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第5話 香り、燻る火種

 廊下の奥から声が聞こえる。


「お父さんたち頭おかしいんじゃないの⁉ こ、これで本当に、ヤってたらどうするつもりなのよ!」


 愛の声だ。


「ハァ? 混ざれば……じゃ! ない! どこに両親がそんなこと言う世界があるのよっ。おかしいっ。絶対おかしいのにぃっ」


 愛の声は不必要に大きい。

 何が起こっていて、どうしてそうしてるのかよくわかった。


「水は持っていくわよ! 水は! ……⁉ ぎゃ、逆でしょー⁉」


 騒がしさにとどめを刺したのか、その一言の後、静けさが戻った。

 俺の腕の中で葵がしなだれかかり、二人っきりが終わる予感に不満を感じてるのを伝えてくる。

 顔を下に向けるとちょうど見上げた葵が湿度の高い瞳をこちらに向けていた。


「……きちゃう」


 頬がわずかに膨らんで、眉に力が入ってる。

 そんなに不満に思わないでほしい。

 背中を抱いてる両腕は動かしたらもっと怒られるので、このままにするしかない。


「愛は声を出して、今から行くって教えてくれてるんだよ。……そんな顔しない」

「来なきゃいいのに」

「水持ってくるって言ってたろ? この季節でも寝汗かいたら、水がいるだろ。様子見はいるよ」

「愛ちゃんの肩持たないで」

「葵の背中と腰を持ってますよ。俺は」



 ――唇を重ねて見つめあって微笑みあう。



 そんなひと時を過ごしてから、ずっと葵はひっついているし、俺も離そうとしていない。

 葵の柔らかさが、熱が、吐息が、鼓動が、匂いが、離れてほしくなかった。

 だが、少し違いがあった。

 愛のいう通りで――より葵は本気だった。


「抱いてくれたら……なんの不満もないのに」


 葵はもう俺を押し倒す寸前の有様で、抱きしめておかないと抑えが効かなかった。

 もちろん抑えというのは、俺のだ。

 今夜の葵は、俺を誘う蜜花のようだった。

 抱き寄せておかないと、俺が葵を押し倒すのは間違いなかった。

 それがわかってない様子の葵はグイグイと身を寄せてくる。

 この場にいたのが愛なら、俺の様子に気がついて逆に布団に倒れこんだだろう。


 ――きて。


 まずい。

 想像しただけで、電流が奔る感覚だ。

 さらにまずい。

 葵が怒っていた。愛のことを考えていたのがバレている。

 愛と葵はどちらも鋭い勘が働くが、働く範囲に違いがあった。


「こっちみて。……私をみて」

「はい。……キスしていい?」

「……私のお願い聞いてくれたらいいよ?」

「なんでしょう?」

「愛ちゃんの前でキスして」

「……それ、愛にもすることになると思うけど、怒らない?」

「怒らないけど、ムッとする」

「怒ってるじゃないの」

「ムッとしてるだけだもん」


 可愛い。

 愛と同じ顔なのに、全然愛らしいさが違う。

 愛おしいさの種類が違う。

 前世の愛神様の教えに『愛は並び立つ』というものがあったが、転生した今になってよくわかった。

 俺は心底、愛も好きだし葵も好きだ。


「お願い。……二人だけの間に、させて?」


 堪えと求めるのを兼ね揃えた抱擁に力が入る。

 距離が埋まって、互いの目が細まっていく。


「――ん。……いいよ」


 目を閉じて受け入れてくれる愛しい人に、再び唇を重ねる。

 背中に回した腕に意識して力を込める。

 一つになりたい。離したくないんだと。

 絶対に伝わるように抱く。


 幸せで溶けてしまいそうな時間はあっという間に過ぎた。


「……も、もしもーし」


 愛の遠慮で塗り固めたような声が、俺と葵に割って入った。


「あのー……み、水をね? 水差しをね? あと飴とか持ってきたんだけどぉ。は、入っても、平気?」


 葵が非難の眼差しを俺に向けている。

 二人っきりがいいと訴えている。

 しかし、俺の理性はいつ途絶えるかもわからない。

 それに俺は愛も好きなのだ。

 片方だけでは満足できない。

 強欲な男であると、葵に伝えねばならない。


「愛、入って大丈夫」

「よかったぁ。失礼して――今からヤるつもりだった、とかじゃないの? これ」

「違う。……キスは、したけど」

「それは、予想済みよ。……私がしたんだから、葵だもの。キス踏み越えて、やってるんじゃないかなぁーって思ってたんだけど?」


 愛はお盆に水差しとコップを乗せた姿で障子をあけて、入って大丈夫なのかと葵を眺めていた。

