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【Cruel】向日葵とキラキラの約束

 起きた時から、体調が悪いという自覚はあった。主に上半身がだるく、頭の中を回るように痛みが移動している。母親が出してくれた朝食は、せっかく作ってくれたのに申し訳なくて食パンだけ無理に飲み込んだ。当然佳子は気づいたようで、何か言いたそうに口元を動かしていたが、心配ないよと笑顔を見せると、頷いてくれた。


 二月のデビューから約半年。自分のファンが多いかどうかはともかくとして、今や日本中を巻き込むほどの人気となったCruelのメンバーでも、自宅まで迎えの車が来ることはない。桃丸の真似をして伊達眼鏡と帽子で申し訳程度の変装をし、圭介はいつも電車で出勤ししている。ホームに降りたとき、むわっという熱と共にふらつきを感じたが、後ろからどんどん人が降りてくるため、踏ん張って速足で歩き始めた。

 このところ猛暑日が続いており、おまけに雨は一向に降らない。農作物が取れなくて農家が悲鳴をあげていると、ネットニュースで読んだ気がする。もう夏のツアーが始まっているため、今日はダンスレッスンのあとに小一時間程度の会議もある。とはいえ、ダンスレッスンは各コーナーごとの確認程度なので、若さで充分補えると信じてがんばるしかなかった。


 アキラが十五分休憩を言い渡すと、スタジオの後方にぞろぞろとミッシングのメンバーたちが集まる。マジックで名前の書いてあるペットボトルを二つ手に取り、水斗は圭介の額にそれをつけた。


「圭介、大丈夫か」


 激しい運動量なのにあまり汗もかかず、呼吸が乱れている圭介を、水斗が心配しないはずはなかった。だが圭介はぷるぷると頭を振り、ペットボトルを受け取って精一杯の笑みを見せる。


「大丈夫大丈夫! だってまだ序盤だよ。これでバテてたらツアーなんかこなせないじゃん」

「だったら信じるけど、無理すんなよ。余計回復遅くなんだろ」

「うん。みなちゃんはやさしいね。ありがとう」

「べつに。俺は俺の思ったことを言うだけ」

「そこがまたかっこいい……!」


 最後まで飲み切ったペットボトルを脇に挟み、指を組んでキラキラの瞳で見上げると、水斗はうっとうしそうに圭介の髪をくしゃっと握った。Cruelのメンバーはそれぞれ少し離れたところで水分補給をしているが、りくは話しかけられたくないのか、いつものように鏡の前まで戻って腰を下ろしている。


「えっ? 圭ちゃん、調子悪い? ほんとだ、あんまり顔色良くないみたいだよ」

「もう、ヒビテツまで~。ていうか、それダンスにも影響してる?」

「そしたらアキラ先生が先に気づくでしょ。俺たちだからわかる、メンバーの微妙ないつもとの違い、かな」


 自慢げに顎に指をかけ、鉄朗が上半身を反らせて「わっはっは」と声に出して笑った。そんな中、悠弥は静かにひとりで水を飲み、桃丸は鉄朗たちに視線を送るが、その会話には入らず黙って圭介を見守っている。


「はい、再開するぞ~!」


 しばらくして、アキラがパン! と手を叩いて休憩終了の合図を送った。スタジオの中には、キッズも含めて二十人程度の少年たちがいる。Cruelの六人は全員前方で、アキラの手本に合わせてキレのいいダンスをしてみせる。


 デビューしたばかりの頃は、よくアキラに怒られていた悠弥と桃丸も、他の四人ほどではないが、ちゃんとついて来ている。下積み時代のことを思い出した圭介は、慕っている桃丸が厳しいアキラに認められたことが素直に嬉しくて、つい微笑んで横目で見てしまう。だが、その視界がぐらりと揺れたのに、気づいたのは周りの方が先だった。


「圭ちゃん!」


 桃丸と鉄朗の声が重なって聴こえる。自分がいまどうなっているのかわからず、圭介は目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返した。身体が熱い。頭がぼぅっとする。さっき水斗に大丈夫かと訊かれた時に、体調が悪いことを申し出ればよかったのだ。


「すみ、ません……」


 かすれた声は、誰の耳にも届かなかったかもしれない。それだけスタジオは騒がしく、自分の名を呼ぶ大勢の人の声が鼓膜に響いてくる。力の入らない圭介の上半身を膝に載せ、誰かから手渡された冷たいタオルで顔を拭ってくれたのは、おそらく桃丸だ。

