第五十一話 登録と、扉の向こう
一 ヴォルタへの帰還
深淵の間で回収した二つ目の封印石を、王都へ届けることにした。
すでに王都の地下金庫には、ルーエで回収した三つ目の容器が保管されている。二つ目も同じ場所に——という案には不安もあったが、イリアと相談した結果、王都の守りが最も堅いという判断で、二つを同じ金庫で厳重に保管することになった。
深淵の間からの帰路を経て、アルクたちは王都に立ち寄り、二つ目の封印石をイリアへ手渡した。
「これで、二つ」イリアは、封印石の容器を受け取って言った。「設置済みの一つを除けば、残る封印石はすべて、王家の管理下にあります。——必ず、守り抜きます」
「お願いします」アルクは言った。「ただ——二つを一か所に集めるのは、狙われるリスクもあります。警備を、厚くしてください」
「わかっています」イリアは頷いた。「地下金庫は、王家最強の騎士団が護っています。誰も、近づけません」
報告を終えて、アルクたちは王都を発った。ヴォルタへ戻るためだ。
その帰路、三日目。
カインの符が、激しく光った。
緊急の通信だ。カインが読んで——顔が、青くなった。
「王都から、イリア殿下が連絡を」カインは言った。
「昨夜、王都の地下金庫が——」
全員が、固まった。
「——襲われました。保管していた封印石が、二つとも、奪われました」
沈黙が落ちた。
「二つとも……!?」ネッサが言った。「あんなに、厳重だったのに……!!」
「護衛の騎士団は?」ヴィナが言った。
「全員、無力化されていました。死者はない。でも——侵入者の痕跡が全くなかったと。まるで、内部に誰かいたかのような、完璧な仕事だったと。王家最強の騎士団でも守りきれなかった……」
「帝国の特殊工作部隊か」ガドルが言った。
「おそらく」カインは言った。「でも——」カインはためらった。「侵入の方法について、一つだけ手がかりがあったそうです。その場に、青いマントの繊維が一本、残っていた、と」
全員が、アルクを見た。
「……ライナか」ヴィナが言った。
アルクは答えなかった。
「これで——帝国は、三つすべての封印石を手にしたことになる」リィナが、静かに、でもはっきりと言った。「一つは霧牙の森に設置済み。残る二つは、たった今、奪われた。——三つが揃った今、あとは残りの二つを設置するだけで、儀式の条件が整ってしまう」
「急ぐ必要がある」アルクは言った。
ルミが、アルクの肩で、今まで見たことのないほど強く光った。
そして——四番目の守り手の気配が、はっきりと脈打った。
まるで「急いで」と言っているように。
王都の地下金庫が襲われ、封印石が二つとも奪われた。今、帝国は三つすべての封印石を握っている。状況は、一気に悪化した。
設置済みの一つに加え、奪われた二つ。残るは、帝国がそれをどこに設置するか——それだけになった。
でも——アルクたちがヴォルタへ戻ったのには、理由があった。
ドーグに会うためだ。
灰爪亭に入ると、タークが受付で書類を捌いていた。アルクを見て、一瞬、手を止めた。
「……帰ってきたか」タークは言った。
「ただいま、タークさん」
「礼儀正しくなったな」タークは言った。 「……まあ、無事で何よりだ」
「タークさん!!」ネッサが満面の笑みで言った。
「お前は相変わらず元気だな」タークは言った。でも、口の端が少し上がっていた。
ドーグは奥の部屋にいた。アルクたちが入ると、白髪の大柄な体を椅子から起こして立ち上がった。
「久しぶりだな、アルク」ドーグは言った。「話は聞いている。ヴリトラを倒したと。バジリスクキングも。帝国の特殊部隊とも戦ったと」
「はい」
