第七十八話 絶望の淵で
一 崩れる前提
「……嘘ですよね」ネッサが、呟いた。「浄化が、封印石を——強くしてたなんて」
「ルミ!!」アルクが、叫んだ。「防御の守り手は——!」
ルミが、必死に、自分の奥を探った。顔が、青ざめていく。
「……侵食が、戻ってる」ルミは言った。声が、震えていた。「二割を切ってたのが——三割、四割……五割……まだ、増えてる!! 封印石が、浄化された魔力を吸って——どんどん、強くなってる!!」
「止められないのか」ヴィナが言った。
「わからない……!!」ルミは言った。「封印石が、どこにあるか——三つとも、地脈の奥深くに移動してる!! 壊しに行くことも、できない!!」
「ランスさん!!」アルクが言った。「何か、方法は——!」
ランスは、測定器を見つめたまま、立ち尽くしていた。手が、震えていた。
「……私は」ランスは、絞り出すように言った。「私と、ドランは——魔核制御術を、魔物を救う技術にするつもりだった。でも、帝国に、兵器にされた。
——今度も、同じだ。私たちが、世界を救おうとした浄化の力が——ヴァルゴに、利用された」
「ランスさんのせいじゃない」アルクは言った。
「だが——」ランスは、顔を上げた。目が、潤んでいた。「私が、もっと早く、封印石の真の仕組みに、気づいていれば——」
「気づけなかったのは、当然だ」アルクは言った。「ヴァルゴは、二百年、これを考え抜いた。誰にも、見抜けなかった」
全員が、沈黙した。
長い旅。七か所の浄化。アルクの成長。ヴィナの剣。仲間との温かい日々。
その全てが——ヴァルゴの、掌の上だった。
二 それでも、折れない
「……だが」アルクは、言った。
全員が、アルクを見た。
「俺たちのやってきたことは、無駄じゃない」アルクは言った。「大陸の澱みは、本当に、消えた。世界は、本当に、清まった。白霊狼は、救われた。古戦場の魂は、安らいだ。万象の泉は、輝きを取り戻した。——それは、ヴァルゴの罠とは、関係なく、本物だ」
「アルク……」ヴィナが、言った。
「ヴァルゴは、それを、封印石の餌に変えた」アルクは言った。「でも——清まった世界そのものは、消えない。俺たちが与えたものは、世界に、残っている」
「でも、封印石が——」ネッサが言った。
「封印石が、清浄な魔力を吸って、強くなった」アルクは言った。「なら——その魔力を、取り戻せばいい」
「取り戻す?」リィナが言った。
「賦活師は、与える者だ」アルクは言った。「でも
——リフレインを手にしてから、わかったことがある。与えたものは、返ってくる。《還元》だ。
——封印石が吸った、清浄な魔力。あれは、元々、俺が浄化で、世界に与えたものだ。なら——返してもらえるかもしれない」
「封印石から、魔力を——奪い返す?」ランスが、顔を上げた。
「理論上は」アルクは言った。「でも、今は、できない。封印石は、地脈の奥深くにある。それに——三つが完全に目覚めれば、守り手が無力化される。そうなる前に、力を、つけないと」
「時間がない、ということか」ガドルが言った。
「ああ」アルクは言った。「でも——諦めない。ライナにも言った。俺には、まだ、選んでいない道がある。——諦めない、という道だ」
三 第五の気配
その時。
アルクの奥で——亜空間の、最奥で——何かが、強く、脈動した。
今までで、一番、はっきりと。
「……アルク」ルミが、息を呑んだ。「奥の子が——!」
「感じる」アルクは言った。「今までで、一番、近い」
『——アルク』
声が、聞こえた。
ルミでも、アルファでも、キラでもない。初めて聞く、声。
穏やかで、深く、温かい——でも、どこか、悲しげな声。
『——まだ、私は、目覚められない。でも、伝えておく』
「お前は——誰だ」アルクは言った。
『私は、五番目の守り手』声は言った。『縁を、繋ぐ者。——人と人を、魂と魂を、繋ぐ力を持つ』
「縁を、繋ぐ……」
『お前が、与え続け、人と繋がるほど、私は、目覚めに近づく』声は言った。『ライナとの縁も、まだ、切れていない。お前たちが、結んだ縁は——どんなに離れても、消えない。私が、それを、繋いでいる』
「ライナと、繋がっている?」
『縁は、消えない』声は、繰り返した。『信じて、与え続けろ。——そうすれば、いつか、全ての縁が、お前を、救う』
声が、遠ざかっていった。
「……行ってしまった」アルクは言った。
