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魔女  作者:
9/9

ウイルス

 油だらけの制服が近くのクリーニング屋でどうにかできそう、ということをネットで確認してから僕は学校へと向かった。

 通学路であり田舎の道でもあるここは、生徒たちの声がちょっとだけ聞こえ、頭上には青空が広がっていた。昨日の魔法や闘争といったものが嘘のように、日常が広がっている。


 いや、嘘かもしれない。事実なわけがない。

 魔法。消えたアパートと車。

 現実にあってなるものか。黒い油はどこかで浴びたのだろう。どこで? 知るか。



 教室に入ると大輝がいた。手を振ってくれる。いつも通りの光景だ。


「よう恵一、おは……って、どうした。めちゃくちゃしんどそうだけど?」

「え?」

「目にクマ、あとめちゃくちゃ目、赤いぞ? 読書でもしすぎたか、それともアニメか……?」

「いや、立花の家に行ったんだ。休んでいた時のプリント持っていってくれって若槻先生に頼まれて――」


 僕はそこで言葉を止める。

 この続きをどう言えばいいのか、分からない。

 ソラノのいるアパートに着いて、人類史とイジメの話を聞き、魔法らしきものを使って、ソラノは黒々とした石油をまき散らしながら車とともに消えた。

 そんな話はできるはずがなかった。特に魔法あたりの話はまずい。正気を疑われるとソラノと同じ立ち位置になってしまうかもしれない。春香にめちゃくちゃにされたら僕はおわる。


「……なあ恵一、風邪じゃないのか、お前。さっきから黙ったままだけど」

「風邪じゃないよ。たぶん。でもどうだろう。立花のアパートって意外と遠かったし、結構迷ったんだ。それで疲れたのかも」

「そっか。まあ風邪じゃないならいいや、授業中寝るなよ。ところで立花と何かあったのか?」


 体がビクリと震える。

 気付かれた。

 いや、そうじゃない。

 気付かれるものは、まだないじゃないか。


「特には、何も」

「何もってことはないだろう?」

「どうしてそう思う?」

「立花ソラノのこと、今日は立花『さん』じゃなくて、立花と呼び捨てにしてるからさ。なあ、恵一、実は立花と仲良くなったとか、そういうことじゃないよな?」


 どうして大輝はそんな下衆な推理をしてくるのだろう。

 ただ、ソラノのことを危険視し不安を抱える人間の目ではなく、下衆な興味を持つだけの目をしていたので、正直ホッとした。


「何もなかったよ」

「本当か?」

「うん。というかいまだに何を考えているのか、僕にも分からないよ」


 ソラノの考えていることは、イジメの肯定と進化の尊重と闘争のことだ。訳がわからないけど、そんな所だ。


 だからこそ、聞くべきなのだろう。


「あのさ、大輝。知ってたら教えて欲しいんだけど」

「なんだ?」

「立花が呪い殺したらしい春香の先輩の話。僕、まだ知らないんだけど、一体何があったんだ?」




 ソラノも春香もいないまま、授業は始まり、そして終わっていった。

 二人は病欠とのことだった。春香は絶対サボりだ、などと教室でささやかれていた。ソラノについては誰も触れなかった。よく休んでいるのかもしれないが、クラスのなかで存在が消されてしまっているのだろう。


 僕は帰路につくまえ、学校近くの図書館に寄った。図書館のパソコンにある、過去の新聞のデータベースにアクセスするためだった。大輝が知っているソラノの過去が事実であれば、当時の記事が必ず見つかる。その自信があった。


 データベースの入ったパソコンに、日時を入力する。設定は大ざっぱに2年前として、『溺』『高校生』と、そしてこの土地の名前を含むワードで検索をかけた。

 三十件の記事がヒットした。僕はその一つ一つ、すべて読んでいく。内容は大輝が喋ってくれた内容とほぼ一緒だったが、これで具体的に当時どうであったか確認ができた。



 新聞による事件の概要は、だいたいこんな感じだ。

 過去の新聞記事によると春香の先輩は本当に死んでいた。名前は今野岩夫。いま僕が通う雨傘峰高校の二年生だった。そんな彼の死因は溺死だった。

 警察は当時、この溺死を事件として捜査していた。事故として捜査しなかった理由は溺死の仕方にあった。

 春香の先輩が溺死したのは、春香が通う学校のグラウンドのど真ん中で、溺死の時間は校門が閉まっていた深夜。体は石油まみれになっており、グラウンドの地面ととともに、真っ黒に染まっていた。

