9.聖龍、死神と取引をする
ダンジョン中層第三大広間にて―――
聖龍エルジャはその光景が信じられなかった。
次々と現れる魔物達。
先程とは、桁違いの魔力量。
対して全く力が出せない自分。
それどころか、徐々に身体能力すら落ちているように感じる。
「な……何なんですの?あなた達は……一体……?」
かろうじて開いた口が発したのは疑問の言葉だった。
『先ほど名乗ったでしょう?私の名はアン。アース様に使える眷属です』
その名を聞いてエルジャはようやっと思い出した。
先ほど、思念通話で自分に語りかけてきた女性らしきの声を。
「あ、貴女が!貴方が先ほど私に無礼な口をきいた愚か者ですか!?一体私の体に何をしたのですか!説明をしなさい!」
精一杯の虚勢を張ってアンを睨み付ける。
だが、そんなものアンには通用しない。
アンは手に持った大剣の切先をエルジャに向ける。
ひぅっとエルジャが怯む。
『この状況で、良くそのような言葉を口に出来ますね。……不愉快極まりない』
「な……なんですの?あ、貴女、分かっていますの?この私に、聖龍であるこの私に刃を向けるという事の意味が!ふ、不敬ですわよ!?」
はぁ、とアンは大きなため息をつく。
この聖龍は敵陣のど真ん中で何を言っているのだろうか?
よくこのような口が利けるものだ。
『貴方こそ理解しているのですか?この状況で、そのような虚勢を張る事の無意味さを』
「―――っ。う……うぅ……」
そう言われてエルジャは途端にシュンとなってしまう。
『この状況であなたが取れる選択肢は二つです。このまま我々に殺されるか、大人しく自分の巣へと戻るか』
殺すという一択でないだけなのは、アンのせめてもの温情だろう。
本来であれば、さっさと首を刎ねて殺してしまいたいが、後の事を考えると面倒だ。
何より……アースに嫌われたくないというのが一番の本音なのだが。
「なっ!?ふ、ふざけないで下さいまし!私はアース様に会うために此処まで来たのですよ!?」
『そうですか。では、死になさい』
アンは手に持った大剣を構える。
びくりとエルジャは震える。
「き、斬るつもりですか、この私を!?わ、私は聖龍ですのよ!?特別な、選ばれた存在であるこの私を、貴女の様な虫けら風情が、ふ、ふ、ふ触れていい筈など、ましてや傷つけていい筈など、あり得ませんわ!そ、そうですわ!こ、こんな……こんなこと有る筈がありませんの!聖龍である、そう選ばれた種族であるこの私が、こんな無様に、こんな……こんなの夢です!現実じゃありませんわ!!」
きゃんきゃんと、まるで犬の様にエルジャは吠える。
その様子をアンは恐ろしく冷えた目で見つめていた。
龍王種や聖龍以前に、この少女はあまりに小さく、見苦しい。
もはや視界に入れる事すら煩わしいと言う程に。
他の魔物達も似たような反応だ。
だが、当の本人であるエルジャはそれに気付かない。
「アース様!見ておられるのでしょう!?なんなのですか、この野蛮な眷属達は!?見ておられるのでしたら、今すぐにこの野蛮な眷属共を直ぐに下げさせて下さい!同じ龍王種である貴方ならば、お判りになるでしょう?選ばれた種族であるこの私に、この様な無礼、貴方の程度が知れると――ガハッ!」
言葉は最後まで続かなかった。
その前にアンが、剣ではなくその拳でエルジャの頬をぶん殴ったからだ。
ろくに受け身も取れず、エルジャはごろごろと地面を転がる。
『…………』
「あ……痛っ……え……?」
エルジャは一瞬、自分の身に何が起こったか分からなかったが、頬を伝う痛みを感じ、ようやく自分が殴られたことに気付いた。
今の彼女は極限まで弱体化した状態だ。
