第7話 浮かぶべくして沈むモノ
薄くなった財布と膨らんだ荷物を抱えて、俺は帰路を早足に駆けていた。
心中を察してほしい。
愛を怒らせた品を確かめに行ったら、そこの新作を買ってきてしまったのである。
このままコレをただ見せれば何を考えているのかと大いに怒られるだろう。
しかも値段が高い。
母たちが三つの組み合わせでクラっとする程度の効果だったが、俺が買った魅了の魔術は五種類の組み合わせによるものだった。
つまり俺は五個も買ってしまったのだ。
――すこし大雑把でもいい匂いがしますよ。
などと言っていたので、魔術的効果が表れるのは稀だろう。
そんな再現性不確かな魔術を生み出すものに大金を使ってしまったのだ。
これでは愛の機嫌が落ち着いて、明日明後日とデートに出かけたとして、俺は大盤振る舞いできるのだろうか?
葵はそんな俺を気にしないだろう。なにせ俺が作家『だんるけ』とは知らない。同じお小遣いで生きている限りある財力の存在だと分かってくれている。
だが愛は俺が高校生に相応しくない財布の中身を持つことを知っているのだ。
そして俺がデートのたびにそれを躊躇いなく使うということも知っている。
急に財布の中身を気にしたら、何かに使ったということはすぐにばれる。
隠しきれる気がしない。
すぐにばれてしまいまた激怒される。
嫌だ。愛に怒られたくない。愛を不機嫌にさせたくない。笑顔でいてほしい。
「どうする……」
目の前には二つの分かれ道があった。
高町の家と、三神の家。
母に頼んで、小遣いをねだる。
愛に素直に話して怒られる。
どちらにするかだ。
他の道もあるのはわかっているが、俺が踏み出せそうな道はこの二つだ。
愛が平常運転なら、呆れられても怒りはしない。
そもそも俺が金を払うというと気にする側だ。
もしかしたらこの機会に、逆に奢ってくれるかもしれない。
母も気にしないだろう。気前よく小遣いをくれるはずだ。
しかし、どちらも必ず「何に使ったの?」と確認してくる。
コレにつかったんだよ! と見せられるものではない。
母からしたら意味が分からないだろうし、愛からすれば怒らせたいのかと思うに決まっている。
「つまりなんだ。俺は怒られるほうがいいのか……?」
下手に言い訳するよりは、店員の上手い口車に乗せられて買わされてしまったとした方がはるかにいいきがしてきた。
いやー、匂いを扱うだけあって接客も上手なお店だったよ。
母さんたちを責めれなないなぁ。
おそらくは心底呆れた目線の後に罵倒されるだろうが……きっとその後に笑ってくれると信じる。バカな男を見て笑ってほしい。
「これか。これだな。うん。よし。愛、俺を罵ってくれ」
「何一人でブツブツ言ってるの? キモイんだけど。……これでいいわけ?」
「うんそ――お、おおぉ⁉ あ、愛っ。おまえ、外に出てたんか?」
「なによ。その因習村の爺みたいな反応。……はじめ以外なら、この格好してれば葵で通じるもの。入れ替わりよ。葵が部屋にいる間に、葵のふりして部屋の外出てるわけ」
背後から呼びかけられて飛び上がった俺が振り向いた先にいたのは、葵の服を着ている愛だった。
「ああ。そういうこと……そうだ。じゃあ、少し外で話そうぜ」
「うん。コンビニ行ってきただけだからいいわよ」
「溶けるもの買ってないのか?」
「買い食いよ買い食い。あんたの嫌いな揚げ物をやけ食いしてきたわ」
「おいおい。美人に似合わないものだぞ?」
「だから一人の時しか食べてないでしょ? まったく。……じゃあ、似合いのものでも見繕ってもらおうかしら」
愛はそういって、珍しく俺の腕をとってそのまま抱きしめた。
その様子は自然なものではなかった。
どこか少し硬く、緊張を感じさせ、珍しさに見合った不慣れさがあった。
それはあえて意図した目的があってそうしたのだと伝えてくる。
「愛?」
「さ、葵に見つからなうちにデートにいきましょ。エスコートはいつでもしてくれるでしょ?」
財布の中身は薄いが、愛一人分なら問題ない。
俺は話をするのに最適な簡易デートプランを早急に練った。
◇◆◇
本来のデートの予定であれば、海成にでて三人で過ごす予定だった。
しかし、今は二人だ。そして二人ともデートに相応しい装いではない。
愛なんて葵の普段着である。これで力を入れたデートなどしても愛としても締まらない気持ちになるだろう。
「だから、ここ? ブックカフェを選んだわけ?」
「ああ。……すこし愛を怒らせてしまいそうだったから、そのぉ、静かに過ごせる場所のほうが落ち着いて話せる、という意図もある」
