16.VS夢霧 悪夢を超えて
……難産だった。
遅れてごめんなさい(´;ω;`)
―――左目が痛む。
崩壊した建物。
その瓦礫の影に隠れる様にベルディーは、アンとジョーカーの激闘を窺っていた。
いや、正確に言えば、その視線が注がれているのはただ一体。
黒蟻の魔物―――アンだ。
「……どうしてだ?どうして、お前がこんなところに居る?」
お前はダンジョンに居る筈だろう。
ここから遠く離れた、エルド荒野のダンジョンに。
自分が挑み、攻略すべきダンジョンの最奥にお前は居る筈だ。
それがなぜ、地上に、こんな場所に出てきている?
独り言のように呟くが答える者は誰もいない。
今すぐにでもここから出て、なぜここに居るのかと、問い詰めたい。
だが、出て行くことは出来ない。
足元を見る。
「……ハァ……ハァ」
傷だらけで寝かされているファーリーの姿。
彼女も他の冒険者同様、黒い霧と戦っていたのだが、力及ばず魔力を吸い取られてしまったのだ。更に建物の倒壊に巻き込まれ、全身傷だらけになっている。
離れるわけにはいかなかった。
私が守らなければいけない。
不意に、ファーリーの目が開いた。
「ベ、ベルディー……さん……?」
「ファーリー!?気が付いたか?大丈夫だ、私はここに居る。安心しろ」
自分に言い聞かせるように、ベルディーは早口で言う。
自分の内心を悟らせない様に。
心配させない様に。
だって自分は、ファーリーよりも遥かに強いSランクの冒険者なのだ。
情けない面を見せるわけにはいかない。
かつての妹の仇を前にして、動揺してしまったなどと口が裂けても言えない。
「………」
ファーリーは虚ろな瞳で、ジッとベルディーを見つめる。
そして、ゆっくりとその口が開いた。
「何か……あったんですか?」
一瞬、その言葉にドキッとする。
だが、それを表面には出さずベルディーは彼女にポーションを飲ませる。
「何か、どころではないさ。この黒い霧のせいで、帝都はどこもかしこも大混乱だ。さあ、飲め。ゆっくりでいい」
口に含ませるように、ゆっくりとファーリーにポーションを飲ませる。
少し顔色が良くなった。
しかし、この後ファーリーをどこへ連れて行けばいい。
今の帝都で安全な場所など有るのか?
迷っていた。
ファーリーを守りたいという気持ちと、今すぐ戦場に向かいたい気持ちの間で。
だが、その迷いを見透かしたかのように、ファーリーが口を開いた。
「“何か”……あったんですね……」
「えっ」
「……行って……下さい」
「な、何?」
「……わ、私なら大丈夫です。ですから……行ってください」
「な、何を言っている?私にお前を見捨てろというのか?」
そんなこと出来る筈が無い。
自分が守ってやらなければいけないんだ。
かつて自分が居なかったから、妹は、パルデイーは死んだ。
だから、目の届く場所に居る彼女は何としても守らなければいけない。
だが、ファーリーは笑った。
心配ないという風に。
「大丈夫…です。それに私、ベルディーさんに、もう“後悔”してほしく……ないんです。だって、今のベルディーさん、パルディーさんが亡くなった時みたいな顔してますよ……?」
「―――っ」
「すいません。足手まといにしかならなくて……。でも、大丈夫です。どこかに隠れて、ジッとしてます。身を守るくらいは、何とかなりますから……」
「だ、だが危険だ。私が……私がきちんと守って―――」
「馬鹿に…しないで下さいッ!」
「―――っ!?」
突然のファーリーの怒声にベルディーは面食らう。
「守ってやる?それは違います、ベルディーさん……。冒険者である以上、自分の身は自分で守らなきゃいけないんです。今の言葉だけは、取り消して下さい」
弱い事が悔しそうに、だがそれでも強い意志を持ってファーリーは言う。
かつてファーリーは守られた。
いや、守られてしまった事があった。
死して、その魂をゴーレムに食われ、その上でなお自分を助けようとした魔術師の少女に。
彼女に生かされ、逃げて、無様にここまで生きてきた。
ずっとずっとその事を後悔していた。
それだけではない。
つい先日も、自分はヴァレッドとベルディーの足を引っ張った。
ただ守られるだけの存在?
