第十一章 想定内と想定外
(とはいえ、これはちょっと想像してなかったなあ……)
石造りの冷たく硬い床の上に座ったまま、低い天井を仰いだアリーシャは目を彷徨わせた。
鼻先に感じる空気はじめじめとして黴臭い。まあ、地下牢なのだからある意味当然と言えば当然なのだが。
(ここに来ることになるのは当初の予定通りだけど、こっちの方はね……)
アリーシャはそろりと視線を向ける。その先に、暗がりの中でも目を惹くきらきらしい銀色の髪が見えた。
気配に気づいたのか、アリーシャ同様に座り込んでいた少年が顔をこちらへ向ける。
アリーシャの瞳と彼の藍色のそれが、鉄格子越しにぶつかりあった。
「…………………………」
言葉はなくとも、色々と物言いたげな空気が伝わってくる。しかし、この状況下で何をどう話せばいいというのだろう。
同じ所に閉じ込められているならとにかく、アリーシャも彼も双方共に通路を挟んだ牢にいるのだ。
こんな音が反響する場所で、声を張り上げて会話をするというのは、なんというかあまりにも場にそぐわない気がした。
(ほんと、どうしてこんなことになったんだか)
ここに至るまでの一連の流れを思い返し、アリーシャはがくりと肩を落とした。
アリーシャが王宮を発ったのは、今からほんの数時間前のことだった。
行先は王都内にあるソーウィン侯爵家で、訪問の名目はジーナとの面会を求めてである。
アリーシャが行くことは事前に知らせておいたので、出迎えた侯爵家の対応は落ち着いたものだった。
そうして丁重な謝罪と共に伝えられたのは、現状ジーナは臥せっており、到底人前に出られるような体調ではないとのことであった。
髪の白い家令が尤もらしく告げたところによると、医師の見立てでは先日の学園の襲撃による件で、精神的に多大な衝撃を受けたためだろうという話らしい。
(ジーナはそんなやわな子じゃないでしょうが)
もうちょっと説得力のある出まかせを言えとは思ったが、ジーナの不在とその理由を誤魔化そうとするならば、これが妥当なところだろう。
ここでジーナが王都から離れたと周囲に思われてしまっては、侯爵家は痛い腹を探られることになりかねない。
(誘拐した側は、侯爵家からは大々的に探せないだろうと読んでたんだろうけどもね)
――いや、下手をしたら、探さないかもとすら踏んでいたのかもしれないが。
(まあ、私の方もこれは想定内だったわけだけど)
とはいえ、これで確認しておきたかったことは済んだ。
後は長居する必要はなく、アリーシャは素知らぬ顔で家令に見舞いの言葉を述べ、侯爵家を辞去した。
そして、その帰路である。
アリーシャの予想通りに、それは来た。
がたがたと体に伝わる振動が大きくなったと感じてから、さほどの時間はかからなかっただろう。
本来通る筈の通路が封鎖されており、代わりとして別の道を選んだ結果、あまり舗装状態のよろしくない所を進むことになったのだ。
そうして馬車が人気のない場所を通りかかった、そのときだった。
手綱を引かれた馬がいななきをあげる。それと同時に、座っていたアリーシャの体が前方につんのめる勢いで馬車が減速した。
(やっぱり、ね)
アリーシャは瞳を鋭く眇め、耳を澄ませた。
こうなったらどうするかは、御者には最初から伝えてある。
早まっていく鼓動を感じながら、アリーシャは無言のまま馬車の扉がこじ開けられるのを待った。
だが、アリーシャが想定していた通りだったのはそこまでだった。
黒い覆面に黒装束の男たちに馬車から引きずり出されたアリーシャは、その直後に目を瞠った。
今こうして思い返しても、あのときの己の両目は間違いなく、これ以上ないと言うほどにまん丸になっていたに違いない。けれど、口をぽかんと開くことだけはどうにか踏み止まったのだからむしろ褒めてほしい。
だって、それくらいに驚いたのだ。
ギンッ、と金属同士のぶつかり合う音がする。
その音と共に、小さな火花が散るのが見えた。
(え、嘘? 何でよ?)
アリーシャの目の前にいるのは学園を襲ってきた者たちと同じく、全身を黒に包んだ男たちだ。それはまあいい。よくないのは、彼らと斬り合っている銀髪の少年だった。
日の落ちかけた黄昏の光の中でもきらめく眩しい髪は、見紛う筈もない。
(ちょ、おいこら、ちょっと、待て―――――っ!)
ぷつん、とアリーシャの中で何かが切れる音が聞こえた。
どうしておまえがここにいるのだ。もしかして王宮から出た自分の後をずっとつけて来たのか!?
頭の隅をそんなことがよぎったが、それから自分が何を考えたのかは、正直覚えていない。ただ、何も分からなくとも体は動いたのは、これまで積み重ねてきた鍛錬の成果だろう。
アリーシャは己を拘束していた男の腹に肘鉄を食わせると、すぐさまその顔に拳を叩きつけた。よろめく相手の体を振り払い、太股に巻きつけた皮ベルトに忍ばせていた短剣を引き抜く。
(全く、こんなの予定にないんだけど!)
