15.VS夢霧 孤群奮闘
帝都ファーブニルの入口、天蓋跡地にて―――。
レイギンの青鎧に身を包んだアンは、大剣を手にジョーカーに斬りかかる。
ジョーカーは、全方位から、黒い触手を展開。
アンに襲いかかる。
だが、アンはそれに目もくれない。
事実、アンの鎧に触れた瞬間、黒い触手は全て霧散した。
―――魔術の無効化。
アンの身を包む青鎧―――レイギンの力だ、
自分に向けられた魔術、触れた術式、それら全てを問答無用で消し去る反則級の異能。
魔術を扱う者に対する絶対防御。
それはアンの戦術を飛躍的に上昇させた。
もともとアンは、近接特化の魔物だ。
“酸液”以外遠距離攻撃手段を持たない。
それ故に、アンが最も警戒するのが離れたところから一方的に蹂躙される遠距離魔術だった。
だが、レイギンの鎧に身を包んだことで、その不安も解消された。
少なくとも、アースやグウィブ以上の火力でない限り、アンを傷つける事は不可能だ。
『ハァッ!!』
だから、アンは躊躇いなく剣を振るう。
防御を気にしなくていい攻撃は、先程よりも早く鋭い。
アンの剣がジョーカーの左腕をかすめる。
「―――っ!厄介ッスね!」
だが、ジョーカーもさるもの。
直ぐにアンの身に纏う鎧と剣の特性を見抜いた。
「見た感じ、魔術の“減少”……いや、“無効化”ッスか?初めて見るッスね。つーか、そんなの反則ッスよ!?チートッス、チート!」
“魔力の減少”という固有術式を持つ者ならジョーカーも知ってるが、“無効化”をこの目で見たのは初めてだ。
いや、それ以前にそんな固有術式を秘めた“武器”が有るだなんて聞いた事が無い。
「武器も鎧もイカれ過ぎてるッスねぇ。一体、どこの誰がそんなの造ったんッスか?それこそ神王級の“錬金”でないと不可能な筈ッス。となれば、それを造れるのは―――ッ!」
思考はそこで打ち切られる。
その前に、アンの斬撃が頬をかすめる。
白い仮面にひびが入った。
「―――チッ!余計な事を考えてる余裕なんてないッスね!」
ジョーカーは右手を天にかざす。
黒い霧が集約され、それは一本のバトンを形作った。
「カッコいいでしょう?コレ、僕の武器ッス」
『そうですか』
アンの剣とジョーカーのバトンがぶつかり合う。
ガキィィィイインッッ!
火花が散る。
ジョーカーのバトンは、アンの剣と正面からぶつかっても消滅しなかった。
『この剣に触れて消滅しない……?いや―――』
よく見れば、魔剣リディルと切り結んでいる部分から煙が出ている。
あのバトンが魔術によって作られていることは間違いない。
だが、その密度が桁違いなのだ。
少なくとも、アンの斬撃をまともに防ぐことが出来る位には。
クルクルと、軽業師の様にジョーカーはバトンを回す。
「舐めて貰っちゃ困るッスよ。“あのダンジョン”じゃ“最弱”とはいえ、僕も神災級の一角ッス。そうそう、簡単にほかの魔物に遅れは取らないッス」
『神災…!?成程、そういう事ですか……』
道理で感じる魔力が桁外れだと思ったわけだ。
目の前の男は、あのギブルと同じ神災級の魔物だったとは。
全く、どうしてこうも自分は、格上の相手とばかり戦う事になるのかとアンは内心苦笑した。
しかし、今の口ぶり。
まるで自分以外にも、何体も神災級がいる様な感じだが、今はその事を気にしてる余裕は無い。
ジョーカーはアンから距離を取り跳躍する。
そして黒霧によって足場を造りだし、縦横無尽に空中を駆けまわった。
こちらの死角に回り込む気か?
いや、違う。
よく見れば、足場にしている黒い霧がトランポリンの様に伸縮している。
その反動を利用し、移動する度にジョーカーのスピードが増してゆく。
『―――くっ、速い!』
目で捉えきれない。
ならばと、魔力感知を発動させる。
速いが動きは直線的だ。
気配を捉え、その方向へ攻撃を仕掛ける。
―――ここだ!