 モモちゃん、モモちゃん。お礼を言いたいのに、くちびるは薄く開いたまま動かなかった。小さな騒ぎになっているその最中、圭介はゆっくりと意識を失くしていった。




 先輩のバックについて出演した数々のライブの中で、一番馴染みがあるのがポートアリーナだ。収容人数は最大で一万五千人程度、今回のCruelのライブでは、一部を潰してステージを広く取るそうだ。圭介が選んだソロ曲は、ミッシングのアイドル部門のオーディションを受けるきっかけとなった、憧れの先輩のものだ。彼ら三人のように、明るくかわいく、ポップでキラキラな演出と歌声は無理だろうが、圭介には圭介にしかない魅力、出来ることがある。ライブのスタッフたちとも相談を重ね、やっと掴んだ手応えだ。


 ライブツアーのラスト、またポートアリーナに戻って来る時には、すこし成長した自分を見せたい、見せるつもりだった。ライブ会場での黄色い声援や、バックバンドの演奏が耳に残っている。だが、ここがその輝かしい場所ではないことくらいは、目を開けるまでもなかった。


「……圭ちゃん、起きた?」

「んぅ……」


 耳元で桃丸の声がして、圭介は顔を白くて硬い枕にうずめてぐずった。やってしまった。今までただのキッズだったのに、急にCruelになってこんなに忙しいなんて聞いてない、などと言い訳をするつもりはない。ミッシングのアイドル部門に入ったということは、つまりいつそういう状況になってもおかしくない、選出される機会を待っているということなのだ。


「圭ちゃん」


 二度目の声色は、すこし急かしたような感じだった。そろそろと枕から顔を戻し、ぎゅっとつぶっていたまぶたを開いて、圭介は桃丸の深紅の瞳と出会う。


「どう? 少しは調子良さそう?」

「……おれ、レッスン中に倒れたんだよね?」

「うん」

「どのくらい寝てた……?」

「三時間くらいかな。もうじき六時だけど、まだ外は明るいね」


 先に腕時計で時間を確認し、カーテンを指で避けながら桃丸が言う。本日のダンスレッスンは一時間半。そのあと雑誌の取材が二件入っていたはずだが、桃丸もここにいるということは、自分のせいで中止になったのだろうか。


「あの、モモちゃ……」

「質問責め禁止。まず僕の言ったことに答えて」


 ベッドから起き上がろうとすると、それを桃丸に制され、再び感触のよろしくないそこに横になる。圭介は首だけを動かして桃丸を見つめ、ズキズキと痛む頭を片手で揉んだ。


「だいぶいいと思う。もちろん明日は大丈夫だけど、今日の仕事ってどうなったの?」

「女性誌のグラビアね。元々みなちゃんとりっくんだけを撮りたいっていうオファーだったから、二人は関口さんと一緒にそっちのスタジオに向かったよ。ヒビテツとゆうく……」

「モモくん、圭ちゃんは!?」

「日比野くん、静かに」


 いつもはほとんど無言の悠弥も、さすがに鉄朗の大声には注意せざるを得なかったようだ。鉄朗は興奮気味に息を吸っては吐き出し、速足で窓際のベッドへと向かう。


「よかったぁ、圭ちゃん、無事だった」

「大げさだよ。でも、ありがとう。ご迷惑おかけしました」

「アキラ先生は怒ってた……いや、悔しがってたけどね。俺が先に気づくべきだったのに~って」


 鉄朗と悠弥の分のパイプ椅子を開きながら、桃丸はダンスの講師・アキラの声を真似て笑った。次に会った時、自己管理についてのああだこうだを論じられるのは間違いなく、同時に厳しいと有名なアキラも心配してくれたのだと、圭介は嬉しいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちになった。


「スポドリ買って来たんだけど、飲めそう?」

「あー、うん。塩分が足りてなかったのかも」


 上体を起こそうとすると、すかさず桃丸が背中を支えてくれた。その指先に力がこもり、同時に温もりを伝えてくれるのに、圭介はドキドキして俯いてしまった。


「はいっ、まだちゃんと冷えてるからね」

「ありがとう。ヒビテツっていいリーダーだよね」


 鉄朗からペットボトルを受け取り、軽く微笑んでいつも思っていることを言った。すると鉄朗は目をまん丸にして驚き、そわそわと挙動不審に脚を動かして、最終的にまさかの悠弥に話を振った。


「いいリーダー?」

「うん」

「モモくんもそう思う?」

「もちろん」


 最後に圭介に視線を移し、鉄朗は自分を指差すと「いやいやいや」と自身の顔の前で手を振った。そんな鉄朗の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜて登場したのが水斗だったとは、もちろん言うまでもない。


「んだよヒビテツ、俺らのリーダーに文句あんのか」

「ええっと……、それって俺なんですけどね」

「はい、じゃーんけーん」


 突然桃丸が握った拳を上下に揺らし、再び揃ったCruelの六人でじゃんけんをする。結果はりくと圭介が並んで勝ち、鉄朗を含む四名はチョキを出してしまいあっけなく敗退だった。


