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第八話 研究院の秘密と、帰還の決断

一 ドラン・セイフ

 王都魔法研究院は、北区の丘の上に建っていた。


 石造りの重厚な建物で、正門には騎士が二人立っている。エラの紹介状を見せると、すんなり通してもらえた。案内されたのは、建物の奥にある小さな書斎だった。

 ドラン・セイフは、五十代の小柄な男だった。白髪混じりの短髪、丸眼鏡、墨で汚れた指先。研究者特有の雰囲気を持ちながら、目だけが異様に鋭い。

「エラからの紹介か」ドランはアルクを上から下まで見た。「……賦活師、というのは本当か」

「鑑定台を壊した。職業は不明のままだ」

「台座を壊したなら、ほぼ間違いない」ドランは書斎の奥の棚を指差した。「まず、これを見てくれ」

 棚の一角に、古い文献が並んでいた。ドランが一冊を引き出し、机に広げた。羊皮紙に書かれた、古い文字だ。読めない文字も多い。

「二百年前の記録だ。賦活師に関する数少ない、消えなかった文献のひとつ。私の師が、廃棄処分の直前に隠し持っていたものだ」


 ドランはページをめくりながら話した。

「二百年前のこの世界には、賦活師が複数存在していた。少なくとも記録に残っているだけで三人。彼らは治癒師としてではなく、軍の要として機能していた。仲間を回復させ、強化し、守る。その能力は戦場において絶大な効果を発揮した。……特に、《付与》の力が問題だった」


「付与?」アルクは聞いた。


「賦活師の持つ強化の力だ。味方の力を数倍に高める。その力がある賦活師がいる軍は、ほぼ負けない。だから——」ドランは眼鏡を押し上げた。「権力者たちは恐れた。賦活師がどの国についたかで、戦争の勝敗が決まってしまうことを。それは、国家の均衡を崩す力だと判断された」

 ヴィナが言った。「だから、消された」

「ただ追放したのではない」ドランは静かに言った。「《大消去》と、私たちの間では呼んでいる。二百年前のある年に、賦活師が姿を消した。記録も、文献も、すべてが同時に消えた。組織的に動いた者たちがいる。それが誰なのかは、まだわかっていない。だが——」


 ドランはアルクを真っ直ぐ見た。


「昨日、王都の東区で火事があっただろう。三件目だ。最初の火事が起きた日、研究院に匿名の情報が届いた。『賦活師が王都に向かっている』という内容だった」

 重い沈黙が落ちた。


「つまり」ヴィナが言った。「火事は、アルクへの警告か」

「あるいは、我々研究院への警告かもしれない。私はずっと賦活師の研究をしていた。知られていても不思議はない」ドランは言った。「二百年前と同じ組織が、今もこの王都に潜んでいる可能性がある。彼らは賦活師の復活を、望んでいない」


二 付与の感覚

 研究院を出た後、アルクとヴィナは大通りを歩きながら話した。


「どう思う」ヴィナが言った。

「……敵がいることは確かだ。でも、まだ正体がわからない」

「今すぐ動く気はあるか」

「今は、まだ力が足りない」アルクは自分の手のひらを見た。「回復はできる。でも戦えない。護れる範囲も狭い。もっと……知る必要がある」


「賦活師の力を、か」


「付与の力、というのが気になった。ドランさんが言っていた、味方を強化する力。俺にも、何かそれに近いものがある気がする。霧丘での戦いのとき、霧蜘蛛に向かって『退け』と思った。あれは気のせいじゃなかった気がして」

 ヴィナが足を止めた。「……試してみるか」

「今?」

「路地でいい。人のいないところで」

 二人は大通りから外れた。石壁の裏の、日当たりの悪い細い路地。ヴィナが剣を構えた。

「あたしの動きを見ながら、『速くなれ』と思ってみろ。気持ちの問題かもしれないが、まず試すことだ」


 アルクは頷いた。ヴィナが剣を振る。アルクはその動きを見ながら——「速く」と思った。言葉ではなく、感覚として。もっと、と思った。

 ヴィナの次の一振りが、明らかに速くなった。

 ヴィナ自身が驚いて、動きを止めた。「……今、何かした」

「思っただけだ」

「思っただけで?」ヴィナは剣を一度下げ、自分の手首を確かめた。「腕が、軽くなった気がした。重さが消えた、というか……」

「どのくらい変わった」

「わからない。でも、明らかに違う」ヴィナは真剣な顔でアルクを見た。「これが、付与か」


「……たぶん」アルクは自分の手のひらを見た。「ほんの少しだと思う。ルミが覚醒したことで、回復が少し使えるようになったみたいに……これも何かが、動き始めてる」

 ルミが、アルクの肩でぴょこん、と跳ねた。「そうだ」と言っているようだった。

「強化の度合いは?」ヴィナが聞いた。

「わからない。でも大したことはない。今は、ほんの少し後押しする程度だと思う」

「それでも十分だ」ヴィナは言った。「少し後押しされるだけで、戦いの流れが変わることがある」


 アルクは頷いた。でも同時に思った。今はほんの少し。でも、もっと鍛えたら。もっと使えるようになったら。ドランが言っていた「数倍に高める力」が、本当に自分の中にあるなら——。