魔力の籠っていないただの拳でも彼女には重いダメージとなって響く。
「あ、貴女……この私を、なっ……なぐり――ガッ!ゴハッ!ィギイイッッ」
ゴキメキグシャメキャゴキグシャ。
エルジャが何か言うよりも早く、顔面にアンの拳がたたき込まれる。
何発も、何発も。
アンは無言でエルジャを殴り続けた。
美しく整った顔は腫れあがり、内出血による青痣がいくつも出来ている。
「……ひゃめ……ひゃべて……ぐださいまし……」
二十発ほど叩き込んだ頃だろうか、エルジャは呂律もまわらない口調で懇願する。
彼女は痛みに慣れていなかった。
いや、それどころか、“攻撃”というものすらほとんど受けたことが無かった。
圧倒的強者であるはずの彼女にとって痛みとは全く無縁の存在であったからだ。
だからこそ、殴られるという痛みに対する耐性などまるでなく、あっという間に彼女の心は折れてしまった。
『―――撤回しなさい』
「……ひや、ひゃいっ?」
『貴方は今何と言いましたか?同格?同じ?貴女と、我らが主であるアース様が同じだと……っ!?』
「ひっ……」
立つ事すらまま成らないエルジャの胸ぐらを無理やりつかみ、自分と同じ目線まで持ち上げる。
びくりと、エルジャが震える。
その目にはアンへの恐怖がありありと浮かんでいた。
『……百歩譲って我々を貶める発言をした事はこの際不問にします。ですが、あの御方を、アース様を侮辱する事だけは、絶対に!許さない!』
同感だと言わんばかりに、魔物やゴーレム達から魔力と殺気が溢れ出す。
「え…ぁあ……う……」
震える体。
動かない手足。
激しい痛み。
エルジャの心はとうに折れていた。
顔をくしゃくしゃに歪め、鼻水が垂れ、嗚咽交じりに鳴き声を上げる。
更によく見れば、足元に水たまりまでできているではないか。
どうやら失禁してしまったらしい。
威厳ある聖龍としての面影などどこにもなかった。
『最後に、もう一度だけ問います。今すぐここで死ぬか、それとも自らの巣へ帰るか。選びなさい』
「ぁ……ぅあ……あ……」
恐怖に塗り潰された頭でエルジャは必死に考える。
どうしてこんな事になったのかと?
聖龍エルジャにとって世界とはすべて自分を中心に回っているものだと思っていた。
彼女には最初から全てがあった。
恵まれた容姿。
膨大な魔力。
有能な眷属達。
あらゆるものが手に入り、あらゆることが許される。
彼女は自分がそう言う絶対的な存在だと信じていた。
単純に言えば―――彼女は世間知らずのお嬢様だった。
それ故に、彼女は孤独で、世界を知らなかった。
聖王国にある聖龍とその眷属達が住まう人族が聖地と呼ぶ場所。
そこから彼女は出たことが無かった。
同世代の友人な呼べる龍など一匹もおらず、周りは全て自分に傅く眷属か人族の信者たち。
彼女は退屈で、孤独だった。
たまに外からやってくるグウィブの話は彼女にとって、とても面白い話ばかりだった。
そして、あの日―――グウィブに、“その映像”を記憶送信で見せられた時、彼女はその映像に魅せられた。
その映像に映っていたのは地龍と呼ばれる一匹の若い雄の龍。
エルジャは衝撃を受けた。
魅入ってしまった。
その姿の凛々しさに、その魔力の濃度に、その魂の色に。
端的に言って―――一目惚れだった。
凛々しくも美しい、それでいてどこか無骨さを思わせるその姿。
正確な年齢は分からないが、少なくとも自分と同じ百年ほどは生きていると思った。
名はアースと言うらしい。
その日からエルジャは、アースの事ばかり考える様になった。
地龍、自分と同じ同格である龍王種。
彼ならば、自分と対等に接してくれるのではないだろうか?
自分のこの言いようのない孤独感を埋めてくれるのではないだろうか?
