第九章 詰問
(あー、もう、どうしよっか)
顔ににこやかな笑みを張り付けたまま、アリーシャは頭を悩ませた。
弁を弄して誤魔化すという手がないわけではないが、多分それは上手い手ではない。
アリーシャの自陣というべき王宮に、こうして乗り込んでくるくらいだ。だったら、それなりの裏付けがあってのことだろう。
そんな相手に対し、言い逃れようとするのは愚策である。
とはいっても、最低限の言質は取られないようにしようとアリーシャは言葉を選んで話し始めた。
「あのときは用があって、極秘でラポリスに行っていたのよ。モラヴィアはラポリスのすぐ隣だもの。領地の境界付近を出歩いていたことは確かだけど、あそこ辺りなら、その程度の移動であれば許可証は必要とされてはいないでしょう」
「国境沿いのあんな僻地に、わざわざ足を延ばすような用件があるのか?」
モラヴィアは彼の生家が代々引き継いできた地だというのに、随分な言い草である。
ただまあ、彼の地が王都から遠く離れていることは事実なのだが。
モラヴィアはアナトール国の最北の領地だ。そしてその北方のゲド山の向こうには隣国のケンティフォリアが存在する。
峻厳なゲド山を越えるにはとてつもない労力を必要とするので、ケンティフォリアがそこまで大規模な侵略を仕掛けて来たことはない。それでも、飢饉があった年などには、度々小さな侵攻が起こることはあった。
それゆえに、現トリスレード辺境伯には一定以上の軍事指揮権が与えられており、さらに防御のための頑強な城塞の建設も国から許可されている。
(都会からは離れているけど、ケンティフォリアとの文化交流は頻繁にあるわけだから、僻地というのも少し違うような気が……)
そうアリーシャは思ったが、ここでそんなことを口にしては話を逸らすなと怒られそうだ。
だからそれらの言葉は飲みこみ、傲岸不遜な笑みを浮かべて見せる。
「ええ、とても大事な件よ。それがどうしたというの?」
いや、その際アリーシャが王都を不在にしたことにより、代表挨拶という面倒事を無理矢理回されてきた彼には、文句の一つや二つは当然言う権利はあるのだろうが。
とはいえ、自分が首席だったことは内密のことなので謝罪するわけにもいかない。だからあくまで心の中でアリーシャが平謝りをしていると、何故かカーライルがその場から立ちあがった。
そして彼は姿勢を正し、深々とアリーシャに一礼した。
「え?」
「遅くなったが、礼を言わせて欲しい。モラヴィアの領民が世話をかけた。彼らを守ってくれたことを、深く感謝する」
(うわ……)
逃げ場を求めて、アリーシャの両目が泳いだ。
この発言と、この態度。これは、どうやら完全にばれているらしい。
「……それを言うためだけに、貴方はこれまで一度も来たことのなかったこの王宮に来たの?」
力なく肩を落としたアリーシャがそう訊くと、カーライルの片眉がわずかに上がった。
「礼を述べるのに、自分から出向かない人間がいるか。しかも助けられたのは本来俺が護るべき民だってのに」
きっぱりと言い切る様子に、これまで彼が受けて来た教育が垣間見えて、アリーシャは苦笑した。
名高い両親の薫陶は、しっかりと受けているだけのことはあるようだ。
これなら、ひとまず話し合いくらいはできるだろう。アリーシャは覚悟を決めた。
「なら、そのお気持ちはお受けしておきます。でも、聞いていい?」
台詞の前半と後半とで、アリーシャはあえて言葉遣いを変えた。
「どうして、私だと分かったの?」
証拠を残すような下手な真似はしていないつもりだったので、アリーシャは純粋にそれが疑問だった。
「昨日のあの騒ぎの後、ジュードから聞いたからな」
「会長から? 一体、何を……」
心当たりが見つからずに首を傾げるアリーシャを、カーライルはわずかに藍色の瞳を細めて見遣った。
