第五十八話 ヴァルゴの本気と、血戦前夜
一 帝国の大規模な動き
二週間が、静かに過ぎた。
その静けさが、不気味だった。
「嵐の前の静けさだ」ヴィナは言った。
「間違いない」ランスは言った。「儀式の準備が、最終段階に入っているはずだ。その間は、こちらに手を出す必要がない。設置した封印石が、じわじわと守り手を侵食してくれているから」
「ルミ、今の侵食の状態は」アルクは言った。
「……一つ目が設置から長い時間が経って、三割から四割の侵食に上がった」ルミは言った。「三つ目は海の底で弱い侵食。合計で、約五割」
「五割……」
「あの子は、頑張っている」ルミは言った。「でも——限界が、近づいている気がする。もし二つ目も設置されたら——」
「設置させない」アルクは言った。
「でも、二つ目がどこにあるかわからない」カインは言った。「帝国が移送してから、行方が掴めていない」
そのとき、ゴウダからの使者が来た。
「ヴォルタ近郊の——霧牙の森の方向から、大規模な軍勢が来ているという報告が入った。帝国の正規軍。数は三百以上」
「三百……!!」ネッサが言った。
「ついに来た」ヴィナは言った。静かに。剣に手をかけた。「本命が、動いた」
「三百の正規軍と、俺たち七人では——」カインは言った。
「勝てない」リィナは言った。はっきりと。「正面から戦えば、消耗で負ける」
「でも」バルガは言った。「守るものがある。ヴォルタが、ここにある」
「作戦を立てる」アルクは言った。「時間は、どのくらいある?」
「最短で明日の夜明けには森を出てくる」
「明日か」ヴィナは言った。
二 屋敷での最後の夜
その夜、全員が屋敷に集まった。
アルクが、風呂敷を広げた。
「今夜は——何でも食べたいものを言ってくれ」アルクは言った。「明日の戦いの前に、思い切り食べよう」
「俺は——唐揚げが食べたい」ガドルが言った。即座に。
「ビーフシチューが食べたい!!」ネッサが言った。
「温かい豚汁」ヴィナが言った。「あと——ネッサが作った味噌汁も、また食べたい」
「え!!」ネッサが言った。「ヴィナさんが、あたしの味噌汁をまた!!」
「旨かったから言っている」ヴィナは言った。「何か問題があるか」
「ないです!! 作ります!!」
「バルガは?」
「肉がたくさんあれば、何でもいい」
「リィナは?」
「甘いもの。あとは——前に食べたラーメンを、もう一度」
「カインは?」
「……肉じゃが」カインは言った。「前に食べて、また食べたいと思っていた」
全員のリクエストが出た。
アルクが意識を向けると、風呂敷から次々と料理が現れた。唐揚げの山、ビーフシチュー、豚汁、ラーメン、肉じゃが。デザートに、全員分のいちごショートケーキ。
そしてネッサが台所で作った味噌汁が、並んだ。
屋敷のテーブルが、料理で埋まった。
「乾杯でもするか」ガドルが言った。
「では」アルクは言った。カップを上げた。
「今まで一緒に戦ってくれて、ありがとう。明日も、一緒に戦ってくれ」
「それだけか!?」ネッサが言った。
「シンプルな男だ」ガドルが笑った。
「あたしも言う」ヴィナが言った。カップを上げた。「——みんなが、いてくれてよかった。それだけだ」
「ヴィナさん、アルクさんと同じくらいシンプル!!」ネッサが言った。
「あたしはお前みたいに長く話せない」ヴィナは言った。
「じゃあ、あたしが!!」ネッサが立ち上がった。カップを高く上げた。「あたし、ずっとギルドで帳簿つけてただけでした!! でも今は、こんなすごい仲間と一緒に、世界が大変なときに戦っている!! 怖いです!! でも——みんながいるから、大丈夫です!! 明日も、全員で帰ってきましょう!!」
「乾杯!!」
カップが、重なった。
コレンが、自分のカップをカチンと当てた。ルミが、翼でカップを軽く叩いた。アルファが、くるくると回った。キラが、小さな手でカップの縁に触れた。