会いたい。
あの龍に、アースに会いたい。
会って話がしたい。
共に歩きたい。
そう思い、彼女は生まれて初めて聖地の外へ、外の世界へ出る決心をした。
だから―――。
「―――やですわ……」
『何ですか?聞こえません』
がたがたと体が震える。
頭がくらくらする。
痛い、すごく痛い。
それでも。
ばっと、エルジャは顔を上げる。
「嫌だ、と言ったのですわ!私は!私はアース様に会うために此処まで来たのです!絶対に……絶っっっ対に諦めませんわ!」
ぎりりと、エルジャは拳を強く握る。
ぽっきりと折れた心を無理やり奮い立たせ、涙と、青痣と鼻水塗れの酷い顔で、それでもエルジャは言い放つ。
「私は聖龍エルジャ・ルードですわ!一度口にした言葉を撤回する程安い誇りなど持ち合わせていません!もう一度言います!私を、アース様に会わせなさい!」
世間知らずのお嬢様だって意地がある。
絶対に譲れないものがあるのだ。
エルジャの表情はそう語っていた。
『……そうですか』
対してアンは、ゆっくりと大剣を振り上げる。
「―――っ!」
「ちょっと待ってくれるかしら?」
ぴたりと、アンの手が止まる。
声のした方を見る。
そこには、エリベルが居た。
『エリベルさん、どうしてこちらに?研究所に居たはずでは?』
「んー……まあ、ちょっとばっかし事情があってね」
そう言って、エリベルはアンに思念通話を送る。
無論、他の者には聞かれない様に単独の回線で。
『――――っ。成程、そういう事ですか……』
「そ、だからその子を殺すのはちょっと待ってほしいのよ」
『仕方ありませんね……』
それまでの殺気が嘘のようになりを潜め、アンは大剣を鞘に戻した。
エリベルは軽い足取りでエルジャの元に近づく。
「え……えぇ……?」
エルジャは状況が理解できておらず、ただ茫然としていた。
地面にへたり込んでいるエルジャに視線を合わせる様に、エリベルはしゃがみ込む。
「ねえ、貴女。エルジャちゃんって言ったかしら?」
「な…なんですの、貴方は?」
がたがたと震えながら、エルジャは目の前に現れた骸骨を見る。
おそらくはアーク・スケルトンと言ったところか。
だが、感じる威圧感は並みの魔物の比ではない。
「私はエリベル。アースの眷属よ」
アース、という言葉を口にした瞬間エルジャはピクリと反応した。
その反応をエリベルは見逃さない。
「ねえ、貴女、私達と取引しない?もし、こちらの条件を受けてくれるならアースに会わせてあげるわ」
その一言はエルジャの心をがっちり掴む。
「―――っ!ア、アース様に会わせて頂けるのですか!?」
「ええ、勿論。本人の許可も取ってるわ。あとは、貴方次第よ?私に協力して貰えるなら、ね?」
「も、勿論お受けしますわ!アース様とお会いできるのならば、どの様な条件でも飲みますわ!」
彼女は何の迷いもなく即答した。
痛みと暴力の恐怖にさらされたエルジャにとって、いきなり目の前に現れた骸骨はまるで救いの天使のように見えた。
見た目は死神の様なのに、後光が見える。
圧倒的な恐怖と暴力の中に垂らされた一本の希望の糸。
エルジャはエリベルの事がそんな風に見えた。
無論、実態は文字通りの死神だ。
加えて超ド級の変態でもある。
「ふふふ……そう、ありがとう。此方としても、そう言って貰えると、とても助かるわぁ。……………出来れば死体じゃなくて生きた実験体が欲しかったからね」
「え?何か仰いました?」
「んーん。何も言ってないわ。なーにも心配する事なんてないのよ。私を信じて、任せて頂戴」
「は、はい。分かりましたわ」
まるで神様でも見る様な恍惚とした表情でエルジャはエリベルを見つめる。
「さあ、そうと決まれば、早くその傷を癒しましょう?あのバ……アースと会うんだもの。そんな姿じゃダメよ?」
「あぁ!そうですわ。こんなボロボロの姿……とてもじゃないですが、アース様にお見せできませんわ……」
「そうでしょう、そうでしょう。じゃあ、早速、私の研究所に行きましょう?そこでじっけ……傷を治してからアースに会うの。それでどう?」
「無論ですわ!エリベルさんと言いましたか?こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
「良いのよ、気にしないで……素材は新鮮さが命だからね」
ぼそりと、最後の言葉だけは誰にも聞こえないように呟く。
ふふふ、と笑いながら、エリベルは転移門を開く。
その笑う姿は紛れもなく、死神のそれであった。
エリベル「あのタイミングで割り込むのがベストだと思いました」




