第九十二話 玉座、動く
一 穏やかな日々の、終わり
封印石の無力化から、半月。
アルクの体は、ほぼ、回復していた。ルミの回復と、ネッサの料理と、仲間との、穏やかな日々のおかげで。
守り手たちも、力を、完全に、取り戻していた。ルミは、いつものように、先輩風を吹かせ、アルファは、リボンを揺らして騒ぎ、キラは、ふわふわと飛び回り、エニは、静かに、縁の糸を、紡いでいた。
防御の守り手だけは、相変わらず、無言で、アルクを、守り続けていた。封印石の侵食が消えた今、その守りは、かつてないほど、安定していた。
「平和だな」アルクは、屋敷の縁側で、言った。
「ああ」ヴィナが、隣で、言った。「こういう日が、ずっと、続けばいい」
「でも——続かない、よな」アルクは言った。
「ああ」ヴィナは言った。「ヴァルゴも、ライナも、まだ、いる。皇帝も——姿を、見せていない」
その時。
カインの符が、激しく、光った。
ドランからの、緊急通信。
カインの——顔が、凍りついた。
「アルク——」カインは言った。声が、震えていた。「皇帝が——動いた」
「皇帝が?」アルクは、立ち上がった。
「これまで玉座から、動かなかった皇帝が」カインは言った。「自ら、軍を率いて——ヴォルタへ、向かっている」
「ヴォルタへ……!」アルクは言った。
「父の情報では——」カインは言った。「皇帝は、あなたに、会いに来る、と。『賦活師と、直接、話したいことがある』と」
「話したいこと?」
「わかりません」カインは言った。「ただ——皇帝が、動いたことは、ただ事ではない。四将も、全員、同行しているそうです。ヴァルゴも、ライナも」
「全員——」アルクは言った。
「決戦に、なるな」ヴィナが言った。
「ああ」アルクは言った。「でも——皇帝は、『話したい』と言っている。なら——まず、話を、聞こう。戦うのは、その後でも、いい」
二 決意
全員が、屋敷の食堂に、集まった。
「皇帝が、来る」アルクは言った。「二百年、動かなかった皇帝が。四将を、全員、連れて」
重い、沈黙が、落ちた。
「正直に言う」アルクは言った。「相手は、皇帝だ。どれほどの力か、わからない。——でも、俺は、逃げない。ここで、決着を、つける」
「あたしも、戦う」ヴィナが言った。
「あたしも!」ネッサが言った。
「俺もだ」ガドルが言った。
「俺も」バルガが言った。
「私も」リィナが言った。
「僕も」カインが言った。
「ルミも!」ルミが言った。
『うちも!!』アルファが言った。
キラが、小さな手を、上げた。
『私も、共にいる』エニが言った。『縁が、ある限り』
アルクは、仲間たちを、見渡した。
「ありがとう、みんな」アルクは言った。「——いこう」
その時。
ゴウダが、屋敷を、訪ねてきた。
「アルク」ゴウダは言った。「皇帝が来る、と聞いた。——各地のギルドにも、伝えた。みんな、すぐに、駆けつける。お前たちだけには、戦わせない」
「ゴウダさん——」
「それと」ゴウダは言った。「王都のイリア殿下、ルーエのセラン王にも、伝令を出した。小国連合も、動く。——皇帝が相手でも、俺たちは、引かない」
「みんな……」アルクは言った。
『縁が——一つに、なろうとしている』エニが、言った。『お前が、結んだ縁が。皇帝という、最大の敵を前に——世界中の、人々が、繋がろうとしている』
三 皇帝、現る
ヴォルタの、郊外。
広い、草原に——帝国の、軍勢が、現れた。
今までで、最大の、規模だった。無数の、兵。嵌合兵。操られた魔物。そして——四将が、全員。
セラフ。ドルガ。ライナ。ヴァルゴ。
その、中央に。
一人の、男が、立っていた。
黒い、長衣。その身からは、底知れない、力が、滲み出ていた。人のようで——どこか、人ではない、気配。
二百年、玉座から、動かなかった、帝国の、皇帝。
「お前が——賦活師か」皇帝は言った。低く、深く、静かな声。「アルク、と言ったな」
「あんたが——皇帝」アルクは言った。
「そうだ」皇帝は言った。「二百年ぶりに、玉座を、離れた。——お前に、会うために」
「俺に、話したいことが、あると」アルクは言った。
「ある」皇帝は言った。「だが——その前に、一つ、見せておこう。私が、何者か、を」
皇帝が、手を、掲げた。
その瞬間——皇帝の背後の、空間が、歪んだ。澱みが、渦を巻き、無数の魔物が、闇から、湧き出てきた。
「……魔物を、生み出した!?」リィナが、息を呑んだ。
「私は——人ではない」皇帝は言った。「正確には、人だけでは、ない。——我が帝国の、王家には、古き、魔族の血が、流れている。澱みを、操り、魔物を、従える血が」
「魔族の、血……」アルクは言った。
「だから、私は、二百年以上、生きている」皇帝は言った。「澱みを、力に変えて。——お前たちが、忌み嫌う、澱みを」
「だから——帝国は、澱みを、利用していたのか」カインが言った。「魔核術も、封印石も——魔族の血の、力」
「そうだ」皇帝は言った。「我ら帝国は、澱みと共に、ある。——だが、勘違いするな。私は、世界を、滅ぼしたいわけでは、ない。むしろ——逆だ」
四 皇帝の、論理
「逆?」アルクは言った。
「私は、世界を、救おうとしている」皇帝は言った。「私なりの、やり方で」
「世界を、救う?」アルクは言った。「賦活師を、消してきたのに?」
