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第十二章 密談

 それから丁重な態度を装いつつ、四人が案内したのが、この王都の外れにある一つの屋敷だ。

 目的の場所に到着したとたんに態度を一変させた彼らに放り込まれたのが、ここの地下室というわけである。


(こんなことだろうとは思ってたけど)


 よくもまあ、こう次から次に厄介事が湧いて出て来るものだと、アリーシャは呆れ混じりに溜息をついた。

 しかも、後になればなるほどに、明らかに事態の困難さが増しているのはどういうことだ。一体何の、そして誰のレベルアップを求めているのか。少なくとも自分は断じてそんなものは欲してはいないのだが。


(それにしても、どうするべきかしらね)


 頑丈そうな鉄格子を眺め、アリーシャは考え込んだ。

 黒装束の男たちと入れ替わるように現れた四人が、誰かによって差し向けられた者たちだというのは、直感で分かっていた。

 そして、同時に気がついた。あの残った七人よりも、この四人を相手取る方がよほど面倒そうだということに。

 ――いや、それではうぬぼれが過ぎるか。自分程度の技量では、彼らを相手取ってであればほんの数分もてば御の字だっただろう。

 だったら下手に逆らわず、騙された形を取った方がましだと思ったのだ。


(どうせ、ここの様子はどこかで見てるんでしょうし)


 虎穴に入らずんば虎子を得ず。そして、自身の命綱は確保済みだ。だから、あと守り通さなければならない一線はもう一人の安全だけである。

 そのためには彼との会話は必然なのだが、ここでは誰がどこで耳をそばだてていてもおかしくない。こんな状況下で下手に言葉を交わそうものなら、逆に墓穴を掘ることになりかねなかった。


(うーん……)


 かと言って筆談という手段を取ろうにも、鉄格子越しに紙の受け渡しをするのは難しそうだし……、と考えたところで、アリーシャは不意にあることを思い出した。

 勢いよく顔を上げて反対側の牢を見ると、唐突な動きに驚いたのか丸くなった藍色の双眸と目があった。

 アリーシャは人差し指を己の唇に当てた。ここで声を出されては困るのだ。

 カーライルはその仕草に一度瞬き、小さく首肯した。その様子を確認し、アリーシャは手を動かす。最近ではあまりこれを使用する機会はないのだが、それでも昔やりこんだ動きだったせいか、案外すんなりと記憶が甦って来た。

 掲げた指先を揃えたり、手首を曲げたり、両手を触れ合わせたりして見せる。

 アリーシャの期待通り、これらの動作が意味しているのが何なのか、カーライルにははっきりと伝わったらしい。

 じっとアリーシャの手を凝視していた彼は、自身を指差した後、手首を回したり手のひらを伏せたりといった動きを返して来た。

 それを見て取り、アリーシャはよし、と拳を握り締めた。

 彼ならばもしかして、という淡い希望を抱いてはみたものの、正直当たるとは思ってなかったのだ。


(クレメンティーナ様! ほんとに、ほんっとうに、ありがとうございますっ!)


 つくづくよい教育を息子にしてくれたものだと、アリーシャは彼の母親であるトリスレード伯爵夫人に心の中で感謝を捧げた。


(こんなところでかつての親同士の関わりが活きるのは、正直すっごい微妙なんだけど)


 王太子と婚約を交わしていた当時の侯爵令嬢は当然のこととして、将来就くべき地位に相応しい知性と教養、作法などを身につけるため厳しい指導を受けていた。

 その教育係の一人が、ロザリー・オージェという名の女性である。

 現在も王宮に在籍している彼女は、実はアリーシャの教師でもあった。

 植物学を専門とする彼の人は、知識の深さと幅広さのみならず鋭い洞察力も持ち合わせており、彼女から学ぶことが許された自分は本当に幸運だっただろう。

 ただオージェ師の優秀さは誰もが認めるところだったが、彼女が教育者として万人に適していたかと問われれば、いささか難しい点があった。

 それは、彼女が口をきけなかったからである。

 声に出して話すことができないオージェ師は、基本的に他者との意思の疎通は身振り手振りや筆記で行っていたが、更に専門的なやり取りをするにはそれだけでは足りなかったのだ。