そんなの冗談じゃない。
自分だって冒険者だ。
例え弱くても、譲れない意地が―――誇りがある。
「私だって……“冒険者”なんです。だから……行ってください」
その決意を、その強い意志の宿った瞳を見て、ベルディーは思わずたじろいだ。
そして、その誇りを無遠慮に踏みにじった自分を恥じた。
ズキン、と。
左目の痛みが増した気がした。
―――貴女の言っている事は、妹への“侮辱”です。
かつて敵にまで言われた、そのセリフ。
私が居なかったから、パルディーを死なせた?
私が居るから、ファーリーを守ってやれる?
何という、傲慢な考えだろうか。
その意味を、ベルディーはようやく理解した。
「ああ、そうか……。その通りだな」
独り言のように、ベルディーは呟いた。
自分はなにも分かっていなかった。
理解しようともしていなかった。
それが、どれだけ大切な事だったのか。
「…………」
ベルディーは持っていたポーションの残りを飲ませる。
「これで多少は動けるようになったはずだ。その上で、済まないが……出来るだけ離れてくれ」
「はい、いってらっしゃい」
「ああ、行って来る」
彼女の決意を無駄にしたくない。
そして、ベルディーは戦場へ降り立った。
そしてファーブニル天蓋跡地にて―――。
「答えるッスよ、“穿界”ベルディー・レイブン。どうして、君がこんなところに居るんッスか?」
「………」
ベルディーは仇敵である黒蟻を背に、ピエロの様な恰好をした男と対峙していた。
凄まじい魔力を感じる。
災害……いや厄災、それ以上か?
先ほどの戦闘を見ても、この男がこの黒い霧と関連がある事は間違いないだろう。
一体何者だ?
凄まじい魔力。
そして周囲を覆う黒い霧。
(まさか……)
ベルディーは半ばその答えを予想していた。
ギルドの公式記録に登録されている三体の神災級。
その内の一体、“夢霧”。
かつて一つの大陸を死に追いやった霧の魔物。
目の前の魔物は、その伝説の存在ではないかと。
警戒をよそに、目の前の男は平然とした様子だ。
「どうしたんッスか?無視は酷いッスよ?」
ジョーカーは手に持ったバトンを回しながら、喋り続ける。
「そもそも、どうして君がその魔物を助けるんッスか?詳しくは知らないッスけど、その魔物は、確か君の仇の筈ッスよね?妹さんを殺されたとかで。なのに、なんで、助けるんッスか?」
「………」
理解できないと首をかしげるジョーカー。
対して、ベルディーは無言だ。
だが、一瞬だけ、槍がピクリと動いた。
うーんとジョーカーは呻る。
「あ、そっか。もしかして、自分の獲物を他人に取られるのが我慢ならなかったッスか?それなら、別に僕は構わないッスよ。アンタがそいつを殺したいって言うなら、止め刺したいって言うなら、別に譲るッス。どうぞ、どうぞ。煮るなり焼くなり好きにすればいいッスよ」
「―――まれ……」
「え?なんッスか?聞こえないッスよ?」
「黙れと言ったのだッッ!」
槍から高密度の魔力の突きが放たれる。
ジョーカーはそれを紙一重で躱した。
「うおっ!?な、何すんッスか……?何をそんなに怒って―――」
「憎いさ……ああ、今でも憎い。何百回、何千回殺したとしても憎み足りない相手だ」
眼帯で覆われた左目を押さえながら、呟くようにベルディーは言う。
でも、と。
「私がこいつを殺すべき場所は“此処”じゃない」
「へ?」
倒れてるアンを指差して言う。
「私がこいつを殺すのは、こいつのダンジョンでだ。こいつのダンジョンを全て踏破し、コイツの全てを蹂躙して、コイツを殺す。それこそが私の“冒険者”としての答えだ」
片方しかない瞳には決意が宿る。
それが、ベルディーの出した答え。
冒険者として、姉として、恥じる事ない生き様を魅せる事。
それが、妹への償いであり、手向けであるのだ。
「……気に入らないッスね」
吐き捨てる様にジョーカーは言った。
「気に入らないッスよ、その考え方。アンタは冒険者の筈ッス。魔物を殺し、金を稼ぎ、冒険をする者の筈ッス。殺せる機会があるのに、殺さないだなんて、そんなのくっそ甘い砂糖菓子みたいな吐き気のする考え方ッスよ。冒険者の本質からズレてるッス」
ジョーカーは、バトンを回すのを止める。
一歩、足を進める。
トン、と。
一瞬で、ジョーカーはベルディーの背後に回り込んだ。
「なっ!?」
「―――アンタも、“偽物”ッスね」
失笑が入り混じった声音。
ズドンッッ!!
