第八十七話 削られる時間
一 日々の、《還元》
それから、アルクは、少しずつ、《還元》を、続けた。
数日に、一回。体への負担を、考えて。エニが縁を繋ぎ、アルクが、封印石の魔力を、引き戻す。
侵食は、少しずつ、減っていった。
六割。五割五分。五割。
だが——アルクの体への、負担は、確実に、蓄積していた。
「アルクさん、顔色が、悪いです」ネッサが、心配そうに言った。
「大丈夫だ」アルクは言った。「これくらい、なんともない」
「無理しないでください」ネッサは言った。「あたしの料理、ちゃんと、食べてますか? 体力、つけないと」
「食べてる」アルクは言った。「ネッサの料理は、力が出る」
「ならいいですけど……」ネッサは、まだ、心配そうだった。
ヴィナも、アルクを、見ていた。
「アルク」ヴィナは言った。「お前、最近、少し、痩せたんじゃないか」
「そうか?」
「《還元》の、負担だろう」ヴィナは言った。
「——少し、ペースを、落とせ」
「でも、時間が——」
「焦って、お前が倒れたら、本末転倒だ」ヴィナは言った。「あたしたちが、ついてる。一人で、急ぐな」
「……ああ」アルクは言った。
二 帝国の、動き
その頃、帝国でも、動きがあった。
ランスのもとに、ドラン——カインの父——から、緊急の通信が、入った。
「父から、報告です。帝国が、封印石の集束の、準備を始めた、と」
「集束……!」リィナが言った。「三つを、一つに、まとめる」
「そうなれば、守り手は、完全に、無力化される」ランスが言った。「アルクの《還元》も——縁の糸が、断たれるかもしれない」
「集束まで、どれくらいだ」アルクが言った。
「父の情報では——あと、半月ほど」カインが言った。
「半月……」アルクは言った。「今の侵食が、五割。半月で、ゼロまで、持っていけるか」
「今のペースだと、難しい」リィナが、計算した。
「一回、一割が、限界です。でも——アルクさんの体の負担を考えると、毎日は、できない。——間に合わない、かもしれません」
重い、沈黙が、落ちた。
「……ペースを、上げるしか、ない」アルクは言った。
「だめだ」ヴィナが、即座に言った。「体が、持たない」
「でも——」
「他に、方法を、考える」ヴィナは言った。「お前一人に、負担を、押し付けない。——それが、俺たちの、やり方だろう」
その時。
エニが、言った。
『……一つ、方法が、あるかもしれない』
「なんだ」アルクが言った。
『縁の力を、使う』エニは言った。『アルク一人で、封印石の魔力を、引き戻すのではなく——仲間の力も、借りる。縁の糸を通じて、皆の力を、アルクに、流す。そうすれば、アルク一人の負担が、減る』
「みんなの力を、借りる?」
『お前は、いつも、皆に与えてきた』エニは言った。『今度は、皆が、お前に、与える番だ。——縁は、双方向だ。与え、受け取る。それが、本当の、縁の力だ』
三 みんなで、引き戻す
翌日、新しい方法を、試した。
アルクが、中心に立つ。エニが、アルクと封印石を、縁の糸で繋ぐ。
そして——仲間たちが、アルクと、手を繋いだ。
ヴィナ。ネッサ。ガドル。バルガ。リィナ。カイン。
エニの縁の糸が、全員を、繋いだ。
『始めるぞ』エニが言った。『皆の力を、アルクに。アルクの《還元》を、皆で、支える』
「いくぞ」アルクが言った。「みんな——力を、貸してくれ」
「ああ」「はい!」「任せろ」全員が、頷いた。
アルクが、《還元》を、始めた。
封印石の魔力が、縁の糸を伝って、引き戻されてくる。
だが——今回は、その負担を、アルク一人で、受けなかった。
縁の糸を通じて、仲間たちが、その負担を、分け合った。一人が、少しずつ。みんなで、支えた。
「……軽い」アルクは言った。「負担が、みんなに、分散されてる……!」
「これなら、いけます!」リィナが言った。「アルクさん一人より、ずっと、効率的だ!」
「侵食が——」ルミが言った。「五割が……四割五分……四割……一気に、減ってる! でも、誰も、倒れてない!」
「みんなで、引き戻してるからだ」アルクは言った。「一人の負担が、みんなで、分け合われてる」
「これが——縁の、力か」ヴィナが言った。
『そうだ』エニが言った。『お前たちは、もう、誰か一人が、背負う必要はない。——皆で、分け合えば、どんな重荷も、乗り越えられる』
その日、侵食は、四割まで、減った。しかも——誰も、倒れずに。
四 ガドルの、歌
その夜、屋敷で。
久しぶりに、全員に、余裕が、あった。《還元》が、順調に進み、希望が、見えてきたからだ。
