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それはまぎれもなく彼女の証

ヤツさ


この辺から個性を出していきます

王は不在であったがグラントはこんなときのためにシャルロンドといくつかの符牒を取り決めていた

「果樹園の返還の件、滞りなく終了したと王に伝えてくれ」取り次ぎ官に伝えたその符牒は『リノの記憶が戻った』ということを意味していた。

「ローディも間が悪いわ、美人の来訪を逃すなんてね」王は不在であったが事は足りた「意地の悪いことを言ってやるな」そもそもシャルロンドは20年間女性と私的な関係になったことはなく、今のエリノラにはその理由はよくわかっていたが、今更、それも女学生と夜ふけに会合してあらぬ噂を立てられる懸念もあるなら直ちに面会するなど不可能であったのだが。謁見室を後にした二人は呼んでおいた馬車に乗り込んでワイズセイルの屋敷に戻ることにした。

屋敷につくとリノはグラントの書斎に通された、事務机の置物をいくつか動かすと奥の書棚がコトリと音を立てた。

「男の子ってそういうの好きよね」グラントが書棚の隠し扉を開くと、かつてリノが使っていた武器がずらりと並んでいた。「私の博物館でも開いたら?」中央には剣の鞘、先刻馬車を襲った悪漢に応戦したときにグラントから受け取った銀の剣のものだ。その鞘をあるべき場所に戻し、そして銀の剣をあるべき場所に戻した。リノは腰にずしりと重みを感じたが、しかししっくりと来た。「今なら最高のステップが踏めそうだわ」「おいおい、連れてきたのは剣を元に戻すためだぞ。まさかもう学校には―」「寮に持って帰るのよ」あらためて鞘を払った剣をくるくると回して見せるリノの答えに、グラントは内心ホッと息をついた。リノが記憶を失う前に事あるごとに憧れを口にしていたのがオーシェル騎士魔法学校だったが、入学できるようにと随分と無理をさせてしまった。勉学が嫌になっていないかずっと心配だったのだ。

「転科の手続きもしないとね、あなた何で魔術教養科なんて受けさせたのよ!」「う、うむ・・・」残念ながらグラントの心配は半分当たっていた。オーシェルへの入学を望んだのは教養を身に着けたい気持ちもあったからだが、入学試験で完全に懲りてしまったのだ。そうなれば騎士の登竜門とも名高い騎士科への転入を希望するのも当然だ。

「馬術と体操の成績が特に良いのは知ってるでしょ?ずっと転科しないかって誘われてるよ」リノがくるくると回していた剣を投げ上げる、シャンデリアをかすめた剣がハバキのパチンという音で腰の鞘に収まった。


一夜が明けて、リノがオーシェル騎士魔法学校に登校するとちょっとした騒ぎになっていた。明け方に見つかった息も絶え絶えの謎の悪漢二人に人気教師の死、しかし騒ぎの原因はまだある。この非常事態に騎士科の学科長にして、十を越す王国騎士団を束ねる騎士団総長が久々にオーシェルにやってきたのだ。〝彼女〟は異例の若さで総長にまで上り詰めた傑物で、勇者を失った王国にとって二人目の英雄でありアイドルのような存在であるのだから当然であった。「ワイズセイル卿、こちらだ」ざわめきを通り抜けてひときわ大きな呼び声がした。貴族家の当主として『卿』が付いてきたということはオーシェルの上層部にいる人物の私用だ。生徒はあくまでも生徒という校風のに逆らうこの呼び方はリノの学校内における地位と権力を示すものであり、まるで古代の預言者が割り開いた海のように人垣ができるとその先には呼び声の主である担任教師と学年主任が待っていた。「ちょうど良かったですわ、先生。実は私からも改まった話がありますので後ほどお時間をいただけないでしょうか?」「まずは付いてきたまえ、行きがけに話せることがあるなら聞いておこう」教師の態度には焦りがあった、極度の緊張からくるものだろうことは容易に推測できる。リノに用のある人物というのがそれだけ大人物だと言うことだ。

