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魔女  作者:
8/9

 最初から脚本が用意されているかのように、さっと長い言葉が続き、僕の言葉は避けられる。

 空虚な会話が、僕とソラノの間で交わされ続けた。


「ただ恵一君。誤解しないで欲しいのは、我々はいじめてくる人たちに何もしない訳じゃないんだ」

「それは仕返しをするってこと?」

「君にとってはそう見えるかもしれないね。ただ巨視的に、進化のための闘争と思ってもらいたい。かつてのネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスの前では無抵抗ではなかったはずだ。その抵抗もまたホモ・サピエンスを進化させた。であるなら、我々の抵抗も必要だろう? これは進歩の尊重なんだ」


 ソラノはそこまで言ってから、窓を指で示した。


「実は君に残ってもらったのは他でもない。観測者になって欲しかったんだ。もしくは闘争の記録係、いや歴史の編纂者とでも言えばいいかな。とにかくベランダに出てみなよ」


 もうかすかにしか入ってこない夕陽の光を背に、ソラノは立ち上がり、ベランダの戸を開けた。キイキイキイと甲高い音がした。立て付けが悪くなってきているらしい。

 そんなベランダに僕は誘われるようにして出た。

 そして眼下に広がるものを見た。


「なに、これ……」


 白い石が敷き詰められた広大な空き地。そこにはサイドミラーのない真新しい赤い車と、黒いペンキのようなもので描かれた大きく複雑な星があった。車はそんな星の中心に止まっている。


「これは魔法陣だよ。以前、学校で唱えようとした魔法の続きをこれで完成させる。ちなみに触媒は車。あの車、見覚えがあるだろう?」


 いちいち車を覚える記憶力を僕は持っていない。そう言い返したかったが、その形ははっきりと覚えていた。

 このアパートに来る途中見かけた、駐車場に一台だけあった赤い車だ。僕が思い出せたのは両方のサイドミラーが取れてしまっているからだ。


 しかし、どうしてあんな所に車があるのだろう。

 ここから見える景色は駐車場から見て反対側の場所。そして僕がやってきてからソラノはこのアパートから一歩も出ていない。二台似たような車があったというのだろうか?


「恵一君。何か考えごとをしているようだが、これはミステリーじゃないんだよ。魔法なんだ」

「魔法だなんて、存在するはずないよ……」


 僕の声は震えている。呼吸も少し荒くなっている。手や額からは変な汗が出はじめている。


「我々はつまらない嘘をつかない。さっきも言ったように、魔女と言われるのはあながち間違いじゃないんだよ」


 でも信じられない。


「だから君に見て欲しいんだ。ここで起こること、これから起こること。すべてね」


 それからソラノは言葉を続けた。



「これから起こることは酩酊感が伴い吐き気を催す。君は存分に我々の部屋で吐いてくれて構わない。人間は所詮物質であるから、物質が物質を吐くことに我々は何の嫌悪感を抱かない。我々があの糞まみれの泥に違和感を覚えなかったのはそういうことなんだ。まあ、とはいえ君の物であれば本当に嫌悪は生まないだろう。種族的にはホモ・サピエンスとネアンデルタール人との闘争に置き換えられる君と我々の関係だが、こうして交流がもてたのだからね。そうそう、先ほど君には伝えなかったのだが、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間には間接的、あるいは直接的な大虐殺が行われている最中に、種を超えた性交が実は行われていたんだ。これは最近行われた研究により明らかになった交雑説さ。完全なホモ・サピエンスとしてのDNAを保持していたとされる人々だったが、実は数パーセント程度ではあるが、虐殺されたネアンデルタール人やホモ・デニソワの特有のDNAを含んでいたんだ。そもそも種としてそれほどの違いもなかったんだ。少し興味深いと思わないかい?大虐殺を繰り返していく一方でどこかでは愛が生まれ生命が育まれ遺伝子が受け継がれていたんだ。これは何かと類似していると思わないかい?いや、まだ恵一君の勘はすぐれないから分からないか。結論を言うと、数少なく存在した大虐殺下のなかの愛は、我々と君に似ている。裸になった我々の欲に少し溺れそうになった君と、君を欲した我々の関係だよ。我々は君以外の人々には闘争を求める。他の男子のDNAには少しも興味ない。しかし君という例外に対してはすべてを受け入れようと思うのだよ。だから我々は君の吐瀉物でも違和感を覚えない。むしろ好意を持つかもしれない。いや、そういった発言は君に引かれるからやめた方がいいのだろうかね?ところでまだ吐かないつもりかい?随分と顔色が悪いようだけど、どうかな。吐いてくれて本当に構わないのだよ。むしろ君の喉に我々が手を入れてみようか?ああ、そんなことより恵一君は自分の足で立てなくなってしまったみたいだね。では服を剥いでしまってもいいかな?やはり君との性交には興味があるのだよ。君が眩暈を起こして倒れているこの瞬間もね、たまらなくしたいんだよ。愛おしいとすら思う。平凡な価値観で言うと愛していると言っていいのだろうね。そして今したいと思ってしまうのは、君が起きたときに我々がやることすべて忘れてしまうということが分かっているからなんだ。ずるいかい。ずるいだろうね。しかし子を宿す既成事実を作ってしまえば君は認めざるを得なくなる。ところで酩酊状態の君はこう思うだろう。いつの間に僕はヤってしまったんだと。確かに倒れている君との性交は難しい。性交には姿勢もまた重要だと我々も思うからね。しかし君はいまとてつもなく興奮しているんだ。もちろんこれは通常の酩酊とは異なることを示している。これは我々の持つ魔法の副作用といってもいい。そんな興奮のおかげで君はちょっとした刺激だけで達することができるようになっている。これを利用しない手はないと我々は考える。どうだろう。もう抵抗する意味はないんだ。我々にすべてを出してくれたまえ。我々はすべてを受け入れる。君は心配しなくていい。心地よくすべてを出してくれたまえ。未来の新たな生命は我々と君が育てる。