 その先を考えかけて、止めた。今は、まだ早い。


三 ネッサからの手紙

 宿に戻ると、受付の女将から封筒を渡された。「ヴォルタから急便で届いた。あなた宛てだ」

 差出人はネッサだった。

 アルクは部屋で封を開けた。ヴィナも横で読む。



アルクさんへ


急いで書いています。ヴォルタで大変なことが起きています。

三日前から、霧牙の森の魔物が街に近い場所まで出てくるようになりました。今日は街道の手前まで複数体が現れて、通行人に怪我人が出ました。赤牙隊のゴウダさんたちはまだ回復中で、対応できる冒険者が足りていません。

ギルドマスターが救援要請を王都に出しましたが、いつ来るかわかりません。

タークさんは「大丈夫だ」と言いますが、顔が怖いです。

アルクさん、早く帰ってきてください。


ネッサ



 アルクは手紙を畳んだ。

「……帰るか」ヴィナが言った。問いではなく、確認だった。

「ああ」アルクは即答した。「情報はある程度集まった。今すぐ解決できる謎ではない。でもヴォルタは——」


「あたしも帰る」ヴィナは立ち上がった。「研究院の件は、ドランと文通で続けられる。ヴォルタの問題の方が今は急だ」

「肩は?」

「動く。戦える」

 アルクはルミを見た。ルミが、ぴょん、と跳ねた。「早く行け」と言っているようだった。

「明朝、出発する」

「わかった」


四 夜の語らい

 出発前夜、二人は宿の食堂で夕食を取った。この世界の料理だ。シンプルな豆の煮込みとパン。旅の前は、胃に優しいものがいい。

「……ヴォルタの魔物が増えたのは、霧牙の森から流れ出てきてるんだと思う」ヴィナが言った。「霧丘でBランク魔物が街道に出ていたのも、同じ流れかもしれない。何かが、魔物を押し出している」

「何かが、森の奥で起きてる」


「ああ。あのSランク相当の霧鬼の長も、本来あの深度にいるはずのない魔物だった」ヴィナは静かに言った。「繋がってる気がする。賦活師への警告と、魔物の異常出没。全部、何か大きなものの動きの一部じゃないか」


 アルクは黙って聞いていた。


「……俺には、まだ何もできない」アルクは言った。「回復は少しできる。付与の片鱗がある。でも戦えない。守れる範囲も狭い」

「今すぐできなくていい」ヴィナは言った。「でも、お前は成長してる。ヴォルタを出たときと比べて、回復の精度が上がった。付与も動き始めた。守り手も、昨日また動いた」


「少しずつ、だ」


「少しずつでいい」ヴィナは言った。「一気に強くなる必要はない。必要なときに、必要な分だけ強くなればいい。……あたしはそう思ってる」

 アルクはヴィナを見た。三年前にパーティを失った剣士が、そう言っている。

「……ありがとう」

「礼はいらない」ヴィナは視線を外した。「ただ、一つだけ言っておく」


「なに」


「お前が炎の中に飛び込んだとき。戻ってこなかったらどうするつもりだったんだ」

 アルクは少し考えた。「戻るつもりだった」

「根拠は」


「守り手が守ってくれると思った」


 ヴィナはしばらく黙っていた。それから小さくため息をついた。「……守り手頼みはいい加減にしろ」

「そうかもしれない」

「もう少し自分の身の安全を考えろ。死んだら、誰も助けられない」

 その言葉は、叱責のようで、心配のようで、アルクには少し意外だった。

「……ヴィナ、俺のことを、心配してるのか」


「…………」


「心配してるんだ」


「うるさい。寝ろ」


 ヴィナは席を立って食堂を出ていった。その耳が、少し赤かった。

 ルミが、アルクの肩で楽しそうに(たぶん)ぴょんぴょん跳ねた。


「……笑うな」アルクは言った。


 ぴょん!

第九話予告

ヴォルタへ急ぐ街道が、騎士団に封鎖されていた。先の谷間にBランク魔物が四体、一般通行は禁止――だが怪我人の出た故郷を思えば足は止まらない。「突っ切る」とヴィナはあっさり。気圧された騎士も思わず道を開ける。

濃霧の谷で待っていたのは、四方を囲む漆黒の狼。ヴィナが斬り込むその瞬間、アルクは初めて、意識して《付与》を放とうとする――。

そしてこの戦いの果てに、小さな相棒が、また一歩、変わろうとしていた。

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