同時に、黒いバトンがベルディーの横腹に叩き込まれた。
「がはっ……!?」
だがベルディーは反射的に風魔術による防御を展開。
ダメージは軽減できたが、そのままノーバウントで十メートル以上吹き飛ばされる。
「ハハッ、コンボが繋がったッス」
「なっ!?」
だが、吹き飛ばされた先に、既にジョーカーは回り込んでいた。
更に今度は正面からフルスイング。
「がはっ……!!」
くの字に折れ曲がって、ベルディーは宙を舞う。
更にジョーカーも足元に黒い霧のトランポリンを発生させ、これを追う。
更に、もう一撃。
受け身も碌に取れずに、ベルディーは地面に叩きつけられた。
「ぐっ―――がふっ!!」
起き上がろうとするベルディーを頭から踏みつける。
グリグリと地面にこすり付ける様に。
「ハッ、たかが、Sランクの冒険者ごときが、神災の魔物を相手に勝負になると思ってるんッスか?冗談きついッスよ、笑えない」
あざ笑うかのようにジョーカーは言う。
お前の行動には何の意味もないと、言い聞かせるように。
「あー、それにしてもホント滑稽ッスね。なぁーんか、かっこいー事言って、覚悟決めたーみたいな表情して、それでこんな無様晒してんッスから、君の方が僕よりも道化っぽいッスねぇ」
踏みつける力を強める。
ベルディーが苦しげに呻く。
ジョーカーの視線が、彼女の手に持った槍に向かう。
魔力を込めようと槍に力を籠めようとした瞬間、ジョーカーはその手を強かに打ち付けた。
「ぐあッ!!」
「そもそも、その槍―――グングニルに認められていない今の君じゃあ、全然役者不足ッス」
「なん……だと……?」
グングニルに認められる?
一体何の事だ?
ズキンと、左目が痛む。
グングニルの所有者となった時に潰れた左目が。
先ほどから、その痛みは増すばかりだ。
一体どうしたというのだ?
「おっと、これは口が滑ったッスね。まあ、でも、今殺しちゃえば問題はないッスよね」
ジョーカーは魔力を集中させる。
手に持ったバトンが槍の様に尖る。
「死ねッス、偽物」
「―――っ!ぬぁぁぁあああああッ!!」
ズドンッッ!!