 そのため、彼女とより深い会話を交わしたかったアリーシャは必然的に手話を身に付けた。そしてそれらを習っていたとき、何らかの話のついでに昔の父の婚約者のことを聞いたのである。

 どうやら彼女もアリーシャと同様に、手話を交えてオージェ師の教えを受けていたらしい。


(モラヴィアについて調べてみた際、クレメンティーナ様は障がいを持った人たちの就労も色々と考慮されているようだったから、もしやと思ったんだけど)


 ちなみに、蛇足だがアリーシャは読唇術もできたりする。とはいえ、こんな薄暗い所では細かい口元の動きまでは見えないので、そちらの方は今は使えなさそうだった。


(ほんと、どこで何が役立つかなんて分からないわよね)


 それにしても助かった、と胸の中で呟き、アリーシャはカーライルとの密談を開始することにした。


 ――それで、私を追って来たのは王宮からなの?


 両手を使って問いかけたアリーシャに、カーライルも難なく答えを返して来た。


 ――いや、ソーウィン家の屋敷を出たときからだ。一見地味だが、上出来な造りの馬車だったからな。こんなときに訪問するなんて、何かあるのかと気になったんだ。


 その滑らかな返答から、彼の熟練の程が窺えた。

 これなら大丈夫そうだと、アリーシャは言葉を紡ぐのを更に速める。


 ――気になった、って。そもそも、どうして貴方がソーウィン家の周囲にいたわけ?


 ――クルトから聞いた。おまえも、ジーナのことは知ってるんだろ?


 ええ、と無言で頷いて見せる。すると、カーライルの顔が苦いものになった。


 ――正直、クルトの話が半信半疑でな。だからひとまずはジュードに会おうとしたんだが、今は面会できないと断られた。それでどうしようかと思ってたら、おまえの馬車が出て来るのが見えたんだ。


 ――成程ね。


 彼の言い分はそれなりに筋が通っており、特に疑うような所はないように思われた。


(まあ、このひとが下手な嘘をつくこともなさそうだけど)


 普段はあまり意識して考えないことであるが、実は虚偽の代償というのは決して安くはないのだ。


(こっちの世界で狼少年の寓話に似た話を聞いたことはないけど、でも、嘘を吐いている人間は本当に必要としている時に他人に信じてもらえないっていうのは確かな事実だしね)


 だが、高位貴族という身の上であるカーライルは、よくよくそのことを言い聞かされていることだろう。そうであれば、ここで彼がそんな割に合わない真似をする理由がなかった。

 アリーシャがそんなことを思い巡らせていると、ちょいちょいとカーライルが手を振った。

 小首を傾げて見返すアリーシャに、彼は簡潔な問いかけを投げて来る。


 ――聞きたいんだが、おまえはあいつらがどういう相手なのか知っていたのか?


 ――ううん、何処の誰かも分からない。全く見覚えのない顔ばかりよ。だけど……。


 アリーシャはそこで言葉を探して動きを止めた。

 記憶を探っても、心当たりはない。だが、一つ気に掛かったことはあったのだ。


 ――でも、むしろ貴方の方はどうなの? 貴方だからこそ、思い当たったことがあるんじゃない?


 ――どういう意味だ?


 怪訝そうなカーライルに、アリーシャはさっき気付いたことを説明する。


 ――あのひとたちの発音の癖よ。聞き覚えがあるとは思わなかった?


