第六十九話 白霊狼の慟哭
一 仮の同行者
翌朝、ライナが全員の前に出た。
「一つ、言いたいことがある」ライナは言った。
「どうした」アルクは言った。
「俺は——今日から、帝国には戻らない」ライナは言った。「戻っても、ヴァルゴに消される可能性が高い。それに——」
ライナは、少し間を置いた。
「——お前たちと、同じ方向を向いている方が、俺には自然な気がした。おでんを食べながら、そう思った」
「おでんで決断したのですね!」ネッサが言った。
「おでんだけが理由ではない」ライナは言った。
「でも——きっかけにはなった」
「じゃあ、一緒に来るか」アルクは言った。
「——仲間になる、とは言っていない」ライナは言った。「ただ、しばらく同じ方向に向かう。それだけだ」
「それで十分だ」アルクは言った。
ヴィナが、ライナを見た。
「一つだけ言っておく」ヴィナは言った。「あたしたちのパーティに、余計な重さは要らない。足手まといになるなら、単独行動してもらう」
「それは——当然だ」ライナは言った。「足手まといにはならない。保証する」
「では、仮の同行者として認める」ヴィナは言った。
ネッサが「やった!!」と言った。
ライナが、ネッサを見た。「……お前は、本当に不思議だな」
「ありがとうございます!!」
ルミが、アルクの肩でぱたぱたと翼を揺らした。
アルファが言った。
『——なんかにぎやかになったな!!』
キラが、小さな手を上げた。同意するように。
そのとき、キラが、アルクの肩からふわりと飛んだ。
まだ飛行は不安定で、ぱたぱたと頼りない。でも、まっすぐライナの方へ向かった。
ライナの膝の上に、ちょこんと降りた。
ライナが、固まった。
「……なんだ、これは」
「キラだ」アルクは言った。「四番目の守り手。複製の力を持つ」
「守り手が——なぜ、俺の膝に」
キラが、ライナを見上げた。丸い目で、じっと。それから、小さな手で、ライナの膝の布を、ぎゅっと握った。
「……」ライナは、動けなかった。手を出すこともできず、払うこともできず、ただ見下ろしていた。
「キラ、ライナさんに懐いてる!!」ネッサが言った。
「懐かれても、困る」ライナは言った。でも——その声が、いつもより少しだけ硬さを失っていた。
「守り手は、嘘の気配を見抜く」ルミが、アルクの肩で言った。「キラは——ライナの中の、揺れている部分を感じてるんだと思う」
「揺れてなどいない」ライナは言った。即座に。
「そう」ルミは言った。それ以上は言わなかった。
キラが、ライナの膝の上で、くるんと丸くなった。
「……どけ」ライナは言った。
キラは、どかなかった。
「どかないやつだな」
「キラは頑固です!!」ネッサが言った。
ライナは、結局そのまま、膝の上のキラを乗せたまま、朝食を待った。
二 二つ目の石と、北の霊峰
朝食の後、カインが地図を広げた。
「方針を、改めて確認したい」カインは言った。「霧の城塞で、二つ目の封印石は——回収できなかった」
「地下深くだった」ヴィナは言った。「ライナの救出が精一杯で、設置場所には近づけなかった」
「地下三層の、最奥だ」ライナが言った。膝のキラを見下ろしたまま。「帝国の精鋭が、常時百人以上守っている。あそこに正面から踏み込むのは、自殺行為だ。お前たちの選択は、正しかった」
「では——二つ目は、設置されたまま」アルクは言った。
「そうだ」ライナは言った。「俺が運ばされた偽物の陰で、本物は別ルートで運ばれ、設置された。俺は
——その囮に使われた」
「ライナを責めても仕方ない」アルクは言った。
「今、俺たちにできるのは——浄化だ」
「キラの地図によれば」カインは続けた。「四か所目の浄化ポイントは、北の霊峰《白嶺》。古くから『清めの山』と呼ばれている。ここを浄化すれば、二つ目の封印石が効果を増している澱みの帯を、断ち切れる可能性がある」
「断ち切れる?」リィナが言った。
「澱みは、地脈で繋がっている」ランスが言った。
「白嶺は、北の地脈の要だ。ここを浄化すれば——城塞地下の封印石が吸い上げている澱みの供給を、細くできる。設置された石そのものは壊せなくても、栄養を断つことはできる」
「石を、兵糧攻めにするのか」ガドルが言った。
「うまい言い方だ」ランスは言った。
「では、白嶺へ」アルクは言った。
三 慟哭する獣
二日かけて、白嶺の麓に着いた。
雪を頂いた、美しい山だった。だが——近づくにつれて、空気が変わった。
重い。霧牙の森の比ではない。
