第七十五話 雷を継ぐ者
一 屋敷の朝、キラの予感
古戦場の浄化から、屋敷で一晩。
朝、ヴィナがカトレアの手入れをしていると、キラが、ふわりと飛んできた。
ヴィナの膝に降りて——首元の首飾りを、じっと見た。
小さな手を伸ばして、赤い石に、そっと触れた。
「……どうした、キラ」ヴィナは言った。
キラは、首飾りに触れたまま、丸い目で、ヴィナを見上げた。何かを、確かめるように。それから——少し、不安そうに、体を揺らした。
「キラが、ヴィナの首飾りを気にしてる」アルクが、隣で言った。
「珍しいな」ヴィナは言った。「いつもは、剣の鞘で遊んでいるのに」
ルミが、アルクの肩で、静かに翼を揺らした。
「……キラは、感じてるんだと思う」ルミは小声で、アルクにだけ言った。「あの首飾りに宿った、命を持っていく力。——キラの複製の力と、何か、響き合うものがある気がする。本人も、まだわかってないけど」
「響き合う?」アルクも、小声で返した。
「うん」ルミは言った。「いつか——キラが、あの首飾りに、関わる日が来る気がする。でも、今じゃない。——だから、今は、見守ってあげて」
アルクは、頷いた。
キラが、首飾りから手を離して、ヴィナの膝の上で、くるんと丸くなった。安心したように。
「……懐かれているな」ヴィナは言った。少し、嬉しそうに。キラの頭を、指先で撫でた。
「キラは、ヴィナが好きなんだ」アルクは言った。
「光栄だ」ヴィナは言った。
二 最後の浄化への道
朝食の後、カインが地図を広げた。
「浄化ポイントは、残り一か所」カインは言った。
「キラの地図の、最後の印——大陸の中心、《万象の泉》」
「万象の泉?」アルクは言った。
「伝承の場所です」ランスが言った。「大陸の、全ての地脈が交わる中心。世界の魔力の、源泉とも言われている。——ここを浄化すれば、大陸全体の澱みが、一気に整う。設置された封印石の効果も、限界まで削れるはずだ」
「ルミ、今の侵食は」アルクは言った。
「三割五分くらい」ルミは言った。「古戦場の浄化で、また下がった。万象の泉を浄化すれば——たぶん、二割を切る。防御の守り手が、ほとんど自由になれる」
「最後の浄化、か」ヴィナは言った。「ここまで来た」
「でも——」リィナが、手帳を見ながら言った。「万象の泉は、大陸の中心。帝国の領土に、最も近い。ヴァルゴが、黙って見ているとは思えない」
「警戒は怠らない」アルクは言った。「でも——行く。これが終われば、封印石の問題に、大きく前進できる」
三 道中の襲撃と、リィナの壁
万象の泉へ向かう道中、三日目。
深い渓谷を通っていたとき——上空から、影が降ってきた。
黒い、鳥型の魔物。だが、普通の魔物ではない。全身が紫の雷を纏い、翼を広げると、空が暗くなった。
「《雷帝鳥》!!」リィナが叫んだ。「Sランク級——! 雷を操る、伝説の魔物!!」
雷帝鳥の目が、赤く濁っていた。魔核で、操られている。
「帝国が、放ったのか」ヴィナが、カトレアを抜いた。
雷帝鳥が、咆哮した。空から、無数の雷が、降り注いだ。
「散開!!」アルクが叫んだ。
全員が散った。雷が、地面を抉る。
リィナが、杖を構えた。「雷には、雷で対抗します!! 《雷霆網》——!」
リィナの雷の網が、降り注ぐ雷を、相殺した。
だが——雷帝鳥の雷は、あまりに強大だった。リィナの網が、押し負け始めた。
「……強い」リィナが、歯を食いしばった。「私の雷じゃ、相殺しきれない——!」
雷帝鳥が、リィナを、標的に定めた。同じ雷使いを、最大の脅威と見たらしい。
雷帝鳥が、急降下した。全身の雷を、リィナ一人に集中させる。
「リィナ!!」ネッサが叫んだ。
「アルク、付与を——!」リィナが叫んだ。
「かける!!」アルクが、リィナにアルファの付与をかけた。「魔力を、増幅する!!」
リィナの雷が、増幅された。だが——それでも、雷帝鳥の雷量には、届かない。
「足りない……!!」リィナが言った。「あの鳥の雷は、桁が違う——!」
四 リィナの過去と、雷への想い
雷帝鳥の雷が、リィナに迫った。
その瞬間——リィナの脳裏に、古い記憶が、よぎった。