「私、転科を考えておりまして。」

担任と学年主任はぎょっとして一度顔を見合わせ、学年主任が口を開いた「な、なるほど以前から薦めていたが決心が付いたというところかね?」リノが肯定すると今度は安堵する。「そうか、騎士科に転入するつもりならば話は早い。君を呼んでいるのは騎士科学科長だ」「騎士団総長閣下が?」リノは驚いてみせたが実は察しがついていた。フルマルス王国騎士団総長サー・サンドラ・ワイズセイル、グラントの妹でエリノラの〝叔母ということになる〟人物だ。「そもそも君に転科を薦めていたのは学科長がそうおっしゃていたところが大きいのだよ、厳しいお方だがお身内でもあるし時間を取ってくださるだろう」リノは内心「まぁ、聞くでしょうね」と思った。厳しい騎士団長の裏の顔はただのファンガール、かつて勇者リノに憧れ彼女がフォートリグに立ち寄る度に後ろをついて回ったあのハナタレ小娘は兄グラントからリノの目覚めの報を受けて、居ても立ってもおれず学校関係者の立場を使って会おうとしているというのが当人の思惑であろう。リノたちが進路について当たり障りのない話をしながら学科長室の前に着くと、扉は向こうから開いた。「叔母上様、姪に会うのがそんなに楽しみでいらしたの?」いけない、記憶を取り戻してから昔の軽口を叩くクセが出る。リノは目立つのは嫌いじゃないタイプだが今は変な注目を浴びるべきではない、だが一変した状況を取り繕うのに必死なのは眼の前にいるサンドラも同じであった「よく来ましたね、エリノラさん。バッカギリー先生、モーブ学年主任、ご足労をかけましたが二人で話したいので、どうかこの先はご遠慮を」本人は軽く愛想笑いでもしたつもりなのだろうが、その顔は強張り、何か不手際でもあったのかと両教師を戦慄させ早々に退散させるのには好都合であった。

「リノ!」扉を閉めるや否やサンドラはエリノラに飛びかかるように抱きついた「ちょっとドロシー!まさか未だにあのクマのぬいぐるみを抱きしめないと眠れないっていうじゃないでしょうね」その無邪気な表情は二十年前に見たきりの幼い女の子のものであった。「ブラウニーの事がわかるなんて、本当に・・・」そこで我に返ったサンドラは腕を緩めて「本当に帰ってきたのだな」と厳格な女騎士に戻った。「う・・・見事なサバ折りねドロシー、学校では組打ちを教えてるのだったかしら」「そっちががナマったんだ、わがままな貴族令嬢なんてやってる間にな」再会を実感できたところでサンドラは自身の状況を説明する「今朝兄上からあなたの記憶が戻ったと知らせる符牒が届いてな、学校に飛んできたのだ」ちなみにサンドラの「飛ぶ」は時折比喩ではないことがある。彼女は距離と速度に特化した飛行魔法の使い手なのだ。その抜群の機動力を以ていち早く襲撃後のオーシェルにやってきたサンドラは、リノの記憶が戻ったのが偶然であれば良し、何者かに仕組まれたものであればその首謀者に情報を与えるべきではないと考えた。そこで学校寮でのエリノラ襲撃事件を教師殺害事件にすり替え、リノがボロを出す前にこうやって学科長室に「隔離」したのだった。

「リノ、継戦派についてはどのくらい知ってる?」「元気にしてるとは聞いたわね、でもグリーティングカードをやり取りする仲でもないし、誰か結婚でもしたの?」「裏で乳繰り合ってるのは相変わらずよ。これは騎士団に調査させた報告のほんの一部だ」サンドラは事務机の奥の金庫からいくつものの書簡や報告書を綴じた束を取り出す、その量が連中の勢力が影で拡大を続けていることを物語っていた。リノが自分で自分の身を守ることくらい雑作もないことはサンドラもわかっているが、不意打ちを何度も続けて躱すのは限度があるだろう、騎士団の機密書類を一応は民間人であるリノに見せようとしているのは情報を与えて敵に備えさせるためだった。「いい?貴女は十分に国に尽くしてくれた、だからこの書類は自分の身を守ることに役立ててほしい」リノの答えは当然