「王都からも、情報が来ている。イリア殿下から直接、な」ドーグは言った。「それで——一つ、提案がある」
「なんでしょう」
「お前を、冒険者として正式に登録したい」ドーグは言った。「職業欄は『鑑定不能』のままでいい。実績で評価する。Bランクからの登録だ。異論はあるか」
アルクは少し驚いた。
「俺が、正式に」
「お前がSランクの魔物を複数倒し、帝国の軍勢を退けた事実は、もう広まっている」ドーグは言った。 「ランク外のままにしておく方が、不自然だ。——それに」ドーグは声を低くした。「帝国が本格的に動いているなら、冒険者として登録されている方が、各地のギルドと連携できる。情報も、動きやすさも違う」
「……わかりました」アルクは言った。「お願いします」
ドーグが、登録証を出した。
「アルク。職業:鑑定不能。ランク:B」ドーグは言った。「今日から、正式な冒険者だ」
ネッサが飛び跳ねた。
「アルクさんが正式に冒険者!! やった!! 一緒のギルド所属になりましたね!!」
「お前は前から冒険者だろ」ヴィナが言った。
「でも嬉しいんです!!」
ルミが、アルクの肩でぱたぱたと翼を揺らした。「やっと、ちゃんと認められた」ルミは言った。
「ずっとそばで見てきたからな、お前は」アルクは言った。
「うん」ルミは言った。「おめでとう、アルク」
二 コレンと、食事の風景
帝国に封印石が奪われてしまった重苦しさのなか、
夜、灰爪亭の食堂で、食事を取った。
アルクが風呂敷を広げた。努めて明るく、今夜は ——帰ってきた祝いに。
出てきたのは、大きな炊き込みご飯の釜だった。鶏肉と牛蒡と椎茸が入った、香り豊かな炊き込みご飯。湯気と一緒に、香ばしい醤油の香りが広がった。
次に、だし巻き玉子。ふんわりした玉子に、出汁の旨味が滲んでいる。
それから、豚の生姜焼き。甘辛いタレが絡んで、ご飯が進む匂いがした。
デザートに、わらび餅ときな粉。
飲み物は、冷たいほうじ茶。
「帰ってきた感じがします!!」ネッサが言った。
コレンが、どこからともなく現れた。今は食事の香りに引き寄せられて、尻尾を揺らしながらテーブルの端に座った。
「コレン、このお肉が好きだよね」ネッサはコレンとの直接の意思疎通で察して、小さく切り分けてやった。
コレンが、幸せそうに食べた。
ネッサが言った。「今は、起きてる間はほとんど一緒にいます!!」
「仲良しだな」ガドルが言った。「まるで家族みたいだ」
「家族みたいなものです!!」
ルミとアルファも、それぞれの小皿で食べていた。ルミはだし巻き玉子を少し。
「……あったかい」ルミは言った。「帰ってきたって、こういう感じ」
「そうだな」アルクは言った。
「ヴォルタが、みんなのうちになったんですね」ネッサが言った。
その言葉に、全員が少し静かになった。
悪い静かさではない。温かい静けさだった。
「……そうだな」ヴィナが言った。静かに。「うちになった」
三 扉が開いた夜
食事の後、アルクは部屋で横になっていた。
ルミが、枕元に止まっていた。
「アルク、聞いていい?」ルミは言った。
「なんだ」
「今日、疲れてる?」
「少しな」アルクは言った。「でも、ヴォルタに帰れて、気持ちは楽だ」
「そう」ルミは言った。それから、少し間を置いた。「……あたし、試したいことがある」
「なんだ」
「亜空間の、もう少し奥を——開いてみたい。今日、気力が充実しているから」
「奥?」アルクは言った。「今まで、荷物を出し入れしていた場所より、奥に何かあるのか」
「ある」ルミは言った。「ずっと感じていた。でも、力が足りなくて開けられなかった。今なら——できる気がする」
アルクは起き上がった。「やってみよう」
ルミが、翼を大きく広げた。
亜空間の扉が、いつもより大きく開いた。