「そうだ」皇帝は言った。「二百年前——私は、視た。この世界が、澱みに、呑まれて、滅ぶ、未来を」
全員が、息を呑んだ。
「澱みは、年々、濃くなっている」皇帝は言った。
「いずれ——世界は、澱みに、覆われ、全ての生命が、滅ぶ。それを、止められるのは——賦活師の、浄化の力だけだ」
「なら——なぜ、賦活師を、消す!?」ヴィナが、叫んだ。
「未完成の賦活師は、危険だからだ」皇帝は言った。「力に呑まれ、暴走するかもしれない。敵に、回るかもしれない。——だから、私は、完成しない賦活師を、選別することにした」
「選別……」アルクは言った。
「そして——お前だ、アルク」皇帝は言った。「お前は、ここまで、生き延びた。仲間と、縁を結び、守り手を、目覚めさせ、封印石すら、空にした。——お前は、私が、待ち続けた、『完成しうる賦活師』だ」
「待ち続けた?」
「そうだ」皇帝は言った。「私の、計画は——賦活師を、消すことではない。完成した賦活師の力を、帝国に、集約することだ」
五 方舟
「集約?」アルクは言った。
「世界は、滅ぶ」皇帝は言った。「だが——全てを、救うことは、できない。澱みは、あまりに、広く、深い。お前一人が、各地を、回って、浄化したところで——間に合わない。世界は、お前が救うより、速く、滅ぶ」
「……」アルクは、黙った。
「だから——選ぶのだ」皇帝は言った。「救えるものを。守れるものを。——我が帝国は、その、『方舟』だ。完成した賦活師の力を、帝国に、注げば——少なくとも、帝国は、澱みから、守られる。帝国の民は、生き残る」
「他の国は——見捨てるのか」アルクは言った。
「そうだ」皇帝は言った。「全部は、救えない。なら——確実に、守れるものだけを、守る。それが、現実だ。——封印石も、魔核術も、賦活師狩りも。全ては、この、方舟計画のため。私の部下たちが、積み上げてきた、努力だ。——無駄には、できない」
「だから——俺に、帝国に、来いと」アルクは言った。
「そうだ」皇帝は言った。「お前の、完成した力を、帝国に、注げ。そうすれば——少なくとも、帝国は、救われる。お前の、仲間も、帝国で、守ってやろう。——どうだ。悪い、話ではないだろう」
皇帝の、論理は——冷徹で、しかし、筋が、通っていた。
全部は、救えない。なら、救えるものだけを、守る。
それは——一つの、現実だった。
「アルクさん……」ネッサが、不安そうに、言った。
アルクは、しばらく、黙っていた。
それから——口を、開いた。
「断る」アルクは言った。
六 アルクの、答え
「ほう」皇帝は言った。「なぜだ。全部は、救えないのだぞ。私の方舟なら——確実に、守れるものが、ある」
「あんたの論理は、わかる」アルクは言った。「全部は救えない。だから、選ぶ。——筋は、通ってる。でも——間違ってる」
「間違っている?」
「あんたは、力を、『分ける』ものだと、思っている」アルクは言った。「帝国に注げば、他は、その分、救えない。——でも、違う」
「何が、違う」
「縁は——減らない」アルクは言った。「与えるほど、増える」
皇帝の、表情が、動いた。
「俺は、各地を、浄化してきた」アルクは言った。「そのたびに、縁が、生まれた。人々が、俺を、助けてくれるようになった。一つ、与えれば——二つ、三つ、返ってくる。縁が、縁を、呼ぶ。——力は、分けるほど、減るんじゃない。繋がるほど、増えるんだ」
「……」皇帝は、黙った。
「あんたは、二百年、間違えていた」アルクは言った。「力を、一点に、集めようとした。奪い、集約し、守ろうとした。——でも、そうやって、奪うほど、縁は、切れる。力は、孤立する。だから——あんたの方舟は、いつか、限界が来る」
「賦活師——」
「俺は、全部、救う」アルクは言った。「一人じゃ、無理だ。でも——縁が、ある。世界中の、人々と、繋がっている。みんなで、与え合えば——全部、救える。それが、俺の、答えだ」
皇帝が、しばらく、アルクを、見つめた。
「……お前は」皇帝は言った。「ロスと、同じことを、言う。ロスも——『全部、救える』と、言った」
「ロスを、知っているのか」アルクは言った。
「知っている」皇帝は言った。「二百年前——ロスを、消すことを、命じたのは、私だ」
全員が、息を呑んだ。
「だが——」皇帝は言った。「ロスは、未完成のまま、消えた。だから、その言葉が、正しいか——証明されなかった」
皇帝の目が、鋭く、なった。
「お前は、どうだ、アルク」皇帝は言った。「お前の言葉が、正しいか——証明してみせろ。私の、方舟の論理を、お前の、縁の力で、打ち破ってみせろ。——できなければ、お前も、ロスと、同じだ」
皇帝が、手を、掲げた。
帝国の、全軍が、動いた。四将が、構えた。
「これが——最後の、試練だ」皇帝は言った。「お前が、本当に、世界を託せる器か。——私自身が、見極める」
最終決戦が、始まろうとしていた。
第九十三話予告
皇帝が手を振り下ろし、地平を埋め尽くす黒い波がアルクたちへ押し寄せる。これはさすがに詰みか――と思いきや、背後からも地響き。
「数では我が軍が上だ。それに四将がいる」と余裕の皇帝。だがアルクたちは、もう以前の彼らではない。「俺は、城だ!!」と全身で敵を引きつけるバルガを筆頭に、仲間それぞれが磨いてきた力を見せていく。
帝国の大軍と、アルクたち。かつてない総力戦の幕が、今、上がる――。