「そういうことなら目を通すわけにはいかないわね」

NOである

「第一に私はパーティはサプライズ派なのよ、第二にこれから騎士科に転科して書き物机と縁を切ろうって日に書類とは関わり合いたくないの、第三に・・・これが一番大事なことなんだけどかわいいドロシーに不正を働かせて身を守ろうなんて勇者様の名が廃るってもんでしょ?」サンドラは嬉しい言葉を聞いた「今の本当?」「あら、もう一度言ってあげてもいいわよかわいいド―」「いやそちらではない、むしろ連発されたら不愉快だ」この塩対応である。リノに必要な書類はこの部屋の事務机に揃えてあった「騎士科に来てくれるんだな!」かつて見た少女の笑顔が咲いた。


「ひどい目にあったわ」転科を申し出たリノに待っていたのはまた地獄だった。転科申請票、騎士科への転入申請書、魔術教養科からの離籍届、他学科への生徒資料の移動許諾書、転科動機の問診票、乗馬技能証明、納税証明、学科棟カフェテリアの新メニューの要望書「最後のは絶対いらないでしょ・・・」時間はすでに昼休みが迫っていた。

リノは学科棟のカフェテリアはなんとなく気が引けたので、共通棟の食堂に向かうことにした。カフェテリアと食堂でどう違うのかといえば、若干品揃えが労働階級出身者ウケの良いものに寄っているといったところだろうか。リノの好物であるローストビーフのサンドイッチはどちらにも置いてある、あとはエリノラとしては紅茶を用意してもらうところだが今はコーヒーが懐かしい、大きなマグへ真っ黒に濃く淹れたところに砂糖をたっぷりと溶かした働き者たちのコーヒーだ。

「何と言っても名門校なのよね」食堂は混雑していたが整然と列は進み、リノも難なく目当ての物を手に入れることができた。だがそこでちょっとした騒ぎが起きた

「早くしたまえ!」誰かを叱責する声が響いた、すぐさま消え入るような謝罪の声もする。

リノが振り返ると男子生徒の一団に見据えられ萎縮する小柄な女生徒が一人。明らかに場慣れしていない雰囲気は転入生だろうか、おそらくそれで注文にまごついたのだろう。男子たちの先頭に立っているのは太鼓持ちといった振る舞いで、声を荒らげたのも奥にいるボス格に良いところを見せようと言うのだろう。エリノラの取り巻きにも似たようなのはいるが、都度諌めるようにしていた。

「メニューがよく分からなくて・・・ごめんなさい、順番をお譲りしますので・・・」良くないな、リノはそう思った。「貴女、転入生?奢るわ、食べられないものはあるかしら?」これまで数々の修羅場をくぐってきたリノである、小僧どもに割って入るなどなんのことはない。先程も書類地獄を味わったばかりの彼女は胆力凄まじく、しかし男子生徒達に「ごめんあそばせ」と向けた微笑みの奥に込めた圧力を感じ取りそれ以上彼らが突っかかってくることも無かったのは、腐っても騎士科生徒と言うことなのだろうか。

「あっ・・・え、その・・・・」一方何も分からぬままの転入生は、戸惑ったまま香草が苦手だと答えたのでリノはサバのサンドイッチを頼んだ。これは食堂の方にしか無いリノのお気に入りだが、もし彼女が魚が苦手ならローストビーフサンドを譲ってやれば良いと思ったのだ。

サバサンドはすぐに出てきた。「さぁ、行きましょう」リノはサンドイッチの乗った盆を転入生に手渡し、果汁水の瓶を氷水のバケツから引き抜いて代金をカウンターに置くと、もう一度だけ視線で男どもを威圧してから転入生を伴って席に向かった。