「おまえは知らないだろうが、俺やジュード、それにクルトも、昔から顔を合わせる機会が多くてな。以前、あの二人がモラヴィアを訪問したときのことだが……。それがたまたまウィズリー将軍が帰郷していた時期と重なったんだ」
「…………………………」
アリーシャは黙って耳を傾ける。でも、何となくだがこの話の先が分かったような気がした。
これは多分、先日ジーナから耳にしたあの件ではないだろうか。
「そのとき、シェーンの砦を視察していた将軍に、騎士団から若い騎士たちを鍛錬してほしいと依頼があったんだ。将軍はその話を受けたんだが、周囲から苦情があがってきてな」
「何で? ウィズリー将軍直々の指導が受けられるなんて、希望者が殺到したんじゃないの?」
「だからだ。砦にいる者たちだけがそんな恩恵に浴するなんて、と羨ましがられたんだ」
「ああ……」
何となく分かった顔になったアリーシャに、カーライルは微妙な視線を向けつつ続けた。
「結構収拾のつかない騒ぎになったんで、砦に勤める者たち以外にも、ある程度希望者を広げることにしたらしい。その話を聞いて俺たち三人も志願したんだ。幸いなことに――多分、親の影響もあってだろうが、鍛錬にもぐりこませてもらえた」
「……そう、なの……」
アリーシャはただそう相槌を打った。
かの将軍の指導がどのようなものなのか、自分もある程度は知っている。
(あれを体験したら、なかなか将軍に憧れとかを抱くのは難しいと思うんだけど……)
王族で少女であるという手心を加えてもらったアリーシャですら、音をあげたくなる程度には厳しい訓練だったのだ。それが、特段配慮をする必要のない見習いの少年に対してなど、教え方を想像するのも怖いくらいである。
そんなアリーシャの予想を裏付けるように、カーライルの眼差しがふと虚ろになった。
「ほんの数日間とはいえ、死ぬかと思うほどの過酷さだったけどな……。だけど、本題はこれじゃない」
カーライルはそこで一度言葉を切り、正面からアリーシャを見据えた。
「大事なのは、その期間中に俺たちは将軍の剣術を間近で目にしたってことだ。――ここまで言えば分かるか?」
(そりゃ、私だって馬鹿じゃないから分かるわよ!? 分かるけど、分かりたくないんだってばっ!)
アリーシャは内心でそう叫ぶ。だが、カーライルは容赦しなかった。
「生憎なことに俺は目にする機会に恵まれなかったわけだが……。ジュードいわく、昨日の侵入者を相手におまえが見せた太刀筋は、将軍のそれと同じものだったらしい。それで、思い出してな」
「な、何を……?」
「半年前に、モラヴィアやラポリスの周辺で野盗の襲撃が頻繁にあってな。勿論うちも私兵を出したし、国境警備のために駐屯する部隊の兵たちも対応してくれていたんだが、山の麓にある小さな村々とかは、距離のせいで救援が間に合わないこともあった。ただ、その中に幾つか不審な報告があってな」
アリーシャは、引き攣りそうになる口元をどうにか堪えた。
「村の危険を報せる狼煙が事前に上がったり、不意うちしやすい獣道や裏道に罠が仕掛けられていたりといったことがあったそうだ。そのおかげで先んじて村の門を閉めることができて、時間が稼げたらしい。でも、それをしたのがどこの誰だったのか、知る者がいなくてな。気になって調べに向かったのが、うちの家人だった」
沈黙したまま、アリーシャは話の続きを待った。……心当たりは、思い切りある。
「まあ、家人は家人でも、正確に言うと俺の乳兄弟なんだけどな。……にしても、どうしてそんな物騒なところに一人で行くのかとは思うんだが」
吐き出されたカーライルの溜息は深く、重かった。
「やはりというか案の定というか、そこで見事に追いはぎに当たってな。あいつも腕に覚えがないわけではないんだが、大人数相手に一人で立ち回るのは厳しかったらしい。それで、逆に追い詰められたところに、だ」
話を聞いている間にアリーシャの脳裏に引き出されていたのは、艶やかな漆黒の髪をした、自分と同年代の少年だった。気の強そうな金褐色の瞳がはっきりと思い出される。
