第六章 カーライル
「うわ」
学園から王宮へと戻った後、探し出した資料を手にアリーシャは小さく呟いた。
腕に抱えた本が、思った以上の重量だった。
それなりに鍛えてはいるので、この程度なら別に問題はない。ただちょっと、想定外だっただけのことだ。
「うーん……」
アリーシャは少し迷った。中身を見るだけならどこでもいいのだが、できれば地図も広げて確認したい。ただそうするには、自室の机だといささか小さ過ぎるだろう。
だとすれば、あまり気は進まないが書庫の一画でするしかない。
アリーシャはできるだけ人目につかない隅の席を探し、腰を下ろした。王宮内にある図書室の、それも最も奥の書庫だ。そうそう誰かが来ることもあるまい。
そう自分に言い聞かせ、アリーシャはそっと本のページをめくった。
(多分、二年か三年ほど前のことだったと思うんだけど……)
アリーシャが引っ張り出して来たのは、アナトールの貴族について記した系譜をまとめたものだった。
貴族同士の縁戚関係というのは実に込み入っていて、どこがどう繋がっているのか当事者であっても分からなかったりすることがあるくらいだ。部外者であれば尚の事。
勿論貴族であれば婚姻であれ出生であれ死亡であれ、国へ報告をするのは当然の義務である。だから届け出自体はきちんとされているのだけれども、それを総合的に把握するのはまた別の話だ。
とはいえ、入り組んだ血縁関係のせいで、調べようにもどこから手をつけるべきか。
そう思ったところで、アリーシャははたと気づいた。
(あ、でも、そう言えばソーウィン家とは近しい関係だったらしいから、そっちから探した方が早く見つかるかも)
アリーシャはすぐに侯爵家について記されているページを開いた。
そして、その推測は当たっていた。ソーウィン侯爵家の姻戚関係を辿っていった先にあったその貴族名には、確かに覚えがある。
「やっぱり……」
ある子爵家の系図の、その一番下に記されていた名前に、アリーシャは指先で触れた。声には出さず、なるほどと唇だけを動かす。
(ジュードとジーナとはいとこの間柄にあたるわけね)
下に二重線が引かれたその名はルーシア。享年は十三歳。二年前にこの年齢だったのなら、やはり自分と同い年だ。
――そして、彼も。
アリーシャの脳裏に、際立って整った顔立ちをした銀髪の少年の姿が浮かぶ。
(……で、彼女はカーライルの元婚約者だった、か)
それならまあ、ジュードとカーライルの間に個人的な接点があるということは頷けるが。
ほんの数時間前に目にした刺々しい眼差しを思い返し、アリーシャは嘆息した。
自分が彼に嫌われているのは重々承知している。というか、好かれる要素が皆無だ。むしろ疎まれる理由しかない。
それが嬉しいわけでもないし、そうかといって悲しいわけでもないのだが、どう表現するのが正しいのだろう。
アリーシャが彼に抱く感情は、申し訳なさというか後ろめたさというのが一番近かった。
(クレメンティーナ様の息子なんだものね……)
よりにもよってアリーシャの父が婚約を破棄した侯爵令嬢が、彼の母親なのである。そして自分と彼は同じ学園に通うどころか、同級生ときた。一体どういう因果なのだか。
本音を言えば、アリーシャは極力彼とは関わり合いになりたくなかった。だが、登校初日にクラスで顔を見た後に、生徒会での顔合わせの席で同じテーブルに着くことになってしまったのだ。その時点でアリーシャは生徒会に入ることを承諾していたので、今更やめますなどと撤回できる筈もない。
……というよりも、自分たち二人を生徒会に入れると決めた他の役員たちは何を考えていたのだろう。
十五歳の少年につんけんされたところで、アリーシャ自身はどうということもないのだが、周囲の心情的にはかなりよろしくないだろうに。
(……いや、案外気にしないかな)
