第六話 老婆の言葉と、剣士の傷
一 テルダの宿場町
宿場町は、王都クロシアに向かう街道の最後の中継地点だった。
石畳の小さな町で、宿と食堂と武具屋が並んでいる。旅人が多く立ち寄るため、ギルドの掲示板もあった。アルクとヴィナは宿を取り、ヴィナの肩を治癒師に診てもらった。「脱臼手前だったが、処置が早かったので回復は早い」と言われた。
「あんたの回復のおかげだな」ヴィナが言った。
「治癒師の腕のおかげだ」
「両方だろ」
夕方、食堂で夕食を取ることにした。この世界の料理で十分だった。昨夜も食べたが、旅の疲れには素朴な飯が合う。豆のスープ、麦のパン、塩漬けの魚。
食堂の席に座ったとき、アルクはふと亜空間から一枚の布を取り出した。
「どうした」ヴィナが言った。
「……ルミが、何か出したそうにしてる」
ルミが、激しくぴょんぴょんしていた。アルクは布を膝の上に広げて、意識を向けた。何が食べたい、というよりも——ルミが「出したいもの」がある気がする。
布の上に現れたのは、小さなカップに入った、黄金色のぷるぷるしたものだった。スプーンが一本、添えられている。
「……なんだこれ」ヴィナが覗き込んだ。「透けてる」
「プリンだ。前の世界の甘いものだ。ルミが出したかったらしい」
「なんで今」
「さあ。頑張ったからご褒美のつもりじゃないか」
ルミがぴょん、と跳ねた。正解らしい。
ヴィナはスプーンを取り、一口食べた。少し間があった。「……甘い。でもしつこくない。するって溶ける」
「上の苦いところはカラメルだ。砂糖を焦がして作る」
「甘いのに苦い?」もう一口。「……なんで、この苦みが甘さを際立たせるんだ。矛盾してる」
「そういうものだ」
「食べ物って、不思議だな」ヴィナは言った。素直な声だった。
ルミが、カップの縁でじっと上目遣いをしていた。アルクが小さな器に少し分けてやると、ルミが飛び込んだ。すぐ飛び出してきた。ぴょん!ぴょん!
「喜んでるな」ヴィナが言った。
「そうみたいだ」
短い、でも温かい時間だった。
二 白髪の老婆
食事を終えて宿に戻ろうとしたとき、食堂の入り口から一人の老婆が入ってきた。
齢六十ほどの、白髪の小柄な女性。粗末な旅装束だが、背筋がまっすぐで、目が鋭い。旅慣れた人間の雰囲気があった。
老婆は席を探すように店内を見渡して——アルクの肩のあたりで、動きを止めた。
正確には、ルミがいる場所を見ていた。
老婆の顔色が、変わった。驚き、というより——長年探し続けていたものをついに見つけた、というような顔だった。
ゆっくりとこちらに近づいてきた。アルクはとっさにルミを隠そうとしたが、間に合わなかった。ヴィナが静かに剣の柄に手をかけた。
「待ちなさい」老婆は両手を上げた。「敵ではない。ただ……確かめたいことがある」
声に嘘はない、とアルクは感じた。ルミも、警戒の光を出していなかった。
「……どうぞ」アルクは席を示した。
老婆は向かいに座り、アルクの手のひらを見た。次にルミを見た。長い沈黙があった。
それから、震えた声で言った。
「賦活師だ。本物の……生きている賦活師だ」
ルミが、激しく輝いた。
三 エラの話
老婆の名はエラ。元・王都の魔法研究院に所属していた研究者で、定年退職後は各地を旅しながら古い文献や遺跡を調べているという。
「賦活師……」ヴィナが言った。険しい顔だったが、剣から手は離れていた。
「知っているどころか、ずっと探していた」エラはアルクを見た。「あなた、鑑定の儀で台座を壊したか」
「……ああ」
「やはり」エラは深く息をついた。「賦活師の魔力は、この世界の鑑定台では計測できない。台座が壊れるか、鑑定不能と表示される。それは欠陥ではない。台座が設計されていない種類の魔力だからだ」
「なぜ設計されていない」
「賦活師という職業が、この世界から消えて久しいからだ」エラは静かに言った。「二百年前には確かに存在した。記録が残っている。だが、ある時期を境に、完全に途絶えた」
アルクは黙って聞いていた。
「賦活師は、与える者だ」エラは続けた。「攻撃はしない。守り、癒し、強め、与える。それだけが能力のすべて。だから、剣と炎を崇めるこの世界では、長く理解されなかった。評価されず、不遇の扱いを受け、次第に表舞台から消えていった——それが一般的な解釈だ。だが、私はそう思っていない」
「どういう意味だ」
「記録が途絶えたのは、自然に消えたからではない」エラは声を低くした。「記録が、意図的に消された形跡がある」
ヴィナが眉をひそめた。「消された?」
「二百年前のある時期を境に、賦活師に関する文献がすべて、研究院の蔵書から消えている。写本も、草稿も、言及した文書さえも。まるで、最初から存在しなかったかのように」エラはアルクを見た。「私はそれを、三十年かけて調べてきた。誰かが、賦活師という存在を消したかった。消す必要があった。その理由が、まだわからない」
