に恵まれるところは確かに同じだ。
むしろ平地が多い分熱海より優れてるのではないか、と思うとことがあるのは、間違いなく地元贔屓だ。
冷静に比べれば、熱海のほうが交通の便がいい。
なにせ東京に近いのだ。圧倒的利点だ。
そしていい温泉があるというだけで、もう完敗である。
温泉があれば……と嘆く地元のじいさんばあさんの気持ちはよくわかるものだ。
俺もいずれはそれを痛感するのかもしれない。
この街で生きていく覚悟なのだから。
寂れたとはギリギリ言えない……言いたくない映画館のトイレから出た俺は、入念に手を洗いハンカチで雫をふき取ってから、恋人たちの元に急いだ。
本日はデートだ。
恋人になってからの初デートである。
「おまたせ葵。愛は、まだ?」
「うん。ふふ。水ならいいんだからとか言って、飲み過ぎなんだもん」
晴れのデートだから気合をいれた葵は、上下を和洋折衷とも呼ぶべきモダンな装いに整えて微笑んでいる。和のテイストが強く袴をはいているのは、俺の好みに合わせてのことだ。
普段は七対三ほどの割合で愛に注意される側なので、飲み物を飲み過ぎてトイレが近くなった愛にたいして少し勝ち誇ってるようだ。
「カップルシートよかったなぁ。ハジメちゃん、また来ようね」
「もちろん。……でも、葵、映画ちゃんと見てたか? 俺が横むいたら絶対に目が合ったよな」
「内容は覚えてないよ。……断片的。ほとんどずっとはじめちゃんの顔みてた」
「こら。……作家になりたいんだろ? インプットってやつを大事にしなさい」
前日に急にたてたデートプランでは、流行でも何でもない映画のカップルシートになってしまったが、それでも俺は好きな映画だった。
だが、葵は映画よりも、一緒にいることが好きなのだと雰囲気で告げている。
「はーい。……でも、デートでそれは、やぼかも。私、もっとひっついてたい」
片腕を取るどころではない。葵が腕のなかに入るように全身を抱きつけてくる。
俺に腕で抱きしめてと言わんばかりのもので、そう求められれば断りはしない。
愛を懐に入れるように抱きかかえ、その頭の上に顎を乗せる。
寂れる手前とはいえ日曜の映画館だ。人は多い。なんだったら同級生や、先輩の顔まであったが、それにウインクで応えて気にしない。
俺はもう葵の恋人なのだから。見せつけるのも甲斐性なのだ。
「おまたせー。……じゃ、ないわね。ほら、片方あけてね?」
愛が途中から小走りで近寄って、そのまま俺の右側に回ると葵と同じように抱き着いてくる。愛の服は体のラインがよく映える服装だ。ぴったりと太ももを飲み込んでいる黒艶のタイツが美しい。
葵が俺の和を愛する好みを汲んだのに対して、愛は俺の惚れこむ愛を全面にだしている。流石愛だ。俺が愛に生足やミニスカはやめろと、清楚を要求する意味を理解している。おれは見えないが見えているものが好きなのである。
美人姉妹が一人の男に抱き着いていれば視線があつまる。
が、気にしない。
もとより片田舎である。
へんに隠せばへんな噂になるものだ。
なら、堂々と見せることが何よりである。
「愛。おかえり。葵が得意げにしてたぞ。トイレ長いって」
「いいじゃない。私は映画ちゃんとみてたんだから、結構喉乾いたのよ」
「私はハジメちゃんばっかりみてたから。それでいいの」
「葵? あんたは感想をほとんど言えないでしょ? 私はこの後の猫カフェでハジメと感想を言い合うのよ。ねー?」
「文芸部らしいな」
ここで恋人らしいな、と言っては葵の機嫌を損ねる。
俺は二人の恋人の頭をポンポンと叩いて、デートの続きを促した。抱き着かれたままでは次にいけない。
二人は左右の腕をそれぞれとって自分の方へ招き抱えている。
その指に嵌められた銀輪の輝きが、映画館の照明を映して黄金色に光っていた。
カフェでの告白への二人の返事は、一呼吸、間があった。
それは、なんで今? という驚きであり。
それは、結婚を前提にという重い言葉が、軽々しさを許さなかったからだ。
「――お母さんたち喜んでたわよ?」
愛が、膝の上に白黒模様の猫をのせて撫でながら、昨日の家での出来事を赤裸々に語ってくれた。
「とうとう! とうとうなのね! って、葵より年下に見えたわ」
「お母さん、若作りだからなぁ」
「うわ、若作りって言う? 実際高校生の母親にしては若いわよ。うちの母。四捨五入したら三十よ。すごくない?」
「いや、そ、そうだな。確かに。……うちの親もそうだし、比較してだよ」
「ハジメちゃんのお母さんは、若いんじゃなくて綺麗って感じだから」