半年間でしかないが、彼らの人となりを見たところ、皆それなりに神経は図太そうな感じだ。多少の不協和音は意にも介さないかもしれない。
なのに、今日の会長のあの態度である。
頭がずん、と重くなった感覚に、アリーシャは頬杖をついた。
(こんな無力な女を、そこまで警戒する必要なんてないと思うんだけど……)
とはいえそんな事を口に出せる筈もなく、アリーシャは近く訪れるだろう詰問に、一人頭を抱えた。
そして、なんとなく重苦しい気持ちで迎えた翌日。
(……そう、覚悟はしてたんだけども)
学園中央の広場にある掲示板を遠目に眺めていたアリーシャは、視界の隅に映り込んだ眩い銀の髪に思わずそっと視線を逸らした。
(そういえば、今日はこれがあったんだった……)
完全にアリーシャの意識になかったので、ここで見るまで気付かなかった。
「おめでとう、また一位ね」
横からそんな言葉を掛けてきたのは、ジーナだった。
その屈託のない笑顔に、アリーシャも小さく笑う。
「そうね、ありがとう」
アリーシャが軽くそう答えると、ジーナは張り出されていた結果に再度視線を向けながら感嘆した様子で言った。
「それにしても凄いわね、定期試験で学年一位、それも満点だなんて」
「昔から、教えてくれるのが優秀な方たちばかりだったから」
謙遜しすぎても嫌みなだけなので、そこはほどほどに肯定しておいた。
幼少の頃から、自分がそれなりの英才教育を受けているのは単なる事実である。しかも、前世の記憶という素地まであるのだ。
有り得る筈のない人生経験に加えて優れた教師陣、さらに豊富な書物に勉学に励める時間まで揃っているのだから、それなりの結果は出せて当然だといえよう。
(これで私がそこそこの身分の貴族だったなら目立たない順位になるよう調整しただろうけど、王族じゃあね……)
それでなくても、アリーシャは両親のとばっちりを受けて厳しい評価にされがちなのだ、成績くらいは上位でないと、どんな後ろ指をさされるか分かったものではない。
だから学業関係はいたって真面目に励んでいるわけなのだが、それがアリーシャの学園生活に上手く転じているかというと、難しいところだった。
(知らなかったとはいえ、最初からやっちゃったわけだしなあ……)
アリーシャの目が遠くなった。
これは表沙汰にはしていない話だが、アリーシャは今回の試験だけでなく、入学試験においても一位で通過していた。そしてその結果として、入学式における新入生代表の挨拶を打診されていたのだ。
ただアリーシャにはどうしてもその式には出られない事情があり、自らそれを辞退したのである。
アリーシャは心の中で深く溜息をついた。
(一位の人間が選ばれるなんて把握してたら、さすがに手を抜いたのに)
そんな自分の都合のせいで、代わりに挨拶することになったのが誰なのかを知ったアリーシャは遅まきながら後悔した。
アリーシャの次点の成績だったその生徒の名は、カーライル・トリスレード。
ちなみに、今張り出されている上位成績者の一覧でも、その名前はアリーシャの隣に並んでいたりする。
これはここ何度か行われた試験の発表で、毎回目にする光景でもあった。
「……カールも凄いんだけどねえ」
ぼそっと零したジーナは横目でカーライルの様子を眺めていた。アリーシャは詳しいところは知らないが、そういえば彼女やその兄であるジュードはいつも彼をその愛称で呼んでいる。
「…………………………………」
(呼び名を使う程親しい間柄なら、私が会長に近付くのを警戒してもおかしくないか……。近付くも何も、誤解でしかないんだけど)
客観的に見て、ジュード・ソーウィンが頭脳に容姿、おまけに家格の揃った優良物件と評価されるのにアリーシャも異論はないが。
(でも、会長が売約済みなのは誰もが知る所じゃない)
何しろ、アリーシャと釣り合う年齢の貴族はそのほとんどが婚約者持ちなのだ。それはジュードも同じで、彼は一つ年上の子爵令嬢とすでに婚約式までも済ませている。