賑やかな夜だった。
三 夜半の対話
食事が終わって、全員が部屋に引き取った後。
アルクは屋敷の窓際に座って、夜を過ごしていた。
ヴィナが来た。
「眠れないのか」ヴィナは言った。
「少し、考えていた」
「何を」
「明日の戦いの後——どうなるか」アルクは言った。「帝国と本格的にぶつかる。でも、これが全部じゃない。ヴァルゴは来るかもしれない。二つ目の封印石が設置される可能性もある」
「全部を考えると、頭が回らなくなる」ヴィナは言った。「そういうときは——目の前のことだけを考える。それが、あたしが三年間、一人で生き延びてきた方法だ」
「明日の戦いだけを、か」
「そうだ」ヴィナは言った。窓際に座った。
「——アルク」
「なんだ」
「一つだけ聞いていいか」ヴィナは言った。
「聞く」
「お前は——どちらかに、答えを出すつもりか」
アルクは、ヴィナを見た。「どちらか、とは」
「わかっているだろ」ヴィナは言った。視線を窓の外に向けた。「あたしが、こんなことを聞くのは——明日の戦いがあるからだ。答えを出す時間が、なくなるかもしれない。そう思ったら——確認したくなった」
「ヴィナ——」
「答えはいらない」ヴィナは言った。
「ただ——考えていてくれれば、それでいい。今すぐじゃなくていい。でも、いつか」
「いつか、では遅いかもしれない」アルクは言った。
ヴィナが、アルクを見た。
「……俺は、ヴィナが傷つくところを見たくない」アルクは言った。「首飾りを使おうとしたとき、前に立ったのは——それだけじゃなかった」
「それだけじゃなかった、とは」
「ヴィナに、いてほしかった。俺の隣に」
アルクは言った。
「それが、答えになるかどうかはわからない。でも
——それは、本当のことだ」
ヴィナは、しばらく黙った。
「……鈍い男が、たまに急に正直になる」ヴィナは言った。声が、少し震えていた。「困る」
「すまない」
「謝るな」ヴィナは言った。「——あたしも、いてほしいと思っている。お前の隣に。それだけ言っておく」
ヴィナが立ち上がった。
「明日——絶対に、生きて帰るぞ」ヴィナは言った。「お前も、あたしも、全員」
「ああ」アルクは言った。「必ず」
ヴィナが部屋に戻った。
しばらくして、ネッサが廊下を通った。アルクの部屋の前で止まった。
「……アルクさん」ネッサは言った。
「ネッサか。眠れないのか」
「少し」ネッサは言った。「あの——ヴィナさんと話してたの、聞こえてました」
「そうか」
「ごめんなさい」ネッサは言った。「でも——よかった、と思いました。ヴィナさんが、ちゃんと言えて」
「ネッサは——」
「あたしのことは、いいんです」ネッサは言った。笑った。少し悲しそうで、でも本当に笑っている顔だった。「あたしは——まだ、応援する側でいいです。今は」
「ネッサ——」
「でも!!」ネッサは言った。「いつか、ちゃんと向き合ってください!! 全部終わったら!!」
「……わかった」アルクは言った。「約束する」
「はい!!」ネッサは言った。「じゃあ、おやすみなさい!! 明日、全員で帰りましょうね!!」
ネッサが去った。
ルミが、アルクの肩に降りた。
「……アルク」
「なんだ」
「今夜、少し大人になった気がする」ルミは言った。
「そうか?」
「うん」ルミは言った。「——ちゃんと、両方と向き合った。いい夜だった」
「でも、ネッサは——」
「ネッサは強い子だよ」ルミは言った。「今夜の笑顔、見た? 悲しいのに笑っていた。でも——それは嘘の笑顔じゃなかった。本当に、応援していた」
「……そうだな」
「だから」ルミは言った。「全部終わった後、ちゃんと向き合って。約束したんだから」
「わかっている」アルクは言った。
「おやすみ、アルク」ルミは言った。「明日——あたしも、全力を出す」