「ベルドレッテ・カノンです」リノが先に自己紹介を済ませると転入生も名乗った。結局サンドイッチは半分ずつ食べることになり、リノが切り分けようと短剣を取り出すとベルドレッテは目を丸くした「そんな立派なもの、サンドイッチを切るのに使うのですか?」短剣は昔シャルロンド王から贈られたたもので、切っ先までは手のひらより少し長い程度で、革巻きの柄に彫刻もない真鍮の鍔だったが柄尻に大きな宝石が付いていた。グラントの隠し武器倉庫から持ち出した昔の武器の一つだがつまるところ戦闘用の短剣であるわけで、遠回しにベルドレッテはそれを懸念したのだろう。「使ってこその刃物よ、安心してリンゴを剥くのにしか使ってないもの」嘘ではない、もうちょっと扱いやすい小刀も持っているがそちらはなんの因果か悪党や獣の血をそこそこ吸い込んでいたため、それこそベルドレッテの不安が的中してしまうのだ。

「あの、エリノラ様・・・」サバを一口飲み込んだベルドレッテは気になっていたことを切り出した。「リノで良いわよ」「リノ様、そういったものをお持ちということは騎士科に通っていらっしゃるんですか?」ベルドレッテが明日から通うんですと付け加えると、リノはとても喜んだ「本当に!運命の神様っているのね、私はてっきりバカンスから帰ってきてないものだと思ってたわ!」リノは立ち上がって右手を差し出した「私も明日から騎士科に通うことにしたの、新入り同士仲良くしましょう!」ベルドレッテも喜んでその手を取った。「嬉しいです!私こそよろしくお願いします」「良かった、ベルって呼んで良いかしら?」

愉快な食事会はしばし続いた、リノは騎士科に転科する顛末をところどころ誤魔化しつつ、融通の効かない伯父への愚痴を交えて話した。ベルドレッテ=ベルはリノのよくある令嬢の愚痴話によく笑った。

一方ベルの事情は変わっていた。この国では才能ある人間の発掘に余念がなく、市井の出の子どもがこうやって王都の学校に入学してくることは珍しくない。特に魔術の才能がある者は早いうちに見出され、オーシェルのような学校に入学し卒業するまで手厚い支援が保証される。もちろんベルも幼い日に魔術の適性に目覚めフルマルス王国から支援を受けながらこの日を迎えたことに変わりはなかった。

しかし本来6年制で13歳から入学するこの学校に彼女が15歳で初めて足を踏み入れることになったのは、王国に才能を見出された翌年には魔術を使いこなすようになったたことに端を発する。彼女が才能を開かせたのは中位から高位の複数の回復魔法、これらを天性の才として幼い頃から自由に使いこなせる者は珍しい。そして大きな街から離れた村はそれまでひと月に一度来れば良い方の薬師が頼りだったので、その年の冬には村の人々から頼り切りにされてしまったのだった。しかし彼女自身もそれを少しも迷惑と思わずむしろ名誉にすら思い、そうやっているうちにベルは13歳の秋を迎えながら村に残るためにオーシェルの入学を保留にした。

オーシェルは事情を理解していたものの、代わりの回復術師を手配できたのが一週間前だ。ようやく学校に通うことになったベルが騎士科を選んだのは、騎士団付きの回復術師を養成する課程ならば村の回復術師としてやってきた経験が活かせると思ったからだった。「騎士団に入ることができれば村に仕送りができますから・・・村だけでなくこの国の皆さんの役に立ちたいとか格好いい事言いたかったんだけど、与えていただいた物をお返しするのが精一杯で」「ううん、素敵よ。それに私だって借金まみれよ、きっと利息だけでお屋敷が建つわ。借金取りにも追われてる」リノが〝怖いグラント伯父様〟のジェスチャーをしてみせるとベルは笑った。テーブルのサンドイッチはすっかり片付いて果実水の瓶は露に覆われていた。


翌日、屋外の剣術訓練場に騎士科の生徒たちが整列している前に、訓練教官のショーン・タッカーヒルがリノとベルを呼び出した。リノは短めのジャケットにタイトなスラックスを履いた乗馬服、ベルは甲冑用のアンダードレスを活動服にアレンジしたもので、サンドラがリノに着せようとしていたのを譲り受けたものだ。

