敵襲
「あ、指の人」
突然目の前の景色が変ったことに呆然と立ち尽していた優二は、背後から聞こえた女性の声に振り向いた。
「あれ、どうなってんだ? 君は誰だ?」
彩は失望を隠せなかった。自分の代りに面倒を片付けてくれるはずの後輩が、こんな冴えないおぢさんだとは想像していなかったのである。
「あーあ。このおぢさんが指の人かぁ~。がっかりだなぁ」
「もしかしてお前か、俺の指を突っつき回しやぁ~がったのは!」
優二にしても思いは同じである。まさか異空間で自分の指をなぶっていたのが女子高生だなどとは、夢にも思わなかったことだ。しかも、思いのほか緊張感がない。
「おぢさん、指戻った?」
「あ」
優二は右手の革グローブをはずした。人差し指の先が元通りに戻っている。指は綺麗に戻っているが、指先は泥がついて汚い。散々もてあそばれた結果だ。
「一体ここはどこなんだ? 君は誰だ、こんなところで何をしている?」
事態が呑み込めずヒステリックに怒鳴る優二を制して、彩はゆっくりと立ち上がった。
「考えるな」
「?」
「感じろ」
「このバカ、何が“感じろ”だ! ふざけるな!」
彩は優二のリアクションに耐え切れず、思わず吹き出した。
「あははっ、もー笑わせないでよ、おぢさん。ココがどこだか分からないの?」
「ここはどこなんだ?」
「私が知ってるわけないでしょ」
使えそうには見えないけど、からかい甲斐はある、と思った。
「あのねぇ君…」
〈とにかく落ち着いて下さい、ユージさん〉
全く意識もしていなかった第三者らしい者の声に、優二の体が緊張した。
「誰だ、誰かこの近くにいるのか?」
「そこに光があるでしょ、それよ。おぢさんを呼んだヤツ」
そこにはあの公園で見掛けたのと同じ、小さな薄ぼんやりした光の点が浮いていた。
〈そうです、訳あってあなたをここに呼びました〉
優二はこれにもショックを覚えた。確かに意志を持つモノのような動きを見せてはいたが、まさかこの光そのものが意思のある言葉を発するとは予想もしていなかった。
相変わらず状況は全く呑みこめない。しかし、どうやら質問するよりも話を引き出した方が良さそうだ。優二はかろうじてそう判断した。指先が戻って、女子高生にからかわれて、ホタルの光みたいなヤツに話しかけられているだけでも、ありえないほどの異常な状態だ。これをクリアするにはかなり時間が必要とされるに違いない。ならば状況がもう少し見えるまで、流れに身を任せた方が賢明だ。
〈あなたは混乱されていて状況を判断する余裕はないかも知れませんが、とりあえず私どもの存在を肯定していただいて話を丸呑みしていただきたいと思います。何しろアヤさんはまともに話も聞いてくれなかったものですから〉
優二は彩の表情を見た。そのまるで他人事のように無関心な素振りから、それまでのやりとりを何となく想像することが出来た。
〈私達はもともと実体のある生命体でした。そして今は進化の末に意識体として肉体から解脱しました。しかし私達の存在を脅かす敵が、この世界に現れました。その敵を排除する仕事を手伝っていただくためにお二方を呼び寄せたのです〉
「“仕事”だってさ。どんな仕事か知ってる? 戦争しろって」
「戦争?」
〈アヤさん、話がややこしくなるから黙ってて下さい〉
意識体である光の点からは表情らしいものを窺う余地はないが、おそらく困惑しているのであろうことは手にとるように伝わってきた。
〈私達は消滅の危機に立たされています。この窮地から我々を救っていただくためにアヤさんを呼び寄せました。しかし、アヤさんは私達の願いを承諾してくれません。ユージさん、なんとか我々に協力して貰えるようにアヤさんに頼んでいただけないでしょうか〉
「何? ちょっと待ってくれよ」
今の話を聞く限りでは、この世界を救うために呼ばれたのは彩であり、自分は彩を説得するために呼ばれたように聞こえる。どちらとも何のつながりも無い自分に、なぜそれが求められるのか全く腑に落ちない。
〈いや、もちろんユージさんにも助けていただきたいんです。お二人でなんとか……〉
「俺は指先がなくなって困ってた。まぁ無くても生活は出来たかも知れないが、どうやら俺の指をオモチャにして遊んでるヤツがいるらしくて、何とかしようと思った。そしたら突然この世界に来て、気が付けば指は元通りだ。つまり俺の目的は達した。ここにいる必要は無いし君達と議論する謂われも無い」
そういうと優二はキョロキョロと辺りを見回した。元の世界に帰るべく、黒玉を捜したのだ。
〈我々にとって、この世界を救う協力者は誰でも良かったんです。あなた方二人は偶然選ばれました。しかし選ばれた瞬間に偶然は必然に変ります。世界がそれを“要求”したからです。世界は必然による存在に対してその存在理由を要求します〉
「良く解らないけど、それはこの世界でのシステムか何かなのかい?」
〈いいえ、万物の法則です。法則には好むと好まざるとに関わらず従うしかありません。つまりこの世界が望むところのものである結果がもたらされない限り、あなた方が解放されることはおそらく無いであろう、ってことです〉
「軟禁状態ってワケか」
「ってか、奴隷だけどね」
結局それだけのやりとりでは優二の疑問の半分も解消されなかった。何かやるべきことがあって呼ばれたこと、そして容易には帰れないこと。この二つはかろうじて分かった。しかし、この世界が自分のもといた世界とどういう関係にあるのか、そしてこの世界での光の意識体はどういう意味を持つ存在なのか。そして何より、この世界での自分の存在意義とは……。
「そういえば君の名前を聞いてなかった」
優二が思い出したように言う。難しい話は後にして、確定的な線から固めていこうと思ったのだ。
「彩」
「苗字はなんていうんだい?」
「それ必要? ってか、普通自分から名乗るんじゃん」
筋が通り過ぎていて反論の仕様が無かった。とりあえず名乗るべきだが、そこは相手のルールに従った方が得策だろうと思い、下の名前だけ言うことにした。
「俺は優二、優しいっていう字に数字の二だ」
「訊いてねーし」
「ところであんたは……」
優二が光の点にも名前を訊こうとした時、あたりが奇妙にざわついた感じになった。もちろん周りには誰もいないのだが、何やらその場の雰囲気が緊迫したとげとげしいものに変っていくのが皮膚を通して感じられるようであった。
〈どうやら敵襲のようです〉
光の玉も幾分緊張を含んだニュアンスで現状を伝えた。彩はあからさまにげんなりした表情を浮かべていた。