「突然、助けに来た人間がいたらしい。そいつはあいつの前に割って入ったとたん、すぐに周りにいた奴らを倒してみせたそうだ。しかも、そんな凄まじい技量の持ち主にも関わらず、かなり小柄な体格だったらしい。頭からフードを被っていたので、背格好以外はよく分からなかったと言っていたんだが……、一つだけ断言していたことがあってな」
「…………………………」
「あいつは、そいつの剣法は、明らかに見覚えのあるものだと言ったんだ。シェーンの砦で俺たちと見たものと一緒だとな。他でもない、あのウィズリー将軍と同一のものだと言い切った」
そこまで言われ、アリーシャの視線が下に落ちた。カップの紅褐色の水面に映り込むアリーシャの顔は、どう見ても強張っている。
「……それは、たまたま剣の流派が同じだったのでは……」
だが、そんな苦し紛れのアリーシャの主張は、カーライルに鼻であしらわれた。
「将軍の剣は、かつて剣聖とすら称された師匠から教授されたもので、その指導を受けたのは弟子であった彼だけなのは有名な話だろうが。そして将軍も、基礎的な訓練などについては教えることはあっても、直に剣を打ち合わせて相手をするようなことはしないだろ。例外は息子くらいだ。なのに、エリオットではない人間で、将軍と似通った剣の使い手が二人いる。しかも、そいつらは間違いなく同じ時期に同じ場所にいたわけだ。ここまで揃えば、俺が疑問に思っても当然じゃないか?」
とうとう繋がった話に、アリーシャは頭を抱えたくなった。
しかしそんなアリーシャの心境を余所に、カーライルは更に核心に切り込む質問をしてきた。
「とまあ、これらの話を踏まえた上で、おまえに尋ねたいんだが」
「……何を?」
「おまえは、どうしてあのときモラヴィアにいたんだ? 俺の知る範囲ではあるが、おまえが王都から出たことは公には一度もない筈だ。そんな箱入り娘が、あんな辺境をうろうろしてるなんて普通あり得ないだろうが」
確かにそうだ。アリーシャだって、これが自分のことでなければ一体どんな事情があってそんな事態が起きるのかと思うに違いない。
ここまで詰められては、さすがに黙秘し続けるのは難しい。
アリーシャは泣く泣く口を開いた。
「……誤解のないように言っておくけど、ちゃんと祖父の許可をもらってしたことなのよ。騒ぎにしたくなかったから、秘密裏の訪問だっただけで。それに、もったいないことにウィズリー将軍が同行してくれたし」
といっても、アリーシャは当初その護衛を辞退したのだ。しかし、彼を連れて行かない限りこの外出は認められないと、祖父が譲らなかったのである。
将軍に迷惑をかけるのは申し訳なかったが、この機会を逃せばアリーシャがいつラポリスを訪れることができるのかは分からない。
そうして実現したのが、あの北方への視察だったのだ。
「これはまだ、公にできる話じゃないんだけど、アナトール北部にはこれといった産業はないでしょう。その土地に向いたものは何か、生業として成り立つかとかいったことを、調べている最中なの。当然、ウィズリー将軍の協力を得た上でだけど」
北の地質や水質、植生や気候、地形などについて、いくら地図や統計値を眺めていたとしても分からないことは多い。というか、直に見なければ分からないことばかりである。
そう告げたアリーシャに、カーライルはまだ釈然としない様子だ。
(別に何も嘘は言ってないんだけど……)
納得できないのは無理もないことだろうとアリーシャも思う。しかしそうかと言って、極限られた者たちしか知らない内密の話を、一貴族の子息でしかない彼に聞かせる訳にはいかないのだ。
さてどうしたものかと、アリーシャが窓に視線を向けた、そのときだ。
――ざわり、と空気が大きく揺らぐのとともに、部屋の外の気配が急に慌ただしくなった。