「先に言ったわね。予防線張ってんじゃないわよ。……はぁ、ハジメに怒ったのはふてくされてただけだから、もう怒らないわよ? 葵とも普通に話してるし」
服だって貸してもらったんだから、と葵や俺にもう怒ってないと告げる愛の対面の席に俺は座った。
ここは海成に降りる間際にある図書館の横に並んだカフェである。
このカフェには図書館で借りた本だけ持ち込みが許されるというルールがある上に、スマホをひらいてダラダラしていれば怒られる。
図書館で本を借りてね、というカフェだ。図書館でアニメや映画を見ている子供を待つ親が利用したりもする。
俺たちも幼い頃から何度も利用しているが、カフェを親なしで利用するようになったのは俺が作家になってからである。
「それで? 先に聞いておこうかしら。何をしたの?」
注文した飲み物が届く前に愛がさっそく確認してくる。
昔からそうなのだ。愛は苦手な食べ物は先に食べてから、好きなものを最後に残す。これは葵とは真逆なところだ。
「……怒らないでくれよ?」
「怒らないわよ。……いや、程度によるけど、ハジメがそんなに怒ることすると思ってないわよ」
「母さんたちが、買ってきた香料の店で、俺も買ってきたって言ったら? しかも母さんたちよりお金使ったって言ったら?」
「バカじゃないの? アンタねぇ――」
愛の瞼がカッと開かれて明らかな怒りの色を瞳に映していた。
が、怒らないと言った手前、そして静かなカフェの空気が、その怒りをそれ以上表に出させなかったようだ。
一呼吸、深い深呼吸をしている。
頼んだアイスカフェラテが二つ俺たちの前に並んだ時には、店員さんににこやかに対応する穏やかさを取り戻していた。
「あんたね。何買ってるのよ? ……あんなのに頼らなくなって、私たち、その、いい仲? でしょ?」
――ん?
なんだか怒りの方向性が違う気がした。
「別にね。私は、するのがいやとか、そういうのじゃないから。ちゃんと決めて、準備してね? そうしてする分には、け、健全じゃない? お母さんたちのいう大昔なら結婚してからとかだろうけど――」
声を落としつつ、早口で。そして指先をカップに無駄に這わして。
そんな恥ずかしがる愛の文句のつけ方はちょっと予想外だった。
「葵みたいに確信犯じゃなくてね。その、ほ、ほら、現代に生きてるわけ。私たちは。夫婦の営みなんて、大仰な言い方しなくていいわけで――」
熱した自分の頭を覚ましたくなったようでカフェラテをちゅーっと吸い飲んだ愛は、一つ間を空けて。
「したいなら、変なのに頼らなくてもいいんだから。……言ってね?」
コロっと理性を溶かすようなことを理性を殺せない場所で行ってくる。
うっすら赤くなった頬、恥ずかしさで潤んだ瞳。
そして恥ずかしさを誤魔化すようにストローを咥える唇。
ここがもし二人だけの場所なら、と思ったが、それは自制しなければ。
同じようにアイスカフェラテを一口吸って、落ち着きを取り戻した。
「……可愛いなぁ」
「うるさい」
「ほんと可愛い」
「もー」
愛も葵も二人っきりでいると、いつもより幼く見える。
可愛らしくて仕方がない。
「可愛いので、俺が怒られると思ったちゃんとした理由を言っておくよ」
「? なぁに?」
俺が煩悩に支配されて香油を買いに出かけたと思ったらしい愛にちゃんと怒られる理由を告げておく。
先の事だが、無事に夫婦になれれば、こんな風に怒られる日もくるのだろうなと想像して、少し笑った。
「五万円しました」
「――は?」
「接客がうますぎてつい支払ってしまいました」
「え、あ、え? お母さんたちそんな高いの買ってたってこと?」
「いいえ、母たちのは三つで二万円ほどでした」
「……は?」
理解が及んだようで愛の目が据わった。
それは兄弟姉妹の姉が、弟を見る目とも見えたし、バカをやった彼氏をみる彼女の目でもあった。
「五個もかってしまいました」
「ば――バッカじゃないの!」
声を抑えようとした愛が、それでも驚きに負けて叱責の声を上げたのはどう考えても俺が悪い。
これも魔術のせいである。俺ではなく魔術が悪いのだ。
そう言えたらいいのだが、言えるわけもないので、店員さんに頭を下げたその勢いで愛に向かって頭を下げた。
「ええ!? ご、ごごご――むぐっ」
愛が驚きの悲鳴をあげた葵の口をふさいだ。
俺はこの日二度目の謝罪を店員さんに捧げ、追加の注文の中にバームクーヘンを入れておいた。
このカフェの最大のおすすめはバームクーヘンであり、店長の趣味でころころ日ごとに味が変わる。