手に持ったグングニルからゼロ距離で魔力を暴発させる。
その反動を使って、ベルディーはジョーカーの足から脱出した。
「おー躱したッスかー、じゃあ次ッスよー」
距離を詰め、再びバトンを振るジョーカー。
ベルディーは転がる様にして、バトンを躱す。
そのまま反動で起き上がり、ジョーカーに向けて槍を放つ。
「疾ッ!」
「おっとッス」
だが、簡単に躱された。
カウンター越しにバトンが迫る。
それも死角となる左目の方から。
「―――ッ!」
だが、ギリギリでこれを躱す。
「上手く躱すッスねぇ……」
実に面倒臭そうにジョーカーは呟く。
「ふぅー……これ以上、君なんかに魔力を割くわけにもいかないッスね」
パチンと、指を鳴らすと、無数の黒い触手が彼の周囲に発生した。
「なにっ!?」
黒い触手はベルディーに襲い掛かる。
即座にベルディーも槍を振るうが、その数があまりにも多すぎる。
直ぐに全身を絡め取られ、身動き一つとれなくなった。
「ぐっ……くそっ……“風よ、刃と成りてがっ―――」
魔術を詠唱しようとした瞬間、黒い触手が口に纏わりつき、詠唱を妨げる。
「無駄っすよ。そもそも、その霧は魔力を吸収するッス。たとえ、唱えたところで意味はないッスけど、念には念をッス」
「ふぐっ……ふががっ―――」
「おおー流石、触手先輩ッスねぇ。うーん、そこに倒れてる偽物みたいなチート能力が無きゃ、やっぱ触手って普通に強いッスよね」
うんうんと頷きながら、ジョーカーは更に触手を展開。
その女性的な肉体を強調する様に、触手はベルディーを締め付ける。
「ぬっ……がぁぁっ……」
ベルディーも必死の抵抗を試みるが、抜け出せない。
むしろもがけばもがくほど深く触手は絡みついてくる。
(―――っ。グングニルも伸ばせない。魔力が吸い取られてるッ……)
触手はグングニルにも絡みついている。
魔力を流そうにも、即座に黒い触手に吸収され、伸ばす事が出来ない。
「うん。これで詰みッスね」
「……ッ」
「あれ?『くっ殺せ』とか言わないんッスか?こういう時のお約束だって、アオバ君が言ってたんッスけど?……違うのかな?」
パチンと、ジョーカーが指を鳴らす。
すると、ベルディーの口元から触手が離れる。
言わせる為だろう。
「ほらほら、早く殺してくださいって言えば、そこそこ楽に殺してやるッスよ?それとも、命乞いでもしてみるッスか?」
「何を……ふざけた事をっ」
誰が殺せだのというものか。
誰が命乞いだの嘆願するものか。
自分はまだ死ねない。
死ぬわけにはいかない。
あらんばかりの力を振り絞り、ベルディーは触手から抜け出そうとする。
「ぬぁっ……ぐぁぁぁああああああああああああああっ!!」
「ははっ、叫んだところでどうにもならないッスよ。それじゃあ、今度こそ、トドメッス」
ジョーカーの持つバトンに魔力が籠る。
それが自分に向けられる。
死を、予感する。
だが、
「死んで……たまるかっ!」
誓ったんだ。
あの黒蟻を殺すと。
アイツの造ったダンジョンを攻略すると。
だから、こんなところで、死ぬわけにはいかないだ!
こんな相手に負けるわけにはいかないんだ!
―――ズキン。
激痛が走った。
左目から、血が流れた。
ベルディーは槍を持つ手に力を込める。
私の……私の声を聞け!グングニルよ!
神をも穿つ魔性の槍よ!
お前も神器に名を連ねる武器ならば、その意地を見せて見ろ!
お前の力を、私に力を貸してくれ!
私と共に、闘ってくれ!
生きて、前に進むために!
私の力となれええええええええええええええッッ!
――――ズキンッッッ!!!