「今日から諸君らとともに騎士としての心構えと技術を学ぶ者たちだ。私は彼女らを新参として扱うつもりはないが、それは諸君らが将来のフルマルス王国の騎士として幇助の精神を学んでいると確信しているからである」ショーン教官が今日の訓示を述べる、つまり学生同士で助け合えと言うことだ。ほとんどの生徒はそれに応えようという面持ちのようだったが、何やら気に食わない様子の者がある一団もあった。昨日ベルに食って掛かった例の太鼓持ちを擁する男子グループである。

ショーン教官はリノ達の自己紹介が済むと、互いの実力を知るためといって乱取り稽古を始めさせた。上級生であるカタリナを通じて学科生にも何人も顔見知りがいるリノの周りにはすぐに人だかりができる、カタリナとはすぐ目が合った。「カタリナ様、踊ってくださる?」「ダンスならな喜んで受けるところだがな、顔見知りとやってどうする。」とりあえずこいつらとやれ、と少し遠巻きにしている生徒から誰か引き込もうとすると待ったの声がかかった。

人垣を分け入ってきて「俺とやってくれよ」不敵な笑みを浮かべた男はロドリック・ライカン。食堂でベルにちょっかい出してきた連中の〝親分〟である。「あの鼻持ちにならんバカの事は詫びてやっても良かったが、俺も恥をかかされた。ここはお互い叩きのめし合うというのはどうかと思ってな」「意地悪なさらないで、私犬みたいな方は好きなの」リノの言葉にロドリックの取り巻きたちは顔を見合わせた「おい、やばいぞ」「ロックさんに〝犬〟は禁句だぞ」ライカン家はワイズセイルと同じ辺境伯で北の国境の近くを治めているが、祖先は人狼の一族であったという伝承を持っている。そんな彼に犬呼ばわりは非常にまずかった。顔がみるみるうちに茹でたカニのようになって髪の毛が逆だった「てめぇ・・・いい度胸じゃねえか」「怒らないで、犬のほうがあなたに似てるの」「わかった、やろうぜ」ロドリックは腰の剣を抜いた。剣術訓練所には〝刃引きの魔法〟が施してあり剣に結んだチャームと訓練生たちに配られたブレスレットと組み合わせれば真剣でも木剣と同じように打ち込むことができる。

つまり付与魔法術を扱うものは実践と同じ戦い方ができるということでもあり、ロドリックの剣も青白い稲妻を纏って光り始めた「あのお嬢さん雷電剣のロックを知らないみたいだぜ」例の太鼓持ちが囃し立てたが、ロドリックに睨まれて大人しくなった。「そういうのはロウソクを切らしたときに使うのね」そしてリノは全く退かなかった、いや意に介さなかった。付与魔術を維持したまま剣を振るのは難しい、まだ学生の身分でこの魔術を十全に使いこなせるとは思えない。

ロドリックは礼をして幅広のロングソードを天頂に構えた、リノも礼を返すと銀の剣で草を払った。「レイピアじゃ折れちまうぞ」先に振り掛かったのはロドリック、受けたリノの剣はロドリックのロングソードに絡みついた。

いや、レイピアの定石を警戒したロドリックにはそう認識されたが、実際には逆である。鋼は鍛えるほどに硬くなるが過ぎれば砕ける、硬さと柔軟さの良きところで留めるのが鍛冶の腕の見せどころであり良い剣はたとえ僅かにでも必ずしなる。一方リノのロングソードはレイピアと見間違うほど細身だったが、砕ける直前まで鍛えた鋼をまだ柔らかい鉄で支える東方の製法で作られておりロドリックの剣よりも遥かに堅く仕上げられながら遥かに丈夫だった。

リノは切っ先でロドリックの剣の鍔を捉えると、その僅かなしなりを利用して自分の剣に彼の剣を絡みつかせ、そしてそのまま手を後ろに引いた。今までに全く覚えのない手応えに意表を突かれたロドリックはリノの思うままに体勢を崩す「ぐあっ」あげた叫びが短く終わったのは戦士の意地か、絡み合ったままの刃を腹に押し当てられたロドリックは自ら付与した電撃を受けて失神した。

