第八十八話 決戦前夜
一 ネッサの、握り飯
出発の、前夜。
ネッサが、台所で、大量の、握り飯を、握っていた。
「すごい量だな」アルクが、覗き込んだ。
「明日は、長い戦いになります」ネッサは言った。手を、休めずに。「だから、みんなが、いつでも、食べられるように。携帯できる、おにぎりを、たくさん作っておこうと思って」
「材料は、足りるのか」
「アルクさんの風呂敷から、お米を、たくさん出してもらったのが助かりました」ネッサは言った。
「あと、具材は、ヴォルタの市場で、買ってきたものと、屋敷に保管してあった分です。梅干しと、焼いた魚と、昆布。——この世界にも、似たものが、ありますから」
「なるほど」アルクは言った。風呂敷で出した食材を、ネッサが調理し、足りないものは、この世界の市場で補う。自然な、流れだった。
「アルクさんの風呂敷は、ずるいくらい便利ですけど」ネッサは、笑った。「でも、握るのは、あたしの仕事です。心を込めて、握れば——きっと、力が、出ます」
ネッサが、おにぎりを、一つ、アルクに、差し出した。
「味見、してください」
アルクが、一口、食べた。
「……うまい」アルクは言った。「塩加減も、握り方も、ちょうどいい」
「やった!」ネッサは言った。「明日、これで、みんな、頑張れますね!」
アルクは、ネッサの、握り飯を、見つめた。
ヴォルタのギルドで、帳簿をつけていた少女が
——今は、仲間のために、握り飯を握り、自分の力で、戦えるように、なっていた。
ふと、アルクは、思った。
「ネッサ」アルクは言った。「お前、ヴォルタのギルドに、いたとき——どんな、気持ちだった?」
「え?」ネッサは、手を止めた。「うーん……毎日、帳簿をつけて、冒険者さんたちの話を、聞いて。——平和でしたけど、なんか、物足りない感じが、ずっと、ありました」
「物足りない?」
「はい」ネッサは言った。「自分の居場所は、ここじゃないような。——もっと、大きな何かが、待っているような。そんな気が、ずっと、してたんです。理由は、わからないけど」
アルクの肩で、エニが、静かに、光の輪を、回した。
『……ネッサ』エニが、言った。
「エニ?」ネッサが言った。
『お前が、ヴォルタのギルドにいたのは
——偶然では、ないかもしれない』エニは言った。
「どういう、ことですか?」ネッサが、手を止めた。
『縁とは、不思議なものだ』エニは言った。『お前が、賦活師の、最も近くにいた。お前が、召喚師として、賦活師の力と、響き合う素質を持っていた。
——それが、ただの偶然だと、思うか?』
「……」ネッサは、黙った。
『女神は、賦活師を、この世界に、送る』エニは言った。『だが——賦活師、一人では、何もできぬ。守り手が、要る。仲間が、要る。——だから、女神は、賦活師の周りに、必要な縁を、あらかじめ、結んでおく』
「あらかじめ……」アルクは言った。
『お前が、ヴォルタの、賦活師の近くのギルドにいたのも』エニは言った。『お前が、召喚師の素質を、持っていたのも。——女神が、結んだ、縁かもしれぬ。賦活師を、支えるために。お前という存在が、必要だったから』
「あたしが——必要、だった」ネッサが、呟いた。
『そうだ』エニは言った。『お前でなければ、ならなかった。お前の、明るさが。お前の、優しさが。——賦活師には、必要だった。だから、女神は、お前を、そこに、置いた』
ネッサの目に、涙が、滲んだ。
「あたし、ずっと——自分なんか、大した存在じゃ、ないって、思ってました」ネッサは言った。「ただの、受付嬢だって。みんなみたいに、強くも、ないし。——でも」
「ネッサ」アルクは言った。
「あたしも——意味が、あったんですね」ネッサは言った。涙を、拭いて、笑った。「アルクさんを、支えるために、ここにいる。——それが、あたしの、役目なんですね」
「役目だけじゃない」アルクは言った。「ネッサは
——大切な、仲間だ。役目とか、関係なく」
「アルクさん……」
「明日も、よろしく頼む」アルクは言った。
「はい!」ネッサは、おにぎりを、握りながら、言った。涙を、こらえて、笑顔で。「あたし、頑張ります! みんなの、力になります!」
二 最後の《還元》
その夜、出発前に、アルクは、最後の《還元》を、行った。
明日の決戦の前に、少しでも、侵食を、減らすために。
エニが、縁の糸を、繋いだ。仲間たちが、手を繋ぎ、負担を、分け合った。
「いくぞ」アルクが言った。
封印石の魔力が、引き戻されてくる。みんなで、支えながら。
侵食が——三割から、二割五分へ。
「これ以上は、明日に、響く」ヴィナが言った。「ここまでにしておけ」