「あぐっ!?」
不意に、左目にそれまでとは比べ物にならない激痛が走った。
同時に光り輝く紅い槍。
「これは……っ!?」
ベルディーの眼帯が外れる。
グングニルの所有者となった際に捧げた左目。
自ら抉り、槍に貫かせたはずの左目が、そこに在った。
光り輝く黄金の瞳が。
「なっ、馬鹿な……“覚醒”したんッスか?」
次の瞬間、グングニルが伸びた。
変幻自在に軌道を変え、ベルディーを絡め取っていた触手を切り裂いた。
「な、なんだ……この眼は……?」
今までとは違う景色が見える。
これは……。
ジョーカーが忌々しげにベルディーを睨み付ける。
「ちっ!」
黒い触手が再びベルディーに襲い掛かる。
だが、ベルディーは躱す。
襲い掛かる触手、その全てを切り裂く。
先ほどとはまるで違うスピード。
それはジョーカーを驚愕させるには十分だった。
「―――ッ、クッソ!あーもう!これ以上魔力は消費したくないんッスけどね!」
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ!!と。
ジョーカーを中心に、凄まじい魔力が集約される。
「招来・黒獏!」
ジョーカーの後ろに黒い獣が出現する。
それは、先ほどアンを飲み込んだ黒獏だ。
二度目の大技に、流石のジョーカーも苦しげな表情を浮かべる。
「ハァ…ハァ…さあ、消えるがいいッス、『穿界』ッ!!」
圧倒的な魔力の奔流。
夢を喰らい、悪夢をもたらす獣の口が、ベルディーを飲み込まんと大きく開いた。
「…………」
だが、その光景が、脅威が、今のベルディーにはやけにゆっくりに見えた。
恐ろしいと思えなかった。
脅威と、感じなかった。
―――視える。
魔力の流れが、軌道が、その全てが。
―――分かる。
どう槍を振るえばいいか。
どこを貫き、穿てばいいか。
その全てが理解できた。
光の点が見える。
黒い獣に数か所。
光の線が見える。
光の点から延びる糸の様な光の線が。
その糸を紡ぐ様にベルディーは槍を振るう。
力は要らない。
速さも必要ない。
ただ、その線をなぞる様に、体が動いた。
穿つ。
『ヌボオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』
そして、あっさりと―――グングニルは黒獏を貫いた。
「なっ……!?」
霧散してゆく黒獏を見ながら、驚愕の声を上げるジョーカー。
「力が……溢れてくる……」
その結果に、ベルディーすらも驚いた。
ただ、彼女の持つ紅い槍だけが、『当然だろう』と言わんばかりに強く輝いていた。
神殺鑓グングニルの真の力は、捧げた左目と合わせて、初めてその力が発揮される。
グングニルの所有者として認められたものは、全てを見通す“眼”を与えられる。
魔力の流れ、気配、弱点、軌道。
その全てを視覚化することが出来る最強の眼が。
ベルディーは認められたのだ。
その眼を―――神殺鑓グングニルの真の力を、与えるにふさわしいと、彼女の相棒に認められた。
「―――っ」
ぎりっとジョーカーが歯噛みする。
「ど、土壇場で真の力覚醒とか、どこの主人公ッスか……。これじゃあ、まるで僕が引き立て役の三下みたいじゃないッスか!ふざけんじゃないッスよ!」
ジョーカーの周囲から無数の分身が現れる。
もう、魔力は無駄使いできない。
これ以上は結界に支障をきたす。
何とか、この分身だけで、この女を仕留めるしかない。
だが、今のベルディーを相手に、それは余りにも悪手だった。
視える。
分身の動きが、魔力の流れが、その全てが手に取る様にわかる。
「ハァッ!!」
ベルディーが槍を振るう。
伸縮自在に伸びるグングニルは分身を次々に穿ち、縫いとめてゆく。
たちまち数を減らして行く分身。
その状況に、ジョーカーは焦り出す。
「……ま、拙いッスね。どうしよう、どうしよう……。これじゃあ、リアス先輩のお役に立てないッス……」
もう魔力も残り少ない。
結界を維持できなくなる。
こんな状態で、こんな面倒臭い奴を相手するなんて―――。
「……ん?いや、待つッス。別に相手にする必要なくないッスか?」
そう。
面倒な相手ならば、別に闘う必要はない。
―――逃げればいいのだ。
おおそよ脅威と言えるのは目の前のベルディーのみ。