「五番目の、守り手」ルミが、呟いた。「縁を、繋ぐ力。——あの子が目覚めれば、きっと、すごいことができる」
「でも、まだ目覚めない」アルクは言った。「俺が、もっと、与え続けないと」
四 帰還、そして再起
万象の泉から、ヴォルタへ帰る道は、重かった。
誰もが、ヴァルゴの言葉を、噛みしめていた。浄化が、封印石を強化していた。その事実は、重い。
でも——誰も、折れていなかった。
ヴォルタに戻ると、ゴウダが、出迎えた。
「アルク、無事だったか」ゴウダは言った。それから、全員の硬い表情に気づいた。「……何があった」
アルクは、全てを話した。封印石の真実。ライナの離脱。五番目の守り手の声。
ゴウダは、黙って聞いた。聞き終えて、しばらく、腕を組んでいた。
「……厳しい状況だな」ゴウダは言った。「だが、アルク。一つ、言わせてくれ」
「なんだ」
「お前たちが、浄化の旅で救ったのは、土地だけじゃない」ゴウダは言った。「各地のギルドから、報告が来ている。お前たちが通った場所で、魔物の異常出没が、収まったと。土地が、豊かになったと。人々が、笑顔を取り戻したと。——お前たちの旅は、たくさんの人を、救った」
「……」
「ヴァルゴは、それを、封印石の餌にしたかもしれない」ゴウダは言った。「だが、救われた人々の笑顔は、本物だ。それは、誰にも、奪えない」
「ゴウダさん……」ネッサが、言った。
「俺は、各地のギルドとの連携を、強めてきた」ゴウダは言った。「お前たちが救った土地の冒険者たちは、お前たちに、恩を感じている。——いざというとき、その縁が、力になるかもしれない」
その言葉に——アルクは、五番目の守り手の声を、思い出した。
『縁は、消えない』。
「ゴウダさん」アルクは言った。「ありがとう」
「礼はいらない」ゴウダは言った。「——それより、これからどうする」
「強くなる」アルクは言った。「封印石が完全に目覚める前に。三つの封印石から、清浄な魔力を、奪い返せるくらいに。——そして、ライナを、取り戻す」
「ライナを?」ゴウダは言った。「あいつは、敵に回ったんだろう」
「今は、そうだ」アルクは言った。「でも——ライナは、迷っているだけだ。いつか、戻ってくる。そのとき、俺は——『お前の居場所は、ここだ』と、言える自分でいたい」
五 夜の屋敷で
その夜、屋敷の食堂。
全員が、集まっていた。だが、いつもの賑やかさは、なかった。
ライナの席が、空いていた。
「……静かですね」ネッサが、ぽつりと言った。「ライナさん、いないと」
「ああ」ヴィナが言った。「——いないと、寂しいものだな」
「ヴィナさんも、そう思いますか」
「思う」ヴィナは言った。
アルクが、風呂敷を広げた。
「今夜は——おでんにしよう」アルクは言った。
全員が、アルクを見た。
おでん。ライナが、初めて屋敷で食べたもの。「帝国に戻らない」と、決断するきっかけになったもの。
「……アルクさん」ネッサが、言った。
「ライナが、好きだったから」アルクは言った。「あいつの席にも、出しておく。——いつか、戻ってきたとき、また、一緒に食べられるように」
アルクは、ライナの空いた席にも、おでんの器を、置いた。
誰も、何も言わなかった。でも——全員の心に、同じ想いが、灯っていた。
ライナは、戻ってくる。
必ず。
「……いただきます」ネッサが、小さく言った。
全員が、おでんを食べた。
大根に、出汁が染みている。温かい。
「……うまい」ヴィナが、言った。「ライナにも、食わせてやりたい」
「いつか、食わせる」アルクは言った。
キラが、ライナの空いた席の、おでんの器の縁に、ちょこんと止まった。小さな手で、器を、ぽんぽんと撫でた。まるで——「待ってるよ」と、言うように。
「キラも、ライナを待ってるんだな」アルクは言った。
キラが、ゆらゆらと、体を揺らした。
ルミが、アルクの肩で、静かに言った。
「アルク」ルミは言った。「縁は、消えない。——五番目の子が、言ってた。ライナとの縁も、まだ、繋がってる」
「ああ」アルクは言った。「信じてる」
窓の外、ヴォルタの夜空に、星が、瞬いていた。
長い旅は、終わらない。
むしろ——本当の戦いは、ここから、始まる。
封印石。ヴァルゴ。そして、ライナ。
全ての縁が、いつか、アルクを救う。
その日を信じて——アルクは、おでんを、食べた。
温かかった。




