第七十四話 嘆きの古戦場
一 道中のヴィナ
嘆きの古戦場へ向かう道中。
ヴィナが、ふと首飾りに触れた。三年間、ずっと身につけてきたもの。
「どうした」アルクは、隣を歩きながら聞いた。
「……古戦場、と聞いて、思い出した」ヴィナは言った。「あたしの仲間が死んだのも——古い戦場だった」
ネッサが、そっと近づいて、茶化さずに耳を傾けた。
「あたしには、昔——パーティがいた」ヴィナは、歩きながら、ぽつりと話した。「四人の仲間。家族みたいなものだった」
「ヴィナの、昔の仲間か」アルクは言った。
「ある依頼で、強い魔物の群れに、囲まれた」ヴィナは言った。声が、少し硬くなった。「逃げ道は、狭い谷が一つだけ。誰か一人が、しんがりで群れを食い止めれば、残りは逃げられる。——あたしは、自分がやると言った」
「ヴィナが?」
「あたしが、しんがりをやる、と」ヴィナは言った。「でも——仲間たちは、あたしを先に逃がした。『お前は若い。お前が生き残れ』と。そして、四人が、残った」
ヴィナの足が、少しだけ遅くなった。
「あたしは、逃げた」ヴィナは言った。「振り返ったときには——もう、誰もいなかった。この首飾りだけが、落ちていた」
「……」
「あたしは、ずっと——自分が、逃げたんだと思っている」ヴィナは言った。「仲間を、見捨てて、一人で生き延びた。それが——三年間、一人で旅をしていた理由だ」
「ヴィナは、見捨てていない」アルクは言った。「仲間が、ヴィナを、生かしたんだ」
「……頭では、わかっている」ヴィナは言った。「でも——心が、まだ追いつかない」
ヴィナは、それ以上、語らなかった。
アルクも、無理に聞かなかった。
ただ——ヴィナの心の奥に、まだ語られていない何かが、ある気がした。「あたしが、しんがりをやると言った」——その言葉の裏に、もっと深い何かが。
でも、それは、今ではない。いつか、ヴィナ自身が話せるときが来る。アルクは、そう思った。
二 澱みの古戦場
古戦場は、荒涼とした平原だった。
錆びた武具が、地面に半ば埋もれている。澱みが、霧のように地を這っていた。そして——その霧の中に、人影のようなものが、揺らめいていた。
「あれは……!!」ネッサが、コレンを抱きしめた。
「亡霊じゃない」ランスが言った。「澱みが、死者の魂の残響を、呼び覚ましている。本物の魂じゃない
——澱みが作り出した、悲しみの記憶だ」
揺らめく人影たちが、こちらに気づいた。
そして——一斉に、襲いかかってきた。
武器を持ち、苦悶の表情を浮かべた、魂の残響。倒した先から、澱みがまた新しい影を生み出す。
「きりがない!!」ガドルが言った。斧で影を払うが、すぐに新しい影が湧く。
「澱みの本体を浄化しないと、止まらない!!」リィナが言った。
「でも、この数だ!!」バルガが、大盾で影を防ぎながら言った。
アルクが、リフレインを抜いた。自己付与を全開にする。
「俺が、前を切り開く!!」アルクは言った。「みんなは、後ろを守ってくれ!!」
アルクが、リフレインを振るった。刃に乗った浄化の光が、影を斬るたびに、澱みごと消し去っていく。無双の剣だ。
だが——影の数は、減らなかった。古戦場全体の澱みが、あまりに濃い。
「アルク、奥だ!!」ルミが叫んだ。「古戦場の中央——一番大きな澱みの渦がある!! あそこが、本体!!」
中央へ向かおうとした、その時。
ヴィナの首飾りが——淡く、光った。
三 届かない声
ヴィナの首飾りが、青白い光を放った。
その光に呼応するように——揺らめく魂の残響の中から、四つの人影が、前に進み出た。
他の影とは、違った。襲ってこない。ただ——ヴィナを、見ていた。
「……まさか」ヴィナが、剣を下ろした。声が、震えた。「みんな——?」