黒蟻の偽物は、未だに悪夢の中だ。
持ち場を放棄することにはなるが、別に構わない。
再び態勢を整えて、奇襲なりなんなり仕掛ければそれでいいのだ。
なんという発想の転換。
となれば、善は急げだ。
「“黒煙幕”!」
全身から黒煙を噴出させる。
目くらましだ。
「ハッハッハ、悪いッスけど、ココは一旦引かせてもらうッスよ!せいぜい、一人で夜道を歩かない事ッスね!」
まるで三下の様な捨て台詞を吐いて逃げようとするジョーカー。
だが、
「……それは悪手だな、道化」
ぽつりと、ベルディーが呟く。
そして、
『―――ええ、その通りですね』
声が、聞こえた。
澄んだ美しい女性の声が、ジョーカーの頭に直接響く。
「えっ」
次の瞬間。
バシュゥゥクウウウウウウウッッ!!と。
黒い霧は全て―――霧散した。
まるで、魔術そのものが“無効化”されたかのように。
「なっ……あ……え?」
この現象を、ジョーカーは知っている。
冷や汗が伝う。
振り向くと、そこには―――が居た。
「そ……そんな馬鹿なッス……」
あり得ない。
ジョーカーはそう呟いた。
だって、コイツは自分の悪夢に嵌り、抜け出せないでいた筈だ。
廃人の様に物言わぬ木偶に成り果てていた筈だ。
それなのになぜ、
「なんで……なんでアンタが目覚めてるんッスかあああああああああああッッ!!?」
そこに居たのは青鎧に身を包んだ黒蟻の姿。
悪夢より覚めた、アンの姿がそこにあった。
そして、その手に持った大剣が、真っ直ぐにジョーカーに振り落とされた。
―――暗く深い闇の中をアンは漂っていた。
考えられる限り最悪の悪夢だった。
それを繰り返し繰り返し、何度も何度もアンは見せられていた。
現実では僅か数秒に満たない間に、何百年も時が過ぎ去ったかのような感覚。
精神を極限まですり減らし、ただの人形となったアンは、悪夢の終着点、無明の闇の中を漂っていた。
何もする気が起きない。
何も考えたくなかった。
『―――出て行け、お前なんて要らない』
悪夢の中のアースの言葉がリフレインする。
アンの精神を蝕んでゆく。
嗚呼――――と。
私の代わりなんて、いくらでもいる。
エリベルが居る。
ぷるるが居る。
ウナが居る。
ドスが居る。
トレスが居る。
エルジャが、ラセツが、ゴンゾーが、ベルクが―――。
別に私一人いなくなっても、アース様は困らない。
その事がどうしようもなく胸を締め付ける。
たまたま最初に出会ったのが私だと言うだけの事。
私じゃなくても、別に良かったのでは?
私の行いには、何の意味もなかった?
別にアース様の傍に居るのは私でなくても良かったのでは?
疑問が、疑念が、卑しい感情が私の中を駆け廻る。
それはとてもとても醜い感情。
妬み、嫉妬、独占欲。
誰よりもあの御方の傍に居たい。
自分じゃない誰かが、あの御方の傍に居るのが妬ましい。
どうしようもない黒い感情が、アンの心を塗りつくす。
偽りのダンジョンの中でアンは何度も叫んだ。
―――貴方の傍に居たいと。
眷属の皆にも叫んだ。
私を再び受け入れてくれと。
だが、その度に拒絶された。
激情し、剣を向けた事も、幻とはいえ共に過ごした眷属を殺めてしまった事すらあった。
そして、そんな事をしてしまえる自分の性根の醜さにどうしようもなく涙が出た。
自分はこれほどまでに、醜い存在だったのだ。
誰かを傷つけてでも、殺めてでも、あの方の傍に居たい。
なのに―――返ってくる答えはいつも同じ。
『要らない―――お前なんて、要らない』
言わないで!
そんな事を言わないで下さい!
私は……アンはいつだって貴方の事だけを思って……。
貴方の為だけに剣を捧げて……。
だから……だから……。
『―――俺の前から消えろ』
ああ……あああ……ああ……。
底無しの絶望は、底無しの闇へアンを誘導する。
いつしか精神は摩耗し、アンは何一つ考えなくなった。
物言わぬ人形に成り果てた。
そして、彼女の世界は閉じた。
自己完結した孤独の中で、アンは幸福を感じていた。
こうして、誰にも触れずに、何も考えず、何もしなければ、傷つくことも、拒絶されることも無い。
自己完結の閉じた世界に、アンは逃げていた。
ああ、幸せだ。
誰にも拒絶されない。
完結した、閉じた世界。
これ以上の幸福があるだろうか?
