第七十七話 楔と、選んだ道
前話では物語が完結したかのような紛らわしい表現をしてしまいました。
混乱させてしまったとしたら申し訳ございません。
物語はクライマックスまで、しっかりと続いて完結します。
一 黒い光
ライナの体から溢れた黒い光が、アルクへ向かって伸びた。
「アルク!!」ヴィナが叫んだ。
だが——その光が、アルクに届く寸前。
銀色の光が、弾けた。
防御の守り手だ。浄化で自由を取り戻した守り手が、今までにない強さで、黒い光を弾き返した。
「……っ」ライナが、苦悶の声を上げた。黒い光が、行き場を失って、ライナ自身に巻き戻る。「ぐ……あ……!」
「ライナ!!」アルクが、ライナに駆け寄ろうとした。
「来るな……!!」ライナが、叫んだ。「近づくな……!! 俺に触れたら——お前が、楔の媒介に、巻き込まれる……!!」
アルクが、足を止めた。
ライナは、片膝をつき、自分の胸を押さえていた。黒い光が、体の中で、脈打っている。
『無駄だ、ライナ』ヴァルゴの声が、泉から響いた。『抗っても、楔は消えない。お前は、賦活師を消す媒介だ。——お前がそこにいる限り、賦活師は、いつか必ず、楔に呑まれる』
「……ヴァルゴ」ライナが、顔を上げた。「お前は——いつから、俺に、これを」
『お前が、私のもとを去ったあの日からだ』ヴァルゴは言った。『私は、知っていた。お前が、いつか迷うことを。だから——保険をかけた』
ライナの目に、複雑な色が、宿った。
怒り。屈辱。そして——もっと、深い何か。
二 ライナの、本当の迷い
「……一つ、聞かせろ、ヴァルゴ」ライナは、絞り出すように言った。「お前は——本当に、世界のために、賦活師を消すのか。それとも、ただ、帝国の権力のためか」
『どちらでもある』ヴァルゴは言った。『賦活師が完成すれば、消せなくなる。消せなくなった賦活師が、もし——間違った方向に進めば、世界は、賦活師一人の意志で、変えられてしまう。それは、誰にも止められない。——私は、それを、恐れている』
「賦活師が、間違った方向に……」ライナは、呟いた。
その言葉が——ライナの、心の奥の、ずっと触れずにいた場所を、突いた。
ライナは、ずっと、疑っていた。
アルクは、優しい。仲間を守り、敵を救い、世界を浄化する。それは、本物だ。
でも——もし。
もし、アルクが、賦活師として完成し、世界を変える力を手にしたとき。その力が、本当に、正しく使われる保証は、どこにあるのか。
二百年前のロスは、消された。だが、ロスが完成していたら、世界は、どうなっていた? 一人の人間が、世界の全てを背負い、世界の全てを変えられる。それは——本当に、正しいことなのか。
ライナは、帝国で育った。「与える者は、世界を滅ぼす」と、教えられて。
その教えを、アルクと出会って、疑った。アルクは、滅ぼす者ではない、と。
でも——疑いきれない、小さな棘が、ずっと、心に刺さっていた。
ヴァルゴは、その棘を、知っていた。
『ライナ』ヴァルゴは言った。『お前は、賦活師の優しさに、触れた。だが——その優しさが、いつか、世界を縛る鎖になるかもしれない。お前は、それを、心のどこかで、恐れている。違うか?』
「……」ライナは、答えなかった。
答えられなかった。
三 決別
「ライナ」アルクが、言った。「ヴァルゴの言葉に、惑わされるな。俺は——世界を、縛るつもりはない」
「……わかっている」ライナは言った。「お前は、そんな男じゃない。それは——一緒に旅をして、わかった」
「なら——」
「でも」ライナは、遮った。「俺には、わからないんだ。お前のことは、信じられる。でも——『賦活師の完成形』というものが、本当に、世界にとって良いものなのか。それが、わからない」
ライナは、立ち上がった。黒い光を、体に纏ったまま。
「俺がここにいれば、お前は、楔に呑まれる」ライナは言った。「だから——俺は、行く」
「ライナさん……!!」ネッサが、叫んだ。
「帝国に、戻る」ライナは言った。
全員が、息を呑んだ。
「戻って——どうする」ヴィナが、鋭く言った。「ヴァルゴの、駒に戻るのか」
「駒じゃない」ライナは言った。「俺は、確かめる。賦活師の完成が、本当に世界を救うのか。それとも、ヴァルゴの言う通り、世界を縛るのか。——それを、帝国の側から、見極める」
「ライナ、それは——」アルクが言った。
「お前を、信じていないわけじゃない」ライナは、アルクを見た。その目には、迷いと、決意が、混じっていた。「ただ——俺は、自分の目で、確かめたい。それまでは——俺は、お前の、敵だ」