 新聞は連日、この不可解な事件について報道していた。遺体はグラウンドに車か何かで運ばれたのだろうと推測された。しかしどれだけ日数が経っても真実には迫れなかった。不可解とはいえ、進展がまったくない以上、報道の鮮度も落ちていったのだろう。データベースで検索した記事の日付は、事件から二カ月を境に、何も表示されなくなった。事件は風化したのだ。

 そしてこう検索することで、そのときのテレビ報道についての僕の記憶も蘇りつつあった。だが、転校した学校が事件の舞台になっていたとは、大輝に聞かされるまで想像もしなかった。



 だが当事者たちの近くにいた大輝は、新聞よりも当然、さらに詳しく知っていた。

 僕は頭のなかで、大輝から聞いたことを反芻しつつ、新聞データベースにはない事柄をつけ加えていく。


 まず春香の先輩が溺死する日の夕方、彼と一緒に歩いている一人の女子生徒の姿がクラスメイトによって目撃されていた。その女子生徒とは、当時付き合っていた春香ではなく、当時中学二年生だった立花ソラノだった。ソラノは春香の先輩とともに、学校へと向かっていたらしい。

 当時から不思議な言動を繰り返し、イジメを受けていたのでこの組み合わせは誰から見ても不自然だった。だから殺人犯としてすぐ捕まると思われていたらしい。

 しかしソラノは事情聴取により身の潔白が証明された。それはソラノのことを知る春香や大輝たちにとっては驚くべきことであり、同時に怒りにも繋がった。一番怪しく、またいじめられている女子生徒が無関係なはずない、と彼女たちは決めつけていたからだ。


 そして、中学二年生だった春香は別のクラスにいるソラノの教室まで乗り込み、初対面でもあるにも関わらず、顔を見るやいなや、ソラノの顔をまず殴り飛ばした。大輝いわく、歯が三本ほど飛び出し、床に血が飛び散ったらしい。

 それでも暴力をやめない春香はスカートがめくれることなど気にすることなく、馬乗りになってソラノの動きを封じた。

 そして言った。


「お前が私の先輩を殺したんだろ!」

「それは誤解だよ。彼は自分の意思で死んだ」

「嘘だ、そんな、先輩が自殺なんてするはずない! それにあんな状況でどうやって自殺できるって言うんだよ!?」

「それは魔法さ」

「魔法?」

「そう、魔法。ただ負荷に耐えられなかったんだ。人間はみなモロい。我々は少し見誤ってしまったと感じている。残念だよ」

「はあ、残念っててめえ殺すぞ。それになんだよその我々って」

「我々は我々だよ。生命体の総数が一ではないということさ」

「訳わかんねえ。てかお前と先輩、どういう関係だったんだよ」

「特に親しくはなかったが、性交したいと思ってはいたさ。彼の遺伝子が欲しかったんだ」


 その瞬間、馬乗りになっていた春香はひじでソラノの鼻をへし折った。そのあと、たまたま落ちていたボールペンを手の甲につきさした。それでも泣かなかったからか、ソラノの綺麗な中指とひとさし指を反対に折り曲げた。ソラノはそれでも笑みを浮かべていたらしい。むしろ泣きはじめたのは春香のほうだった。大輝によると、その瞬間、理性が消し飛んだように見えたらしい。赤くはらした憎悪の目をあちこちに向けつつ、野球部の部員がもっていた金属バットを奪い、仰向けになって笑っていたソラノに向けて振り下ろそうとしていた。大輝はその瞬間、人の死ぬ場面が見れると、少し興奮したらしい。


 だが、ソラノは死ななかった。

 なにやってるんだ、と止めに入った先生がいたおかげで、その場はおさまった。

 ただ今度は過度な暴力で春香が警察にしょっぴかれると大輝は思った。

 しかしそれもなかった。

 次の日、ソラノは打撲痕、骨折、擦り傷、切り傷、すべての痛みを「魔法」で回復したかのように現れたからだ。そしてソラノはケンカを止めに入った先生に対しても、「何もなかった」と言い張るぐらい、出来事そのものを抹消しようとしていた。