どうして自分はあんなに頑張っていたんだろうか?
理由は思い出せないが、それはきっと今の幸せに比べればどうでも良い事の筈だ。
そう―――ソノ筈ダ。
『でも―――本当に、それでいいの?』
不意に、声が聞こえた。
澄んだ美しい女性の様な声。
それはこの暗闇の中でも、やけに鮮明に聞こえた。
誰?
私の世界に入って来ないで下さい。
『私の世界?おかしな事を言いますね?貴女の世界は“ここ”ではない。そうでしょう?』
いいえ、違います。
ここが、私の居場所。
誰もいない、誰にも拒絶されない、誰にも必要とされない、私だけの居場所です。
『そんな訳がないでしょう?』
あざ笑うかのような声。
どうして断言するの?
貴女に私の何が分かるというのですか?
『分かりますよ。だって―――』
だって?
『だって、貴女―――泣いているではないですか?』
え?
頬に触れる。
そこで、初めて気が付いた。
雫が、頬を濡らしていた。
それは、両目からとめどなく溢れていた。
えっ。
どうして……私は、泣いて……?
『自分だけの閉じた世界で満足できる人が、誰かのために涙を流す事などあり得ませんよ。それは貴女が、他者との、主との繋がりを諦めていない何よりの証なのではないですか?』
違う。
だって、私は要らないって……。
アース様に拒絶されて……でも、諦めきれなくて。
何度も、何度も、頑張って、その度に裏切られて、拒絶されて。
だから……。
もう駄目だって諦めて……。
でも―――。
『でも―――諦めきれなかったんでしょう?』
…………。
ああ、そうだ。
たとえ何度絶望にこの身を焦がそうとも、それでも私は……。
私は……、『アン』はあの御方の、アース様の傍に居たい……。
あの御方と一緒に、笑って明日を迎えたい。
共に、歩んでいきたい。
ただ、それだけでよかったのだ。
ただ、それだけが、私の望みなのだ。
その為なら、私は―――アンは何度でも、立ち上がる。
誰かの声は笑っていた。
『それでこそ、です。さあ、立ち上がって』
眩い光が差し込む。
誰かが自分の手を掴む。
『どうか、彼らを止めてやって下さい。私が……救う事の出来なかったあの子たちを。今尚、彷徨い続けてるあの子たちを救って下さい。その為の力を、貴女に―――』
アンの体が僅かに光り輝いた。
力が、溢れてくる。
―――あなたは?
問うが、答えは返ってこない。
ただ、光の中、ほんの少しだけ、自分に似た誰かが、ほほ笑んだような気がした。
そうだ。
私はもう迷わなない。
いつの間にか、霧は晴れていた。
―――悪夢は、終わった。
夢は、覚めた。
「―――っ!?」
仮面の下のジョーカーの顔が強張る。
一瞬の硬直。
それは決定的な隙だった。
その隙を、アンは見逃さない。
『感謝します、ジョーカー……貴方のおかげで、私は自分自身と向き合うことが出来た』
「なっ……何を言ってっ」
自分の中の汚さを、迷いを、弱さを、感情を、思いを、全てさらけ出し、向き合うことが出来た。
本当に大切なものは何なのか、知ることが出来た。
悪夢は終わった。
夢は、覚めるためにある。
夢から覚め、前に進むことに意義がある。
だからこそ、この悪夢にも意味があった。
乗り越えることが出来た。
だから―――
『これで、終わりです、“夢霧”ジョーカーッッ!!』
「うああああああああああああああああああああああああッッ!!」
ズドンッッ!!!と。
アンの大剣が、ジョーカーの体にたたき込まれる。
パキンッと、音を立てて、ジョーカーの仮面が粉々に砕け散った。
ベルディー「やったか?」
アン『私この闘い終わったらアース様に告白するんです……』
作者「Twitter始めました (`・ω・´)キリッ」
あ、次回はアースさんのターンです……多分




