第八十六話 空(から)にする戦い
一 ランスの、仮説
帝国の総攻撃から、三日。
ヴォルタは、復興に追われていた。だが、最も重い問題は——封印石が、起動したまま、ということだった。
ゴウダの拠点から、ランスが、戻ってきた。重要な解析結果がある、と。
屋敷の食堂に、全員が集まった。エニも、アルクの肩で、静かに佇んでいる。
「封印石について、一つ、仮説が立った」ランスは言った。地図と、びっしり書き込まれた紙束を、広げた。「——封印石は、清浄な魔力を、吸い上げて、力にしている。これは、わかっている」
「ああ」アルクは言った。
「では——逆に、その魔力を、抜き取ったら、どうなる?」ランスは言った。
「抜き取る?」リィナが、身を乗り出した。
「封印石は、吸った魔力を、溜め込んでいる。いわば、満杯の、水瓶だ」ランスは言った。「もし、その水瓶を、空にできれば——封印石は、力を、失う。守り手への侵食も、止まる」
「でも、どうやって、空にする」ヴィナが言った。「封印石は、地脈の奥深くにある。近づけない」
「そこで——アルクの《還元》だ」ランスは言った。「封印石が吸った魔力は、元々、アルクが浄化で、世界に与えたもの。つまり——アルクの力だ。
《還元》は、与えたものを、取り戻す力。理論上——封印石から、魔力を、引き戻せる」
「でも、封印石は、遠い」アルクは言った。
「そこで——エニの、縁の力だ」ランスは、エニを見た。「アルクが浄化で結んだ、世界中の地脈との
『縁』。エニが、それを繋げば——遠く離れた封印石にも、縁の糸を通じて、《還元》が、届くかもしれない」
『……理に、適っている』エニが言った。『私が、アルクと封印石を、縁の糸で繋ぐ。アルクが、《還元》で、魔力を引き戻す。——封印石を、内側から、空にする』
「それで、封印石を、無力化できる」アルクは言った。「壊すんじゃない。——空にする」
「ただし」ランスは、表情を引き締めた。「問題が、ある」
二 代償
「《還元》は、代償を伴う」ランスは言った。「古龍ヴェルダも、言っていただろう。——限界まで使えば、アルク自身の体も、削れる」
「ああ」アルクは言った。
「三つの封印石が、溜め込んだ魔力は、膨大だ」ランスは言った。「それを、全部、引き戻すとなると——アルクの体への、負担は、計り知れない。下手をすれば——」
「アルクが、危ない」ヴィナが、鋭く言った。
「そうだ」ランスは言った。「だから——一度に、やってはいけない。少しずつ、時間をかけて。封印石の魔力を、薄皮を剥ぐように、引き戻していく。——焦りは、禁物だ」
「でも、その間に、帝国が——」カインが言った。
「攻めてくる」ランスは言った。「封印石を空にされる前に、帝国は、最終段階に入るだろう。三つの封印石を、一つに集束させて——守り手を、完全に、無力化する」
「時間との、勝負か」ガドルが言った。
「ああ」ランスは言った。「アルクが、封印石を空にするのが先か。帝国が、封印石を集束させるのが先か。——その、競争だ」
「やるしかない」アルクは言った。「少しずつでも。封印石を、空にしていく」
『私が、繋ぐ』エニが言った。『アルクと、封印石を。——だが、アルク。約束しろ。無理は、するな。お前が、倒れたら、元も子もない』
「ああ」アルクは言った。「みんなが、いる。一人で、背負わない」
三 ネッサの、台所
その夜。
屋敷の台所から、いい匂いが、漂ってきた。
ネッサが、エプロンをつけて、料理を、していた。
「ネッサ、何をしてるんだ?」アルクが、覗き込んだ。
「今日は、あたしが、作ります!」ネッサは言った。「最近、アルクさんの風呂敷ばっかりだったから。たまには、あたしの手料理も、食べてほしくて!」
「何を作るんだ?」
「肉じゃがと、卵焼きと、お味噌汁です!」ネッサは言った。「あと、ご飯! 基本だけど、心を込めて作ります!」
「手伝おうか」
「だめです!」ネッサは言った。「今日は、あたし一人で、作りたいんです。——みんなに、あたしの成長を、見てほしくて」
「成長?」
「あたし、ずっと、守られてばっかりだったから」ネッサは言った。鍋をかき混ぜながら。「でも、この前、コレンと、自分の力で、覚醒できた。——だから、料理も、ちゃんと、一人で、できるようになりたいんです。みんなを、支えられるように」
アルクは、ネッサの横顔を、見た。ヴォルタのギルドで、帳簿をつけていた少女が——今は、仲間のために、料理を作り、自分の力で、戦えるように、なっていた。
「……ネッサは、本当に、成長したな」アルクは言った。
「えへへ」ネッサは、照れた。「アルクさんの、おかげです」
「俺は、何も——」
「『ただ、与えていただけ』、ですよね?」ネッサは、笑った。「でも、その『ただ与える』が、あたしを、変えてくれたんです。——だから、今度は、あたしが、与える番です」
ネッサが、肉じゃがを、味見した。