(人の物に手を出すような真似なんてしないけど、私の場合は実の母親がやらかしてるわけだから、説得力なんて皆無よね……)
こういうときに、つくづく己の両親はしでかしてくれたものだと思う。
ジーナにつられて、アリーシャも何となく同じ方向を見ていると、視線に気づいたのかカーライルが不意にこちらを振り向いた。
ほんの一瞬ではあったものの、その藍色の瞳が大きく見開かれたのがアリーシャには分かった。
アリーシャも思いがけず搗ち合った視線にわずかに動揺はしたが、ここで変に焦っても逆に不審を招くかもしれない。瞬時にそんな考えを巡らし、かすかに目礼をしたアリーシャの隣で、ジーナがひらひらと小さく手を振った。
すると、カーライルの横にいた少年が、彼に何かを話しかけた。金茶色の髪をしたその生徒はカーライルの腕を引きながらどこかへと歩き出す。
遠ざかっていくその背中を見つめながら、アリーシャは記憶を探った。
あの生徒は、誰だったのだろうか。同じ学年にはいなかったとは思うが、どの学年なのかも不明だ。
(多分、二年か三年だろうけど……)
だが、その答えはあっさりともたらされたのだった。
「クルトが連れてっちゃったわね」
「え、ジーナもさっきの人と知り合いなの?」
半年前の初対面の時と比べて、随分と砕けた話し方となったジーナに、アリーシャも同じように答えた。
打ち解けたという程親しいわけではないのだが、双方共に姫君若しくは令嬢モードでの会話は疲れるということで、意見が一致した結果こうなったのである。
ジーナは全く気負いのない調子で言った。
「知り合いじゃなくて婚約者ね。と言っても生まれてすぐの婚約だったし、父親同士が友人で子供の頃はよく一緒に遊んでいたから幼馴染って感じの方が強いけど」
「じゃあ、ラフカディオの……」
「そ、二年生のクルト・ラフカディオ。兄はクルトにも生徒会に入って欲しかったんだけど、断固として逃げられたそうよ。『おまえたち兄妹にこきつかわれるのが目に見えてる』って、ひどくない?」
そう言いつつも、ジーナの顔は笑っている。この様子からして、彼女たちの間柄はそれなりに良好なのだろう。
でも、とアリーシャは首を傾げた。
「じゃあ、カーライル・トリスレードは? トリスレードとラフカディオの領地は随分離れてるでしょうに」
どういう繋がりなのかが分からず、思わず疑問を口にしたアリーシャに、ジーナが簡単に説明してくれた。
「ああ、それはね。今から三年くらい前のことなんだけど、北西のシェーンの砦で、騎士見習いが集まって鍛錬する機会があったの。その当時砦に滞在していたのがあのウィズリー将軍だったものだから、すごい騒ぎだったみたいよ。貴族の子息であっても、将軍の指導する姿を一目見たいと参加した人もいたくらい」
「それって、まさか会長も……?」
いや、それどころか――。
うっかり頬を引き攣らせそうになりながら尋ねたアリーシャに、ジーナは溜息まじりに続けた。
「そうよ。勝手に屋敷を飛び出して、鍛錬に参加してたんだから、傍迷惑にも程があるでしょう? 同じようなことをしたクルトもカールも、何考えてるんだか」
「将軍は、年代を問わず絶大な人気がある人だから……」
そう言いつつも、アリーシャはそろりと目を泳がせた。
(うわ、やばい)
己の師を熱烈に慕う者が多いことは知っていたが、まさかこんなところにもいるとは想定外だ。
これで、万が一にでも自分が彼に師事していることが露見しようものなら、どう思われることか。
(それでなくとも周りから距離を取られてるのに、更に男子生徒たちの嫉妬にさらされるのはさすがに……)
こっそりとそんなことを思いながら、アリーシャが手袋で覆われた己の手をちらりと見下ろした、そのときだった。
「きゃああああっ!」
恐怖に染め抜かれた悲鳴が、周囲の空気を切り裂いた。