「今夜は、何か、祝いたい気分だな」ガドルが言った。
「じゃあ、ガドルさん、歌ってください!」ネッサが言った。「前に、約束したじゃないですか! 週二回!」
「最近、戦いばかりで、歌う暇が、なかったからな」ガドルは言った。「よし、歌うか」
バルガが、竪琴を、取り出した。「伴奏、するか」
「頼む」
ガドルが、立ち上がり、深みのある声で、歌い始めた。バルガの竪琴が、それに、寄り添う。
今夜の歌は——旅の終わりに、故郷へ帰る歌だった。
全員が、静かに、聞いた。
エニが、その歌を聞いて、光の輪を、ゆっくりと、回した。
『……美しいな』エニが、呟いた。『歌も、縁を、結ぶ。声が、心に、響く。——皆の心が、一つに、なっていくのが、わかる』
歌が、終わった。
「……いい歌でした」ネッサが、しみじみと言った。「なんか、じーんとしました」
「ガドルの歌は、心に、染みるな」アルクは言った。
「照れるな」ガドルは言った。でも、嬉しそうだった。
ヴィナが、ぽつりと、言った。
「……ライナも、聞いていたら、よかったのにな」
全員が、少し、静かになった。
「あいつは、ガドルの歌を、聞いたことが、なかった」ヴィナは言った。「一緒にいた時間が、短かったから」
「いつか、聞かせる」ガドルは言った。「あいつが、戻ってきたら。——何度でも、歌ってやる」
「ガドルさん……」ネッサが言った。
「まあ、あいつが戻ってくる保証は、ないがな」ガドルは言った。少し、寂しそうに。「今は、完全に、敵だ。——この前の戦いでも、冷たい目を、していた」
「……そうだな」ヴィナは言った。
アルクは、何も、言わなかった。
ただ——心の中で、思っていた。
ライナは、確かに、冷たかった。完全な、敵に、見えた。
でも——それでも。
アルクは、まだ、ライナを、信じたかった。
いつか、もう一度——あの席で、一緒に、飯を食える日を。
五 集束、近づく
数日後。
《還元》は、順調に、進んでいた。侵食は、三割まで、減った。守り手たちが、少しずつ、力を、取り戻していく。
「あと、もう少しだ」アルクは言った。「侵食が、ゼロになれば——封印石は、ただの石になる」
だが——その時。
カインの符が、激しく、光った。
ドランからの、緊急通信。
カインが、読んで——顔が、青ざめた。
「アルク——」カインは言った。声が、震えていた。「帝国が——封印石の集束を、早めた。予定より、ずっと、早く」
「いつだ」アルクが言った。
「……明日」カインは言った。「明日の、夜明け。三つの封印石が、一つに、集束する」
全員が、息を呑んだ。
「侵食は、まだ、三割、残ってる」ルミが言った。
「集束されたら——守り手が、完全に、無力化される。《還元》も、できなくなる」
「間に合わない……!」リィナが言った。
「集束の場所は、わかるか」アルクが言った。
「父の情報では——」カインは言った。「大陸の、中心。——かつて、俺たちが浄化した、万象の泉」
「万象の泉……!」アルクは言った。
「皮肉なものだ」ランスの声が、通信符から、響いた。「お前たちが、最後に浄化した、清らかな場所。——そこが、封印石集束の、舞台になる」
「行くしかない」アルクは言った。「集束を、止める。封印石が、一つになる前に」
「でも、アルク」ヴィナが言った。「万象の泉には、ヴァルゴが——いや、四将が、全員、揃っているかもしれない。集束を、守るために」
「四将、全員……」アルクは言った。
「ライナも、だ」ヴィナは言った。
アルクは、しばらく、黙っていた。
それから——顔を、上げた。
「行こう」アルクは言った。「みんなで。——封印石を、止めて、世界を、守る。そして」
「そして?」
「ライナとも、決着を、つける」アルクは言った。「あいつが、何を、確かめたいのか。——その答えを、見せる時が、来た」
その夜。
アルクたちは、万象の泉へ向けて、出発の準備を、整えた。
最後の、《還元》を、明日の戦いの前に、もう一度。少しでも、侵食を、減らすために。
ライナの席には、ネッサが、おにぎりを、握って、置いた。
「ライナさん」ネッサは、その席に、小さく、語りかけた。「明日、会いますね。——敵かも、しれないけど。でも、あたしは、あなたを、敵だなんて、思ってないですから」
誰も、それを、止めなかった。
全員が、同じ気持ちだったから。
長い夜が、更けていった。
明日——大陸の中心、万象の泉で。
封印石の集束を巡る、大きな戦いが、始まる。