 葵は、ものすごく不満そうな顔で、でも手を伸ばした。


「愛ちゃん。……水ほしい」

「もー、はーい。ハジメも飲むでしょ。というか飲みなさいよ。あんたは」

「くれ。喉乾いてきた」


 コップは三つ。水差しには冷気を感じる水。

 そして小分けにされた果物味の飴玉がいくつか。

 お盆の上からそれらを配りつつ、愛は葵に少し呆れた顔を見せた。


「不満そうにしないの。……抜けてるのよ、葵。水くらいもっていけば私が来なくて済んだかもしれないでしょ?」

「だ、だって、キスしたって言うからっ」

「言わなかったらあんた本気で怒るでしょ。抜け駆けだって。……で? キスで我慢できたのは偉いって褒めてあげたらいいの? 私」

「褒めてほしいな。俺は」


 水を口につけると、舌の回りがよくなったのか、声がするする出てくる。

 緊張で喉が渇いてたことに今更気が付いた。


「はー、これでどっちも同じラインでいいのかしら? 抜け駆け抜きでしょ?」

「一緒にしないで。……私は、キス、してもらったんだから」


 愛が俺の傍で身を寄せて、勝者は自分だとアピールしている。

 手には水を持ったコップを持っているので、とても危うい。


「あーら。それを言ったら私は、先に、最初に、キスした相手だけど?」


 愛が葵を眺めて、挑発的に自分の唇を指先でなぞった。

 あえてだな、とその意図がよくわかる。

 俺をそっちのけにした姉妹の争いに空気が変わった。


 愛ちゃんは――。

 葵は――。


 自分の勝ちと言いたい葵と、負けてないけど? と主張する愛。

 水を片手に可愛らしい姉妹喧嘩の様相になってきた二人を眺めているのは、本当に微笑ましい。

 俺はずっとこんな二人を見てきた。

 なにせ俺たちは赤ん坊のころから一緒だ。二人はその頃の記憶はないだろうが俺はある。些細なことで泣くのは愛も葵も同じで、俺は親の目が届かない時にずっとあやしていた。

 ――大きくなったなぁ。

 なんて、すこし二人の成長を上から目線で見てしまうのは、そんな幼児の頃からの記憶がそうさせる。

 それは断じて前世の経験がそうさせるのではない。

 俺が二人を好きなのは、この世界で培ったものがそうさせるのだ。


「むーっ、愛ちゃん、ハジメちゃんを取らないで」

「やーよ。葵。あげないから」


 同じ顔なのに全然違う魅力が、俺をそれぞれ離さない。

 互いに無意識にだろうが、俺との距離がどんどん近づいてくる。

 葵がもう俺に抱き着いてくる。

 それをみた愛がその反対側から、同じように抱き着いてきた。

 

「なんで真似するの。私が先に抱き着いてたのに」

「真似の話しちゃう? だったら私の方が先にキスしたんだから、真似しないでよ」


 俺を挟んで話をしている二人も争うというより、もう遊んでる。

 昔からそうだ。根本的に仲がいいから争いも長く続かない。


「二人とも、俺はどっちも好きだから、半分っこしてくれ」


 そういって二人の頭を抱えるように抱きしめた時だった。


 ――クラっとした。


「……?」


 いい匂いがした。

 とても、甘くて心地よくて――欲しくなる匂いだ。

 電流が奔るとか、そんな瞬間的な欲求ではない。

 もっと深く、もっと根本的なもの。

 それが両腕で抱きしめた二人を布団に押し倒していた。


「え?」

「あれ……?」

「あ、れ……?」


 二人を見下ろすと、二人とも驚いている。

 それは俺が急に態度を豹変したことへのものではないと分かった。

 二人ともほぼ同時に鼻を抑えたのだ。

 俺と同じように。


「……なぁ、今、一瞬、すごい、なんか、いい匂いしたよな?」

「うん……なにか、あれ? 勘違い?」

「や、した、と思う……一瞬、びっくりするくらい、好きって、なったんだけど?」


 それぞれが自分の周囲の匂いを嗅いだ。

 男が女を押し倒したとか、そういう状況への興奮よりも、疑問が勝った。

 そうして匂いを嗅いで、三人とも首を傾げた。

 どこにもそんな匂いはなかったのである。


「……あ」


 愛が声を上げて、隣の葵をみてから俺を見上げて。


「組み合わせ、じゃない? ……ねぇ、服についた匂い。あれでしょ。これ」


 そういって葵と自分の間を叩いた。


「はじめ。ゆっくり、ここに顔下ろしてみて?」


 愛と葵の間、距離が近い。

 さっき二人を抱きかかえた時と変わらない距離。

 そこにむかってそっと顔を下ろせば――あの匂いがきた。

 