葵がおいでーと猫じゃらしをふっているが猫たちはあくまでマイペースで、つれない態度だ。
カップル割りで調べたら引っかかった猫カフェにやってきて映画の感想を語った中、唯一ついていけないことにふてくされた葵のために切り替えた話題は昨夜の家の様子だった。
「高町もさ、母もそうだけど、お父さんがさ、結構な喜びで。なんか、流石に予想外だった。よく決心した、って珍しすぎる反応でさ」
「ハジメのお父さん、普段寡黙だものね。はじめと違って。……三神はね? お父さん、泣いてたのよ。それも、結構さめざめと」
「泣いてた? お父さんが?」
「びっくりだったよぉ。お父さん、あれだけ、「お父さんは葵がハジメくんのお嫁さんになるのを応援してるからな」って言ってたのに。なんか少し寂しそうな感じだったの」
「そうねぇ。びっくりしたわ。アレ。……お父さんとお母さんのことだから、ただひたすら大喜びする気がしたのに。なんであんなって」
それぞれの家の両親の反応は、予想よりも深かった。
喜ばれるのは当然ではあるのだが、ここまで深々とされるとは思ってなかった。
にゃー。
鳴いた猫の頭を撫でまわしながら、父の顔を思い浮かべた。
「お父さんのあの顔、あれは感謝まであったな。俺に感謝してるって顔だった」
「それね。こっちも同じだと思う。あれは感謝してた。……何の裏があるんだろ」
「……やっぱり、何か意味があるんだよね。お母さんたちが望んだのって」
愛と俺は当然と葵に頷いた。
元々感づいていたが、もはや確信がある。
親の反応は、俺たちが結ばれることで自分たちの望みが叶うことを意味していた。
それは子供達が想いあった相手と結ばれることを喜んでというものではない。
子供たちが自分たちの求めるものを叶えてくれた、という喜びだった。
「……私たちの家、まぁとくに三神は、だけど。結構このあたりの古い家じゃない。私たちにはそんな意識ないけど。家の立地はいいし、広いし、地主っていうか、なんて言ったらいいのかしら……ともかく、家の歴史はたしかにあるわけで、もしかしたら、古風だ古風だって言ってたこと、あながち間違いじゃないのかも」
「許嫁とか?」
「うん。ハジメの家と私たちの家、じつはちゃんと許嫁にしろとか決まってたんじゃないかしら」
「んー、つまりー……二人ともお嫁さんになりたいって、お父さんに言ったのが、まずかったとか?」
葵の言葉に、愛が猫を撫でる手を止めた。
「あーおーいー……それは内緒でしょ?」
「あー……でも、いいんじゃない? 昔の話だし、その、もう、約束したし?」
二人して恥ずかしがってる俺の恋人たちは説明してくれる。
小学生に上がる前、二人して俺と結婚したいと親に訴えたことがあるらしい。
好きな人はいるのかい? とお父さんに確認されて即答したそうだ。
姉妹喧嘩になった際に約束されたらしい、そうなるように応援するからね、と。
「しかし……それだけじゃないよなぁ」
「それはそうね。話も違うわ。お父さんたちは、親戚か、それとも遺言とか言い伝えとか、そのレベルの話で、私たちのどっちかと、ハジメを許嫁にしたかった。……や、違う。したかったんじゃない。させなきゃならなかった」
愛が周囲の様子を気にしなくなった。
猫を撫でる手が止まって、虚空を見つめるように集中している。
俺と葵はとっさに視線を合わせ、頷いた。
愛の想像力、推察力は俺と葵の比ではない。
こうなったら相談なんてしなくていい。愛の口から出た言葉が最も真実に近いと俺たちには分かったのだ。
「それは、歴史がそうさせたはず。無視できない家の積み重ねがそうさせたのよ。お父さんとお母さんだもの。無理やり許嫁にさせたくなかったに決まってる。……どっちか? どっちかってなに。片方はどうな――」
そこで愛は意識を取り戻したようにこちらを見た。
察しがついた、いや、可能性に気が付いたという色で。
「ねぇ。お父さんたちが泣くほど喜ぶのって、私たちのためになることよね?」
それに頷いた俺と葵を見つめながら。
「これは私の想像だから、絶対にお父さんたちに確認しないでほしいんだけど――」
それに頷いた俺を見つめながら。
「ハジメに選ばれなかった方に、不幸な縁組があったんだと思う。それは、神饌みたいな、神様への贄とか、そういう類かも。……だって、それがただの恩人とか人の都合なら、お父さんたちが無理やりするはずがない。土地とか神様とか、そんな圧力だと思う」
愛は神様のいないこの世界で、そんなことを言った。