「付与魔術に集中しすぎて足元がおろそかになったみたいね、良い明かりがあったのに」リノは体勢を崩す直前に足をかけるフリを忘れなかった、習ったことのないはずの剣術ではなく体術でいなしたように見せかけるために。ショーン教官には誤魔化しきれていないようだったが、カタリナが体捌きを褒めたため切り替えることにした。

「諸君、見たかね?剣術の心得は乏しくとも戦いようはある。ワイズセイル嬢、どこで柔術を?」「伯父様にいただいた教本を読んだんです」独学というのは本当だ、だがもちろん覚えたのは剣術だし、グラントにもらった本で覚えたわけでもない。いや、二十年前に正しい形を覚えたほうが良いとグラントから剣術の教本はもらったが、その晩の内に焚きつけにした。

かつての自分に思いを馳せている内に、今度は自分が、いや私がと次々に手合わせ希望者が押し寄せて、リノを囲む人の輪ははじめの倍ほどになってしまった。その人垣を縫ってロドリックの方を伺うと、あちらもまた彼の取り巻きたちで小さな人だかりになっていたがなんだかまごついている、介抱してやりたいようだが剣術ばかり熱心にやってきたようで、救護手順など鞘の奥の木くずほども覚えていないのだろう。

「おい!やべぇぞ!」「ロックさん!起きてください!!」

徐々に声を荒らげる取り巻きたち、手合わせしたときの見立てではあの電撃は威嚇目的の見せかけに近いはずだが、自分が受けたはずみで剣に魔力を強く流し込んでしまったようだ。ロドリックの顔が徐々に青ざめていく、リノもこれはまずいと思いかけてきたところに誰かが駆けていった。

「どいてください!」救護鞄を抱えたベルが取り巻きたちに分け入る。脱いだ自分の上着を丸めて枕にして気道を確保しつつ脈と呼吸を確認、救護手順を次々と確実にこなしていくがリノが特に感心したのは小刀の扱いだ。魔法が直撃した腹を診て呼吸を楽にさせるため、実戦にも使えるような皮の胸当ても頑丈で高価そうな銀の飾り糸がついた剣帯も片手でスッパリと切ってしまった。

胸に耳をあてた顔を上げると顔に手を当てもう一度呼吸を診る。「肺の働きが弱い・・・魔術を使います、よろしいですね?」言葉と裏腹にベルの態度は有無を言わせるものではなかった、すでにかざした手からは魔力が溢れ出している。「ベル、杖は?」ようやく駆け寄ったリノが気付けのブランデーをハンカチに染ませながら尋ねる。魔術を行使するには杖のような触媒を用いるのが好ましい、回復魔術のように複雑なものなら必須と言って良い。それをベルは「魔術自体は初級の効果で十分ですから」そう言ってのけた。驚くほど短い呪文詠唱のあと、魔力の光が強くなるにつれてロドリックの顔色も良くなっていった。それを見たベルは改めて呼吸を確かめると安堵の息を吐いた。「もう大丈夫、です。しばらく安静にさせて―」「おはよう」すかさずリノはブランデーまみれのハンカチをロドリックの顔面に押し当てた。赤みが差し始めた頬が一気に真っ赤になり、大きく咳き込みながらロドリックが飛び起きた。ベルは抗議の目を向けかけたが「初日からお手柄ね、名医さん」とリノに褒められてしまったので矛を納めた。「まぁ、慣れてますから」無用になった上着をはたいて着ていると、ロドリックがゆっくりと立ち上がった。

「・・・何か?」ベルが切った剣帯を握りしめていたため弁償でもさせられるのかと身構えたが、彼はそのまま深々と頭を下げた。

「介抱、感謝する。昨日の暴言も訓練班を代表して謝罪したい、後日正式な場を設けさせてくれ」リノは意外であった、己の命と名誉や金品を正確に天秤に掛けられるものは少ない。ロドリックがその少数とは思っていなかったので、彼女もまた己の見くびりを静かに恥じた。

そうしているとショーン教官がやっと近くまでやってきた。ここまで放っていたのは回復術師としてのベルの実力の程度は確信があったのだろう、ベルの手際を褒め、ロドリックの潔さを褒め、リノの顔面ブランデーを叱った。