 そして『私』が誕生する」







 僕は吐いた。胃の中がすべて空っぽになってもまだ胃が逆流し、すべてを吐き出そうとしていた。何か異物が入り込み、それがへばりついて取れない、そういった感触が胃にあった。

 しばらく僕は石の上を転がり続け、そして息も絶え絶えに横になった。

 そのまま気を失い、寝てしまいそうになりながらも、僕は正常な判断を取り戻した。


 石の上?

 ゆっくりと座り込み、まともな視野でその場を見渡した。

 僕が座っているところには小石があり、それはどれも黒く染まっていた。その黒はペンキの黒色かと思ったがペンキではなかった。灯油と同じ臭いがする。それが真っ黒ということは、石油なのかもしれない。僕の姿はいま、タンカーから漏れた石油を浴びる小動物のようになっているのだろう。

 僕は臭いに耐えられずその場からすぐ立ち去ろうとした。しかし上手く立ち上がれなかった。足の下で絡まっていたズボンが僕を邪魔していた。さらに冷静になって全身を見ると、僕は下半身をさらけ出していた。


 どうしてズボンも下着も脱ごうとしていたのか分からない。そんな姿になって何が起こっていたのか分からない。

 分かるのは何かが出た脱力感と、腰の痛みだけだ。

 だけど僕は何かを大切なものをたくさん取り出された気がして仕方がなかった。


「ソラノのアパートは……?」


 とりあえず周りを見渡す。

 しかしアパートはなかった。さっきまで僕はソラノと喋っていたはずなのに。


「靴は……」


 履いていた。いつ靴を履いたのかは分からない。


「何だか寒いし、訳が分からない。ソラノは一体何をしたんだ?」


 もう夜だった。僕は一体どこにいるのか、さっぱり分からなかった。月明りと、離れたところにある舗装された一本の道だけが頼りのように見えた。

 僕はベトベトになったズボンと下着を履き、立ち上がり、油で転ばないようゆっくりと歩いた。

 離れた場所に鞄があった。


「鞄ゲット……これはクサくないな」


 鞄はどうも難を逃れたらしい。黒いシミ一つなかった。

 そして黒い油のエリアから抜け出した僕は歩みを早めた。

 そのとき何かを踏んだ。割れる音がした。僕はそれを拾い上げる。


「……サイドミラー」


 赤い車のサイドミラーだった。二つあった。

 しばらく歩くと、小石と小石の間に無数の破片が見えた。それはどれも原型をとどめていなかったが、無数の監視カメラの残骸のように見えた。


「ここ、もしかしてソラノのアパートの場所なのか……?」


 しかしそこには何もなかった。アパートの形跡は信じられないことに一つもない。

 だが周りを見渡すと、それがアパートのあった場所だと信じられるものが、もう一つだけあった。

 黒い油の痕。

 少し離れたことで分かったが、それは大きく複雑な星で、ソラノの言うところの魔方陣だった。

 ソラノの魔法だ。

 だが、赤いサイドミラーのない車はもうない。


「一体、何が……」



 帰り道。

 僕は赤い車が止めてあった駐車場の前で歩みを止めた。しかしいくら目をこらして見ても、駐車場に止めてあった赤い車はやはりなかった。

 車はどこかへ消えた。最初からなかったのかもしれないし、どこかへ行ったのかもしれない。

 持ち主がスッと現れ、サイドミラーのことなど気にせず乗っていることを僕は祈った。そうでもなければ異常すぎるからだ。


 僕は帰宅した。

 誰にも真っ黒になった僕の姿を見られることなく帰宅できたことは救いだった。

 それに親はでかけていたので、僕は油だらけの体を綺麗にして、難なく着替えることができた。バスルームの油臭さは丁寧に洗い流し、黒い油まみれになった服はとりあえずゴミ袋の中に入れた。捨てるのは勿体ないが洗うのには苦労しそうなほど汚れている。どうすればいいのか分からず、僕はネットで検索しようと考えた。でももう体が動かなかった。疲れていたのだ。

 僕は夕食の時間でもないのに、ベッドで横になった。胃のなかは空っぽだったが、もう何も入れたくはなかった。

 いざベッドで横になると、今度は考えることすら億劫になった。


 僕はあらゆることを保留した。

 そして、そんな僕の疲労とは関係なく、ソラノの言う『闘争』はこのときから既に始まっていた。

第一部 完

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