第2話 いい匂いがする距離
この世界は。
この地球という星は。
この日本という国は。
俺の心をすぐ虜にした。
産湯に浸かった頃から俺には記憶がある。
魔力の光か魔術の光なのかと勘違いするほど眩しい部屋の中で、見たことものない服装の輩が聞いたこともない言葉で話して騒がしかった。
これが俺の転生というやつの始まりだった。
ビビり倒したのはいうまでもない。
元々俺は前世でも、奴隷よりはマシな程度の身分だった。
すぐに思ったのは、何かの実験にされているのではないか? ということだ。
魔王でもやらないとされている神意に外れる行為だが、やるやつはやるのもので。
実験体にされてしまえば、終わりのない苦痛の末に壊れてしまうのは周知の事実だった。
だから俺は泣いた。
それはもうみっともないほど泣いた。
何せその時の気分はまだ三十頃のおっさんで。
やっと終われる。やっと解放される。
そんなふうに思って死んだばかりだったのだから。
――お願いだから楽に殺してくれ。
――もう嫌だ。もう痛いのも苦しいのもやだ。
そんなふうに言ってるつもりで泣き喚いた俺だが、元の世界ではそれなりに頑張ったと思う。
魔王が起こした戦争で国を失って奴隷になり、魔族の元で働いた幼少期を過ごした。
勇者様が魔王を討ったことで主人が逃げていき、身一つになった頃に成人して奴隷から肉体労働者へ。
魔石発掘のための鉱夫として集められ、そこでリアリーに出会うまでは本当に何もない人生を必死に生きていた。
リアリーは俺の光だった。
あの世界で唯一、生きていてよかったと思えた出会いだった。
そんな光がなくなった時に、俺は瞳を閉じた。
もう開けたくなかった。リアリーという希望のない世界は絶望しかなかった。
そんな泣き喚いた俺をあやしてくれた人たちが、この世界の俺の両親だった。
いまだになんて言っていたのかはわからない。
だが、覚えてる。
俺を見つめた父と母の顔は、心底嬉しそうで幸せそうで。
一目見てわかったのがおかしかった。
俺はこの二人の子供なんだと、そこで気持ちがスッと幼くなったのだ。
「ただいまお母さん」
「おかえりなさい。愛ちゃんと葵ちゃんは?」
「二人とも散々一緒に勉強と部活やったあとだよ? 家に帰ってるよ」
「もー、隣なんだから気軽に呼びなさいって言ってるでしょう?」
「だからって週に三日も呼んでるのに今日も呼ぶの? 俺たちは兄弟姉妹じゃないんだよ?」
「あら、だから呼んで欲しいんじゃない。日本が昔のままなら、ハジメには二人ともお嫁さんにもらって欲しいくらいなのに」
「それ本当に大昔の話でしょ。今時結婚を親が決めることすら稀なんじゃないの」
部活としてリレー小説を書き進み、勉強として宿題をそのまま終わらせ、三人で帰宅する。
ここまでは中学の頃となんの違いもない。
高校生になってから、何故か互いの両親が互いの家に連れてくるように圧力をかけはじめていた。
「そうよ。大昔だから、自分たちでその気になって欲しいなぁーって、私たち親は考えてるわけ。実際悪い気なんてしてないでしょ?」
高町家の母は、三神の家の母と共謀して子供達を結ばせようとしていた。
そしてそれを互いに隠してないのである。
「悪い気は……ない、けどさ。そんなのわからないじゃない。だいたい自分でも言ったじゃん。日本では複数の妻を持てないんだよ」
前世なら財力と立場が許せば妻を複数持つ男なんていくらでもいたが、日本でそんなことが許されるわけがない。
だというのにこの優しい母は、笑顔を崩さず、リビングのテーブルに置かれた鍋を指差した。
「だ、か、ら。どっちかをお嫁さんにして、どっちか内縁で囲う、で母達は相談してるのです。母の願いのためにも、おっそわけしてきて。あ、そのまま向こうで食べてきなさいね。お風呂も入ってくること」
「……話はついてるんだね?」
「もちろん! どっちもね。さぁ、着替えてらっしゃーい」
片方を妻に片方を内縁にか。なるほどね。日本には事実婚という言葉もある。内縁の妻というやつと書類上の妻を持てば解決というわけだ。
さすがは親である。物知りだ。
――ですむ話ではない。
なんだってそんなに俺達をくっつけようとしているのか。
三神の母もどうかしてるのではないか。
「いや。間違いなくどうかしているよ」
二階の自室にあがり学生服を脱ぎ、ベッドの上に置かれていた着替えを手に取る。
……なんで着替えが?