アンは真後ろに向けて剣を振るう。
だが、アンの斬撃は空を切った。
そこにジョーカーの姿は無かった。
「どこを向いてるんッスか?僕はここッスよ?」
『なっ!?』
真横。
凄まじいスピードでジョーカーがアンに迫っていた。
『―――っ!』
反応し切れなかった。
魔力感知が失敗したわけでも、ジョーカーがフェイントを入れた訳でも無い。
ただ、ジョーカーの方が早かっただけだ。
アンの反応速度よりも圧倒的に。
脇腹にバトンがたたき込まれる。
圧倒的な速度で打ち込まれる黒いバトンの破壊力は、凄まじい攻撃力になっていた。
『グアァァアアアアアアアッッ!!』
凄まじい衝撃が走る。
その余波で周囲の建造物が震え、崩壊する。
それほどの破壊を受けたレイギンの鎧は、
『っ……ヒビが……』
ジョーカーの攻撃に耐えられなかったのか、鎧の一部にひびが入り砕けた。
道化師の仮面の下に歪んだ笑みが浮かぶ。
『どうやら“無効化”にも限度があるみたいッスね。それに魔力を介しない純粋な破壊に関しては普通の防具と同じ……ッスよね?』
正解。
アンは内心歯噛みする。
ジョーカーは再び跳躍し、黒霧で出来た足場を反動にしてさらに加速。
アンに追撃を仕掛ける。
―――躱せないっ。
『がはッ……!!』
更に一撃。
アンの肩に叩き込まれる。
肩の部分が砕け散った。
「無効化だけでなく、純粋な防御力も大したものッスね。“コイツ”を二発も喰らってまだ持つんッスから。でも、時間の問題ッスよ!」
手を休めない。
再び加速し、アンへ攻撃を加えようとする。
今度は心臓。
次で仕留める。
結末が見えた。
そう思った。
だが、
『―――ここですね!』
声が、聞こえた。
自分の動きにぴったりと合わせる様に、黒蟻の剣が逆袈裟斬りに自分に叩き込まれた。
「なっ……!?」
『どうしました?なにやら信じられない、と言った顔ですね?』
動揺を察するようにアンが笑う。
実際には仮面で表情は見えないのだが、それは当たっていた。
一体なぜ?
先ほどまでは言い様にやられていた筈だ。
『確かに凄まじい速度です。目でも追いきれないし、反応も間に合わない』
でも、とアンは言う。
『その分動きは直線的で、軌道が読みやすいんですよ。それに貴方自身の感情も非常にわかりやすい』
最初に脇腹、次に肩。
二発も容易くクリーンヒットさせたのならば、次で止めの一撃を狙う筈。
その読みは当たっていた。
それに、とアンは言う。
『流石に二度も喰らえば、こうしてカウンターをたたき込めるくらいには慣れますしね』
「い、いや、その理屈はおかしいッス……」
いくらなんでも、たった二回攻撃を喰らっただけで“慣れる”なんて、有りえない。
一体何なんだこの黒蟻は!?
マズイ。
これはマズイ。
追撃を仕掛けんと、黒蟻は自分に迫ってくる。
「……っ!なら、これでどうッスか!」
クルクルとバトンを回す。
ジョーカーの次なる一手。
今度は黒い霧の中から、無数のジョーカーが姿を現した。
『幻……?いや、これは―――っ!』
現れた無数のジョーカーが、アンに攻撃を仕掛ける。
そのバトンがアンに叩き込まれる。
衝撃と共に籠手が砕け散った。
『幻じゃない!?』
はっきりとした手応え。
幻ではありえない感触。
「フフフ、こいつらはちゃんと“実体”あるッスよ。ま、結界維持してる今の状況じゃ、そんなに数は出せないッスけどねっ!」
結界の維持に力の大部分を割いている為、そんなに数は造り出せない。
それでも、百を超える実態ある分身。
更に霧の中から無数の黒い触手が出現する。
『クソッ!数が多い!』
無数の触手とジョーカーが同時にアンに襲いかかる。
凄まじい攻撃の嵐。
ビキビキと、徐々にだが、確実に鎧が砕かれてゆく。
受けきれない。
捌き切れない!