「ほら、ヒビテツはしかるべき時に勝ったんだよ」

「いやね、そもそも負けた人がやるはずだったじゃん、て一体何回目だろうねこの話!」

「日比野くん、うるさい。で、立花はもういいのかよ」


 ぶっきらぼうに言うりくの頭に、肩に、腕に、順番にやさしく手が載せられていく。最後に圭介がりくの胸に甘えて寄り掛かり、屈託のない笑顔をみんなに向けて言った。


「もうだいじょうぶ。ありがとりっくん。心配した?」

「べつに……」


 そう言いかけて、またツンデレだとからかわれると思ったのだろう。りくはそのまま黙って彼らのそばを離れ、ベッドの足元のあたりに椅子を持って来て座る。


「撮影早く終わったね」

「まあな。もう雨宮と二人の撮影は慣れてっし、すぐ戻って来たかったから」

「みなちゃん、りっくん、疲れてない? 今日はそれ以外に仕事入ってないから、そのまま帰っちゃってもよかったのに」

「そういうわけにはいかねえだろ」


 水斗が仮眠室の入口を覗き込むように、それから手招きをした。他に誰がいるのだろうかと圭介もそっちを見ると、杉森が向日葵の花束を抱えてこちらに向かって来るところだった。


「杉森さん!? どうしたんですか、それ?」

「立花くん、具合はもう良さそうですね」

「はい、ご迷惑おかけしました。えっ、なん、えっ……?」


 全く状況が掴めずうろたえる圭介に花束を差し出したのは、杉森からそれを受け取った桃丸だった。「いいリーダー」と評価してはもらえるものの、こういう時に主役にはなれないことを、鉄朗は笑って受け入れている。


「圭ちゃん、お誕生日おめでとう」

「えっ……?」


 目の前には、大きな向日葵に視界を奪われた圭介がいる。桃丸はその花束ごと圭介を抱き寄せ、髪をやさしく撫でてみせた。


「たん……じょうびでしたっけ、今日?」

「だから昨日仙台公演だっただろ」


 そうだ、ツアーのスケジュールは完璧に把握しているのに、小中学校の頃は友達に忘れられがちだった誕生日を、今年は自分が失念していた。そろそろと首を傾けて見上げると、桃丸はいつものあの麗しい深紅の瞳で圭介を見つめ返す。


「みんな、このために? おれの、ために……?」

「そうだよ」


 最後にこつんとおでこを合わせ、桃丸は圭介の身体を名残惜しそうに離した。すると順番に圭介にハグをする流れになり、りくは照れているのか、目を合わせようとしなかった。


「圭介、誕生日おめでとう」

「圭ちゃん、おめでとう! 十八歳だね!」


 パチパチと手を叩いて、人の良さそうな笑顔で盛り上げる鉄朗は、ライブでの立ち回りと同じだった。そしていよいよ悠弥の番になったが、圭介はまさか、桃丸とは別の意味で人間味のない美しさの彼にハグしてもらえるとは思わなかった。


「立花くん、身体に気をつけて」

「あっ、はい……。本田くんもね」


 仮眠室を使いたいという別のタレントが現れたことで、六人と杉森はてきぱきとそこを出ていく。圭介はなんだか夢見心地で、大きな向日葵の花束を胸の前でぎゅっと抱きしめたまま、先を歩くみんなの様子を見守っている。


「圭ちゃん」


 桃丸が代表して圭介を呼ぶ。結成、デビューしたばかりの頃、半年後にこんな光景が見られるなど誰が想像しただろう。


「みんな、ありがとう。週末の大阪、燃え尽きるまで走ろうね!」

「尽きたらあかんやろ」

「ヒビテツ、なんで関西弁やねん」


 ああ、いつもの水斗と鉄朗だ。そこに、自分にひときわやさしい桃丸がいて、少しは距離が縮まりつつも、どこか近づけない雰囲気のあるりくがいて、悠弥もだいぶ丸くなった。

 ばらばらなのは変わらない。だが、メンバー間の空気は一新されつつある。みんなと仲良く、楽しくしたい。鉄朗も同じことを言っていた。だから自分がその先陣を切ってまとめていこうと、圭介は最年少ながら、そんなことを考えていた。


「大阪に着いたら、まずたこ焼き食べよう!」

「当日入りだぞ。先に二公演こなすだろ」

「あ、そっか。じゃあがんばったご褒美だ」

「昼と夜の間の休憩時間に食べられない? 誰か買って来てくれるんじゃないの?」


 水斗と鉄朗の間に割って入り、圭介はすっかりよくなったふうに大声で笑う。苦労してきたBABYLONと違ってあっさりデビューした自分たちだが、きっと彼らを超える団結力で日本中を虜にしてやろうと、鼻歌でさえ酔いしれてしまう水斗の声に、圭介は目を閉じて浸った。

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