獣性
立花ソラノの玄関前は普通ではなかった。
「なんだこれ」
僕はつい、声を出してしまう。その瞬間、パッと電気が点灯した。僕は少し驚いたが、その光の正体が監視カメラのものだと気付くまで、さほど時間はかからなかった。なんだ監視カメラか。そう最初は思った。だが、冷静に考えてみると少しおかしかった。古びていそうなアパートなのに、監視カメラは新しかったのだ。
さらに見上げてみると、光った監視カメラ以外にも無数の監視カメラが設置されていた。しかもどの監視カメラも形は異なり、また捉えている角度も異なっていた。
その監視カメラが何を捉える目的でそう設置されたのか、僕には理解できそうにない。
その上、さらに理解できないものが、僕の視界に入っていた。
それは暗いアパートの蛍光灯に照らされた玄関扉の鍵だった。鍵は備えつけのもの以外に、暗証番号を必要とする鍵や、掛金錠が複数取り付けられている。家から入って出るだけでも一苦労するほどの鍵の数だ。女の子の部屋とはいえ、こんなに必要とは思えない。
鍵は侵入者を拒み、監視カメラは侵入者を捉える。その二つは防犯のための道具である。
しかしここまでくると、防犯以外の目的があるのではと、僕は訝しんでしまう。
もちろん僕にはまったく想像できない。担任の若槻先生もこの光景をまえにして、理解に苦しんだのかもしれない。
とにかく、この異様な防犯意識は立花ソラノにしか分からない。
ただ僕まで若槻先生のように萎縮するわけにはいかない。そもそもここまで歩いてきたのだから、何もしないわけにはいかなかった。
僕は迷うことなくチャイムを鳴らした。玄関チャイムは普通だった。室内に響く聞き慣れたピンポンの音が僕にも聞こえた。
扉の奥から、スタスタと足音が聞こえる。
「誰?」
扉越しに立花ソラノの声が聞こえた。相変わらず声色は低く、そして扉越しだと聞こえなくなりそうな小さな声だ。
「城山恵一。あ、転校生って言った方が分かるかな」
「転校生の恵一君か。なんのようだい?」
恵一君、と下の名前で呼ばれるほど僕と立花ソラノは親しかっただろうか。でも、悪い気はしない。
「休んでいたときに出た一週間分の授業とか宿題のプリントを持ってきたよ」
「そうか、君も大変だな。若槻は我々のことを随分と嫌っているからな」
少し楽しそうな語調だったが、担任であり、大人である若槻先生を呼び捨てにする言葉は、僕とは逆に親しみをまったく感じなかった。
「せっかく来たのだから、あがっていきたまえ」
ウィーン、ガチャ、ガチャリ、ガチャ、ガチャ、ガチャンという開錠音が続けてアパートに響く。
そして立花ソラノの玄関の扉が開いた。
僕は言葉に甘え、そのまま立花ソラノの部屋へと、足を踏み入れた。
「ではお邪魔しま……えっ?」
僕は立花ソラノの姿を見て、驚き、持っていたプリント入りの紙袋をその場に落とし、すぐに玄関の外に出た。
「どうした?」
「いや、だって立花さん……その格好!」
僕を部屋に入れようとする立花ソラノ。
その格好はなぜか全裸だった。
それも、手や何かで隠そうとはせず、堂々とその裸をさらしていた。
「格好? ああ、裸だな。外では色々と面倒だから服を着ているが、普段は裸だよ。それが?」
「『それが?』じゃないよ。そもそも、なんで普段から裸っ!?」
僕は玄関扉に背を向けて言う。
彼女が堂々と裸をさらしていても、それを堂々と見ていいわけがない。
「我々は服を着る必要を感じないからね。むしろ洗濯をする手間が省けることはメリットだ。それに、我々は君に裸を見られても問題ないと思ってる」
「いや、僕にも問題があるよ……」
「それは君が興奮してしまうからか? 君は男子なんだから、自由に大きくしてもらっても構わないよ。何ならその獣性に従って、我々を今すぐ襲っても問題ない」
「それこそ問題だよ。親密な仲ならともかく、そういうのは……不純だ」
「ふむ、親密に不純か。価値観の尺度が教室にいる人間と同じく平凡だのだな、君も」
ソラノはそこまで言うと僕に近づき、腰に腕をまわしてギュッと抱きついた。むにっとした柔らかい感触が背に伝わり、温かい体温が僕の全身を包み込む。
何があたってしまっているのか、背中越しでも僕には分かった。
監視カメラの光が、役者を照らすように僕らの頭上で点灯する。
「あの、立花さん、何をやってるんですか!?」
「なに、恥じらいなんて捨ててしまえばいい。ヘビにそそのかされ、禁断の果実を食べてしまう前の関係に、我々と恵一君だけは戻ろうじゃないか。他の生物と同じく、繁殖という行為に素直に――」
「ヘビにそそのかされるとか、よく分からないけど、それ以上、そういうこと言うと、僕は帰るよ!?」
僕は立花ソラノの腕をつかみ、抱擁を解いた。少し荒っぽくなったが、それは仕方がなかった。
僕は怒ってはいないが、抵抗した。不純になろうとはまったく思わなかった。
ただ一方で興奮を隠しきれず、立花ソラノの腕が万が一、ズボンの方へと行くならば、快楽に身をやつしてしまう可能性は十分にあった。
不純、理性、嫌悪。
それらは快楽、興奮、欲望、獣性とともに、僕の内面からしっかりとあふれ出し、寸前のところでとどまっていた。
立花ソラノの姿は見えない。僕が背を相変わらず向けているからだ。ただ、彼女の息づかいは聞こえていた。
「帰られると困るな。君と親密になる機会がない」
困る。親密になる。
これまで何を考えているのかよく分からない立花ソラノらしくない、平凡な言葉だった。
つまり、友達が欲しいということだろうか?
「分かった。じゃあ帰らないよ。でも立花さんは服を着ると約束して欲しい。いい?」
「仕方がない。君と親密になるためなら服を着よう。ただ我々からも約束して欲しい。親密になったときはお互い服を着ないこと。そのような日常の裸を見て興奮したら、適切な行為による処理を行うこと。いいかな?」
いいよ、とはとても言えなかった。首肯もしなかった。
やはり親密になるという言葉は、友達が欲しいという単純なものではなかった。
確かに親密になれば、お互いに何かを求めることはあるだろう。
しかし立花ソラノのそれは獣性――つまり、野生的な欲求を伴っている。禁断の果実がどうこうと言ってしまうような欲求だ。
簡単に認めてしまうと、僕はどこまでも堕ちていってしまう気がする。
それだけは嫌だった。