とはいえ、今ここでそんなことを叫んでもしょうがない。
「やめろ! そっちは大事な人質だ、傷つけるな!」
(そりゃそうでしょうね)
内心でそんな返事をしつつ、アリーシャは手近な位置に立っていた男に斬りつけた。
短剣で素早くその腕を裂き、男が取り落とした長剣を拾い上げる。それからすぐさま身を返し、走り出した。
無力な少女でしかないと思っていたアリーシャが見せた動きに、男たちが一瞬浮足立つ。
その隙を見計らい、アリーシャは少年の――、カーライルの許へと駆け寄った。
彼と背中合わせに立ち、周囲を窺いながら抑えた声で言う。
「ここにいるのは貴方一人なの?」
「ああ、そうだ」
そうだろうとは思っていたものの、それでもアリーシャの顔は渋面になった。
自分たちを取り囲む者たちの数は七人。それと暗くてよく見えないが、地面に伏している人らしき影が三つある。
一人は自分が倒した相手だが、他の二人はカーライルがやったのだろう。
(……これは、どうするかな)
正直、自分のことはいい。さっきの男が言っていたように、こちらは貴重な人質となり得るので、間違っても命に支障があるような怪我を負わせることはできない。
ただ、気掛かりなのはカーライルの身の安全だ。トリスレード伯爵の嫡子である彼は、この男たちにとってどんな取引価値があるだろうか。
値打ちがないと思われては命の危険にさらされるが、かといって下手に彼の価値に気付かれてしまったらそれはそれで大問題となりかねない。
(けど、七人を相手にするのはきついな)
ここで難なく突破できるほどの力量は自分にはないし、見たところカーライルも大差なさそうだ。
じり、と襲撃者たちが前に出る。
アリーシャとカーライルを取り巻く包囲陣が更に狭められた。彼らは一切無駄口を叩かない。こうした辺り、やはりそれなりに優秀なのだろう。
ここは諦めて救援を呼ぶべきか、とアリーシャが頭の隅で考えたその次の瞬間。
こちらを目指して駆けて来る、幾つもの蹄鉄の音が聞こえて来た。
カッ、カッ、カッ、と次第に大きくなるその響きに、男たちが素早く視線を交わし合う。
そうして、指揮官と思しき男が手を下ろすのと同時に、倒れていた三人を他の者たちが抱え上げた。
彼らは闇に沈んだ木々の間に溶けるように、音もなくこの場から去っていく。
強行か撤退かを秤に掛け、判断したということなのだろうが、なかなか決断が早い。
(厄介そうな相手ね)
アリーシャは思わず眉を寄せた。機を見てすぐに退けるというのはそれだけ優秀な者だという証左だ。味方ではない側にそんな類の者がいるというのはかなり嬉しくない話である。
そんなことを考えていたアリーシャの背後で、微かに安堵の滲む声があがった。
「撤収した、のか」
「そうみたいね」
一応は、と心の中だけで付け足しながら、アリーシャも構えていた剣を下ろした。
それからアリーシャは車を引いていた二頭の馬の許へと歩み寄り、宥めるようにその首筋を撫でた。そうすると嬉しそうに、馬たちはアリーシャの手に顔を擦りつけて来る。幸いにも、怪我などは負っていないようだ。
アリーシャはほっとしつつ、重い地響きが伝わって来る方向へと顔を向けた。
近付いて来た人馬の影は一つ二つ、いや、合わせて四つある。
見事な軍馬にまたがり現れたのは四人の青年だった。
彼らはアリーシャの姿を認めるや否や、すぐさま馬の背から降りて一礼した。
その中の一人の男がアリーシャの前に膝を折って言う。
「このような場でありますので、余計な口上は失礼させていただきます。アリーシャ姫であらせられますね?」
「ええ、そうです。それで、貴方方は?」
向かい合った男は、年の頃は二十代そこそこだろうか。顔立ちはそこそこ整ってはいるが、これという特徴の挙げにくい顔だ。
アリーシャはじっと彼を見つめ、あえて硬い声を出した。
「どうして、貴方方はこちらに?」
警戒の意図を見せるアリーシャに、黒っぽい髪色をした青年は大きく首を横に振った。
「お疑いになられるのは当然のことと存じますが、私たちに指示されたのは宰相閣下でございます。先日学園を奇襲した者たちが、新たな行動に出ない保証はないとのことで、王都内を探るよう各地に人を向かわせておいでなのです。私たちは偶々この近くに居合わせただけです」
そう説明する男をアリーシャは再度見遣り、その背後へとちらりと視線を移動させた。
「そう、なの……」
言葉少なに頷くアリーシャに、男が気遣うように口を開く。
「それで、ですが。この馬車を扱っていた御者は、どうやら途中で振り落とされたようです。運悪く谷間に落ちたのか……。私たちがここに来るまでの道では姿は見えませんでした。探そうにも、この暗がりでは……」
「ええ、分かっています。足場の悪いこの近隣で、それも夜に探索しても新たな遭難者が出るだけです。日が昇ればすぐに捜索をしてもらいます」
実はそんな心配は一切不要な相手なのだが、アリーシャはひとまずそう告げておいた。
「それと……」
そこでアリーシャは口にしかけた言葉を一度切り、体の向きを変えた。
とたんに視界に飛び込んで来た少年の渋面に、吹き出しそうになるのをなんとか堪える。
どうやら、アリーシャが思っていたよりもずっと彼は素直な気性らしい。
(でも、これじゃあ、腹芸はできなさそうね)
ならば、やはりここは自分が道化を演じるべきだろう。
「こちらのトリスレード家のご子息のこともありますので、今はひとまず王宮に戻ります。手間を掛けて申し訳ないのですが、私たちを連れて行っていただけますか」
それでも、この子だけは無事に帰さなければならないと決意を固めつつ、アリーシャは素知らぬ顔でそう依頼した。