今日はどうやら抹茶味のバームクーヘンらしい。
愛も葵も、そして俺も抹茶味は好きだ。
いつか京都にいけるのなら是非宇治に行ってみたいと思うほどに。
「ご、ご、ごめんなさい。びっくりして、びっくりして……抑えようと思ってたのに声出ちゃった」
「いいのよ。葵。こいつのせいだから」
呼び寄せた葵が一人だけ喫茶店でデートだと、おめかししているおかげか。
はたまた愛の目が叱責を隠さないからから。
あんなに似ている双子だというのに、断罪の天使と無垢な天使と区分できそうなほど違いを感じた。
「ハジメちゃん。あのね? 私もちゃんと反省したんだよ? よ、余計なものに頼らなくても、していいんだから、えっと、ちゃんと考えたらいいと思うの。だからね、ごご、五万円もするもの買っちゃだめだよ?」
無垢なる天使が初めて我が子を叱るような顔をしている。
見たことはないが葵のこの顔がそんな顔のはずだ。
俺はうなだれた。
葵は俺に甘い。その葵に怒られるというのは本当に俺がダメな証明である。
「……すいません」
「……よしよし。ハジメちゃん。反省してるの分かるから。もういいよ」
「葵。そのバカの金銭感覚は今のうちに直しておかないとだめよ。もう少し怒ってなさい」
「愛ちゃん、私、怒り続けるの、難しいよ。それに、ビックリが勝っちゃって……」
「じゃあ気持ちを変えなさい。いい? アロマやら香料やらなんやらを買ったせいで、こいつは今金欠。このお休みに考えてたデートに支障がでるくらいに。衝動買いで、こいつは葵と私とのデートに水を差してんのよ? どう?」
「……そう、考えると、ちょっと」
愛の言葉に葵は悲しい顔をした。
五万円は高校生にとって大金だ。
葵はそれを俺が自分とのデートを楽しみたいから頑張って稼いだと思っている。
自分との楽しい時間のために積み重ねたものを衝動的に捨ててしまったのだ。
悲しい顔もするわけである。
「すまない。すいません。もう二度とこのようなことはしません……」
葵をすぐさま呼び寄せた愛の判断は正しい。
俺が心底こたえるのは怒られることではない。
愛と葵を不機嫌にさせたり、悲しませたりすることがなによりこたえる。
今の俺はロープ際に追い詰められて左右から一方的にパンチを浴びるボクサーだ。
もう腕は下がり審判が割って入るのを待つばかりだった。
「はい。今日のバームクーヘン三つと、アイスティー一つに、水二つね」
「キョウの……ですか?」
「おお。流石だ。京とかけているぞ。うまいからお母さんたちに宣伝よろしくな」
迷惑をかけた店主のおじさんがバームクーヘンを届けに来てくれたのが審判になった。
「……相変わらずね、おじさん。抹茶で京で今日って言わなきゃいいのに」
「言わなきゃ分からないのにね」
「……言わないと伝わらないから、言いたいんだろうな。うん」
「味で勝負したらいいのよ。……。こんなに美味しいのよ。図書館の横とかもったいないわ。海成でお洒落な立地取れればもっと儲かるでしょ」
「んー。美味しい。……私は、本が近いからここのほうがいいなぁ。家にも近いし」
親たちとも交流がある店主がうまい事、水を差してくれた。
俺は今日で京でもある抹茶バームクーヘンを食べる天使二人の機嫌が普段通りに戻ってくれそうで安堵していた。
「五万円も使っちゃったんじゃ、船に乗るって話はやめておいたほうがいいよね?」
「なしね。それはハジメが、臨時収入があったから一緒に来てくれって話だったもの。……無しだからね?」
「……なし、か?」
「なし」
普段通りであっても、普通に怒られる。当然である。
明日予定していた遊覧船にのってみようという話がなくなってしまうのが悲しい。
愛は俺がその気になればお金をおろせるということを知っているが、それを踏まえてなしと告げているのだ。
「だから、別のプランを考えましょ。三人ともデートはしたいし、なによりよ」
そこでいったん声を落とした愛がほんのり甘く俺と葵を眺めた。
「一歩前進したじゃない。私たち。……その前提で、考え直しましょ」
そして自分の唇を人差し指で叩いた。
その様子に、ここに来るときの愛の腕組みを思い出した。
あの意識して踏み出した距離の詰め方は、その一歩前進を踏まえてのものか。
「どう? この際、カップル割りの店をいっぱい巡ってみるとか」
「わ。それ、いいかも」
「でしょう? 三人でちゃーんと、カップルですって言ってはいるの」
「わ、わ、それ、いいね。流石お姉ちゃん」
愛の提案に、我が意を射たりとばかりに葵が目を輝かせる。