「アハハハハ、やっぱり戦は“数”ッス!そう思うッスよね、たった独りのインペリアル・アントさん?ねえ、どんな気持ちッスか?大量の敵を相手に、たった一人で奮闘するってどんな気持ちッスか?」
嘲笑と共に、激しさを増すジョーカーの攻撃。
それでも、たった一匹で凌いでいるアンの強さは驚嘆に値するだろう。
まさしく孤“群”奮闘。
だが、だからこそジョーカーは許せない。
「ホントむかつくッスよ。“群”の魔物でありながら、“個”を極めんとするだなんて。そんなのおかしいッスよ……」
嫌悪感も露わにジョーカーは吐き捨てるように言う。
本来の魔物の“本質”とは異なるアンの強さに吐き気がする。
魔物にはそれぞれの特性―――個性がある。
地龍がどこまでも喰らい成長する“暴食”の魔物であるように、自分が人を惑わし、封じ込める“霧”の魔物であるように、キラー・アントは数を増やして強さを増す“群”の魔物である筈だ。
かつて存在した彼が敬愛するとある黒蟻の女王は“究極の群”ともいえる“力”を持っていた。
だからこそ、許せない。
同種でありながら、同じ姿をしていながら、彼が敬愛してやまない“あの黒蟻”の在り方を否定しているのだ。
思い出が、汚される。
そんなの許せる筈が無い。
だから―――。
「―――僕の目の前から消えるッス、偽物!」
轟ッ!とジョーカーの周囲に、更に大量の黒い霧が出現。
生み出される無数の分身。
結界にリソースを割いている中での彼の限界領域。
その全てを持って、目の前の黒蟻を排除する。
『ガハッ……くっ!厄介なっ』
一方で、アンもこの現状に焦りを感じていた。
そもそもレイギンの青鎧は、その維持に相当な体力と精神力を使う。
この結界を突破するのに一回。
そして今と、二回の武装化で、既にアンの体力と精神力は相当削られている。
長期戦はこちらが、圧倒的に不利。
ならば、短期決戦で一気に勝負を仕掛けたいが、その為にはこの分身の肉壁が邪魔だ。
(せめて、レヴァーティンや地龍の剣の様に、斬撃拡張が出来ればいいのですが……)
魔剣リディルは、地龍の剣とは違い、魔力による威力の上乗せが出来ない。
さらに鎧も展開している今の状態では、周囲の魔力も散らしてしまう為、レヴァーティンや地龍の剣を使うことも出来ない。
純粋な剣技のみで勝負を仕掛けなければならない。
成程、確かにこの魔剣はじゃじゃ馬だ。
―――だが、貴様なら使いこなせるだろう?
不意に、そんな声が聞こえた気がした。
かつての剣の持ち主だったあの豪胆な騎士の声が。
ふっ。
アンは心の中で笑う。
ああ、勿論だ。
使いこなして見せるとも。
魔剣リディルを握る手に力を込める。
『ふぅー……』
深く息を吸う。
意識を、集中させる。
ぴたりと、動きを止めたアンをジョーカーは訝しげに見つめる。
「諦めたんッスか?なら、とっとと潰されるが良いッス」
パチンと指を鳴らす。
黒い触手とジョーカーの分身が、一斉にアンに襲いかかった。
ぐちゃりと、アンは潰されて哀れな肉塊に成り果てる。
ジョーカーはそう予想した。
だが、そうならなかった。
するりと、アンは分身と触手の間を潜り抜け、すれ違いざまに斬撃をたたき込んだ。
斬られた触手と分身が、消滅する。
「―――え?」
思わずジョーカーは間抜けな声を上げる。
ゆらゆらと、柳が揺れる様に、木の葉が舞う様に、最小限の動きと力で次々に分身を切る伏せてゆく。
「え、あれ?ど、どうなってるんッスか?」
まるで手品でも見せられているかのようなアンの動きにジョーカーは困惑する。
『確かに、アナタが言った通り、私は“群れる”ことで、初めて強さを発揮する魔物です。他の誰かと共闘しなければ、まともに戦えない“最弱”の魔物と言えるでしょう』
誰かに縋らなければ、手を取り合わなければ生きていけない。
数を増やさなければ太刀打ちできない。
それがどうしようもないキラー・アントの“本質”だ。
『だが、貴方は一つ思い違いをしている』
アンは量産されたジョーカーを次々と斬り伏せながら、ジョーカーの本体を見つめる。
『私は“独り”で闘っている訳ではありません』
アンの言葉に呼応するかのように、身に纏った青鎧が光り輝く。
そう、この場にはもう一人仲間がいる。
アンと死闘を繰り広げ、最後に己の武器を託した豪胆な騎士が。
その魂の“経験”が、アンの中にはある。
彼が戦い抜いてきた“武技”の記憶が、その蓄積が、アンの中には在る。
『“武技・科ノ舞”』
それは最小限、最低限の動作から繰り広げられる独特の足運び。