幼い頃。リィナは、雷が、怖かった。
雷雨の夜、一人で震えていた。両親は、研究者で、いつも家にいなかった。雷の音が、孤独を、際立たせた。
でも——ある日、リィナは決めた。怖いものを、自分のものにしよう、と。雷を、恐れるのではなく、操る側になろう、と。
だから、リィナは、雷の魔術師になった。怖かった雷を、自分の力に変えた。それが、リィナの、誇りだった。
——なのに。
今、その雷に、押し負けようとしている。
「……冗談じゃない」リィナが、呟いた。
リィナの目に、火が灯った。
「私は——雷を、怖がるのを、やめたんだ」リィナは言った。「だから——この雷にも、負けない」
その時。
リィナの腕輪——ロスが遺した、攻撃強化の腕輪が、強く輝いた。
五 ロスの腕輪、応える
「リィナの腕輪が……!!」カインが言った。
ロスが二百年前に作り、リィナに託された腕輪。魔法の威力と効率を上げる、英雄の遺産。
その腕輪が、リィナの「雷を恐れない心」に、応えた。
「……腕輪が、熱い」リィナは言った。「私の魔力と——腕輪が、共鳴してる」
ルミが、アルクの肩で、息を呑んだ。
「アルク……!!」ルミは言った。「リィナの腕輪
——ロスの力が、目を覚まそうとしてる!! リィナの覚悟に、応えてる!!」
「リィナ!!」アルクは叫んだ。「腕輪の声を、聞け!! お前なら、できる!!」
リィナが、目を閉じた。腕輪の力を、感じる。ロスが込めた、想いを。
——次に現れる者よ。恐れるな。
ロスの、声が聞こえた気がした。
「……ありがとう、ロス」リィナは言った。「あなたの力、借ります」
リィナの腕輪が、形を変えた。
淡い光に包まれて——腕輪から、一本の杖が、伸びた。今までのリィナの杖とは、違う。透き通った、雷を内に宿した杖。先端に、ロスの紋様が刻まれている。
「《雷轟の杖・トニトルス》」ルミが、名を告げた。「ロスの腕輪が、リィナのために——本当の姿になった」
リィナが、トニトルスを構えた。
その瞬間——リィナの魔力が、爆発的に増幅した。
「これが——私の、雷……!!」リィナは言った。
六 雷帝の墜落
雷帝鳥が、最後の雷を、リィナに叩きつけた。
リィナは、退かなかった。
「アルク!! 最大の付与を!!」リィナが叫んだ。
「アルファ!!」
『——全開で行くで!!』
アルクとアルファが、リィナに全力の付与をかけた。リィナの魔力が、トニトルスを通って、極限まで高まる。
「《嵐の瞬獄雷・極》——!!」
リィナが、新しい技を放った。
今までの《嵐の瞬獄雷》を、トニトルスで増幅した、極大の一撃。
白い雷が、雷帝鳥の紫の雷を——真っ向から、呑み込んだ。
そして、雷帝鳥の胸へ。魔核へ。突き刺さった。
内部で、炸裂した。
雷帝鳥が、空中で、痙攣した。魔核が、砕けた。
操られていた赤い目が——元の、澄んだ色に戻った。
雷帝鳥が、ゆっくりと、地に降りた。もう、敵意はなかった。解放された伝説の鳥は、リィナを、一度見つめて——大空へ、羽ばたいていった。
「……勝った」リィナが、トニトルスを下ろした。膝をつきそうになるのを、こらえた。「私の、雷で」
「リィナ!!」ネッサが、駆け寄った。「すごい!! すっごいかっこよかった!!」
「……ありがとう」リィナは言った。珍しく、素直に。「でも——アルクさんの付与と、ロスの腕輪が、あってこそです」
「お前の覚悟が、腕輪を呼び起こしたんだ」アルクは言った。「ロスは、お前みたいな人間に、力を遺したかったんだと思う」
リィナが、トニトルスを見つめた。
「……雷が、怖かった」リィナは、ぽつりと言った。「子供の頃。一人で、震えていた。——でも、今は。雷は、私の、力です」
「いい武器だ」アルクは言った。
「ええ」リィナは言った。少し、笑った。「私の、相棒です」
七 わちゃわちゃの夜
その夜、屋敷で、リィナの新しい武器を祝った。
アルクが、風呂敷を広げた。
今夜は——焼肉だった。鉄板の上で、上質な肉が、じゅうじゅうと音を立てる。タレの香ばしい匂いが、屋敷に広がった。野菜もたっぷり。締めには、冷たい麺。
