第1話 もう、責任者のいない仕事は引き受けない
俺が前世で最後に覚えているのは、白い蛍光灯の天井だった。
会社の会議室だ。
終電を逃して、そのまま始発まで資料を作って、仮眠も取らずに朝の会議へ出て――そこで意識が切れた。
たぶん、あれで終わったんだと思う。
で、次に目を開けたら、天井はやたら高くなっていた。
しかも石造りで、豪奢な模様入り。
ついでに、俺の肩書きは異世界の第八王子になっていた。
最初は混乱したが、十年も経てば慣れる。
人間、だいたいのことには慣れるものだ。
慣れたくなかったけど、王子生活にも、王宮の人間関係にも、兄たちの面倒くささにも、俺は十分慣れてしまった。
そして十五歳になった今、俺は王位争いからもっとも遠い立場にいる。
上には兄が七人。
有力な母を持つ王子もいれば、騎士派閥に推される王子もいる。
その中で俺は、母方の後ろ盾も弱く、目立った武勲もなく、性格もおとなしい。
良く言えば無害。
悪く言えば、いてもいなくても同じ第八王子だ。
俺としては、その評価に満足している。
王になりたいとも思わない。
目立ちたいとも思わない。
前世であれだけ働いて壊れたんだ。
今世くらい、静かに生きたい。
そう思っていたのに。
「レオン殿下。出納局と祭事局が、お名前だけでもお借りしたいと申しております」
朝食後、紅茶を飲んでいた俺に、侍女のミナがそう告げた。
「名前だけ?」
「はい。建国祭の追加予算に、王族の承認印が必要なのだとか」
嫌な言葉が二つ並んだ。
追加予算と、名前だけ。
俺は紅茶のカップを置いた。
「断ると面倒になるか?」
「はい。向こうは、他の殿下方がお忙しいのでレオン殿下に、と」
つまり、押しつけ先にちょうどいいと思われたわけだ。
「……行くか」
立ち上がると、ミナが少しだけ驚いた顔をした。
「よろしいのですか?」
「よくないけど、名前だけ貸して爆発したらもっと面倒だろ」
前世で嫌というほど見た。
責任者が曖昧な案件に限って、最後に一番暇そうな奴へ飛んでくる。
そしてその“暇そうな奴”が、だいたい死ぬ。
俺はもう、その役はやらない。
出納局の会議室では、すでに数人の文官が言い争っていた。
「ですから、夜灯の数を減らすわけにはいきません!」
「減らさなければ赤字がさらに広がります!」
「建国祭は王国の威信ですぞ!」
「威信で帳簿の穴は埋まりません!」
部屋に入った瞬間、頭が痛くなった。
長机の上には書類が山積みで、封の切られていないものまで混ざっている。
誰が何を出したのかも整理されていない。
前世の会議室が少し上品になっただけだった。
俺に気づいた文官たちが、あわてて一礼する。
「レオン殿下! 本日はご足労いただき――」
「先に聞く。何の承認だ?」
年配の祭事局長が笑顔で書類を差し出してきた。
「建国祭の追加予算でございます。今年は例年より来賓が多く、夜会の酒樽、広場の装飾、祝砲用の魔石、それに騎士団の記念演武台の増設が必要でして」
紙を受け取って眺める。
ざっと見ただけでおかしい。
去年の決算より支出が多い。
しかも増えた理由が全部『例年通りの格式維持』だ。
格式維持で赤字になる祭りなんて、ただの見栄の大会じゃないか。
「黒字になる見込みは?」
祭事局長の笑みが止まった。
「……建国祭は利益を目的としたものではなく」
「じゃあ赤字額の上限は?」
「それは、その……」
「責任者は誰だ?」
今度は全員が黙った。
俺は紙から顔を上げる。
「予算を増やした責任者。誰が最終判断する?」
出納局の若い書記が、困ったように口を開く。
「祭事局、宮廷厨房、近衛儀典室、貴族応接係の合同案件でして……」
「つまり誰も責任を取らない?」
「い、いえ、そういうわけでは」
「いや、そういうことだろ」
俺は書類を机に戻した。
「去年も赤字だったんだな」
「……はい」
「その前も?」
「はい」
「じゃあ今年はさらに赤字が増える。それなのに止める人間がいない、と」
祭事局長がむっとした顔になる。
「殿下。建国祭は王国の伝統です。多少の赤字は必要経費かと」
「多少で済んでないから出納局が揉めてるんだろ」
俺はため息をついた。
全部を立て直す気はない。
王宮の無駄なんて探せばいくらでもある。
そんなことを始めたら、俺はまた働きすぎる側に回る。
でも、明らかに危ないものだけは放っておけない。
責任者がいない。
赤字が常態化している。
しかも、なんとなく続いているせいで、誰も止められない。
これ、前世なら一番事故るパターンだ。
「建国祭そのものをやめろとは言わない」
そう言うと、室内の空気が少しだけ緩んだ。
「ただし、追加予算の承認はしない」
緩んだ空気が一気に固まる。
「殿下!?」
「代わりに条件を出す。三つだ」
俺は指を立てた。
「一つ。責任者を一人決める。合同案件でも、最後に名前を書く人間は一人だ」
「……」
「二つ。去年までの支出と今年の予定を並べて、どこが増えたか見える形にしろ」
「……」
「三つ。赤字を出す前提でやるなら、どこまでなら許容かを先に決めろ。青天井は認めない」
誰もすぐには返事をしなかった。
だが、出納局の隅にいた白髪の老書記だけが、やっとまともな人間を見るような顔をした。
「……恐れながら殿下。その条件を満たせば、ご再考いただけますか」
「内容次第だな。あと、去年から三年分の祭りの決算も持ってきてくれ」
「三年分、ですか」
「比較しないと、どこが腐ってるかわからない」
祭事局長が不満げに眉をひそめる。
「殿下は、そこまでなさるおつもりで?」
「勘違いするな。俺は改革がしたいんじゃない」
書類の山を見ながら、はっきり言った。
「ただ、責任者のいない赤字案件に、俺の名前を貸す気がないだけだ」
それだけ言って、俺は踵を返した。
背後で文官たちがざわつく。
面倒ごとの始まりみたいな音だった。
でも、もう決めた。
全部はやらない。
無理はしない。
ただし、明らかにおかしいものだけは止める。
会議室を出ると、老書記が慌てて追いかけてきた。
「レオン殿下! 三年分の決算書、すぐにお持ちします」
俺は足を止めた。
「名前は?」
「ハロルドと申します。出納局で記録を預かっております」
「じゃあハロルド、倉庫の使用記録と酒樽の納入数、それから夜会の招待客名簿も追加で頼む」
「……そこまでご覧になるのですか」
「祭りの赤字ってのは、だいたい見栄か惰性か、どっちかだ」
ハロルドは数秒黙ってから、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
俺は小さく息を吐く。
静かに暮らしたかったんだけどな。
そう思いながらも、足はもう出納局の資料室へ向いていた。
結構昔に書いたモノです。
あの時は上手く表現できなかったんですが、今ならまだマシな作品に仕上がった気が…します。
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