「ライナさん!!」ネッサが、駆け寄ろうとした。「行かないでください!! 一緒に——!」
「ネッサ」ライナは言った。少しだけ、声が、柔らかくなった。「おでんは、うまかった。肉も、米も、魚の塩焼きも、鍋も、フレンチトーストも、卵焼きも、たんごも、パフェも、カフェオレも、ミルクティーも。——あれは、本物だった」
ネッサの目に、涙が、溢れた。
「——そんなに沢山……」
「だから——」ライナは言った。「いつか、また、食えるといい。——そのときは、俺が、敵じゃなくなっているといい」
ライナが、踵を返した。
黒い光を纏ったまま、万象の泉の縁から、跳んだ。
帝国の方角へ、消えていった。
後には、沈黙だけが、残った。
四 残された者たち
「……行ってしまった」ネッサが、泣いていた。「ライナさん、行っちゃった……」
「追うか」ガドルが言った。
「追えない」ヴィナが言った。硬い声で。「ライナの中の楔は、アルクを呑む。近づけば、危険だ。——それに」
「それに?」
「ライナは、自分の意志で、行った」ヴィナは言った。「支配されたわけじゃない。あいつは——自分で、迷って、選んだ。それを、無理に引き戻すことはできない」
「ヴィナの言う通りだ」アルクは言った。静かに。「ライナは——確かめたいと言った。賦活師の完成が、世界にとって、良いものなのか。それは——俺自身も、答えを持っていない問いだ」
「アルクさん……」ネッサが、顔を上げた。
「俺は、世界を縛りたくない」アルクは言った。
「でも——『縛らない』と言うだけでは、ライナの疑いは、晴れない。俺は、行動で、示すしかない。俺の力が、世界を、縛るためじゃなく、解き放つためにあることを」
「どうやって示すんだ」ガドルが言った。
「わからない」アルクは言った。「でも——ライナが、いつか戻ってきたとき。『お前は、正しかった』と、言わせる。そういう生き方を、する」
ルミが、アルクの肩で、静かに翼を揺らした。
「……アルク」ルミは言った。「ライナは、戻ってくるよ」
「そう思うか」
「うん」ルミは言った。「あの人の心は、本物だった。ずっと、見てたから。——迷ってるだけ。迷いが晴れたら、必ず、戻ってくる」
五 ヴァルゴの、最後の言葉
その時。
万象の泉の水面に映ったヴァルゴが、まだ、消えていなかった。
『感動的な、別れだな』ヴァルゴの声が、冷たく響いた。『だが——お前たちは、一つ、勘違いをしている』
「なんだ」アルクは、水面のヴァルゴを見た。
『お前たちは、七か所の浄化で、封印石を無力化したと、思っている』ヴァルゴは言った。『——その思い込みこそ、私の、最大の罠だ』
アルクの、背筋が、冷たくなった。
『封印石は、囮だと言ったな。あれは——嘘だ』ヴァルゴは言った。『封印石は、二百年の研究の、本命だ。お前たちが、浄化で安心しきった、今この瞬間
——封印石の、本当の力が、目を覚ます』
「……何を、言っている」ルミが、羽を逆立てた。
「封印石の侵食は、二割を切った。確かに——」
『侵食、だと?』ヴァルゴが、笑った。『お前たちは、封印石を、ただ”守り手を削るだけの石”だと思っていた。
——だが、違う。封印石の、本当の力は
——浄化された地脈の、清浄な魔力を、吸い上げることだ』
全員が、息を呑んだ。
『お前たちが、七か所を浄化し、大陸中の魔力を清めた』ヴァルゴは言った。『その、清らかな魔力が
——今、地脈を通って、設置された三つの封印石に、流れ込んでいる。封印石は、それを吸い、本来の何倍もの力を得る。——お前たちは、自分の手で、封印石に、最高の餌を、与えたのだ』
「そんな……!!」リィナが、叫んだ。「浄化が
——封印石を、強化していた!?」
ヴァルゴは言った。『賦活師は、必ず、浄化の旅に出る。それが、賦活師の、本能だからだ。
——その本能を、利用した。浄化すればするほど、封印石は強くなる。お前たちは、逃げられない、罠の中を、走っていた』
万象の泉の、虹色の水面が——揺らいだ。
泉の底から、黒い脈動が、地脈を通って、遠くへ
——三つの封印石へと、流れていくのが、見えた。
『間もなく、三つの封印石が、完全に目覚める』ヴァルゴは言った。『そのとき——守り手は、本当に、無力化される。そして、楔を持つライナが、儀式の地に立てば——賦活師は、消える』
ヴァルゴの姿が、水面から、消えた。
後には、静寂と——遠くへ流れていく、黒い脈動だけが、残った。