重い沈黙があった。
「守り手の伝承は残っていた」エラは続けた。「賦活師の周りには、複数の守り手が宿ると。それぞれが異なる力を持ち、眠りから覚めるたびに賦活師の力が増すと。……その子が、そうか」
エラはルミを見た。ルミは、じっとエラを見返していた。
「かわいらしい姿だ。想像と違った」エラは微笑んだ。「でも、確かに守り手の気配がある。まだ最初の一つだろう」
「他にもある。眠っていて、まだ形がわからない」
「急かすことはない」エラは言った。「守り手は、賦活師が誰かに与えるたびに、少しずつ目を覚ます。それが理だ。急いで引き出そうとしても、うまくいかない」
アルクは手のひらを見た。ルミが来た夜のことを思い出す。何かをした訳ではなかった。ただ、ヴィナを助けようとして、できることをした。その積み重ねが、ルミを目覚めさせた。
「……二百年前に消えた賦活師は、なぜ消えなければならなかったのか。それを調べるつもりか」
「ああ」エラは静かに言った。「そして、あなたが現れた意味も。賦活師が今この時代に復活したのは、偶然ではないと思っている」
四 焚火と、剣士の傷
エラは翌朝、別の方向へ旅立った。別れ際に一枚の古い紙を渡してくれた。
「王都の研究院に、まだ仲間がいる。この名前を出せば、文献を見せてもらえる」
「ありがとう」
「お礼はいらない」エラは微笑んだ。「二百年待っていた甲斐があった。……賦活師よ、存分に与えなさい。あなたの力を必要としている者が、この世界にはたくさんいる」
ルミが老婆に向かってぴょん、と跳ねた。エラは目を細めて、ルミに向かって小さく手を振った。その背中が朝の光の中に消えていった。
◇ ◇ ◇
その夜、テルダを出た先の街道沿いで野営することにした。王都はすぐそこだったが、ヴィナが「もう少し肩を休めたい」と言った。
焚火を囲んで、二人とルミ。
「……一匹狼で旅してる理由、聞いていいか」アルクは言った。
「興味があるのか」
「一緒に動くなら、知っておいた方がいいと思って」
ヴィナはしばらく黙っていた。炎の音だけが続く。
「……パーティを組んだことはある」ヴィナはゆっくり話し始めた。「三年前。あたしが十七のとき」
アルクは黙って聞いた。
「同い年くらいの五人パーティだった。剣士、魔法使い、盗賊、僧侶とあたし。息が合っていた。Bランクを目指して、よくダンジョンに潜ってた」
「ダンジョンの深部で、想定外のAランク魔物に出くわした。逃げるしかなかった。だが……逃げ道が一つしかなくて」
続きは言わなかった。言わなくても、わかった。
「あたしだけ、逃げられた。四人は」
焚火の音だけが、しばらく続いた。
「……それから一人で動いてる。またパーティを組んで、また誰かを失う気がして。一人なら、自分だけの判断でいい。誰かを巻き込まなくていい」
「霧牙の森に一人で入ったのも」
「そうだ」
アルクは焚火を見つめた。
「……俺に言える立場じゃないかもしれないけど」アルクは言った。「協力せずに一人だけで動いていたら、ここには俺がいなかったかもしれない。ゴウダさんたちも、あなたも」
「わかってる」ヴィナは静かに言った。「だから今回は、一緒に動く気になった。……お前が来たとき、最初は正直、邪魔だと思った」
「そうだったのか」
「でも」ヴィナは少し間を置いた。「お前は、あたしが動けなくなったときに来た。自分が無力だとわかっていても。それが……嫌いじゃなかった」
アルクは何も言わなかった。言葉より、黙って聞いている方が合っている気がした。
ルミが、ヴィナの隣にふわりと寄っていった。そしてヴィナの膝の上に、そっと降りた。ヴィナが少し固まった。
「……来た」
「そうみたいだな」
「こいつ、あたしのこと、怖くないのか」
「お前が怖そうに見える人間には、そもそも近づかないんじゃないか」
ヴィナはルミを見た。ルミが、ふわふわと揺れていた。温かそうだった。
「……まあ、悪くない」
それが、ヴィナの精一杯の表現だとアルクにはわかった。
星が出ていた。王都の塔が、遠くの丘の向こうに黒いシルエットで見えていた。
第七話予告
人の波と喧騒に圧倒されるアルク。「……少し圧倒された」と漏らせば、ヴィナに「人混みに慣れてなさそうな顔をしてる」と半笑い。襟元のルミは人見知り発動で引きこもり中。
そんな王都での第一歩。だが人混みでぶつかったフードの青年の直後、ルミが激しく発光する。懐から出てきたのは、覚えのない紙切れ――
「賦活師よ。我々はあなたを見ている。王都を去れ。」
誰かが、ずっと見ている。これ以上、行動するなと言われた。怖すぎる。その時。王都の東から黒い煙が上がった。「また燃えた」と人々はざわめく。先月から三度目。
警告と火事は、偶然か。二百年前に消された賦活師の謎が、王都で静かに動き出す。
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