でも今回は——その奥に、さらに扉があった。
古い木の扉だ。アーチ形で、両側に石柱がある。扉の表面に、守り手の紋様が刻まれていた。
「……これが、奥の扉か」アルクは言った。
「うん」ルミは言った。「開けてみて」
アルクが、扉に手をかけた。
開いた。
その向こうに——場所があった。
広い、石造りの空間だった。天井が高く、窓から暖かい光が差し込んでいる。でも、窓の外は何も見えない。白い光だけだ。
内装は、シンプルだが品があった。大きなテーブルと椅子。暖炉。寝室が三部屋ほど。清潔で、温かい。
「……お屋敷だ」アルクは言った。
「あたしが作った場所」ルミは言った。少し照れたように。「亜空間の中に、ずっと眠っていた。ここに入れば、外の世界の時間は関係なく休める。安全だ。——何者も、ここには入れない。あたしが守る場所だから」
「全員が入れるのか」
「入れる。——それと」ルミは言った。「奥の扉が、もう一つある。でも、今は開けられない。あたしがもっと強くなってから、開ける」
「奥の扉の先は?」
「……まだ言えない」ルミは言った。「でも、きっと——驚くよ」
翌朝、全員に話した。
「お屋敷が?」ネッサが言った。「亜空間の中に!?」
「入れる」アルクは言った。「疲れたとき、危険なとき、休む場所として使える」
「見たい!! 今すぐ見たい!!」
「ルミに開けてもらう」アルクは言った。
全員で屋敷に入った。
「……すごい」ヴィナが言った。普段感情を出さないヴィナが、目を見開いていた。「本当に、屋敷だ」
「暖炉もある!!」ネッサが言った。「寝室も!!」
「テーブルが大きい!!」ガドルが言った。「全員で座れる!!」
コレンが、屋敷の中を走り回っていた。楽しそうだった。
ルミが、少し誇らしそうに胸を張った(小鳥なりに)。「どう?」
「最高だ」アルクは言った。
「えへへ」ルミは言った。
「照れてない」
「何も言ってない」アルクは言った。
「……そうだったね」
四 ヴィナとの夜
全員が屋敷に感動している中、ヴィナだけが少し離れた場所に立って、窓の外の白い光を見ていた。
アルクが近づいた。
「どうした」
「……不思議な場所だな」ヴィナは言った。「外の世界から切り離されている。ここにいる間は——何も、来ない」
「ルミが守っているから」
「それだけじゃない」ヴィナは言った。「なんか——安心する。こういう場所は、ずっと欲しかった気がする」
「どういう意味だ」
「三年間、一人で旅をしていた」ヴィナは言った。「宿は借りても、どこにも——帰る場所がなかった。今は、みんながいる。でも、それでもまだ——どこかに、ちゃんと帰れる場所がほしかった」
「ここが、その場所になれるといいな」アルクは言った。
「……そうなるかもしれない」ヴィナは言った。アルクを見た。「お前は、どうだ。帰る場所はあるか」
「今は、みんながいる場所が帰る場所だ」アルクは言った。
「みんなが、か」ヴィナは言った。少し間を置いた。「……あたしも、含まれているか」
「もちろんだ」アルクは言った。
ヴィナは、視線を窓に戻した。でも——耳が、少し赤かった。
「……そうか」ヴィナは言った。それだけ言って、黙った。
ネッサが、部屋の奥から「ヴィナさーん!! 寝室のベッドがふかふかです!!!」と叫んだ。
ヴィナが、少し笑った。「……お前も、たまには自分の話をしろ」ヴィナはアルクに言った。
「自分の話?」
「お前はいつも、みんなのことばかり見ている。——自分が、何を望んでいるか、考えたことはあるか」
「……難しい質問だな」アルクは言った。
「いつか、答えてくれ」ヴィナは言った。そのまま、ネッサのいる方へ歩いていった。