ショーン教官は上手くやった、突然やってきて浮いてしまっていた田舎娘をヒーローとして持ち上げて皆の興味を引き生徒たちに馴染ませた、新入生のお披露目としては大成功だろう。ベルはあの後も代わる代わる騎士科の同窓たちと剣を振り親交を深め、午前の授業が終わると皆と連れ立って昼食に向かった。リノはというとブランデーの件で馬の飼い葉運びを命じられて手押し車と課外授業をすることになってしまっていた。

「ベルは新しくできたお友だちと楽しく昼食会、仕方ないのね昨日の女はもう忘れてしまうのよ」重くはないがふらついて体力をじわじわ奪う手押し車は難敵であった、ナ・ウフレドの近衛重騎士十五人を一度に相手にしたときくらいしんどかった。

そうしてリノがやっとの思いで馬屋に着くと先客がいた。見るからに育ちの良さそうな線の細い男子生徒は、一頭の馬にブラシをかけていた。「キミも馬に乗りに来たのかい?」「いえ、どこかに素敵な殿方がいてドレスの一つでも贈ってくださらないかと探していたのよ」先客はリノの冗談に笑った。

「久しぶりだねエリノラ」「またサボりなの?アーランド殿下」アーランド・センダバル王太子、この国の第一王位継承者であり、妻を娶らなかったシャルロンド・ド・フルマルス国王が我が子としてセンダバルの血筋から養子に迎えた少年で、リノと会う口実にシャルロンドがよくフォートリグにつれて来ていたため二人は顔なじみだった。

オーシェルでは当初リノと同じく魔術教養科に通っていたが、最初の2年で全課程を修めてしまいその後は騎士科に移った。「殿下、私今日から騎士科に変わったのよ」「じゃあまた一緒に勉強できるんだね」アーランドは微笑みながら「昔みたいに呼び捨てで良いよ」と付け加えた。前のリノはこのとらえどころの無い笑顔が好きになれなかったが、二十年前のシャルロンドの面影が重なるとその心中もまた彷彿とさせられ、そんなふうに笑う彼のことが以前ほど苦手ではなくなった。

「ではアーランド、あなた近衛の方には今日のサボりの事言ったの?」「言うわけないだろ」リノの耳には何本かの剣の鞘が払われる音が聞こえていた、ならばこれはアーランドの護衛のものではない。リノは彼の腕を掴んで壁際に立たせると、庇うように背を向けて剣を抜いた「急にどうしたんだ?まさか・・・!」

「私のヒップであなたを悩殺できるならその心配は十割的中ね」説明の必要もなくあからさまな人相の連中が馬屋に踏み込んできた。「いや、八割は当たってたよ!」リノを疑うはずもないアーランドが抜き打ちで杖から炎の球を放つ、短縮詠唱で三発撃って三人。相当な訓練を積んでいないとできない芸当だ。「何が二割減なのかによってはこの人たちの味方になろうかしら」リノは突進してきた一人の喉に剣を打ち込み躱させて、自分はそのままの勢いで一回転して柄尻を鳩尾にねじ込んで失神させる、残りは五人。

「一人きりでも命だけは守れたつもりだから八割ってこと。でも君のお尻は魅力的すぎるからやっぱり十割かも!」また三発、今度は氷の槍が飛んでいく、一本が一人の腕をかすめてもう一本が別の男の肩を貫いて壁に縫い付ける。残りの一本は地面に当たって砕け散り、無傷の三人と腕を傷めた一人を分断する。リノはその好機を逃さない、「お世辞が上手くなったわね」手負いから手早く斬り伏せてしまう。