優美な動作は舞を思わせ、目にした者を釘付けにする。
そして、目を奪われたものは、次に命を奪われる。
無数の触手がアンの往く手を遮る。
『“武技・柳ノ太刀”』
無数の触手の側面にアンが剣を添える。
軌道をズラされた触手は互いにぶつかり合い、絡まりその機能を果たさなくなる。
『厄介なのは分身だけ。黒い触手は攻撃ではなく、こちらの意識を分散させる目くらましの意味合いが強い筈です』
その判断は正しかった。
アンが迷いなく分身だけを攻撃してゆく姿に、ジョーカーは内心舌打ちした。
(クソっ、こっちの戦術を確実に見抜いてるッスね……。数を増やせば、押し切れるッスけど、これ以上は結界の維持に支障をきたすッス……)
同時方向から十体の分身がアンに襲いかかる。
『“武技・透斬”』
一体の分身が斬られる。
更にその周囲に居た分身体にも斬撃が走った。
透撃の特性を加え、更にアレンジした斬撃。
ギリリと、ジョーカーは奥歯をかみしめる。
参った。
この黒蟻は予想以上に強い。
確実にしとめるには、結界のリソースを割かねばいけないが、それは出来ない。
結界が弱体化すれば、即座に神災龍王や賢者に地味魔女が攻め込んでくるだろう。
そうなったら終わりだ。
「なら―――」
パチンと、ジョーカーは指を鳴らす。
一瞬にして、分身と触手が霧散した。
『……どういうつもりですか?』
「どうもこうも、これ以上分身を造り出しても意味はなさそうッスからね、だから、“奥の手”を使わせてもらうッス」
そう言って、ジョーカーはバトンを回す。
「“夢を喰らえ、幻想の獣よ!希望ある者を泡沫の世界へと誘え”」
詠唱。
バトンから大量の黒い霧が放出される。
―――マズイ。
アンは本能で、それが“危険”だと判断する。
反射的に地面を蹴り、術が発動する前にジョーカーに斬りかかろうとするが、間に合わなかった。
発生した黒い霧は、一体の獣を形へと姿を変えた。
「―――“招来・黒獏”!」
獏。
夢を食うとされる空想の獣。
霧で造られた黒い巨大な獏は、大きな口を広げアンを飲み込んだ。
―――ここは?
周りの風景が変わっていた。
ごつごつした岩壁。
薄暗い光魔石の輝き。
ダンジョンの中?
先ほどまで帝都に居た筈なのに、なぜダンジョンに戻っているのだ?
「クスクス」
「クスクスクス」
「クスクスクスクス」
どこからか自分を嘲笑する笑い声が聞こえる。
見れば、遠巻きに次世代のキラー・アントの女王種達が自分の事を見て笑っていた。
ごく潰しの引き籠りと笑う。
外に出る勇気の無い臆病者と笑う。
現実を見ないキラー・アントの面汚しだと笑う。
誰もかれもが自分を見て、その無様な姿を笑っていた。
―――止めて。その“眼”をやめて。そんな目で私を見ないで。
そこで、アンは自分の体の異変に気付いた。
戻ってる。
進化する前の姿。
最下級の、ただのキラー・アントだった頃の姿に。
どういう事?
戸惑うアンに、一体の黒蟻が近づいて来た。
母だ。
キラー・アントの女王種。
アンの母が近づいて来た。
その瞳は僅かな悲しみ、そしてどうしようもない侮蔑が含まれていた。
アンの母親は一言、こう言った。
―――この出来そこないめ。
そう言って、アンは巣から叩き出された。
自分の居場所は、もうここには無かった。
場面が切り替わる。
自分は元の姿に戻っていた。
インペリアル・アントの姿に。
ふと視線を移せば、そこには仲間がいた。
エリベルが居た。ウナが居た、ドスが居た、トレスが、ぷるるが、皆が居た。
皆、笑っていた。
―――私も混ぜて。
アンはエリベル達に近づく。
アンは思わず笑みを浮かべるが、返って来たのはゴミを見る様な目。
え?
『なによ、アンちゃん。まだそんなところに居たの?さっさと消えなさいよ』
え?
何を言ってるの?
なおも近づこうとするアンに、エリベルは嫌悪感も露わに言葉を投げる。
『アンちゃんってホント使えないわね。アンタの馬鹿な指揮のおかげで、ダンジョンが危うく崩壊しかけたのよ。責任とって死になさいよ」
何の事?
そんなの身に覚えがない。
なんで、そんな事を言うの?
次に、ウナ達に視線を移す。
自分を慕ってくれるウナは、にっこりと笑い、そして嗤った。
『本当にどうしてこんなヒトを尊敬していたんでしょう。こんな愚かなどうしようもない愚図を。愚か過ぎて、笑えますね』
『……ん、役立たず』
『消えてよ!早く私達の前から消えてよ!アナタのせいで、ゴーレム達がどれだけ死んだと思ってんの!』
え?え?