「ああ」アルクは言った。エニが、糸を、収めた。
「侵食、二割五分」ルミが言った。「明日、集束されたら——一気に、跳ね上がる。でも、二割五分まで、減らせたのは、大きい」
「明日、集束を、止められれば——」アルクは言った。「このまま、《還元》を、続けて、ゼロにできる」
「だから、明日が、勝負だ」ヴィナは言った。
三 それぞれの、夜
決戦前夜。それぞれが、思い思いに、過ごした。
ガドルは、木彫りのうさぎを、磨いていた。バルガは、新しい盾、ヴェルガルムの、手入れをしていた。
「明日は、激しい戦いに、なるな」ガドルが言った。
「ああ」バルガが言った。「四将、全員。そして、ヴァルゴ本人も、来るかもしれない」
「俺たちの、新しい力が、どこまで、通用するか」ガドルは言った。「楽しみだ」
「楽しみ、か」バルガは言った。「お前は、いつも、前向きだな」
「そうでも、しないと、やってられん」ガドルは、笑った。「——だが、本音を言えば。俺は、もう、誰も、失いたくない。だから、明日は、全部、守る。お前も、含めて」
「……ああ」バルガは言った。「俺も、お前を、守る。それが、俺の、役目だ」
二人は、それぞれの、武器を、見つめた。
リィナは、トニトルスを、抱えて、データの整理を、していた。
「リィナ、まだ起きてるのか」アルクが、声をかけた。
「明日の、戦術を、考えていました」リィナは言った。「四将、それぞれの、弱点と、対策を。——でも」
「でも?」
「ライナだけは、データが、足りません」リィナは言った。「楔の力で、強化されてから——あの人の、本当の力が、見えない。明日、どう戦えばいいか、わからない」
「ライナとは——」アルクは言った。「俺が、やる」
「アルクさんが?」
「ああ」アルクは言った。「ライナは、俺に、確かめたいことが、あると言った。——なら、俺が、答えを、見せる。それが、俺の、役目だ」
「……わかりました」リィナは言った。「でも、無理は、しないでください。あなたが、倒れたら、《還元》が、できなくなる」
「わかってる」アルクは言った。
ヴィナは、一人、屋敷の窓辺に、立っていた。カトレアを、抱えて。
「眠れないのか」アルクが、隣に、立った。
「ああ」ヴィナは言った。「明日のことを、考えていた」
「ライナのことか」
「それも、ある」ヴィナは言った。「でも——なんか、嫌な、予感がする。明日、何か、大きなことが、起きる気が、する」
「予感?」
「うまく、言えない」ヴィナは言った。「ただ——明日、誰も、欠けないでほしい。それだけ、だ」
「ああ」アルクは言った。「全員で、帰ってくる。約束する」
「……約束だ」ヴィナは言った。
アルクの肩で、エニが、静かに、佇んでいた。
ライナの席には、ネッサの握った、おにぎりが、置かれていた。
四 夜明け
夜明け前。
全員が、屋敷を出て、万象の泉へ向けて、出発した。
ヴォルタの城門で、ゴウダたちが、見送りに来ていた。
「アルク」ゴウダは言った。「俺たちも、後を追う。各地のギルドにも、声をかけた。——お前たちだけには、戦わせない」
「ありがとう、ゴウダさん」アルクは言った。
「礼はいらん」ゴウダは言った。「——必ず、生きて、帰ってこい」
「ああ」アルクは言った。
タークも、来ていた。
「……ネッサ」タークが、言った。「死ぬなよ」
「タークさん!」ネッサは言った。「はい! 絶対、帰ってきます!」
「当たり前だ」タークは言った。それから、ぶっきらぼうに。「……お前の握り飯、また、食わせろ」
「え?」ネッサが、目を丸くした。
「いや、なんでもない」タークは、顔を、背けた。
「行け」
「……はい!」ネッサは、笑った。「帰ってきたら、たくさん、握ります!」
アルクたちは、夜明けの道を、万象の泉へ向けて、歩き出した。
大陸の中心。かつて、最後に浄化した、清らかな泉。
そこが今、世界の運命を、決める、決戦の地に、なる。
第八十九話予告
ついに辿り着いた万象の泉。かつて虹色に輝いた泉は黒く染まり、中央では三つの封印石が一つに集束しようとしていた。それを守るのは四将全員――そして二百年の悲願を見届けに現れた、筆頭ヴァルゴ。
数では圧倒的に不利。「束になっても突破は不可能だ」と言い放つヴァルゴに、アルクはあっさり「やってみないと、わからない」。
そしてここからの総力戦が見もの。バルガが引きつけ、ガドルが薙ぎ払い、リィナの雷が空を覆い、ネッサの黄金の炎が舞う。アルクとヴィナは泉の中央を目指す――立ちはだかるライナを越えて。
二百年越しの儀式と、賦活師の命。その天を分かつ戦いが、今、始まる。