「お肉だ!!」ネッサが、目を輝かせた。「自分で焼くんですか!?」
「自分で焼いて、好きなだけ食べる」アルクは言った。「タレにつけて、白米と一緒に」
「最高の響きです!!」
ヴィナが、肉を一枚焼いて、タレにつけて食べた。
「……これは」ヴィナは言った。「危険な食べ物だな。いくらでも、白米が進む」
「ヴィナさん、もう三枚食べてます!!」ネッサが言った。
「数えるな」
ガドルが、豪快に肉を焼いていた。「これは、傭兵の夢だ。こんな贅沢、できる日が来るとはな」
「たくさんあるぞ」アルクは言った。
「『——うちも!! うちも焼いて!!』」アルファが叫んだ。
「お前は、タレに飛び込むだろ」アルクは言った。
「『今日は飛び込まへん!! 肉を、優雅に食べる!!』」
アルファが、小さな肉に、ぽちゃんと着地した。
「それは、飛び込んでいる」アルクは言った。
「『これは”食べる”や!!』」
リィナが、肉を食べながら、トニトルスを膝に置いていた。大事そうに。
「リィナさん、武器を膝に置いて食べてる!!」ネッサが言った。
「……離したくないんです」リィナは言った。少し、照れて。「今日、手に入れたばかりだから」
「気持ちわかります!!」ネッサは言った。「あたしも、喚魂環、最初は寝るときも着けてました!!」
「子供みたいだと、笑いますか」
「笑いません!! 大事なものは、大事ですもん!!」
ヴィナが、静かに言った。「……あたしも、カトレアを枕元に置いて寝ている」
「ヴィナさんも!?」ネッサが言った。
「大事なものだからな」ヴィナは言った。
キラが、リフレインの鞘の上から、トニトルスの上に、ふわりと移った。新しい武器が、気になるらしい。小さな手で、ぽんぽんと撫でた。
「キラが、トニトルスを褒めてる」アルクは言った。
「ありがとう、キラ」リィナは言った。キラの頭を、指先で撫でた。
ライナは、今夜も、テーブルの端にいた。だが——以前より、少しだけ、輪に近かった。
ネッサが、焼いた肉を、ライナの皿に乗せた。
「ライナさん、白米と一緒に食べてください!!」
「……肉だけでいい」
「だめです!! 白米と一緒が一番おいしいんですから!!」
ライナが、躊躇いながら、肉と白米を一緒に食べた。
動きが、止まった。
「……なるほど」ライナは言った。「米が、進む」
「でしょう!?」ネッサが、得意げに言った。
「お前の言うことは——時々、正しい」ライナは言った。
「時々!?」
「……だいたい、正しい」
「やった!! ランクアップした!!」
ライナの口元が、ほんの少し、緩んでいた。
八 近づく中心
夜更け。
アルクが、屋敷の窓辺に立っていると、ルミが肩に降りてきた。
「アルク」ルミは言った。「……明日、万象の泉に着く。最後の浄化」
「ああ」
「終われば——侵食は、二割を切る」ルミは言った。「防御の守り手が、ほとんど自由になる。封印石の問題に、大きく前進する」
「いいことだな」
「うん」ルミは言った。でも——少し、声が硬かった。「でも、アルク。あたし、なんか、嫌な予感がする」
「予感?」
「うまく行きすぎてる気がする」ルミは言った。「ヴァルゴが——こんなに、静かなのが。最後の浄化を、邪魔しようとしてこないのが。——まるで、わざと、やらせてるみたいで」
アルクは、窓の外の闇を見た。
ヴァルゴの言葉が、また心に浮かんだ。「仲間の中に、鍵がある」。「ライナを泳がせろ」。
「……気をつけよう」アルクは言った。「最後まで、油断しない」
「うん」ルミは言った。「あたしも、ずっと、そばにいる」
その時。
亜空間の、奥で——何かが、また震えた。
今までで、一番、強く。
「……アルク」ルミが、息を呑んだ。「奥の気配が——」
「目を覚まそうとしてるのか」
「ううん」ルミは言った。声が、震えていた。「逆。——何かを、警告してる。『気をつけて』って、言ってる気がする。あたしたちに」
アルクは、自分の奥を意識した。
まだ見ぬ、第五の守り手。その気配が——初めて、明確な意志を持って、何かを伝えようとしていた。
危険が、近い。




