第九話 封鎖された街道と、ルミの異変
一 街道の封鎖
王都を出て半日。ヴォルタへ向かう街道が、突然途切れた。
正確には、途切れたのではない。騎士団の一隊が街道を横断するように並んでいた。赤い羽根飾りのついた兜、統一された鎧。王都の正規騎士団だ。通行人が立ち往生して、何人かは引き返し始めていた。
「先へは進めない」騎士の一人がアルクたちに言った。「街道に魔物が出た。複数体、Bランク以上と確認されている。冒険者ギルドの支援が来るまで、一般通行は禁止だ」
「どのあたりに出た」ヴィナが聞いた。
「ここから二キロ先の谷間。地形が複雑で騎士団だけでは対処が難しい」
「何体いる」
「現時点で確認できているのは四体。霧が出ていて視界が悪い」
ヴィナとアルクは顔を見合わせた。ネッサの手紙が頭にある。ヴォルタで怪我人が出ている。一日でも早く戻りたい。
「突っ切る」ヴィナはあっさりと言った。剣の柄に手をかける。
「一般通行は禁止と言ったんだが」騎士が言った。
「あたしはAランク冒険者だ。帰還を急ぐ理由がある」ヴィナは騎士を見た。「通してくれるか、それとも一緒に来るか。どちらかを選んでくれ」
騎士は少し迷った後、「……自己責任で」と道を開けた。アルクも続いた。騎士が「あなたは」と言いかけたが、ヴィナが「一緒だ」と遮った。
封鎖線を抜けたとき、ルミが肩の上でいつもと違う光り方をした。強く、温かく、まるで「今だ」と言っているような——。
二 谷間の魔物
街道が谷間に差しかかると、霧が濃くなった。両側を切り立った岩壁に挟まれた細い道。視界は十メートルもない。足元の石畳に、新しい爪痕が残っている。
「……臭いがする」ヴィナが鼻をひくつかせた。「Bランクの魔物。狼系だ」
「何体いると思う」
「少なくとも三体。別の方向からも来る気配がある」
アルクは体の中に意識を向けた。ルミの温もり。そして——もう一つ、何かが動こうとしている気配。さっきルミが強く光ったのは、これを教えようとしていたのかもしれない。
霧の中から、低い唸り声が聞こえた。
現れたのは、大型の狼型魔物だった。肩の高さがアルクの胸ほどもある、漆黒の体躯。目が赤く光っている。《黒牙狼》。Bランク魔物で、群れで行動する習性を持つ。
一体が正面に、岩壁の上から二体が跳び降りた。左右と正面、三方向から囲まれた形だ。
「アルク、後ろを見ろ」ヴィナが言った。
振り返ると、後方にもう一体。四方を囲まれた。
「……思ったより多い」アルクは言った。
「騎士団が四体と言ってたから想定内だ」ヴィナは剣を抜いた。「正面と左はあたしが引き受ける。右と後ろを頼む」
「俺が?」
「守り手に任せろ、ということだ。お前は動くな——というより、動けないようにしろ」
アルクは意味を理解した。守り手が自動で守る。自分が止まっていれば、守り手が迎撃する。
でも、それだけでいいのか。
三 付与、初めての意識的な発動
ヴィナが正面の一体に向かって踏み込んだ瞬間、アルクは感覚を集中させた。
ヴィナの動き。その速さ、踏み込みの力、剣の軌道。それを見ながら——「もっと」と思った。昨日の路地での実験と同じように。でも今回は、もっと強く、もっと明確に。
「速く。力強く。正確に」
ヴィナの剣閃が、明らかに変わった。
正面の黒牙狼が、避けるより先に斬られた。一撃。左側の一体が跳びかかるより速く、ヴィナはすでに間合いを詰めていた。
「っ——なんだ、今の」ヴィナが叫んだ。戦いの最中でも、自分の変化に気づいていた。「体が軽い! いつもの倍以上動ける!」
「付与だ! 続けてくれ!」
アルクは集中を維持した。頭の奥がじんわりと熱くなる。消耗している。でも、まだいける。
後ろの一体がアルクに向かって跳んだ。その瞬間 ——きらきら、と銀の光が弾けた。防御の守り手が、黒牙狼を弾いた。魔物が地面に叩きつけられる。立ち上がろうとして、また弾かれた。今度は岩壁に激突して、動かなくなった。
右側の一体が横から来た。これも、光が弾いた。
二体が無力化された。アルクは何もしていない。ただ立って、ヴィナへの付与を維持しただけだ。でも確かに、何かが守った。
ヴィナが残りの二体を片付けたのは、それから十秒もかからなかった。
四 ルミの異変
戦闘が終わった瞬間、アルクはその場にしゃがみ込んだ。
「アルク!」ヴィナが駆け寄った。
「大丈夫だ。ただ……頭が重い。付与を使い続けたせいだと思う」
「顔が青い。五分で、この消耗か」ヴィナは眉をひそめた。「まだ制御できていない」
「そうみたいだ」アルクは額の汗を拭いた。「でも、役に立てた」
「役に立ったどころじゃない」ヴィナは静かに言った。「あの付与、三倍はあった。体が羽のように軽くて、剣が吸い込まれるように入った。……これを使えるようになったら、お前は本当に、誰かを護れるようになる」
アルクは頷いた。でも同時に、恐ろしさも感じていた。ほんの数分でこれほど消耗する。もっと長く、もっと強くかけたら。自分の体が、どうなるかわからない。
そのとき。
ルミが、アルクの肩からふわりと離れた。そして——宙に、静止した。
「……ルミ?」
ルミは答えなかった。いつものぴょんぴょんがない。ただ、静かに浮かんでいた。
そして、光が変わった。白い光の粒が、少しずつ形を持ち始めた。丸い。ふわっとした輪郭。羽のようなものが、うっすらと見える気がする。
「……ヴィナ」アルクは声を出すことも忘れて、ルミを見つめた。「見えるか」
「見える」ヴィナも息を呑んでいた。「……形が出てきてる」
ルミが、少しずつ変わっていく。光の粒から、もっと具体的な何かへ。翼のような、丸い頭のような、小さな脚のような——。
そして、止まった。まだ完全ではない。輪郭がぼやけている。でも確かに、それは「生き物」の形をしていた。
小さな白い鳥のような何か。
その生き物が、アルクを見た。目が合った気がした。
そして——初めて、声が聞こえた。
「……アルク」
かすかな声だった。遠くから聞こえるような、でも確かに言葉として聞こえた。
「……ルミ?」
「……まだ、うまく、話せない。でも……聞こえる?」
「聞こえる」アルクは言った。声が少し震えていた。「聞こえてる」
ルミが、ぴょこん、と跳ねた。いつものぴょこんだった。でも今回は、それが「嬉しい」という気持ちを直接伝えてきた。
ヴィナが、隣で「……信じられない」と呟いていた。