澱みではない。もっと——苦しげな、何かだった。
「……変だ」ルミが、アルクの肩で羽を逆立てた。「澱みもある。でも、それ以上に——痛みの気配がする」
「痛み?」アルクは言った。
「うん。何かが、すごく——苦しんでる」
その時。
山が、吼えた。
地響きのような咆哮が、雪を震わせた。木々から雪が崩れ落ちる。全員が身構えた。
尾根の向こうから、それが現れた。
巨大な、白い狼だった。
体高は家屋ほど。全身が、雪のように白い毛で覆われている。本来なら、神々しいほど美しい獣だっただろう。
でも——その白い体に、黒い筋が走っていた。血管のように、全身を這っている。目は、濁った赤。口から、黒い泡を吐いている。
「……白霊狼」リィナが、声を落とした。「伝承にある。白嶺の守り獣。清めの山を、千年守ってきた聖獣だと——」
「あれが、聖獣?」ネッサが言った。「でも、あの黒い——」
「澱みに、蝕まれている」ランスが言った。「千年、山の澱みを一身に引き受けて浄化してきた獣だ。でも——近年の澱みの増大に、耐えきれなくなった。浄化しきれない澱みが、逆に獣を侵し始めた」
「食われているのか」バルガが言った。静かに。
白霊狼が、こちらを見た。濁った赤い目が、アルクを捉えた。
そして——咆哮した。苦痛の咆哮だった。
「来る!!」ヴィナが叫んだ。
白霊狼が、跳んだ。巨体とは思えない速さで。前脚の爪が、アルクたちのいた場所を抉った。間一髪、全員が散った。
「でかいだけじゃない!! 速い!!」ガドルが言った。
「倒すぞ」ライナが、剣を抜いた。冷静に。「あれは、苦しんでいる。生かしておく方が、残酷だ。一撃で——」
「待て」アルクは言った。
「何?」
「倒さない」アルクは言った。「あれは——千年、山を守ってきた獣だ。澱みに蝕まれただけで、本当は敵じゃない」
「敵じゃない、だと?」ライナは言った。眉を寄せた。「今、お前を殺そうとしているぞ」
「苦しいからだ」アルクは言った。「俺は——浄化する。あの獣を、澱みから解放する」
「現実を見ろ」ライナは言った。声に、苛立ちがあった。「あの大きさだ。浄化が間に合う前に、誰かが死ぬ。帝国なら、迷わず殺す。それが——一番、犠牲が少ない」
「ここは帝国じゃない」アルクは言った。ライナを、まっすぐ見た。「俺は、救えるものは救う。たとえ、難しくても」
ライナが、アルクを見返した。何か言いかけて——やめた。
「……勝手にしろ」ライナは言った。「だが、俺は俺の判断で動く。死にそうになったら、斬る」
「それでいい」アルクは言った。「死なせない。それは、俺がやる」
四 届かない光
「全員、配置!!」アルクは叫んだ。「バルガ、ガドル——攻撃じゃない!! 足止めだ!! 獣を傷つけずに、動きを止めてくれ!!」
「無茶を言う!!」ガドルが言った。
「やってくれ!!」
バルガが大盾を構えた。《鉄壁の号令》——だが今回は、威圧ではなく、自分に注意を引きつけるために放った。
ゴォォォン——!!
白霊狼の濁った目が、バルガに向いた。
ガドルが横から回り込み、《豪風斬》の風圧で——斬らずに、獣の脚をよろめかせた。
「ヴィナ、リィナ!! 獣の周囲の地面を狙え!! 獣本体は傷つけるな!!」
「足場を崩して、動きを鈍らせるのね」リィナが言った。「やります」
ヴィナの《閃光斬》が、獣の足元の岩を砕いた。リィナの《雷霆網》が、地面に這って獣の四肢を痺れさせた。
その隙に、アルクが前に出た。
目を閉じた。ルミ、アルファ、キラ、防御の守り手——全員の気配を束ねる。
「与える」
白い光が、アルクから広がった。獣に向かって。
光が、白霊狼の体に触れた。
黒い筋が、わずかに薄くなった。
「効いてる!!」ネッサが叫んだ。
でも——次の瞬間、黒い筋が、再び濃くなった。光を、押し返した。
「……だめだ」アルクは言った。「表面しか浄化できない。澱みが——獣の奥深くに、根を張っている。光が、芯まで届かない」
「千年分の澱みだ」ランスが言った。「表層を浄化しても、奥から湧き出してくる。芯——獣の心臓に巣食った澱みの核を、直接浄化しないと——」
「でも、その核は体の奥だ!!」リィナが言った。
「外から光を当てても届かない!!」
白霊狼が、苦痛に身をよじった。黒い泡が、雪原に飛び散る。触れた雪が、黒く腐った。
獣が、再び跳んだ。
今度は——ネッサとコレンの方へ。
「ネッサ!!」アルクが叫んだ。
獣の爪が、振り下ろされた。




