第四話 風呂敷と、この世界にないもの
一 ルミの力
夜。アルクの借りている宿の一室に、ヴィナが来た。
狭い部屋だった。ベッドと小さな机。窓から港の明かりが見える。ヴィナは部屋の隅に立って、腕を組んだ。
「で、進展って何だ」
「これ」
アルクは空中に手を伸ばし、引いた。布が、するりと出てきた。
ヴィナが目を細めた。「……今、どこから出した」
「わからない。でも、ここから出てくる気がした」アルクは手を空中で示した。「空間の中に、いろいろあるみたいで」
「空間……?」ヴィナは眉を上げた。「空間魔法か。それも鑑定不能の一部か」
「そうかもしれない。これがルミの力だと思う」
「ルミ?」
アルクが肩のあたりを示すと、そこにふわふわと浮いていたルミが、ぴょこ、とヴィナに向かって跳ねた。
ヴィナが、目を見開いた。
「……今、見えた」
「今夜はよく見えるみたいだ。俺と慣れてきたのかもしれない」
ヴィナはじっとルミを見つめた。ルミはヴィナの視線を受けて、少し恥ずかしそうに(たぶん)アルクの陰に隠れた。
「……かわいいな」
「だろ」
「認めてるのか」
「認めてる」
ヴィナが、少し口の端を上げた。アルクが初めて見る表情だった。
「それで、その布で何をするんだ」
「これを見てくれ」
アルクは布を広げた。
二 こんな味、食べたことがない!
「何を食べたい」とアルクは言った。
「は?」
「何でもいい。この世界の料理で」
ヴィナは怪訝な顔をしたが、「……肉のシチューでも出るのか」と言った。
アルクは布の上に意識を向けた。シチュー。でもこの世界のシチューは何度か食べたことがある。どうせ出るなら。
前世の記憶から引っ張った。もっと色鮮やかで、複雑な旨味のあるもの。
湯気が上がった。
布の上に現れたのは、深い赤褐色のスープに大きな肉の塊と根菜が沈んだ料理だった。横に、薄く焼いたパンが添えられている。
ヴィナが、固まった。
「……なんだこれ」
「食べてみてくれ」
「いや、まず何だって聞いてる。色がおかしい。このどす黒い赤は何の色だ。毒か」
「毒じゃない」
「なんで断言できる」
「俺が作ったから」
「お前が作ったんじゃなくて布から出てきたんだろうが」
言い返せなかった。
ヴィナは恐る恐るスプーンを取り、スープをひとくち飲んだ。
動きが止まった。
「……」
「どうだ」
「……何だ、これ」ヴィナの声が、少し変わった。「なんで、こんな……深い。肉の味だけじゃなくて、何か別のものが重なってて……甘いのに、苦くて、香ばしくて」
「それはトマトと赤ワインで煮込んだ――」アルクは途中で止めた。「この世界にない食材だな」
「当たり前だ。こんな味、食べたことがない」ヴィナは肉を一口食べた。「っ」
「どうした」
「……ほろほろと崩れた。どうやったらこんな風に」
ヴィナは黙って食べ続けた。横のパンを千切り、スープに浸して食べた。目が、だんだん大きくなっていく。
「……なんだこれ」ヴィナは三回目の「なんだこれ」を言った。「パンに染みたら、また味が変わった。パンがスープを吸って……何これ、どうなってるんだ」
「普通の食べ方だぞ、それ」
「普通じゃない。あたしの知ってる料理と全然違う」
ルミが、器の縁でぴょこぴょこ跳ねた。自分の手柄を喜ぶように。
「お前も食べたいのか」とアルクが言うと、ルミは激しく跳ねた。
「食べれないだろ」
ルミがしゅんとした(ように見えた)。
三 アルクのこと
食べ終わって、器がすうっと消えた。布だけが残る。
ヴィナはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「アルク。あたし、お前のことを調べたい」
「調べる?」
「鑑定台が壊れた理由。ルミの正体。賦活師って言葉の意味。この世界のどこかに、お前の力を知ってる奴がいるはずだ」
アルクは静かに聞いていた。
「王都に、古い文献を調べる権限を持つ知り合いがいる。あたしと一緒に来てほしい」
「……なんで、そこまでしてくれる」
ヴィナは少し間を置いた。
「昨日、あんたが来てくれなかったら、あたしは死んでた」ぶっきらぼうに言った。「それだけだ」
「それだけ?」
「……あと、あの料理をまた食べたい」
アルクは思わず笑った。
「正直だな」
「うるさい」ヴィナは顔を逸らした。「とにかく、来るか来ないか」
アルクは少し考えた。
ルミが、ぴょんぴょんと激しく跳ねた。「行け」と言っているらしい。
「……わかった。行く」
「そうか」ヴィナは立ち上がった。「明後日の朝、ギルド前で。遅れるな」
ドアに向かいかけて、ヴィナが止まった。振り返らずに言った。
「……あのシチュー。また食べさせてもらえるか。旅の途中で」
「ああ」
「わかった」
ドアが閉まった。
アルクはルミを見た。ルミが、嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねている。
「お前、なんか満足そうだな」
ぴょん。
「……そうか」
四 旅立ち
翌朝。
アルクは決めた。
灰爪亭に行き、タークを捕まえた。
「少し、席を外してもいいか」
タークは眉を上げた。「雑用はどうする」
「ネッサさんに、他の人に頼んでほしいと伝えてある」
「どこへ行く」
「ヴィナさんと、王都の方に少し」
タークはしばらくアルクを見ていた。それから、ため息をついた。
「……好きにしろ。どうせお前は戻ってくる。どこへ行っても、最終的には荷運びに戻ってくるような顔をしてる」
「そうかもしれない」
「馬鹿にして言ってるんじゃない」タークは珍しく視線を逸らした。「赤牙隊の件は、聞いた。お前が行かなかったら、全員死んでた。それだけだ」
アルクは少し驚いた。タークが直接的な言葉を言うのは初めてだった。
「……ありがとう」
「礼はいらない。さっさと行け」
アルクが出ていこうとすると、ネッサが追いかけてきた。
「アルクさん」
「なに」
「これ」ネッサは小さな包みを差し出した。「携帯食です。道中、何も食べずにいそうで」
アルクはその包みを受け取った。ずっしりと重い。
「ありがとう」
「……気をつけて」ネッサは俯いた。「絶対、帰ってきてください」
アルクは頷いた。
ギルドを出ると、ヴィナが入口で待っていた。アルクが持っている包みを見て、目を細めた。
「ネッサか」
「ああ」
「あの子、お前のことが好きだぞ」
「そういう話は関係ない」
「そうか」ヴィナは歩き出した。でも口の端が、かすかに上がっていた。「まあ、わからんでもないけどな」
「……どういう意味だ」
「別に」
アルクは首を傾けたが、追及はやめた。
肩のあたりで、ルミがきらり、と光った。
◇ ◇ ◇
――そのとき、ヴォルタの街の東の外れ。
廃屋の陰に、一人の男が立っていた。フードを深く被り、顔が見えない。ただ、その目だけが、アルクとヴィナの後ろ姿を追っていた。
「……やはり、いたか」
低い声だった。
「《賦活師》。この時代に」
男はゆっくりと、もう一人に向かって言った。フードの影から、もう一つの気配がする。
「報告しろ。《盟主》に。――眠れる守り手が、目を覚まし始めた」
その言葉は、朝の風に溶けた。
アルクは気づかない。ヴィナも気づかない。
ただ、ルミだけが――一瞬、光を強くした。