三人組であるから、俺たちはカップル割りが有効な店でも、それを装うことすらしたことがなかった。二人っきりで入っても、いない一人に悪い気持ちになって使ったことがない。
流石は愛である。確かに、カップル割りは憧れだった。
(だが――ああ、なるほど)
本当に愛は流石だ。
ちゃんと考えて道筋を立ててくれる。
結婚出来たら、喜んでその尻に敷かれたいと心底思う。
「明日もいい天気だから、天候は問題ないわよね。カフェ巡りだけじゃ太るわね」
「愛ちゃん愛ちゃん、カップルでおそろいのアクセサリーとか、買うの、どうかな?」
「いいじゃない。男女どっちもつけられるものね? ……期待してみましょ」
「うん。期待するー」
「はじめ、今してる話は三人で払う前提だから、金銭感覚なおしなさいよ」
「――あ、あぁぁ。わかった」
カップルでおそろいで男女どちらも付けられるアクセサリーなんて、そんなの俺には指輪しか思いつかない。
重いと言われようが何だろうが、真っ先に思い付くのがそれなのだからしょうがない。
愛に機先を制されなければ持ちうる財力をすべて使うところだ。
二人が求めてるのはもっと気楽なものである。
俺は言われて確かに、金銭感覚というか、蛇口が緩いという自覚を持った。
愛と葵が絡めば俺は本当になんでも使ってしまう。
(二人のことが、それだけ好きなんだよなぁ。俺)
「カップル割りの定番は逃せないわね。映画、映画も行きましょう」
「映画。ぽっぷこー」
「だめよ。映画館内で食べてたら本当に太るわよ。葵」
「もー、太る太るって言わないで」
「や、あのね? 服借りてるくせに怒られそうなこと言うけど、ちょっとお尻というかそのね? 余裕あるのよ」
「も、もぅっ。言わないでって言ってるのにっ」
「少しは運動しなさいって言ってるのよ。毎朝私と一緒に歩けばいいじゃないのっ」
隣り合って可愛らしい姉妹喧嘩をする二人を想えば、俺は本当に何でも使える。
その自覚を得れば、あっという間に確信する。
俺は本当に何でもするだろうと。
それは今までと何かが変わるわけではない。
幼児の頃から、幼稚園児の頃から、小学生中学生と、俺は二人が笑顔でいてくれるなら何でもしてきた。
笑顔が見たいと幸せでいてほしいと、常に願ってきた。
それはもう当然のことで、自覚なんてなかった。
当たり前のことでも、自覚しなければ、認識できない。
――「喜んでくれる?」
英雄に見初められたリアリーが、そう聞いてきた夜が瞼の裏に浮かんだ。
最後に二人だけで過ごした夜になったあの時、リアリーがどういう思いでいたのか、思い至った。
――「ああ。もちろん」
大切に想っていても、それを告げなければ繋がらない。
あの夜頷いた俺と、それに照れた笑みを浮かべたリアリーは、そうだった。
大事だけど、繋がらない。
リアリーはそれを確かめたくて、あの夜俺に尋ねたのだ。
そして俺には、その自覚がなかった。
俺の光、俺があの世界で得た唯一の幸福。
その幸せを、笑顔を望むことに、自覚なんてなかった。
だって大切だったから。
いつだってリアリーが幸せでいてくれることを当然願っていた。
返事の内容が重要だったのではない。
ソレをちゃんと見つめているかどうかだった。
あの照れた笑みは、最後の最後に繋がらなかったことを、しょうがないと飲み込んだ女のものだった。
――鈍いのは私だけにしてくださいね。
これは幻聴だった。
絶対にそんなことをリアリーは俺に言ったことはない。
だが、愛と葵を見つめる俺の耳に、確かにその幻の声が届いた。
鼓膜を揺らしていなくても、心を揺らして伝えてきた。
(リアリー、君だけにするよ。ほんと、本当にほんとだ)
前世において勇者様が示された、俺たち人族の皆が胸に抱く教えがある。
――勇気は誰でもいつでも、持てる。
俺は繋がる勇気を、想いを見つめる勇気を、持たなかった。
だが、それは持っていなかったのではない。
持っているのに気が付かなかっただけだ。
それを今、生まれ変わった異世界で、俺は知った。
勇気は、だれでも、いつでも、もてる。
心に刻めばちゃんと口が動くと確信できた。
「愛、葵」
すすんでいた姉妹のデートの計画を止めさせて、先に言おう。
勇気はいつでも、もてるのだから、
今、言おう。
「二人が好きです。結婚を前提に、俺の恋人になってください」
今度は見つめる勇気をいつだって持ってやるのだと決心した。
想いを見つめる勇気を、想いを繋げる言葉を、俺はようやく手にしたのだ。