 そこで、カーライルは息を呑んだ。


 ――ケンティフォリア、か。


 しまったというその表情に、アリーシャも気持ちは分かると密かに同意した。

 なんせ山国である彼の国は、その地形から各地の街や村がかなりの距離を隔てて点在しているので、土地各々の方言が強い。それゆえ、国の中心部である王都と辺境とではかなり発音や言い回しに違いがあり、他言語を母語とする自分たちにはそれを聞き分けるのはかなり難しいのだ。

 ただ、そうはいっても、実際にそれが耳にする機会が多いものであれば話は別である。

 モラヴィアはケンティフォリアと接している地であり、他国に属そうが何だろうが、隣の領地と交流がないわけがない。

 ゆえに、近隣の住人たちが話す言葉にカーライルは当然馴染みがあるだろうし、比較的最近あのあたりを訪れていたアリーシャも、その独特の抑揚が微かに耳に残っていたのだ。

 アリーシャはそうと悟られないように、そっと視線を動かした。

 カーライルは硬い顔で黙り込んでいる。どうやらひたすらに頭を巡らせているようだった。


(さあて)


 カーライルの思考を妨げないように気を払いつつ、アリーシャは腕を組む。

 どうやらケンティフォリアは、想像以上にアナトールの内部に食い込んでいるようだ。

 これはもう、呑気に構えていられるような状況を超えている。


(お祖父様が気付いてないことは有り得ないだろうけど、父上はどこまで知っているのかしらね)


 正確には、どこまで知らされているかというべきだろうが。


(ジーナの居場所を掴むために仕掛けたわけだけど、それがこんな、鬼が出るか蛇が出るかってことになるとは……)


 自分は彼女に繋がる手がかりさえ引っ張り出せれば良かったのに、想定外に面倒なものを手繰り寄せてしまったらしい。

 何をどう考えても、黒装束の襲撃者たち以上の大物が絡んでいることはまず間違いなかった。


(……ほんとに、どうしようかな)


 ふとアリーシャが視線を彷徨わせると、いつの間にかこちらを見ていた藍色の瞳に気がついた。


 ――どうかした?


 短く訊くアリーシャに、カーライルは何とも言い難い表情で手を挙げた。


 ――こんな状況にも関わらず、おまえは随分のんびりしてるな。


 その憮然とした面持ちに、アリーシャはありゃ、と思った。やはり、彼はなかなか鋭い。


(まあ、これだけのほほんとしてたら、私が怪しまれるのは無理ないか)


 とはいえ、自分も彼もここまでは無傷なのだから、そろそろ大丈夫だろう。

 そして、そんなアリーシャの推測を裏付けるように突如激しい物音があがった。


「何だ!?」


 今まで無言だったカーライルが、声に出して頭上を仰いでいる。

 確かに、彼がそうするのは無理もないくらいには物々しい響きだった。

 いや、伝わってくるのは音だけでない。ずん、という重い振動は明らかにこの階上で何らかの騒ぎが起きていることを示している。

 アリーシャは耳元の髪に触れながら、鋭い瞳で通路の奥を見遣った。


(頃合いかな)


 髪飾りの端から細く丈夫な針を数本引き抜き、目の前の牢の扉に掛かる頑丈な錠前に触れる。


「え」


 少し離れた場所から唖然とした声が聞こえたが、アリーシャはそれには答えずに指先の感覚に集中した。

 アリーシャの手に微かな手ごたえが伝わるのと同時に、カチン、と重い錠が外れる。

 落としていた視線を上げると、ぽかんと口を開いたカーライルの顔が見えた。

 いとも容易く開かれた扉に、呆気に取られている様子だ。しかし、説明をしているような猶予はない。


「静かに」


 アリーシャは潜めた声音で向かいに歩み寄り、すぐに次の解錠へと取りかかる。

 頑強ではあるが、幸いにも造りそのものは簡単だったので手間取ることはなかった。


「急いで」


 囁き声で促したアリーシャは、彼が出て来た牢を再度施錠した。次いで自分のいた牢も同様にする。こんな小細工に効果があるとも思えないが、開けっ放しにしておくよりはいいだろう。