どうして?どうしてそんな事を言うの?
私が一体何をしたの?
ぷるるはこちらを見ようともしない。
エルジャは憎しみの籠った瞳でこちらを見てる。
ヤメテ、そんな目で見ないで。
拒絶しないで。
『―――無様だな』
頭上からヘレブがこちらを見ていた。
まるで虫けらでも見る様に。
『貴様との協定は破棄する。浅ましい虫けらが。二度と我の前にその面を見せるな』
頭が痛い。
何だこれは?
次に次世代の女王種達が現れた。
彼女たちは次々にアンに罵声を浴びせ、笑う。
―――私達が産まれた。
―――あの御方の傍には、私達が居る。
―――あの御方の隣は、私達こそふさわしい。
―――もう、アナタの居場所なんて無い。
イヤ、イヤ。
どうして?
なぜ、私の居場所を奪うの?
私はあの御方の剣になると、盾になると誓ったのに。
―――ソウ、例え、アース様が私を見テくれなくテモ。
傍にいられるだけで私は―――。
頭を抱え、その場に蹲るアン。
どれぐらいそうしていただろうか?
『なんだ、アン。ここに居たのか?』
声が、聞こえた。
見上げれば、そこにはアースが居た。
敬愛してやまない、最愛の主の姿が。
フラフラと、アンはアースに近づこうとする。
触れようとする。
手を伸ばす。
すると、アースがその手を弾いた。
明確な拒絶の意思表示。
『―――出てけよ』
アースが言った。
ヤメテ。
『俺の、俺達のダンジョンから出て行け。ここにお前の居場所なんて無い』
ヤメテ、イワナイデ。
『もうお前は俺に“必要ない”。お前なんて“要らない”。お前なんて―――眷属じゃない。今すぐ俺の前から―――“消えろ”』
ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、
ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、
ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ―――。
『イヤ……イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
深い深い絶望の闇の中に、アンは堕ちてゆく。
「―――とまあ、こんな風に、“黒獏”に食われたものは、その者が一番恐れる“悪夢”を視させられるッス」
呆然と立ち尽くす“無傷”のアンに向けて、ジョーカーは言う。
「何より、この術の恐ろしい所は、発動もその効果も一瞬で済むところッス。“無効化”にはタイムラグがあるッス。でも、この術は、その“無効化”が発動する前に終わってしまうんッスよ。だから、“無効化”も意味を成さない。ま、その分、魔力はかなり消費するッスけど―――ねっ!」
クルクルと回したバトンをそのままアンに叩きつける。
アンは受け身も防御も取らずに、そのまま地面を転がった。
腕が変な方向に曲がっている。
だが、アンは苦痛に顔を歪めることも、悶える事もしない。
ただその場に倒れたままだ。
「そして、一度“悪夢”に堕ちた者は、例え術が消えた後でも、覚める事無くうなされ続けるッス。……今の君の様に」
一歩、一歩ゆっくりと、ジョーカーはアンに近づく。
「これが“夢霧”と呼ばれる僕の本当の力ッス。誇っていいッスよ?たかが偽物如きが、神災の魔物に“本気”を出させたんッスから」
パチパチと手を鳴らし、称賛を送るジョーカー。
「尤も、この言葉も、君には届いてないだろうッスけどね……」
彼の足元に転がるアンは、ブツブツと何事かを呟くだけで、碌に反応もしやしない。
「さて……それじゃあ、これで終わりッスね」
手に持ったバトンの先端が鋭く尖る。
「死ねッス、偽物」
躊躇なく、ジョーカーは手に持ったバトンをアンに向けて、振り下ろした。
そして―――。
ガキィィィィィンと、バトンは何かに弾かれた。
「………何をするんッスか?」
そこには一人の美しい女性が立っていた。
女性的な肉体を強調する様な露出度の多い服装。
長い銀髪を靡かせ、左目には眼帯をしている。
そして、何より目を引くのは手に持った血よりも紅い一本の槍。
神殺鑓グングニル。
かつて厄災の魔物すら貫き、縫い留めた伝承を持つ神器。
ジョーカーの問いに、彼女は答えない。
ただ、無言で、手に持った槍を構えた。
「答えるッスよ―――“穿界”ベルディー・レイブン!」
かつて、アンと死闘を繰り広げた最強の冒険者が、ジョーカーの前に立ちはだかっていた。