 おかげで春香の暴力沙汰は表に出ることはなかった。ただ、彼女の放った「魔法」という単語に尾ひれがつき、「呪い殺した」という話に発展し、いまに至る。

 大輝はその呪いのルーツが拡大解釈だと知りつつも、ソラノの呪いを本気で信じている。

 それが現状だ。



「訳が分からないな」


 僕はパソコンのウィンドウを閉じ、深呼吸をする。

 過去の出来事、そして昨日自分の身に起こった出来事とを照らし合わせてみても、わからないことだらけだ。

 分かったことといえば、すぐに回復するソラノの身体と、春香の先輩と僕を襲ったのはきっと同じ黒い油だということだ。

 ソラノがなぜ春香の先輩を殺す必要があったのかわからない。いや、そもそもソラノは殺したくて殺したのか、それすら分からない。

 すべての思考がかたまってしまうのは魔法のせいだ。魔法なんてない、と言えない状況がすでに出来上がっている。このまま出来上がって欲しくないのだが。



 僕は立ち上がり、図書館から出ようと思った。もう調べたいことはなかったからだ。ただ、ふと生物のコーナーが気になって、そこに足を運んだ。

 そして一冊の本の存在が目にとまった。


『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』


 パラパラとその本をめくるが、活字が多すぎて内容が頭に入る気がしなかった。僕はすぐさま本を棚に戻し、図書館をあとにした。


『この社会は、遠い祖先による大虐殺が完了したことを示しているのだよ』


 帰り道、僕はそんなソラノの言葉を思い出した。


 そして寄り道がてら、ソラノのアパートの方にも足を運ぶことにした。

 駐車場にあった、サイドミラーが欠けた赤い車はなかった。

 しかしあのボロく寂れたソラノのアパートはしっかりあった。無数の監視カメラがここからでも見えそうだった。

 消えたあの夜のことは夢だったのだろうか。

 扉のチャイムを鳴らせば、いますぐにでも出てきそうな、そんな気配がある。

 チャイムを鳴らそうか?

 そう考えなくもなかったが、僕はやめた。

 チャイムを鳴らせば、たぶんソラノは出てきてくれる。「やあ、よくきたね」「人類史なのだがね」とか何とか意味不明なことを言ってくるに違いない。しかしそんな話は聞きたくもない。今はまだ五月とはいえもう夏が近づきつつある。そんなときに意味不明な話を聞くとめまいがしてしまいそうだ。それにそんなソラノの格好はきっと裸なのだろう。服を着ることすら拒み、恥じらいを捨てた人間の姿。禁断の果実を食べてもなお、ソラノは恥を心から消した。神話からの脱却なのだろうか。そういえばソラノが抱きついてきたとき、背中に胸の感触がしっかりと伝わってきた。むにっ。漫画の擬音が平然と出てきてしまうほど、その胸の感触は確かな気持ちよさを持っていた。そういえば僕はその胸を正面から見ようとしたのだろうか。いや、覚えている。僕は見たのだ。監視カメラの照明が胸を照らし、影を落とすその大きさをしっかりと確かめたはずだ。そのあと僕はどうしたのだろう。快楽に身をやつしたはずだ。だからソラノの手は僕のズボンのベルトを取り去り、チャックをさげ、そのまま――



「っはあ! はあはあ……」


 止まっていた呼吸が動き出す。そんな感触があった。

 いつから僕はソラノのアパートを見ながら立っているのか、まったく分からなかった。

 それに僕はいつ下半身をさらけ出したのか分からなかった。ズボンも下着も、綺麗に脱ぎ捨ててしまっている。


「僕は、露出狂にでもなったのか、まったく」


 これじゃあ油まみれになった日と同じだ。

 そう思いながら下着とズボンを回収して履いた。

 暑さで頭がやられたのだろう。

 そう信じたい。

 でも僕の頭は、意識が朦朧とするまえよりスッとしていた。すべての思考が体をめぐって排出されたかのような、そんな感覚があった。




 春香が再び教室に顔を出したのは一週間後のことだった。

 扉が開くと同時に、クラスの視線は春香に集まっていった。

 そして僕も、大輝も春香のことをジッと見てしまった。


「なに見てんだよ見せもんじゃねーぞぶっ殺すぞこら!」


 途切れない言葉で叫んだ春香は、目の前にあった机の脚を蹴った。座っていた男子は突然のことに驚き、立ち上がってその場から離れた。

 しかし視線は釘付けのままだった。僕も目が離せなかった。


 春香の左腕はアームスリングによって固定されていた。骨折しているのだ。そして両目の大きさが微妙に違う。片目は充血で真っ赤になっていて、今にも飛び出そうなほど大きく目を見開いている。その上で歯は前歯が一本なくなって赤い舌が見え隠れしていたし、髪の毛も前髪の一部が禿げてしまっている。あまりにも悲惨な状態だ。