四つの人影。それは——ヴィナの、昔の仲間たちの、淡い気配だった。澱みが作った悲しみの記憶ではない。首飾りに、わずかに残っていた——想いの残響。
でも、その姿は、ひどく薄かった。今にも消えそうな、淡い光。
「あんたたち……!!」ヴィナが、駆け寄ろうとした。
四つの影は、優しく揺らめいた。声は、聞こえない。言葉も、届かない。ただ——その気配だけが、ヴィナに、かすかに伝わった。
『生きろ』と。
それだけ。
それ以上のことは、何も伝わらなかった。影は、あまりに薄く、力が足りなかった。
「待って……!!」ヴィナが、手を伸ばした。「あたしは——あたしは、あのとき——!」
ヴィナが、何かを言いかけた。
でも、四つの影は、その言葉を聞く前に——光になって、ヴィナの首飾りに、そして、ヴィナの剣に、流れ込んだ。
消えてしまった。
「……行かないで」ヴィナが、呟いた。「まだ、伝えてない。あたしは——」
四 絆守の剣・カトレア
ヴィナの剣が、青白く輝いた。
刃が、変質していく。今までの剣が、新しい姿に生まれ変わる。柄に、四つの小さな宝石が浮かんだ。仲間の数だけ。
「これは……」ヴィナは、剣を見つめた。涙が、頬を伝っていた。
「《絆守の剣・カトレア》」ルミが、静かに名を告げた。「ヴィナの仲間たちの想いが——剣に、宿った。でも」
「でも?」アルクは言った。
「まだ——全部じゃない」ルミは言った。声を落として。「あの影たちは、何かを伝えたがってた。でも、力が足りなくて、伝えきれなかった。——剣に宿ったのは、想いの、ほんの一部。本当のことは、まだ、眠ってる」
ヴィナが、カトレアを握った。
その瞬間——ヴィナの体を、四色の淡い光が包んだ。
「これは——加護だ」ランスが、目を見開いた。「四つの加護。石化、毒、麻痺、混乱、恐怖——あらゆる状態異常を、退ける。そして——体が、軽くなっている」
「力が、満ちてくる」ヴィナは言った。涙を拭った。「みんなが——隣にいる、みたいだ。——でも」
ヴィナは、剣を見つめた。
「……あいつらは、何かを、言おうとしていた」ヴィナは言った。「あたしには——聞こえなかった。あたしが、聞くべきことが、まだある気がする」
「いつか、聞ける」アルクは言った。「今は、まだそのときじゃない。でも——必ず、聞けるときが来る」
ヴィナは、しばらく剣を見つめていた。それから、頷いた。
「……ああ」ヴィナは言った。「そのときまで——この剣と、戦う」
ヴィナが、カトレアを構えた。
「みんな」ヴィナは言った。消えた影に向かって。「——まだ、ちゃんと話せていないけど。今は、力を借りる」
五 双花繚乱
ヴィナが、駆けた。
四つの加護が、ヴィナを守り、強化している。状態異常の霧の中を、何の影響も受けずに、駆け抜ける。
「《双閃》——!」
二連の閃光。だが、今度はそれで終わらなかった。剣に宿った四つの宝石が、輝いた。
「《双花繚乱》——!」
一撃が、二撃に。二撃が、四つの宝石に共鳴して、四方へ展開した。四色の斬撃が、舞うように、魂の残響を浄化していく。斬るのではなく——優しく、安らげるように。
「ヴィナの剣が、浄化の力を……!!」カインが言った。
「カトレアは、仲間の想いの剣だ」ルミが言った。「だから——傷つけるんじゃなく、安らげる。悲しみの残響を、安らかに、還す」
ヴィナが前線を切り開いた。アルクと、二人で。
「アルク!!」ヴィナが言った。「中央の渦は、あたしが道を作る!! お前は、浄化に集中しろ!!」
「任せた!!」アルクは言った。
二人が、並んで駆けた。アルクのリフレインと、ヴィナのカトレア。二つの光の刃が、古戦場の中央へ、道を切り開いていく。
「……綺麗」ネッサが、後方で守りを固めながら、思わず呟いた。その横顔に、少しの寂しさと——でも、たくさんの嬉しさがあった。「アルクさんとヴィナさん、息ぴったり……」
