人類史
イジメは良い文化だと思えず首を横に振る僕。それに対してソラノは言った。
「そうか、なるほど。でも物事をもっと巨視的に見れば君でも分かるとは思うよ? 例えば人類史と比較するなんてどうかね?」
「人類史……つまり戦国時代とか?」
「そのあたりでも構わないが、君には一万三千年前を見てほしいと思う。ところで一万三千年前にこの地球で何が起こったのか、君は知ってるかい?」
「人類が誕生した、とか?」
「人類の誕生はもっと前だよ。二百五十万年前。学校で習ったはずだよ? もっともこれは現生人類に近い種が誕生したというだけであって、我々や君のようなホモ・サピエンスがこの地球に登場したというわけじゃない。最初のホモ・サピエンスの誕生はもう少しあと、十五万年前になる。そのとき、東アフリカで『賢いヒト』に進化したんだ。ただこの頃は様々な人類が住んでいた。ネアンデルタール人ぐらいは君だって知っているはずだ。そんな奴らとホモ・サピエンスは一時期共存していた。しかし、一万三千年前にそれは変わった。
一万三千年前にこの地球で何が起こったか。答えを言うと人類はホモ・サピエンス一種類だけになり、他の人類は絶滅したんだ。ホモ・ソロエンシス、ホモ・デニソワ、ネアンデルタール人といった何万、何十万年と栄えた他の人類はこの地球から消えた。ここまでは分かるかい?」
饒舌かつテンション高く喋りかけるソラノに圧倒されながらも、僕はコクリと小さくうなずいた。
人類が一種類になった。それが一万三千年前だった。それは分かる。
でも彼女が何を話したいのか、それはさっぱり分からずにいた。
「分からないっていう顔をしているね?」
「まあ、そりゃあ、イジメと人類史の話が関係あるとは思えないからね」
「なるほど、では仔細に話すとしよう。ここからが肝要だ。ところで君に質問なのだけど、どうして他の人類が消えたと思う?」
「気候の変動とか、環境に耐えられなかったとか、その辺かな?」
「残念ながらその可能性はとても低い。確かに局地的な環境の変化はあったかもしれない。ただ、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに比べると筋肉があり、寒冷な土地にも適応できる能力があったんだ。だから環境の変化でネアンデルタール人が滅びるぐらいなら、ホモ・サピエンスはとっくの昔に滅んでいた可能性の方がうんと高かった。でも君がいまいるように、ホモ・サピエンスはこうして生きている。他に何か、他の人類が消えた原因についての考えはないかい?」
「うーん、特に思い浮かばないかな。ごめん」
「なに、別に構わないさ。君のなかにある善性の前提条件が、とある思考を拒否していると分かったからね。思い浮かばないのは仕方ないことさ」
つまりどういうことなんだろう、と聞くより早く彼女は答えた。
「君が我々の考える答えにたどりつかなかった理由はなぜか。それは君、つまりホモ・サピエンスが他人類に対して略奪、支配、暴力を振るわないと信じて疑わない前提があるからだよ。それもとびっきりの暴力。相手が死に絶えるほどの暴力のことさ。
考えてもみなよ。生息領域を拡大していくホモ・サピエンスは先住民である他の人類の領域に土足で踏み込んだ。踏み込んだ先で必要としたものは、他の人類が得てきた食料や資源だった。同じ人類なのだから同じ食料が必要になることは当然と言える。しかし食料や資源は有限だ。なら、どうするか。簡単だ。すべて弱者から奪えばいい。狩りの邪魔になるなら、狩りをする他の人類を殺してしまえばいい。
ここでもしホモ・サピエンスが共存の道を選んでいれば今頃、この社会にはホモ・デニソワもネアンデルタール人もいたことだろう。でもそれらの人類はもう一人としていない。つまりこの社会は、遠い祖先による大虐殺が完了したことを示しているのだよ。
でも誰もその大虐殺に関して、倫理を改めて問うことはしない。よって反省もしない。むしろホモ・サピエンス同士の争いは絶えず行われ続けている。一万三千年以後の大虐殺であれば、第二次世界大戦のナチス以後もしばしば記録されている。
ここまで来れば我々の言いたいことが分かるだろう。つまり人類という種は他人に対してとても不寛容で、本能的には殺戮も良しとしている。そこで出来上がった文化も、社会が倫理や罰を問わない限り、良い文化として認知され続け発展する。
それが今のホモ・サピエンスの良い文化さ。
そしてこの歴史の巨視的スケールを学校の一クラスという単位にまで小さくすれば、我々は良い文化の生贄となるネアンデルタール人となり、君や春香といった人類は良い文化を築いていくホモ・サピエンスになる。種族と学校、こうして二つを同列にして語ることで、イジメは繁栄を極めるために必要な良い文化という風に見ることができる」
「いや、ちょっとそれは……おかしいと思うよ」
僕は咄嗟に思ったことを口にした。ソラノの洪水のような言葉に返せるものは何も思い浮かんでいなかった。ただ、ソラノの話を聞いている間に、わなわなと体が熱くなり、震え、黙っていられなくなっていた。
「どこが? どこがおかしいんだい?」
ソラノは驚くことなく言い返した。
僕はただでさえ回転していない頭を回転させ、何とか言葉を紡いだ。
「イジメと歴史の話は何となくわかった。いや、細かい部分は訳がわからないけど、それはまあ置いておく。ただ、僕がおかしいと思ったのは、ソラノが自分に対するイジメもそれで許せると思えることだよ。僕なら嫌だ。ソラノはそれでもいいの?」
そこまで言って僕は一応スッキリした。
ソラノはフフフと声を出し、ワザとらしく笑いながら言った。
「心配してくれてどうもありがとう、と言うべきかね? でも大丈夫。我々はあの程度では苦しくも何ともない。我々は単純に、歴史のこれまでの道程とこれからの進歩は尊重している。そして良いものだとも思っている。ただそれだけなんだ」
「良いものだから、すべてを受け入れてる?」
「その通り。むしろ尊重のために後押しをしてあげたいくらいさ」
何だろう。
話にならない。
僕の言葉はソラノの耳に届いているはずなのに、届いている感触がない。
だがソラノの答えは一切ブレない。
最初から脚本が用意されているかのように、さっと長い言葉が続き、僕の言葉は避けられる。空虚な会話だ。
参考文献:『サピエンス全史』(著:ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社)




