第七十一話 五つ目の浄化と、英雄の遺産
一 鍵を探して
夜が明けても、誰も眠れていなかった。
「仲間の中に、すでに鍵がある」——ヴァルゴの言葉が、屋敷の空気を重くしていた。
「整理しよう」アルクは言った。食堂のテーブルに、全員が着いている。ライナも、壁際の椅子にいた。
「ヴァルゴは、封印石の三つ目を待たずに俺を消す方法を見つけた。その鍵が、俺たちの中にある、と言った」
「鍵、というのが何かによる」カインは言った。「人を指すのか、物を指すのか」
「揺さぶりの可能性もある」リィナが言った。冷静に。
「俺たちの間に、疑心を生もうとしている。誰かを疑い始めれば、それだけで連携が崩れる。——ヴァルゴは、それを狙っているのかもしれない」
「だとしても、確認はする」ヴィナは言った。「ランスさん。俺たちの装備や体に、帝国が仕込めるものはあるか」
「調べよう」ランスは言った。「一人ずつ、魔力の流れを見せてくれ」
全員が、順に魔力測定を受けた。
ヴィナの首飾り。ネッサの喚魂環。リィナの腕輪と杖。バルガの鎧。ガドルの斧。カインの通信符。アルクの短剣と、身代わりのメダル、魔力全回復の指輪。
「……どれも、異常はない」ランスは言った。「帝国の魔力の痕跡もない。仕込まれたものは、何もない」
そして——ライナ。
ライナは、自分から前に出た。
「俺を、調べろ」ライナは言った。「一番、疑われて当然だ。つい先日まで、帝国の人間だった」
「ライナさん……」ネッサが言った。
「当然のことだ」ライナは言った。「調べないなら、俺は同行できない」
ランスが、ライナの全身を、念入りに測定した。剣も、マントも、装具も。長い時間をかけて。
やがて、ランスは顔を上げた。
「……何もない」ランスは言った。「ライナさんの中に、帝国の仕込みは、一切ない。魔力の流れも、完全に独立している。帝国の命令系統との接続も——切れている。本物の、離反だ」
食堂に、わずかに空気が緩んだ。
「疑って、悪かった」ヴィナは言った。
「いや」ライナは言った。「当然だ。むしろ——疑わない方が、危うい」
「でも、よかったです!!」ネッサが、ぱっと笑った。「ライナさんが、ちゃんとこっち側だってわかって!!」
「……こっち側、とは言っていない」ライナは言った。「同じ方向を向いているだけだ」
「同じことです!!」
「違う」
「同じです!!」
ガドルが、低く笑った。「もう、こいつとネッサのやりとりが、定番になってきたな」
「定番になど、していない」ライナは言った。
キラが、アルクの肩からふわりと飛んで、またライナの膝に降りた。
「……またか」ライナは言った。
キラが、丸い目でライナを見上げて、小さな手をぎゅっと握った。
「守り手は、見抜く」ルミが、アルクの肩で穏やかに言った。「キラは、ライナが本物だって、最初からわかってたんだと思う。だから——懐く」
ライナは、膝のキラを見下ろした。今度は、どけとは言わなかった。
——それを見て、アルクはほんの少しだけ、安堵した。
だが、心の奥で、小さな違和感も残っていた。
ランスは「ライナの中に仕込みはない」と言った。それは確かだ。
「鍵」は、本当に、ただの揺さぶりなのだろうか。
その問いに、答えられる者は、まだ誰もいなかった。
二 訓練場の朝
調査が終わると、空気が一気に軽くなった。
ネッサが「じゃあ朝ごはんです!!」と台所に駆けていき、ヴィナが「あたしは訓練場で体を動かす」と立ち上がった。
「アルク」ヴィナは言った。「付き合え」
「あたしも行きます!!」ネッサが台所から叫んだ。「ごはん、もう少しで終わるので!!」
「お前は料理を仕上げてからにしろ」ヴィナは言った。
「ヴィナさん、抜け駆けです!!」
「抜け駆けではない。先に行くだけだ」
「それを抜け駆けと言うんです!!」
ガドルが、ぼそりと言った。「……二人とも、わかりやすいな」
「何がだ」アルクは言った。