 後はひとまずカーライルに死角にでも隠れてもらおうと、アリーシャがそう言いかけたときだった。

 ざりっと、床上を滑る物音と同時に、微かな悲鳴が聞こえて来た。


「うわっ!」


 とっさに身構えたアリーシャだったが、しかし意識の隅で何かが引っ掛かったような気もした。


「……え?」


 そしてアリーシャの違和感を裏付けるように、カーライルが呆然と言う。


「あの、声」


 言葉の意味に一瞬アリーシャが気を取られかけたところで、新たな声が飛び込んで来る。


「何処にいるのかと思えば、こんなところにいたんですか」


 その発言に、アリーシャは弾かれたような勢いで顔を上げた。

 そこに佇んでいたのは、アリーシャのよく知る人影だった。ただし、その面には心底疲れ切った表情が浮かんでいたが。


「っ!」

「あ」


 驚愕に目を見開くカーライルの横で、アリーシャは静かに言う。


「貴方が来たのね」


 次第に激しくなりつつ喧騒を耳にしながらも、アリーシャの口振りに気負いはなかった。


「父じゃなくて残念でしたか? 生憎今は上で指揮を執っています。取り込み中でしょうから、ややこしい話は後でお願いしますね」


 さらりと物騒な内容を口にして、エリオットは改めてこちらを見た。


「お二人ともお怪我は」


 アリーシャは軽く肩をすくめた。


「私も彼もとりたてては。それよりも、他に気に掛けてあげた方がいいひとがいるんじゃないの?」


 そう言いながら、アリーシャはエリオットが現れた通路の奥に顔を向けた。

 小走りに駆けて来るその足音は一人分だ。軽過ぎないその響きは子供のそれではないが、かといって重装備の騎士や兵士のものでもないだろう。

 そして、アリーシャのその推測はすぐに証明される。


「おま、置き去りにすんな!」


 やや息を弾ませて現れたのは、アリーシャも見知った少年だった。


「クルト!?」


 彼を目にしたとたん、カーライルが驚きを露にした。

 さっきの声で察してはいたのだろうが、やはりこうしてその姿を目の当たりにすれば衝撃はあるのだろう。

 なんせここは、拉致された自分たちが問答無用で放り込まれた地下牢である。

 そんな所で親しい顔が出て来たのだから、うろたえるのは当然のことだった。

 無理もないとそんな彼を横目で見つつ、アリーシャはエリオットに向き直る。


「ちょっと、どういうことなの? 貴方と将軍は分かるけど、どうしてこの人がここにいるわけ?」


 思わず眉根を寄せるアリーシャに、エリオットも不本意なのは自分も同じであると言わんばかりに返して来た。


「一言で説明すると、不可抗力ですよ。貴方と同じです」


 その当て擦りにアリーシャも渋い顔になったが、反論は出来なかった。

 想定だにしない事態というのは、実際に起こり得るのである。アリーシャのすぐ近くに立つ少年が、いい証明だった。


「……じゃあ、今はそれなりに状況は落ち着きつつあるってことでいいのね」


 ――曲がりなりにも、こんな場所にラフカディオ侯爵の子息を連れて来るくらいには。

 言葉の裏にそんな意図を隠し、アリーシャがそう念を押したところ、エリオットの褐色の瞳に諦念が浮かんだ。


「ええ、まあ。一応は、そうですね」


 言葉ではそう口にしつつも、明らかにそれだけではないと分かる厄介事を匂わせられ、アリーシャは口元を微かに引き攣らせる。

 だが、ここで彼に詳細を問い質すような暇はない。

 唐突に聞こえて来た、カキィン、ガキンッという激しい剣戟の響きに、アリーシャは急いで我に返る。

 それからその場にいた他の三人を見つめ、一言告げた。


「とにかく、今はここを出るわよ」


 その言葉に、キィンッと剣を打ち鳴らす音が重なる。

 アリーシャにはそれが、この先起こるであろう、喜劇かあるいは悲劇の開幕を知らしめるもののように聞こえてならなかった。

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