コレンが、ネッサの頬を、そっと舐めた。
「……うん」ネッサは言った。コレンに、小さく頷いた。「あたしも、負けないよ。あたしには、コレンと、みんながいる。——あたしの戦い方で、追いつく」
ネッサの喚魂環が、輝いた。
「コレン——!」ネッサは言った。「あたしたちも、道を作ろう!! みんなを、守りながら!!」
コレンが、咆えた。《焔狐顕現》。巨大な炎の狐が、後方の影を一掃し、仲間たちを炎の壁で守った。
「ネッサも、すごい!!」リィナが言った。
「えへへ!! あたしだって、やれます!!」
六 古戦場の浄化
アルクとヴィナが、中央の渦に辿り着いた。
巨大な、澱みの渦。古戦場で死んだ無数の魂の、悲しみが渦巻く中心。
「アルク」ヴィナは言った。「あたしも、手伝う。カトレアの力を、お前の浄化に重ねる」
「できるのか」
「やってみる」ヴィナは言った。「みんなも——きっと、手伝いたいはずだ」
アルクが、リフレインを渦に向けた。ヴィナが、カトレアを並べた。
「与える」アルクが言った。
「還す」ヴィナが言った。
二つの光が、重なった。リフレインの浄化の光と、カトレアの安らぎの光が、一つになって——渦に、注がれた。
渦が、ほどけていく。
悲しみの残響が、安らかな光になって、空へ昇っていった。古戦場に、初めて、穏やかな風が吹いた。
錆びた武具が、淡い光に包まれて、土に還っていく。荒れ地に、小さな草花が、芽吹き始めた。
「……浄化完了」ランスが言った。声が、湿っていた。「ここは——ただの浄化じゃない。たくさんの魂が、ようやく、安らいだ」
ヴィナが、カトレアを鞘に収めた。空を、見上げた。
「……ありがとう」ヴィナは、小さく言った。「みんな。——でも、あたしは、まだ、お前たちに言えていないことがある。それを、いつか——ちゃんと、言わせてくれ」
アルクが、ヴィナの隣に立った。
「いい剣だ」アルクは言った。
「ああ」ヴィナは言った。「——あたしの、宝物だ。みんなが、くれた」
七 ヴィナの、まだ言えないこと
ヴィナが、アルクを見た。少し、目が赤かった。
「アルク」ヴィナは言った。「一つだけ、聞いてくれるか」
「聞く」
「あたしは——あのとき、本当に、ただ逃げたのか」ヴィナは言った。自分自身に問うように。「ずっと、わからない。逃げた、と思っている。でも——心の奥で、何か、違う気がするんだ。あの日、あたしは——何かを、しようとしていた気がする。でも、それが、何だったか——思い出せない」
「思い出せないのか」
「ああ」ヴィナは言った。「あの日のことは
——一部、記憶が、ぼやけている。あまりに、辛くて。自分で、蓋をしたのかもしれない」
「無理に思い出さなくていい」アルクは言った。「いつか、思い出せるときが来る。そのときは——俺も、そばにいる」
「……ああ」ヴィナは言った。少し、笑った。涙の混じった笑顔だった。「そばに、いてくれ」
「いる」アルクは言った。
ネッサが、遠くから走ってきた。
「ヴィナさーん!! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ」ヴィナは、涙を拭いた。「心配かけたな、ネッサ」
「いいんです!! でも——」ネッサは、ヴィナの剣を見た。「その剣、すごくきれいですね」
「ああ」ヴィナは言った。「——あたしの、仲間がくれた」
「大切にしてくださいね!!」
「するに決まっている」
二人が、笑い合った。
アルクは、それを見ながら——ヴィナの心の奥に眠る「本当のこと」が、いつか明らかになる日を思った。
それは、きっと——ヴィナが、もう一度、仲間と本当に再会できる日。
今は、まだ。