「いや」ガドルは言った。「お前は、わからなくていい」
訓練場で、ヴィナと打ち合った。
アルクが付与をかける。だが——今日は、いつもと感触が違った。
「……あれ」アルクは、自分の手を見た。「付与が、軽い。いつもより、ずっと少ない消耗で、同じ量が出る」
「白嶺の浄化のおかげかもしれません」いつの間にか、ランスが見学に来ていた。「澱みが減って、アルクさんの力の通りが良くなっている。——それと」
「それと?」
「賦活師は、完成に近づくほど『与えたものが返ってくる』性質が強まる」ランスは言った。「あなたは今まで、仲間に膨大な付与を与え続けてきた。その蓄積が——少しずつ、あなた自身に返り始めているのかもしれない」
「返ってくる……」アルクは言った。
「試してみてください」ランスは言った。「自分自身に、付与を」
アルクは、自分に付与をかけた。「速く、強く」——アルファの力を、自分に。
体が、軽くなった。
いつもの数倍——いや、それ以上。視界が、はっきりする。足が地面を蹴ると、訓練場の端まで一息で到達した。
「速っ……!!」ヴィナが、目を見開いた。
「これは——」アルクは、自分の手のひらを開いた。力が、満ちている。「今まで、仲間に与えるのを優先して、自分にはほとんど使わなかった。でも——」
「与え続けたから、返ってきている」ランスは言った。「賦活師の本質だ。あなたは、一番遠回りをして——一番強くなる」
ヴィナが、剣を構え直した。少し、笑っていた。
「面白い」ヴィナは言った。「なら——本気で来い。あたしも、置いていかれない」
ヴィナが、駆けた。
その速さも、以前と違った。三年間の孤独な旅で磨いた剣に、アルクとの訓練で得た付与の感覚が、染み込んでいる。
「《閃光斬》——!」ヴィナが、技を放った。だが、一撃ではなかった。
刃が、二度、閃いた。
「《双閃》」ヴィナは言った。着地しながら。「……一撃を、二撃に分けられるようになった。お前が速くなるなら、あたしも速くなる」
「いつの間に」アルクは言った。
「毎晩、訓練場で練習していた」ヴィナは言った。「お前が——気づかないところで」
その時、台所から声が飛んできた。
「ずるいです!! 二人だけで強くなってる!!」ネッサが、エプロン姿で訓練場に飛び込んできた。「あたしも混ぜてください!! コレン、行くよ!!」
コレンが、ぴょんと現れた。
「ごはんは?」アルクは言った。
「もうできてます!! 冷めないように、ルミが温めてくれてます!!」
「あたし、便利屋じゃないんだけど」ルミが言った。でも、ちゃんと光で料理を温めていた。
「ありがとうルミ!! 大好き!!」
「……照れてない」
「何も言ってない」アルクは言った。
「言いそうだったから!!」
三 ロスの遺した地
朝食の後、五つ目の浄化ポイントへ向かった。
キラの地図が示すのは——大陸の西、《灯の谷》と呼ばれる場所だった。
「ここは——」カインが、古い記録を確認しながら言った。「賦活師ロスが、二百年前に最後の数年を過ごした土地だと、伝わっています」
「ロスの……」アルクは言った。
「ロスは、消される前——各地を旅して、澱みを浄化していた」ランスは言った。「灯の谷は、ロスが特に長く滞在した場所だ。ここの澱みが浄化されれば——大陸西部の地脈が、一気に整う」
谷に着くと、不思議な光景が広がっていた。
澱みに沈んでいるはずなのに——谷の中央に、一本だけ、枯れずに立っている大樹があった。淡く、光を帯びている。
「……あの樹だけ、澱みに侵されていない」リィナが言った。
「ロスの力が、まだ残っているのかもしれない」ランスは言った。「二百年経っても、消えずに」
アルクが、大樹に近づいた。
樹の根元に、何かが埋まっていた。
長い、布に包まれたもの。アルクが、そっと掘り出した。布を開く。
中から現れたのは——一振りの、剣だった。