「――っ、とぉっ」


 瞬間、これはまずいと思えたのは、一度経験したからだ。

 ぱっと顔をあげて、距離を取る。

 とらなければ襲ってしまう。

 その確信があった。


「これ、なに? ……あ、シャンプーに何か入れた? うちの親」


 三人とも、どこか惚けた顔になっていた中で、愛が真っ先に原因に気が付いた。

 

「これ、絶対そうでしょ。葵、そのまま寝てなさいね? いい?」

「う、うん。……ちょっと心臓、びっくりしてるから。そう、する」

「ハジメ、そこにいなさいよ。……たぶん、これは……」


 愛が起き上がって、距離を取った俺に近づいてくる。

 そして何事もないように隣に座った。

 距離は近い。顔も近い。

 いい匂いはする。愛の匂いだ。

 だがそれだけだ。特別おかしな感覚にはならない。


「ほらやっぱり。組み合わせで何か感じる匂いだ。着替えについてたやつ」

「あれをシャンプーにいれたってことか」

「そうでしょ。私と葵のシャンプー違うし、ハジメのはメンズでしょ? 仕込み放題じゃない。……でも、こんなにクラってする? おかしいでしょ。何かあやしい薬でも入ってるのかしら」

「お、お母さんやお父さん、そこまでするとは、思わないけど……?」

「薬はともかく、何か匂いの付くもの混ぜたのは間違いないわよ。これ」

 

 愛が顔に皴を作った。

 そこまでして事に及ばせようとする両親への呆れではなく、怒りの色があった。

 

「さっきね? ここに来るときに……ほんと、一応ね? なくて困ってるかもしれないって思ってね? ご、ゴムをね? 持っていこうとしたのよ。私」

「はい?」

「えぇ⁉」

「驚かないの二人とも! 実際もってないでしょ? 葵」

「……だ、だって、するなら、そっちのほうが、責任取ってもらえるし……」

「確信犯するんじゃないわよ!」


 さっと顔を背けて逃げた葵をみて、欲望に打ち勝って本当によかったという気持ちが湧き上がる。


「葵、どちらにせよ。俺は責任取るからな? ……キスしたんだぞ。お嫁に来てほしい。二人とも」

「それはそうよ。取ってもらうから」

「え、キスでとってくれるの?」

「とるよ。俺は」

「当たり前でしょ。葵。キスよ。キス。……まぁ、それは今はおいておいて」

「おいておくの?」

「置くわ。でね? 私が話したいのは……持ってこうとしたゴム、お母さんに取り上げられたのよ。何する気? いらないでしょ? って」


 愛の怒りが話すごとに上がっていくのが伝わってくる。

 人が怒れば冷静になるもので、俺も葵も愛の言いたいことがよくわかってきた。

 つまり、両親たちは、無責任に責任を取らせようとしてたのだ。


「もう怒ったわ。私お父さんとお母さんに文句言ってくる!」

「そ、そんなに怒る事? 私はそっちでもいいけ――」

「怒る事よ! 葵。あんたは夢見がちだけど、三人でちゃんと一緒に生きていくなら、大学か専門学校でて、それぞれがそれぞれを支えられるようになって、それでようやく叶うことなのよ? それに……こ、子供は、ちゃんと望んで欲しい! 私は! 事故とか勢いとかは嫌!」


 姉の勢いに妹が黙った。

 葵は今の恋を見ていたが、愛は違った。

 愛は恋が叶って愛が実った未来を描いていた。


「もう頭きた。葵、ほら! 立ちなさい! いくわよ!」

「え、うぇ! あ、うんっ」


 犯人は間違いなく自分の両親だからか、愛は俺の腕をとるのではなく、葵の腕をとって、そのまま引き連れていった。

 聞き取り切れないほどの怒声が廊下に振動を伝えてきたのはすぐだった。


「……こりゃ、行くタイミング考えないとな」


 正直、俺も愛と同じ側だ。怒りがあった。

 だが、俺まで怒っては収拾がつかないかもしれない。あいだに入る準備だけして、タイミングを伺うしかない。


「でも、愛が怒るくらい、想像できるよな……なんかおかしいな」


 三神の父母は、くっつけようとはするものの常識人だ。

 仲の進展こそ望んでも、愛が望んでない行為に繋がるような真似をするだろうか。

 ゴムを取り上げたというのも、本当にそんな行為はしちゃだめだということだったのではないだろうか?

 つまり、匂い付けがここまで効果があるとは、思っていなかったのではないか?

 

「……まさか」


 俺は、思ってもみないことがおきた時に、愛では分からないことを知っていた。


 ――瞳に魔力を集めて『魔力感知』を行う。


 そして、視線を上に、前髪を指先で伸ばして捉える。

 シャンプーで洗った俺の髪は、魔力反応を示してうっすらと黄色く光っていた。

 

「そういうことか……」


 匂いの組み合わせではなく、魔力の組み合わせによる魔術反応。

 それが原因だった。


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