おかしなところはない。
ただの白ティーと着衣しやすい短パンで……。
鼻をきかせてみた。
なかなかいい匂いがする。
清涼感というより、なんといえばいいのだ。このほんのり少し甘い香りは。
まぁいい。なるほどね。流石は母だ。
こういう匂いから少し距離を埋めていこうという腹だな?
しばらく悩んだが、母が用意してくれた着替えを、わざわざ別のものにするなんて贅沢は俺にはできない。
前世では母の顔すら知らなかった。
時におせっかいと感じても、時に理性を疑っても向けられる全てが嬉しい。
まぁ少しいい匂いがするからと言ってそれでどうこうなる話ではない。
俺たちはまだ高校一年生、十六歳だ。
結婚やらなんやらなどはやすぎるのだ。
母の愛を受け入れてそのまま着替えると、机の上に立ててある著作『リアリーの英雄』の文字が目に入った。
リアリーの名前をみると嬉しくなる。
俺の光だった人の名前がこの世界にもあるのだ。
「あっちじゃ十六なんて、結婚して当然だったな……」
いつか結婚したいと、婚期を逃した事に照れた笑みを浮かべていたリアリーの姿が思い浮かんだ。
できるうちしておけと忠告してくれてるようだった。
その忠告を後押しするのかどうかは分からないが。
三神の家の門をくぐった俺は自分の認識が如何に甘かったか分からされた。
甘かった。とても甘いのだ。
俺は、母たちを侮っていた。
「ハジメくん、ご飯足りてるかしら?」
「遠慮しないでいいぞ。うちは俺以外女だから、いつもあまりものは俺の腹にくる。そのくせ太らないように注意だけは三人ともしてくるんだ。はじめ君がいてくれればちょうど良くて助かる」
三神家の父母が俺を歓待してくれているのはいつも通りだ。
言ってることも普段と変わらない。
女だらけの家での苦労を覗かせて俺がいてくれて嬉しいという三神父の姿も、実の息子のように面倒を見てくれる三神母の姿も変わりはない。
変わってるのは俺たちの様子だ。
「ねぇ、ハジメ。……じ、自覚、ある?」
「ある。……正直なところを言うと、舌が馬鹿になってる。鼻で味わってる気がする」
「よかったぁ。私だけなら、死んじゃうくらい恥ずかしかった。……みんな同じでいいんだよね? ね?」
葵の言葉に愛と一緒に頷く。
俺たちは匂いというものを舐めていた。
「まさか、匂いを意識するとこんなに普段とちがうとは……」
「意識だけの問題、これ? 組み合わせとか、考えられてない?」
愛の言う通りかもしれない。
確かに、一つ一つ、一人一人の服から香る匂いは気にしないでいられる気がする。
現に俺と同じく、二人とも着替えの際は、また新しいことをはじめたのか、という気持ちだったらしい。
家族同然に育った仲で今更家の中で会うのに着飾るわけもなく、ラフな服装で横並びに座敷に座って食卓に並ぶ。
この座り方も昔からだ。
三人並んで食べてるところを見せて欲しいという、両家の親の意思でどちらの家でもこの並びなのだ。
愛が俺の右、俺が真ん中、葵がその左。
登校中もそうなるのはこの食卓の並びの影響があった。
「まーた絶妙に匂いが……」
「え、ど、どっちからするって?」
「や、料理の話。……絶妙に二人を意識させるというか……なんかアシストになってない?」
「へ? そ、そうなの? 私、鼻おかしいのかな……? 私、ハジメちゃんの匂いが、もうさっきから気になって気になって、料理の匂いわかんないんだけど」
葵が高町母が俺に持たせた煮付けを一口食べて首を捻っている。
その気持ちはわかる。俺もなんだかおかしな気分なのだ。
「感じ方の違いはなんだよ。これ。これが男女差か?」
「そういうのもあるのかも……私もなんか、気になるのよ」
「愛に言われたら、臭えのかと思うけど、そっちではないよな?」
「ないない。悔しいけど、なんか好きな……何かの匂い。なんの匂い? わっかんないから無性に気になってくるのよ」
無意識なんだろう。
愛が俺の右肩あたりを嗅いでいる。
それで首を捻ってるあたり、本当に匂いに酔っていた。