「……うん! おいしい!」ネッサは言った。「みんなに、食べてもらおう!」
四 ネッサの食卓
食堂に、ネッサの手料理が、並んだ。
ほくほくの肉じゃが。じゃがいもに、味が、染みている。ふんわりした、卵焼き。具だくさんの、味噌汁。炊きたての、白いご飯。
素朴だが——温かい、食卓だった。
「いただきます!」全員が、言った。
ヴィナが、肉じゃがを、一口食べた。
「……うまい」ヴィナは言った。「じゃがいもに、味が、ちゃんと、染みている。前より、ずっと、上手くなったな」
「本当ですか!?」ネッサが、飛び跳ねた。「ヴィナさんに、褒められた!」
「卵焼きも、いい」ヴィナは言った。「ふんわりしている」
「やった!」
ガドルが、肉じゃがを、おかわりした。「これは、いいな。風呂敷の料理も、うまいが——ネッサの手料理は、なんというか、温かい」
「温かい?」ネッサが言った。
「ああ」ガドルは言った。「作った奴の、気持ちが、入ってる味だ。——うまいぞ」
「ガドルさん……!」ネッサが、感激した。
バルガも、静かに、味噌汁を、すすった。「……落ち着く味だ。これも、平和の味だな」
「バルガさん、また!」ネッサが、笑った。
リィナが、卵焼きを、分析しながら、食べていた。「出汁の配合が、絶妙です。前回より、明らかに、技術が向上している。——データに、残しておきます」
「リィナさん、相変わらず!」ネッサが言った。
エニが、その光景を、見ていた。
『……温かいな』エニが、呟いた。『ネッサが、皆を想って作った料理。皆が、それを、喜んで食べる。——縁の糸が、また一本、太くなった』
「エニも、食べられたら、いいのに」ネッサが言った。
『私は、この温もりを、感じるだけで、十分だ』エニは言った。『お前たちの、縁の音を、聞いているだけで——満たされる』
キラが、肉じゃがのじゃがいもを、小さな手で、持ち上げようとして——重くて、持てなくて、コロンと、転がした。
「キラ、じゃがいもは、重いよ!」ネッサが、笑った。小さく切って、キラに、あげた。
キラが、嬉しそうに、それを、食べた。
ライナの席には、今日も、ネッサの手料理が、置かれていた。
「ライナさんにも、あたしの料理、食べてほしいな」ネッサが、ぽつりと言った。「肉じゃが、好きそうな気がするんです」
「いつか、食わせる」アルクは言った。「みんなで」
「はい!」ネッサは言った。
五 最初の、《還元》
翌日。
アルクは、エニと共に、封印石への《還元》を、試みることにした。
屋敷の中、安全な場所で。全員が、見守る中。
「準備は、いいか、アルク」エニが言った。
「ああ」アルクは言った。リフレインを、握りしめた。
「無理はするな」ヴィナが言った。「少しでも、危ないと感じたら、止める」
「わかってる」アルクは言った。
エニが、光の輪を、回した。金色の糸が、アルクから、伸びていく。地脈を通じて、遠く——三つの封印石へ。
『繋がった』エニが言った。『アルク。今、お前と、封印石が、縁の糸で、繋がっている。
——《還元》を、始めろ。ゆっくり、だ』
アルクが、目を閉じた。
「返してもらう」アルクは言った。「俺が、世界に与えた、力を」
リフレインが、輝いた。縁の糸を通じて、《還元》の力が、遠くの封印石へ、届く。
封印石が溜め込んだ、清浄な魔力が——糸を伝って、アルクに、引き戻されてくる。
「……来てる」アルクは言った。「封印石の魔力が、少しずつ、戻ってくる……!」
「ルミ、侵食は!?」アルクは言った。
「……減ってる!」ルミが、言った。「七割が——六割五分……六割……! ほんの少しだけど、確実に、減ってる!」
「効いてる……!」リィナが言った。「ランスさんの仮説は、正しかった!」
だが——その時。
アルクの体に、激痛が、走った。
「——っ!!」アルクが、膝をついた。
「アルク!!」全員が、叫んだ。
「これが——代償か」アルクは、苦しそうに言った。額に、汗が、滲んでいた。「膨大な魔力を、一気に、体に通すと——体が、悲鳴を、上げる」
「止めろ、アルク!」ヴィナが言った。「もう、十分だ!」
「いや——もう少し」アルクは言った。
「だめだ!」ヴィナが、アルクの肩を、掴んだ。「お前が、倒れたら、意味がない! 少しずつ、と、ランスさんも言っただろう!」
アルクは、しばらく、ヴィナを見て——頷いた。
「……わかった」アルクは言った。エニに、合図した。「エニ、今日は、ここまでだ」
『うむ』エニが、糸を、収めた。
アルクが、息を、整えた。
「侵食、六割」ルミが言った。「一回で、一割、減らせた。——でも、アルクへの負担が、大きすぎる」
「一割ずつ、か」アルクは言った。「全部、空にするには——何回も、必要だな」
「焦るな」ヴィナが言った。「お前の体が、最優先だ。少しずつ、やればいい」
「ああ」アルクは言った。「でも——帝国が、封印石を集束させる前に、間に合わせないと」
時間との、戦いが、始まった。