古いが、錆びていない。刃が、淡い燐光を放っている。柄に、賦活師の紋様が刻まれていた。
「これは……」アルクは言った。
「ロスの、遺した剣だ」ランスが、息を呑んだ。「記録にある。賦活師ロスは、自分の力を一振りの剣に託したと。——『次の賦活師に』と」
アルクが、剣を握った。
その瞬間——剣が、応えた。
ルミの温もり。アルファの熱さ。キラの感触。防御の守り手の脈動。アルクの中の全ての守り手の力が、剣を通って、一つに束ねられた。
刃の燐光が、強くなった。
「……守り手の力が、剣に流れ込んでいる」ルミが言った。驚いた声で。「この剣——アルクの統合した力を、刃に乗せられる。今まで、手から放つしかなかった力を——刃で、直接斬れる」
「《回響の刃・リフレイン》」アルクの口から、自然に名前がこぼれた。剣自身が、名を告げたように。
「……与えた力が、刃を通って、返ってくる」
「ロスが——次のために、遺してくれたのか」ヴィナが言った。
「ロスは、一人で戦って、消えた」アルクは言った。剣を見つめた。「でも——一人じゃなかった。二百年後の俺に、力を遺してくれていた」
大樹が、さわさわと葉を揺らした。風が、なかったのに。
「……礼を言われている気がする」アルクは言った。
「ロスの想いだ」ランスは言った。静かに。「受け取った、と——伝えるといい」
「ありがとう、ロス」アルクは、大樹に手を当てた。「お前が遺してくれたものを、無駄にしない」
アルクが、目を閉じた。リフレインを地に立てる。
「与える」
白い光が、剣から——谷全体へ、波のように広がった。
今までで、一番強い浄化の光だった。剣が、力を増幅していた。
谷の澱みが、見る間に消えていく。枯れていた草が、芽吹く。淀んでいた空気が、澄んでいく。
大樹の光が、谷全体に広がり、共鳴した。
「……五つ目、浄化完了」ランスが、測定器を見た。「いや——これも、想定以上だ。ロスの樹が、浄化を増幅した。大陸西部の地脈が、ほぼ整った」
「ルミ、防御の守り手は」アルクは言った。
「楽になってる」ルミは言った。「今——抑制が、四割を切ったくらい。白嶺と灯の谷の浄化で、二つ目の石の力が、だいぶ削れた。あの子、ずいぶん息がしやすそう」
「四割を切った、か」アルクは言った。リフレインを鞘に収めた。「——少しずつ、押し返している」
四 ドルガ、再び
谷を出ようとしたとき。
地響きがした。
谷の出口に、巨大な影が立っていた。
黒い鎧の大男。背に、巨大な鉄槌。
「……ドルガ」ヴィナが、剣を抜いた。
四将の四番、ドルガが、そこにいた。だが——以前と、何かが違った。鉄槌が、変わっている。黒い鉄槌に、紫の魔力が脈打っていた。
「賦活師」ドルガは言った。「久しいな。——前に会ったときより、強くなったようだ」
「ドルガも、武器を変えたな」アルクは言った。
「ヴァルゴ様から賜った」ドルガは言った。鉄槌を肩に担いだ。「《滅鉄槌》。振るうたびに、地脈の澱みを吸って、威力を増す」
「澱みを吸う……」リィナが言った。「この谷の澱みを、浄化される前に使うつもりだったのか」
「だが、遅かったようだ」ドルガは言った。谷を見渡した。「澱みが、消えている。——だが、構わん。槌に蓄えた分で、十分だ」
ドルガが、後ろに合図した。
谷の奥から、もう一体——現れた。
巨大な、異形の獣だった。三つの頭を持っている。一つは炎を吐き、一つは雷を纏い、一つは紫の毒気を漂わせていた。体は、複数の魔物を無理やり繋ぎ合わせたような、歪な姿。
「《合成魔獣・ティアマト型》」ドルガは言った。
「セラフが作った。三体の魔物を、一つの魔核で繋いだ。——炎、雷、毒。三つの攻撃を、同時に放つ」
「三属性、同時に……!!」ネッサが言った。
「面白い」ヴィナが、剣を構えた。「複雑な相手ほど、燃える」
「全員、配置!!」アルクは言った。リフレインを抜いた。「今日は——俺たちの新しい力を、試すときだ」