葵ならいざ知らず、愛はこんなこと普段は絶対にしない。
近寄ってくれるな。いい匂いがするんだ。
「俺も嗅ぎたくなってくるからやめろー。くそー、なんだこれは? あとで俺、お母さんに聞いてくるから、そっちも確認しておいてくれよ。こんなの食事の度にやられたらおかしくなる」
「わかった。まぁ……その、はぁ、なんで私たちの両親はこー……くっつけたがるわけ?」
愛が俺の股間の上に置かれた熊のぬいぐるみを見て、事態を察してくれている。
そうなんだよ。
俺のメンタリティはすでにただの男子高校生なんだよ。時折前世に引っ張られることはあるが十六歳なんですよ。
好きな女の子に挟まれて、いい匂いがしてたら、そりゃぬいぐるみの出番だよ。
「なぁ、二人とも。嫌ではないよな? 嫌なら言ってくれよ」
「嫌ではないわよ。私たちが嫌なら、父さん母さんもこんなにしないでしょ?」
「わ、私も。嫌ではないよ? この匂いも好き」
やはり、幼馴染。
兄弟姉妹同然の仲。
それでいて他人でもある。
本当にこれが嫌かどうかはわかりあえている。
互いのことが好きなのはわかりきっていた。
だから、嫌ではないのだが。
「でも、なんでこんなにするのかは、わからないよなぁ」
俺の言葉に二人が頷いて、視線を前に伸ばした。
俺たちの前には三神の父母が二人で食卓を囲んでる。
じきに高町の父母が揃えば親の席の出来上がりというわけだ。
「あら、何かおかわり?」
俺たちの視線に気づいた三神母はふざけた様子がない。
愛と葵のお母さんは当然美人で、大人びてる。
古風といえば古風なのかもしれない。
専業主婦で家事専門。
今も三神父の世話を喜んでしているし、昔の日本人妻らしいのかもしれない。
しかし、親の意思で子供を結婚させようというほどの古風かといえば、そうでもないのだ。
そんな親のもとで愛や葵が育つはずもないし、というか俺をこんなふうに扱いもしないだろう。
わけがわからなくなってくる。
「あの、何度も聞くんですけど……なんで俺たちをくっつけようと?」
こういう時は素直に口にするようにしている。
そう、昔から確認はすでにしている。
なのであまり意味はないのは三人ともわかっている。
「あら。だってそうなって欲しいんですもん」
――だからその理由を聞いてるんだよ。
と、自分の親には言えても流石に三神母には言えなかった。
食べるものが愛と葵の匂いに感じはじめたところで、ようやく一通りの食事が終わった。
「俺の気持ちがわかるだろう?」
俺の食事をみていた三神父の言いたいことはよくわかる。
愛も葵もそれほど食べはしない。男の育ち盛りである俺と比べれば雲泥の差だ。
三人並んで大皿からおかずをとれば誰が一番食べることになるのかはいうまでもない。まして今夜は葵がまるで食べてない。飲み込んだ数より首を傾げた回数の方が多い気さえする。俺の腹は満パンである。
これが女の中で暮らす男の仕事だ
「娘ができるとよりわかるぞ。一人くらいは男の子をもつといい。助けになる。ハジメくんのようにな」
普通、父親は娘の相手には厳しいもんじゃないんですかね?
愛と葵がちょうど風呂に消えた時にそんなことを言うのだから、本気である。
「俺のどこがそんなに相応しいんです?」
これもすでに聞いたことではあるが聞かずにはいられない。もしかしたら返事が違うかもしれないのだ。本音と建前くらいはわかる。
しかし、三神父の返事は前回と同じだった。
「二人に聞きなさい。俺は娘の幸せしか考えてないからな」
そう言って座敷からリビングに戻って、ちょうどやってきた高町母を出迎えている。親たちはここから飲みの席だ。
その気にさせたければその酒を少し俺によこせ、と前世の記憶が訴えてきた。
酔った勢いでどうこうというやつを主張してるのだが、我ながらそれは嘘だとわかる。見栄を張って、文句を言ってるに過ぎない。
前世では酔ってベッドに横になったリアリーを前にして何もできずに終わっていた。
所謂チキン野郎なのである俺は。