「くそ、せめて帽子ぐらい被ればよかった……くそ、くそ……」


 自分の席についた春香は、ぶつぶつと小声でうつむきながら独り言を口から吐き出していた。


「春香……」


 春香の取り巻き女子二人が春香のもとへと近づき、そして一人が声をかけた。


「あ?」

「大丈夫?」

「大丈夫に見えるの? 目、おかしくね? 眼科でも行けよ。いや、眼科行くのは私か。お目ん目、飛び出そうだしな。アッハハハ!」


 何も面白くないはずなのに、春香は一人、教室で笑う。


「あーそうだ。我々ちゃんいる?」


 立ち上がり、取り巻きの一人の顔をのぞく。ぎょろっとした真っ赤な目が原因だろう。見られた方は明らかな戸惑いの表情を浮かべ、目を逸らしていた。


「我々ちゃんって、誰だっけ?」

「立花ソラノ。

 T・A・T・I・B・A・N・A・S・O・R・A・N・O!

 そいつ以外、誰がいるのさ?」

「あーあいつはまだ学校に来てない。ずっと休んでるよ」

「は……はああ? あいつも休んでたの。腹立つ。こっちは準備してきたのにさ!」


 と、春香は鞄のなかから出てきたものは、黒光りするナイフだった。大きな果物や野菜を切るときにしか使わない、大きなナイフだ。

 ダン、と音を立てて春香は机にそのナイフを刺した。勢いよく刺したせいか、机のうえで直立している。


「いや、春香それはさすがにやばいっしょ……果物ナイフより長いじゃん。うちらも守護れないよ」

「守る守らないの話じゃねえって。私にこんなことした罰をあいつに与えないと気がすまないって話なのわかる!?」

「え、そもそもそのケガって立花にやられたの?」

「そうだよ……ったく、胸糞わりぃ。完全に油断したんだ。あいつ、マジで魔法使ってきやがった」

「魔法だなんて春香、嘘だよね?」

「あ? いま、私がお前らに嘘つく意味ある? あれは魔法以外に説明つかねえよ。だって鍵付きの私の部屋にあいつ、いきなり現れたうえにさ、真っ黒でくさい液体とともに、車を持ってきたんだよ。持ってきたっていうか、召喚したって言ったほうがいいのか? とにかく部屋中、突然わけわかんないことになるし、床の一部は車の重みで底抜けるし、倒れた家具に押しつぶされた上に黒い液体が目に入ってくるし……死ぬかと思った。

 まーそんだけ殺意ばりばりあるんだったら、こっちも殺意で抵抗するしかないでしょ、って話。それに今野先輩の仇もとらなきゃいけないし。……あーゲホゲホ、ゴホ、オエッ」

「きたなっ」


 春香の取り巻きの一人が、取り巻きとは思えないひどい言葉を発しながら春香を避けた。春香が喋りながら黒々とした液体を吐いた。


「きたなってなんだよおいわたしのからだのなかにあったものおひていするってことはさつまりわたしをひていするってことになるんだよわかる」


 春香の呂律が怪しくなり、言葉がしっかりと聞き取れなくなっていく。口からは黒い液が垂れ、意識も朦朧としてそうだ。ただ視線だけはジッと取り巻きとソラノの席の交互を繰り返し見ていた。繰り返し見るものだから、目の動きが左右忙しそうに動き、気味が悪い。


「病院いきなよ、春香。おかしいよ。わたし、見てられないよ」


 取り巻きの一人はついに泣き出し、自分の席へと戻っていく。もう一人の取り巻きも取り残されまいと、すぐさま自分の席へと戻った。

 異様さと気味悪さをかかえた春香だけが、衆目を集めつつ一人取り残されていた。


「やばいな」


 大輝がぼそりと呟く。僕は、どう返せばいいか分からずにいた。

 そして教室の扉が開いた。

 ホームルームが始まるのできっと先生がきたのだろうと思った。

 だが、ちがった。

 そこに現れたのは、立花ソラノだった。

 彼女はニコニコと笑みを浮かべ、春香のほうへと歩み寄る。

 そして春香の視線をあびながら、喋り続けた。


「人類の歴史は感染症との闘いでもあった。ペスト、スペイン風邪、コレラ、マラリア、エボラ……様々な感染症が死を蔓延させ、文化の進退を決定づけた。ただ、コロンブスのように、サントドミンゴ島の人々を絶滅させたように、文化を終わらせることだってあった」


 いつもの意味不明な闘争の話だ。

 この場にいる誰もがきっと理解できていない。

 ただ構うことなくソラノは春香へと近づき、そしてにらまれながらも耳打ちした。


「ということで春香君、我々の体が作った新型ウイルスはどう? 効いてるかい?」

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