「剣士がいるなんて聞いてないぞ!」「一人に集中しろ!」あっという間に半分以下になり焦ったのか二人一度にリノに向かってきた、一方の剣を弾き、もう一方は受けてから突き飛ばす、しかし体勢を崩しきれずすぐに追い縋ってくる。アーランドも次の魔法を撃ちたいが三人が入り乱れていて手を出しあぐねている、しかしそのうちにバチッと音がして彼の杖が砕けた。「杖封じの魔法!?今更使うのか・・・!」杖封じは杖の破壊に特化した魔法故に杖に的中させねば効果はない、当てられる隙を作ってしまったとはいえ今になってこんなことをする理由はアーランドには一つしか思い浮かばなかった。杖封じの魔法の主は馬屋の外にいた、男の周りにはすでに防御魔法陣が幾重にも張られ、頭上に大きな魔力の塊が顕現していた。「攻城魔術で何もかも吹き飛ばすつもりか・・・エリノラ!」リノは一人片付け、残ったもう一人の顔面に靴底を見せていやっているところだった「雨でも降りそう?」「もっとまずいやつだ!」「傘が無いなら同じことよ」馬屋の外の魔術師を認めたリノが左腕を上げるとティグレバストーレの魔術紋が淡く光る、体に刻み込む刻印魔術は発現も定着も難しい。使ってしまえばアーランドなら素性を察してしまうだろう。しかしそれもいいだろう、幼馴染を守れるのだ、お釣りもでる。そう思ったのはリノだけではなかった

「アーランド!?」

アーランドはリノを庇うように抱きしめた

「私の服には王族秘伝の防護魔法がかけてある、盾にすれば君の命くらいは守れるはずだ」お陰で左腕が彼の死角に入った「ご厚意痛み入りますわ殿下!」


ティグレバストーレの最大の強みは速さと正確さだ、魔術の撃ち比べで後の先が取れるのだ。突き出した人差し指から強く鋭い魔力が放たれれば、敵の魔術師の心臓を寸分たがわず射抜いた。


制御を失った魔法は焚き付けも薪もない火口が燃え尽きるように消えた。


しばらくは沈黙が続いた、男の覚悟に水を差すのも悪かろうと放っておいたが「アーランド、あなた私を守ってくれるの?それとも絞め殺そうとしてるのかしら?」頼もしくも少し震える腕がそろそろサバ折りの体勢に移ろうとしていたので、リノはアーランドに外を見るように促した。

外には静寂と力尽きた刺客、そして馬場の向こうには異変を察知して駆けつけようとする王太子付きの近衛兵たち、ようやく安堵したアーランドの腕が少しずつ緩んできた。

「助かったのか?」「ええ、貴方の勇気に天が応えたのよ。魔力切れか詠唱でもしくじったか、急にポンッって、ね」実際にポンッとやった人差し指はくるくる回して誤魔化す。

ブーツを泥まみれにして血相を変えた近衛騎士たちが駆け込んできた


「すまない、一人になるべきではなかった」平伏しようとする隊長を制して、まずアーランドが頭を下げた。「苦労をかけるな」アーランドが謝罪を口にすると今度は隊長がその体を助け起こす「お気になさらないでください、殿下の気まぐれにお付き合いするのも我らの仕事です」「では共に父上のお叱りを受けてくれるか?」「それはお断りします」軽口のやり取りで一瞬和んだ雰囲気を引き締めて近衛兵たちがリノの方に向き直る

「感謝を述べるのが遅れて申し訳ないワイズセイル卿、殿下へのご助力、改めて感謝する」流石は第一王位継承者というところだろうか、友人知人の面通しは本人の知らぬところですっかり済ませてある。「いえ、私は自分の身を守るので精一杯でしたわ」謙遜は秘密の多い淑女の嗜みであった。






アーランドとの別れ際、近衛隊長がリノに耳打ちした

「サンドラ総長より全騎士団長、及び近衛騎士団各隊長は先日の件について承知しております。」


「去り際に言うもんじゃないでしょう・・・」

アーランドと近衛騎士たちの背中を見ながらリノは一人つぶやいた。

「そろそろローディにヒゲを剃るように言わなきゃね・・・」

次こそはシャルロンド王に直接会わねば

「好敵手っていいわよね、お互いに切磋琢磨し高めあう存在。似たようなのに宿敵ってのもあるけどこっちは最悪ね。私にも居るのよマルーン子爵っていう残忍で陰湿で悪趣味な奴が!

次回『ささやかな思い出と愛と平穏』でまたお目にかかりましょう」

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